消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(176) 道州制(18) 橋下大阪府政と関西州(18)

2009-06-11 06:32:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 この地方分権改革は、地方が立ち上がって勝ち取ったものではなく、財界主導で上から下へと中央集権型で進められたものであった。

 「民間政治臨調」(一九九二年一二月の提言)では、事務事業の地方自治体への移行が主張された。

 「国内政治・行政構造の分権化こそ、中央政府の国際社会への対応能力を高める手法である。政府は外交・防衛・司法と国土の根幹にかかわる計画調整・予算・立法など限定した行政を受け持ち、それ以外の各省庁の事務事業を都道府県と市町村に移行すべきである」。

 経済同友会(九三年五月の提言)では、道州制が打ち出された。

 「我が国の行政は、法令の明文規定に基づかない行政指導が頻繁におこなわれ透明性に乏しく、また、民間の個別分野に広範囲に介入している。・・・その一方、外交、安全保障等、本来おこなうべき重要な役割を十分にはたしていける状況とは言えない。・・・中央行政の役割の重点を、国内全般に関わり、かつ、市場機能に任せられないものと、外交や安全保障など、広く世界に目を向けたものに置く一方、道州制の導入の検討を含めて、地方分権を推進する必要がある」。

 小沢一郎(九三年『日本改造計画』)も道州制を提言していた。

 「日本はこれまで、欧米に追いつき追い越せを旗印に中央統制的な方法で国を発展させてきた。しかし、大国になったいま、・・・現在のように中央政府がすべてを抱え込み、なおかつ権限の強化をはかるのはそもそも無理である。・・・したがって、国政改革の第一歩は、国民生活に関する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、たとえば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力を傾けて取り組むのである。・・・現行の市町村制に代えて、全国を三〇〇ほどの自治体に分割する基礎自治体の構想を提唱したい。・・・将来は、いくつかの県にまたがる州を置くことも考えられよう」。

 経団連(九四年一〇月の声明)は、公的規制緩和の必要性を声高に訴えた。

 「本格的な地方分権を進めるに当たっては、まず行政のあり方そのものを抜本的に見直し、国・地方を通じた簡素で効率的な行政を実現する必要がある。このため、国民・企業の自由な活動を制限している公的規制の廃止・緩和、行政組織のリストラを徹底的に進めるべきである。・・・国は、国家の存立に直接関わる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点でおこなわれることが必要不可欠な施策・事業を重点的に担うこととし、それ以外の行政は地方に移管すべきである」。

 強力な国家、安上がりの政府、地方政治の支配、これが財界主導による地方分権の狙いである。地域住民の生活や安全と深く関わる分野では、中央集権が強化された。

 
 九 形を変えた中央政府指令



 地方に権限が委譲されたのではない。中央政府による地方自治体への支配のあり方が変わっただけである。

 たとえば、国庫補助金。国庫補助金は、配分の基準が法令で定められている地方交付税と異なり、政府・中央省庁の判断で配分され、その使途も細部にわたって指図される。国庫補助金を配分してもらおうとすれば、自治体(住民)は政府に従わざるを得ない。つまり、国庫補助金は政府・中央省庁が地方自治体を支配するための強力な武器である。

 たとえば名護市。一九九六年一二月、「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO=Special Actions Committee on Okinawa、一九九五年一一月に設置)が、普天間飛行場の代替施設として海上施設を沖縄本島東海岸沖に建設すること等について合意した。候補地に挙げられたのが名護市であった。

 九七年一月二一日、那覇防衛施設局の嶋口武彦局長が、名護市役所に比嘉鉄也市長を訪ね、普天間飛行場返還に伴う代替ヘリポート問題で、移設候補地のキャンプ・シュワブ水域での調査実施に協力するよう正式に要請した。これに対し、比嘉市長は日米間で合意したシュワブ水域への海上ヘリポート建設に基本的に反対の立場から、新たな基地建設につながる候補地調査への協力を拒否した。当時の名護市では、市議会がヘリポートの県内移設そのものに反対していた(『琉球新報』一九九七年一月二二日付)。

 九七年九月一六日、「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」(宮城康博代表)が、名護市有権者の四六%に当たる署名を基に、比嘉市長に対し「市民投票条例」制定を求める本請求をおこなった(『琉球新報』一九九七年九月一二日付)。しかし、議会は紛糾した。

 そして、市議会は、九七年一〇月二日深夜、与党会派(新政会など)が提案した修正案を賛成一七、反対十一で可決した。初期の原案は、「賛成」と「反対」の二者択一であったが、修正案では、これに、「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」「環境対策や経済効果が期待できないので反対」を加えた四者択一方式となり、投票期日は原案の「施行から六〇日以内に実施」が「九八年一月一八日までに実施」となった(http://www.jlp.net/news/971015b.html)。

 九七年一一月、政府は、普天間飛行場の代替「海上ヘリポート基本案」を沖縄県、名護市、沖縄県漁業協同組合長会へ提示した。九七年一二月六日、村岡兼造・官房長官が名護市内で北部一二市町村の首長らと懇談、普天間代


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