消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.164 NHK『マネー革命1』

2007-09-15 00:19:48 | 金融の倫理(福井日記)


 NHK『マネー革命1』(相田・宮本[1999a])は、よき時代のBBCを彷彿とさせる凛とした姿勢を見せる好著である。さすがに、コマーシャルに拘束されない放送局の気位を感じさせてくれる。

 シカゴ穀物取引所(Chicago Board of Trade=CBOT)の有名なローカル・トレーダーであるトム・ボールドウィン(Tom Baldwin)のコンピュータ依存批判など「おやっ!」と思わせる。個人の資格で、自己資金だけでCBOTのピットに立てる取引者をローカル・トレーダーという。ボールドウィンは、三〇年以上も米国債の先物取引に携わり、米国債先物市場の五%を動かす大物のローカル・トレーダーであるとされている。彼はひたすら市場に立つという。

 「市場に立つと、あらゆることが直観的に感じ取れるんだ」。
 「情報というにはそれ自体は正しいかもしれないが、次の瞬間にはもう正しくないかもしれない。俺にとって重要なのは、まさに今なのだ。だから、俺は常に今現在の判断で取引するのだ」。

 コンピュータを使わないのは、そうした覚悟が薄らぐからであるという。
 「損することはきわめて苦痛なことなんだ。ところがコンピューターでプログラムを組めば、その痛みから逃れることができる。コンピューターが人に何をすべきか命令するからだ。そうなると取引の結果について自分には責任がないように思えてくるのさ。これが怖い。取引というのは毎日、毎時間、毎分、時々刻々と責任を取る行為なんだ。それが薄れていくのが恐ろしい」。
 「コンピューターは何でも自動的にやってくれるからね。しかし、心はない。感情もない。理論的にやってくれるだけだ。またコンピューターというものには情報を入力しなければいけないが、肝心の情報がどれくらい有効なのかは、はなはだ疑わしい。情報の価値は時々刻々と変化するからだ。かといって、常に意味のある情報を更新させていくことは大変面倒なことになる」。

 人がパニックに陥ったときがもっとも相場が読める、コンピュータの援用によってそれがより正確にできる、と豪語したロイ・ニーダーホッファーとは、如何にボールドウィンの率直な言は対照的であることか。

 前者は、コンピュータが人間を分析するとした。ボールドウィンは逆である。人間の弱さがコンピュータ依存を作ってしまうと切って棄てたのである。自分たちが作ったプログラムに頼り切れば、心の負担が軽くなるというのである。コンピュータに組み込まれているプログラムに心を預けてしまうのが人間の弱さであるとボールドウィンは言い切ったのである。

 破産に至る伝説上の相場師、ビクター・ニーダーホッファー(Victor Niedehoffer)を紹介した後、一九九九年時点の早い時点で、このようなすごいことを言えたのかと、驚嘆すべき内容の米国流金融技術批判をNHK『マネー革命1』は展開した。

 同書は、ビクター・ニーダーホファーが、一九九七年の「円キャリー・トレード」を仕掛けていたのではないかと疑っている。円キャリー・トレードとは、超低金利の円を借りてドルに変えて運用することである。これは円売り・ドル高となる。ドルで高収益を得るべく、日本の銀行がそうした行為に手を貸す。こうして円安が際限なく進行する。ドルで得た高収益を安い円に転換すれば大きな稼ぎとなる。

 こうしたことは、二〇〇七年前半に日本では大きな話題になっていたが、一九九七年時点で、すでにIMFの報告書がそうしたトレードが行われている気配があると警告していた(IMF[1997], chap.2, p. 4f.)。

 ヘッジファンドにはグローバル・マクロ型というのがある。これは、世界各国の為替、金利、株式、商品、先物などの様々な市場で制度や政策などによって発生した市場の不均等や歪みを収益の機会とし、大きなレバレッジをかけて、大きな収益を狙うものである。例えば、バブル期の日本経済では、実際の経済状態以上に資産価値が上昇していた。そうこうするうちに、不当に高かった資産価値を維持できないで、バブルが弾けた。つまり、資産価値が暴落した。こうした市場の不均等を、市場よりも早く見抜き、大きなレバレッジによって攻勢をかけるのが、グローバル・マクロ型である(http://assets.blog54.fc2.com/blog-entry-76.html)。一九九七年のときは、不必要に安い円を借りておくという行為がグロ-バル・マクロ型であた。

