消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(256) オバマ現象の解剖(1) インペリウム(1)

2009-12-26 00:43:36 | 野崎日記(新しい世界秩序)
 二〇〇九年末に封切られたマイケル・ムーアの話題作『資本主義、ある愛の物語』によって、ゴールドマン・サックスのあまりにも巧妙な錬金術に世界の注目が集まるようになった。マンハッタン、ブロード街八五番地のゴールドマン・サックス本店前に乗りつけたムーアは、「米国人のカネを返せ」と叫んだ。

 ゴールドマン・サックスには悪罵の数々が投げかけられている。「経済ゴロツキ」、[ハゲタカ資本」、「泥棒男爵」等々。中でも強烈なものは、米誌『ローリング・ストーン』が描いた風刺画である。酷薄な人間の仮面を被った吸血烏賊がカネの匂いを嗅ぎ当てて、血を吸うごとく、カネを人々から吸い上げるという構図である。烏賊は、もちろん、ゴールドマン・サックスである。

 古今東西、金融は厳しく取り締まられてきた。なんであれ、それを手に入れたいという欲望はある。しかし、モノに対する欲望には上限がある。いくら高級車が好きでも、ひとりで何百台と所有できるものではない。高級ワインに目がないといったところで、何万本も飲めるわけではない。もうこれ以上は要らないという欲望の限界がモノにはある。

 ところが、カネに対する欲望は無限に大きい。限度がない。一〇〇万円を手に入れた人は、さらに一〇〇〇万円が欲しくなる。それを実現すれば次には一億円、そして一〇〇〇億円、一兆円と、それこそ自足することがない。

 そもそも、カネ儲けのできる人や組織には第一級の情報が入ってくる。カネ儲けは情報が一般化する前に投資することによって可能になる。当たるも八卦、あたらぬも八卦の世界にカネ儲けはない。必ず、儲かるという確かで最新の情報に基づいて投資はおこなわれる。上限のないカネへの欲望が、買占めや価格操作によって、経済社会の安全を脅かす。そうした投機が横行すれば、失業者が続出し、社会は破壊される。だからこそ、アリストテレスのいう社会的合意の産物としての「ノミスマ」(貨幣)論が、オイコノミカ(経済学)の基礎に据えつけられたのである。それは貨幣を社会的に制御することであった。

 市場は、あらゆる産業に平等な条件を与えているのではない。この点の認識がとくに重要である。まず、玄人向けの産業は利益が薄い。鉄鋼業は膨大な設備と従業員を抱えなければならない。生産に擁する固定費は莫大である。固定とは売上高にかかわらず必要となるコストのことである。変動費にしても原料高が製品コストを直撃する。

 ところが、鉄鋼の買い手は素人ではない。業界のコストを正確に理解している玄人としての巨大寡占体が買い手である。鉄鋼企業の販売価格は、巨大な力を振るう買い手との長期間にわたる交渉の末にやっと、そこそこの薄利を上乗せされたものに圧縮させられてしまう。つまり、最終需要先を持たない鉄鋼などの素材産業は儲からない。

 それに対して、素人相手の産業の利益は大きい。素人は正確な生産コストを知らないからである。しかも、素人はこれでもかこれでもかと打たれるコマーシャルに心を奪われる。まるでファッション服を求めるように、新製品に飛びつく。このことは、テレビ・コマーシャルの出し手を見てもすぐさま理解できることである。鉄や造船などのコマーシャルにお目にかかることはきわめて稀である。だからこそ、寡占ないしは独占体は最終需要に照準を合わせた消費財に成立する。たとえば、鉛筆、歯磨粉、洗剤、ピアノ。ほとんどの人は上位二社程度しか名前を想いう浮かべることができない。正確な価格を素人である消費者が知らないからこそ、こうした寡占体が成立する。

 正確な価格を知らしめないで営業する典型例が投資銀行である。彼らが売りまくった金融商品、とくに証券化された金融商品には市場価格が付いていない。その多くは市場から付けられたものではなく、投資銀行が顧客のために見繕い、自社の計算式によってはじき出された人為的価格である。いきおい、ブームが投資会社によって煽られる。

 ブームとはバブルである。ブーム時に投資銀行は、証券化された金融商品を高値で顧客に売りつけて膨大な利益を得る。そのうち、様々な顧客情報を総合することによって、投資銀行はバブルが弾けるという読みを持つようになる。投資銀行は、今度は、売りつけた金融商品の空売りに出る。空売りとは、売るべき金融商品を顧客から手数料を出して借り、借りた金融商品を使って売り浴びせることである。金融商品の価格が十分に下がった段階で現物を買い戻し、それを借りた相手に返却すれば、高値で売り、安値で買い戻すのだから差益が出る。つまり、投資銀行は、バブル時にも、バブル破裂時にも、利益を出すことができるのである。

 そして、金融機関がそのような方向に向えば、社会のカネは雇用拡大のための生産的投資ではなく、激しい価格変動がある金融商品売買に集中するようになる。いきおい、社会の資本は、投機化して、生産の縮小、雇用の減少をきたしてしまう。その意味において、バブルを煽ったのも、バブルを破裂させたのも、投資銀行であったと断定してもよい。金融の自由化とは雇用の拡大に向う義務を免除されて、自由に投機に耽ることができるという体制整備のことである。

 投機は、しかし、必ず失敗する。しかし、失敗によって大打撃を受けて、競争相手の投資銀行が撤退してしまえば、公的資金の注入を受けて生き延びることができた投資銀行は、次の飛躍のチャンスを掴むことになる。

