消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 04 権力者が操業する米国の投資ファンド(3)

2006-09-30 23:40:24 | 時事

 FBI(米連邦捜査局)が、ビン・ラディン・グループの取引実態を調査すべく、同グループと関係の深い複数の銀行の経営者を尋問したことがあったが、関係を示す証拠はなに一つ見出せなかった。 調査対象になった銀行は、サウジアラビアの「NCB」、「ドイチェ銀行」ロンドン支店、「シティ・グループ」、「ABNアムロ」等々であったといわれている。 ビン・ラディン・グループから年間数万ドルもの多額の支払いを受けている「ミドル・イースト・ポリシー・カウンシル」という非営利団体がある。その所長、チャールズ・フリーマンはいう。 「サウジアラビアのビン・ラディン・グループこそが、米国、ないしはサウジアラビアにおける米系企業と深く結びついている」。 

 このフリーマンは、湾岸戦争時、対サウジアラビア工作を米国政府から請け負い、サウジアラビアにおいて実質的に米国大使のような役割をはたした人である。彼は、9・11後、オサマの二人の兄弟と話す機会をもった。彼のいう所によると、FBIは、世間のビン・ラディン一族批判に対して、一族を擁護するかのような振る舞いをしていた。 

ビン・ラディン一族の取引を当局が調査したとき、有力者が数多くリストアップされた。父ブッシュもその一人である。調査のさい、父ブッシュは、腹心のジャン・ベッカーを通じて、1998年11月に一度だけだがビン・ラディン一族に会ったことがあると語った。

 ジェームズ・ベーカーもまた、1998年と1999年の2回、ビン・ラディン一族を訪問したといわれている。2回目の訪問にはビン・ラディン一族の所有する飛行機が使用されたという。カールッチは、ビン・ラディン・グループとパートナーを組んで、通信ベンチャー企業のノルテル・ネットワーク・コープを設立し、同社の会長を務めたこともある。しかし、米当局の調査に対して、ベーカーもカールッチも証言を拒否した。

 カーター元大統領もビン・ラディン一族と会っている。2000年初め、カーターはオサマの兄弟のうち、10人と会っている。アトランタにある「カーター・センター」設立資金の提供を一族から仰ぐためであった。そして、一族の領袖のバクル・ビン・ラディンが、2000年9月、カーター夫妻と朝食をともにした後、20万ドルをセンターに寄付した。 ]

 ニューヨークの出版社、「フォーブズの経営陣も、ビン・ラディン一族に招待されて、一族の本部をいく度も訪問したといわれているが、フォーブス会長を務めたカスパー・ワインバーガーはその事実を否定している。ワインバーガーは、先述のように、レーガン政権下の国防長官であった。

 そして2001年9月11日当日の朝、カーライル・グループがワシントンDCの「リッツ・カールトン・ホテル」で投資家会議を主催、そこにオサマ・ビン・ラディンの異母兄シャフィグ・ビン・ラディンが出席し、カーライルの上級顧問の父ブッシュとも会っていた(父ブッシュは事件が起きる前に退出している)。 さらに事件発生後、米国内にいたサウド王家関係者とビン・ラディン近親者24名がサウジアラビア国籍の特別チャーター機で、早々と密かに出国していた。出国許可を与えたのはリチャード・B・チェイニー副大統領であった。(同時多発テロ直後は、米国上空の飛行は、全面禁止されていたにもかかわらず、サウジアラビアの富豪たちは、米当局から特別扱いされたのである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。