 IMF報告では、以下のようなことが記されていた。要約する。
 大手グローバル・マクロ型ヘッジファンドが、円ドル間の大きな金利差で大儲けしている。日本の銀行は不良債権問題で苦しんでいる。一九九六年から九七年にかけて日本銀行は、日本の銀行を救済するために、超低金利と円安を指向するであろう。金利の安い円を大量に借りて集めてドルを買い、それで金利の高い米国債を買えば大きな利益が出る。

 事実、日本の銀行は、一九九六年に海外投資を二〇〇億ドル減らしたのに、ヘッジファンドの本拠地のあるケイマン諸島のノンバンクに対する貸し付けが一九〇億ドルも急増している。そして、ケイマン諸島では一九九六年、二〇〇億ドルの米国債が買われたのである。こうした円キャリー・トレードが莫大な利益を上げているのである。以上。

 NHKは、反芻する。
 「日本の銀行は日本の超低金利で調達した円を海外でノンバンクに貸し付けて、ノンバンクはそれをドルに換えて運用している。その額が日本円にして二兆円近くにもなるというのである」。

 そして、NHKは憤慨する。
 「これはいったい何ということだろう。バブルのときにでたらめな経営をして膨らませた不良資産に苦しむ銀行を救済するために、日銀公定歩合を空前絶後の低さに長く据え置いてきた。それは本来、私たちがもらってしかるべき利息のはずであった。それを我慢してきたのは、一刻も早く健全な経営に立ち戻ってほしいという思いからにほかならなかった。なのに、その銀行が世界一安い金利で調達した円を海外に持っていって、投機的取引を主たる業務とするノンバンクに貸しているとは」(同、三四四ページ)。

 同書は、日本の銀行による、破産したビクター・ニーダーホッファーへの貸付の事実が判明したとしている。

 ビクター・ニーダーホッファーの苦境に気づき、彼に融資していた貸し金を瞬時に引き上げたのは、カリフォルニア州サンディエゴ郡職員年金基金(San Diego County Employee Retirement Sustem=SDERS)やレフコ(Refco)という商品先物会社などであった。大量の資金の瞬時の引き揚げによって、彼は、一九九七年一〇月二七日に破産した。損害額は二〇〇億円ほどであったとされる。タイ・バーツは持ち直すであろうとの判断ミスと、S&P先物の値上がりするであろうとの判断ミスの重なりが命取りとなった(同、三四五~四六ページ)。

 ちなみに、そのレフコも、ビクター・ニーダーホファーが破産した八年後、二〇〇五年の、奇しくも同じ一〇月に破産した(『日本経済新聞』二〇〇五年一〇月二七日付)。レフコに預けられていた証拠金は投資家に返還されなかった。日本人の被害額も多かったと言われている(http://o4-1.com/yakudatsu-jyouhou/refukohatannoeikyounitsuite.html)。

 金融とは、あるところに隔たって存在している「金」を「融」かして必要なところに流すことである。

 「世の中の偏在する資金を、それを必要とするところに回してあげて、富の生産に役立てるのが金融の本来的な姿」である(同、三五三ページ)。
 「金融機関の手で広く集められたお金が生産のために使われ、できた製品を売って作った金が、人々の生活を支えて、ふたたび金融機関に集まってくる。その中で金融機関はお金を動かす手間賃をいただくことも生業(なりわい)とする」。
 しかし、「取引する人々の姿だけを見ていると、なんだか生産とは無縁のところで、利ザヤ稼ぎだけが独り歩きしているように見えて仕方がない。そのための方法を編み出すために人々は知恵を絞っているように見える」。

 そして、『マネー革命1』は結論的に詠嘆する。
 「生産力の衰えたアメリカが、その立て直しに努力するよりも、他国の民が汗して生み出した富を、金融という手段で自国に還流させようとしているのではないだろうか。そのためにアメリカはノーベル賞級の頭脳を動員して、自らの金融システムを世界標準にしていったのではないだろうか。その典型がデリバティブの市場ではなかったのか・・・」(同、三五四ページ)。

 当時としてはすごい眼力であった。

 
  引用文献

IMF[1999], International Capital Markets ― Developments, Prospects, and Key Policy Issues,
          November.
相田洋・宮本祥子[1999a]、『マネー革命1―巨大ヘッジファンドの攻防』NHK出版。


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