 実際には、ゴールドマン・サックスの被害は小さかった。にもかかわらず、同行は、他の甚大な損失を出した金融機関と同額の公的資金の注入を受けた。注入を受けただけなく、AIGへの投資額二〇〇億ドルのうち、一三〇億ドルの補償を政府から与えられた。

 二〇〇九年の世界恐慌前夜にもかかわらず、ゴールドマン・サックスの従業員三万人の一人当たり平均報酬は七〇万ドルもあった。会長のブランクファインの二〇〇七年のボーナスは六八〇〇万ドルもあり、ゴールドマン・サックス株を五億ドル程度付与されていた。そして、二〇〇九年の第二・四半期(四~六月期)の利益は三四億ドルであり、ボーナス分として二〇〇億ドルを別途積み立てているとの観測が流れた。二〇〇億ドルとは、一ドル=九〇円で換算すれば一・八兆円もの巨額である。そして、会長は二〇〇七年を上回るそれこそ史上空前の巨額ボーナスを支給されることになる。

 ゴールドマン・サックスは、二〇〇八年のTARP(不良資産買取政策)によって、米政府から一〇〇億ドルもの公的資金注入を受けた。二〇〇九年に二三%もの利子をつけて返済したので、なにも遠慮は要らないとの判断なのであろうが、この巨額のボーナスがムーアによる「カネを返せ」という映像を生み出したのである。

 投資銀行は、よしんば破綻しても政府からの支援を受けないという条件で、営業内容の一切を金融監督当局に報告する義務を免除されてきた。

 ところが、現実に破綻の恐怖が生じると、FRBからの公的資金による救済を受けたのである。約束違反である。もともと投資銀行は、商業銀行のようにFRBの監督下にはなかった。SECの指揮下にあった。ところが、FRBは投資銀行を救済するために、FRB八〇年の歴史の中で初めて、投資銀行を銀行持ち株会社にして商業銀行的位置付けをした。事実上は、投資銀行業務を禁止されたのではなく、その業務を継続できるのに、組織上だけで商業銀行として模様替えさせられたのである。公的資金融資のための苦肉の策であったことはいうまでもない。

 サブプライム・ローン危機前よりも、膨大な財政出動によって市中を駈けめぐるカネの量が桁違いに増えている。しかも、最大のライバルであるリーマン・ブラザーズとベア・スターンズが市場から消えた。メリル・リンチも残っているが、メリルは青息吐息で、昔日の面影もなく、ライバルといえるのはモルガン・スタンレー一行である。こうして、オールドマン・サックスは、以前にも増して投資銀行業務を活発に展開できるようになったのである。ゴールドマン・サックスが空前の利益を確保できたのは、米政府が規制についてなにもせず、カネのみ惜しみなく市場に供給した結果にほかならない。

 二〇〇八年のサブプライム・ローン問題が深刻化することをいち早く見抜いていたのは、ゴールドマン・サックスであった。ゴールドマン・サックスの自己資本投資部門は、サブプライム関係の金融商品の先物売りに相場を張っていたのである。自行の証券部門がサブプライム・ローン関連金融商品の販売を手掛ける一方で、投資部門はそれら金融商品の値下がりを見込んで先物売りに相場を張っていたのである。投資部門は、結果的に大儲けした。ことの当否はともかく、ゴールドマン・サックスの損失は、投資部門の儲けによって、サブプライム・ローン関連における損失は他行に比べて驚くほど軽微であった。二〇〇八年のサブプライム・ローン関連の損失は一七億ドルしかなかった。他行、たとえば、UBSは五八〇億ドルも損失を出していたのである。にもかかわらず、ゴールドマン・サックスは、他行と横並びの一〇〇億ドルの公的資金注入を受け入れた。

 こうした経緯がありながら、ゴールドマン・サックスは、二〇〇九年に高収益を挙げ、高い報酬を幹部に支払った。幹部級である同行のパートナーは大きく四つの階層に編成されている。もっとも低いランクは「バンキング」パートナーで三五〇万ドルの年収である。その上は「トレーディング」パートナーで七〇〇~一〇〇〇万ドル、さらにその上が理事クラスの一五〇〇~二五〇〇万ドル、そして、経営陣が天文学的報酬を得るのである。二〇〇八年で一〇〇万ドル以上の報酬を得た人は九五三人いた。

 ゴールドマン・サックスをはじめ、米国の投資銀行界では、高給をとることが成功の証であり、豪勢な消費が顕示される。まさに、金儲けに耽溺している。

 たとえば、ロンドン店の総裁、マイケル・シャーウッドは、豪華なヨットを五隻も買い換えた。それは帆走が目的ではなく、ただ所有することに喜びを持つと誇らしげに語っている。その一つのライオンハートと名付けられたヨットは二〇八フィート、三二〇万ポンド(四七億円)もした。

 ただし、勤務条件は非常に厳しい。休暇はほとんどとれない。年に数日あるかないかである。毎年三~五%の従業員が首になる。平均勤続年数は八年程度と非常に短い。従業員の多くは四〇歳までに退職する。他人を蹴落として生き残ることが自己目的となり誇りとなる。金融の肥大化は、人々の精神を確実に貧しくさせている。カネを集める吸血鬼の顔付きになるまで人々が堕落する(数値については、Times Online, November 8, 2009より)。

 この連載は、切り捨てられている普通の人々の悲しみが社会変革の梃子になることを願いつつ、倫理なき金融のおぞましさ、そして、中国もそうした金銭的強欲の弊に染まりつつあるという恐怖に駆られて、オバマ現象、メガ・チャーチ現象、レフトビハンド現象を描いた。

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