消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(226) 新しい金融秩序への期待(171) システム崩壊を生み出したもの(4)

2009-09-30 21:57:41 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 金本位制

  そこで登場してきたのが金本位制なのであります。金本位制というのは金が流通しているのではないのです。日本も金本位制でした。しかし、誰一人金貨なんか見たことが無い。実際、日銀に行って金貨に換えてくださいといったときには憲兵がついてきました。その金貨を何に使うのかと。日本人で、金本位制下で金貨を見た人はゼロのはずです。それが金本位制なのです。具体的にどういうことかというと、デイビット・リカードという大経済学者がいました。十九世紀初期の人であります。ユダヤ人です。貴族をひじょうに憎悪しておりました。

   そのデイビット・リカードが金本位制をつくったであります。この言葉がふるっているのです。金というものはどんな権力でもっても増やす事ができない。権力が自分たちの国債を発行してそれをイングランド銀行に引き受けてもらって、イングランド銀行券をぼんぼん出すということを阻止するためには、イングランド銀行に金の重しを乗せなければならないのだと。金に価値があるからではなくて、金を増やす事ができないからだと。ものすごい叡智だと思いません? そうする事によって大量のお金を発行することができなくなったのです。省きますが以後ずっと金本位制が続いたのですが、金をもっている国が力を持ちます。

  金をもっていない国はだめです。だから金を持っていないドイツ、イタリア、日本、という国が同盟を結んで、金を持っているアングロサクソンに対して戦いを挑んだという歴史があります。金を持っていない日本は金を持っている植民地をまず取ります。勿論台湾であります。満州であります。輸出によって金を得ることのできる地域を取っていくのであります。通貨戦争から考えましたら、金本位制を世界支配の道具に使ったアングロサクソンと、金を持たない弱小の資本主義国が、自分たちの権力の下に植民地を従わせようとする争いが第一次、第二次世界大戦でありました。
 
こういったことが終わった後、ブレトン・ウッズ機構が一九四五年にできたのであります。

 
  原爆への怒り

  正直、悔しいですよ。私、親父のミスで広島に疎開していたのです。こともあろうに原爆が落とされた。私ども家族は、船を持っていて、たまたま四国の沖のほうにおりましたからよかったのですけど、帰るときに連絡がありまして今、帰るなと。船に乗った私の家族は、良かったのですけが、親類は大変な被害を受けました。いまだに原爆に対しては腹が立ちます。実は現在の朝鮮で、日窒のあったところで原爆開発が成功しそうであったという裏話があります。スターリンの証拠の手紙まであります。そういうきな臭い戦争の裏面はどんどんえぐっていかなければならない。民衆は自分たちの知識を得るということを必死になってやらなければいけない。 
 

 ブレトン・ウッズ機構の誕生と崩壊

  話がそれましたが、われわれが苦しんでいるときに、ブレトン・ウッズ機構ができたのです。イギリスのケインズ、アメリカのホワイト。後でわかったのですが、ケインズはナチスに共感をもっていたらしい。ホワイトはソビエト共産党のスパイであったらしい。そのときには分かりませんでした。ブレトン・ウッズでの会議で、アメリカは金に結びつけられた。だから勝手にドルの印刷をすることは許されなくなった。他の国は金の争奪のために戦争をしたのだから、金はもう使うなということになった。その代わりアメリカのドルに従え。一ドル=三百六十円レートを日本は守れ。お金が足りなくなったときにドルをマーケットから買ってはいけない。IMFという金庫の中から自分たちの預金額に応じてドルを引き出せ。つまり手持ちのお金以外は使ってはいけない。これがブレトン・ウッズ機構であります。これがIMF体制というものであります。だからIMFの第一条は資本の自由な移動の禁止なのであります。

