消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(104) 新しい金融秩序への期待(104) 変革の力(9)

2009-03-15 06:32:39 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


(質問者3)

 本山先生にお聞きしたいんですけれど、世界の経済が崩壊すると、日本経済も崩壊するだろうということで、私たちの業界もこれから何がどうなっていくのだろうかと、すごく不安であります。

 それで、ゼネコンが倒産すると、僕らはゼネコンから代金をもらうわけなんで、そのときに、企業が成り立たない状態になってしまう。その点で言うと、中小企業経営者である僕たちは借金まみれになる可能性があって、普通に働いている人の方がうらやましく思えるような時代になるかな、と思うんです。

 そういう点で、これからゼネコンとか経済はどうなるのか、ということについてお答え願えたら、今日の確信になるかなと思います。


(本山)

 あえて端的に申しまして、世界的な広がりというのは逆流している。これからは「地域」がキーワードになってくると思う。地域で生きのびる。まさに共生ですね。世界ではなく、地域でいく。

 具体的には、ゼネコンという存在も本当は許してはいけない。少なくとも、その地域の仕事はその地域で受けるであって、入札競争で東京の大ゼネコンが落札して、あとは地域の中小の下請に丸投げでしょう。それで、ピンハネしていくという。これはやめなければいけません。地域の公共事業は地域の企業にやってもらう。田舎だったら田舎の建設業者にやってもらう。こういうことをしなければ、建前論的に入札競争で「公明正大」なんて嘘ですよ。始めから「出来レース」ですよ。とにかく設計図一つで、お役所というのは半年でやってしまえばいいわけですから。そうすると、実績のある企業が受注するに決まっているんですよ。

 こういうことを考えていますと、私たちがローカルな建設会社をつくりだしていく。そのためにローカルなマーケットはお互いに守っていくんだということ。排他的でないにしても、色んな形で地域性というものをクローズアップしていく必要があると思います。そういう意味では、今後どうなるのかと言われれば、私は地域的な社会の復活となるだろうと思います。

  もっと大きいことを申しますと、実は、今日話すタイミングがなかったんですけれど、経済安定本部というものが戦後すぐにできたんです。昭和26年(1951年)12月に利潤分配法というものをつくって、内閣を通りそうだったんです。芦田内閣のことだからスキャンダルにまみれてしまって、潰れてしまったんでありますが。それは企業の利潤の一定程度は労働組合にまわしていくという内容です。一握りの経営者が高給を取るためではなくて、圧倒的多数の労働者の生活を守るために、給与以外の資金を出していくということを法律的につくっていこうことを日本ではやろうとしたことがあります。

 言うまでもなく、戦後の激しい労働運動を何とか抑えたいという気持ちからでしょうけれど、逆に言えば、労働組合運動が沈滞すると、こういう法案一つ、つくろうとしない。労働組合運動がものすごく盛んになってきたら、何とかなだめなければいけないからということで、労働者向けの法律がつくろうとされていく。

 戦後直後の経済安定本部というのは、ものすごく一生懸命ものごとを考えていてくれていたんですよ。ずばり申しましたら、当時の審議会委員長はほとんどマルキスト(マルクス主義者)ですよ。今のような新自由主義者はほとんどいませんでした。

 こういうことを考えてみたときに、今こそ、私はあえて、戦後直後の日本の再建というところへもう一度目を向けていって、なぜ日本はここで生きのびてきたのかということですね。実は、1945年当時、世界の最貧国であった日本。これがわずか11年後の1956年、「もはや戦後ではない」と言った。これは、世界の5大工業国の一角に復帰したということです。たった11年でです。つまり、日本的な組織、日本的な共生、日本的なメンタリティーがあるときには、経済復興は簡単なんです。逆に、アメリカ的な、本当にバラバラな社会は一度ひっくり返ったらなかなか直らないだろう。直っていくパッション(情熱)がない。

  だから、私は誤解を恐れずあえて申します。日本的なものの再発見をみなさんにやっていただきたい。11年で復帰できたということはものすごいことです。「なぜなんだろう」というときに、そのときの経済安定本部とか、審議会の連中たちの意見とか、そういうものが少なくとも労働者の立場でものを考えようとしていた。日本占領時、占領軍は大体、アメリカの左翼が中心だったんですね。かなりGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の中には左がかった連中たちが多くて、これが日本にとってよかったんです。日本では成功しましたが、イラクのときは全然違います。全くイデオロギー的に正反対の統治であったということを思い出して下さい。

  そういう意味では、自衛隊の空幕長(田母神俊雄・前航空幕僚長)はとんでもないやつで、あんなやつがいるからだめなんですね。もっと戦後何をやってきたのか、日本の占領下でどういうことが行われてきたのかということのプラス面も評価しながら、それを活かしていこうという方向で、私は流れが来ると思います。

  話が随分それましたけれど、少なくとも今は歴史的には苦しいけれども、必ず展望が開けるんだという風に私は思っています。そのキーワードは地域性ということだと思っています


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