  この体制を金融の自由化が破壊してしまった。思い起こしてください。日本の銀行は金融の自由化というへんなことが始まる一九九〇年半ばまで、銀行の倒産が一行たりともありましたか。なんにもなかった。金融の自由化といったら金利が上がるのだと思っていたら、〇・何%かになってしまった。自由化以前は五%越していたのです。そして庶民にもけっこう融資があった。この体制が崩れてしまったのであります。金融自由化が全ての原因であります。私どもは奇跡の資本主義の復興をやったときには、お金が管理されているからだ、管理通貨制だからだという形で経済学を勉強してきました。事実ものすごい高度成長をしました。日本で申しますと一九四五年、本当に何も無かったですよ。広島から神戸へ戦後数年たって引き上げてきたときに、本当に何も無かった。あの感動、言葉はわるいですが、忘れられません。阪神大震災もそれに匹敵しました。何も無かった、世界でもっとも貧しい国であった。それがわずか十一年で、もはや戦後でないと。戦後でないということは五大工業国に復帰しましたということなのですよ。たった十一年で復帰しました。お金というものが管理されたらそういう方向に行くのであります。

  こういう方向がおかしくなったのには、アメリカの事情があります。一つはまさかと思っていたベトナム戦争で負け始めた。一九六五年、北ベトナムへの北爆が開始されました。ところがイギリスが裏切った。イヤだというのでスエズから東、つまり、アジアから撤兵してしまった。アメリカは同盟国なし、一国で戦わなくてはならない。大変だというので、金の重石を外さなければ戦費を調達できなくなる。これが、一九七五年八月十五日の金ドル交換制停止、ニクソン・ショックであります。これはベトナム戦争遂行のためであります。お金が要るのだと。金の重石があったらダメなんだと。それではずしたのであります。

  アメリカが金本位制を放棄すれば、他国は固定相場制を放棄します。一ドル=三百六十円レートで固定することは苦しいことです、輸入超過になったら、当然ドルが上がります。ドルを日銀が放出して市中から円を引き揚げます。デフレ経済になってきます。逆に輸出超過になってきたらドルが下がる。そこで、日銀はドルを買う。つまり、市中に円を放出する。そこでインフレ経済になる。日本は固定相場制の時にはデフレとインフレを交互に繰り返していたのです。その痛みに耐えても、一ドル=三百六十円レートは死守するというのがすくなくとも掟であった。これをアメリカが金との交換を止めたといった瞬間に、誰がそんなきつい事をやるかというので「私らも止めた」となった。これが第一の問題点であります。

  二つめ。アメリカは日本を優遇しすぎたのではないかと反省するようになった。少なくともソビエト連邦、中国、朝鮮、ベトナム、等々、アジア大陸は全て共産主義国である。韓国は辛うじて違う。でも貧乏である。南ベトナムはもっと貧乏である。日本だけが五大工業国の一つで共産主義でない。これを守らなければいけないというので、アメリカは、あらゆる技術をただ同然で日本にくれた。レーヨンがそうですし、テレビがそうです。日本の車などはひどかったです。一九六四年に名神高速道路ができたんですけど、京都から尼崎まで、時速百キロで走りきる国産車はありませんでした。すぐにオーバーヒートしていたのです。エンストが起きると私たちは前に回ってクランクをよいしょ、よいしょと回していました。輸入車はセル一発でブーッと行く。違うなーと思ったことがあります。にもかかわらずビッグ3は日本に入ってきませんでした。

  全て日本の民族資本を育成するというアメリカの好意だったのです。ところが気づくのが遅すぎた。ソビエトがひっくり返りそうであることがはっきりしたときにアメリカは気づいた。アメリカ人は何してきたのかと。テレビを作る技術がなくなった。ラジオは勿論そうである。冷蔵庫も洗濯機もなにもかも日本に負けているではないか。そのときに、アメリカの産業を守れと必死になったのですけど、時すでに遅し。技術的格差は歴然たるものであった。日本の産業の強さを勉強せよとなった。そして、日本の強さの秘密は銀行だということに気付いたのです。


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