消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.165 ビクター・ニーダーホッファー

2007-09-16 16:02:33 | 金融の倫理(福井日記)


 ビクター・ニーダーホッファの祖父は、一八九九年にドイツから米国に移民してきたユダヤ人であった。一家は下町のブルックリンで生活した。祖父は、音楽関係の仕事で財を成した。

  ビクターは、一三歳の誕生日プレゼントに、その祖父から「ベイゲイ鉱業」という会社の株を一〇〇ドル分一〇〇株買ってもらった。三年後にその株価が二五%上がったことから株投資に孫のビクターは興味をもつようになったという。高校生のころから三五年間、毎日欠かさず株価の動きをノートに書き留めた。祖父は一九二九年一〇月二九日のニューヨーク株式市場崩壊で破産した。その六八年後の一九九七年一〇月二七日、孫のビクターも破産した。父のアーサーは非常に優秀な警官で、スポーツ万能であった。株は一子しなかったという。

 ビクターは、古典の蔵書家であった。二三歳までに五回もスカッシュの全米チャンピオンになった。一九六二年ハーバード大学に入学した。スカッシュの選手としての推薦入学であったと本人はNHK取材陣に説明した。経済学を専攻した。一九六六年、シカゴ大学大学院に進学した。大学院では、ノーベル経済学賞受賞者のマイロン・ショールズと同窓であった。一九六九年、シカゴ大学で博士号を取得して、カリフォルニア大学バークレー校の准教授となる。学者としての将来に見切りをつけて、一九七二年、バークレー校を辞めた。後にハーバード大学ビジネススクール教授になった親友のリチャード・ゼックハウザー(Richard J. Zeckhauser)と一九七六年に資産運用のコンサルティング会社を設立した。

 一九九四年、彼は円投機に全力投球した。円高局面のときに、円安に賭けて大成功したのである。そして、アジア通貨危機で破産したのである(相田・宮本[1999a]、二八七~三四八ページの要約)。

 破産した彼の復活は速かった。破産の翌年の一九九八年には自分のテニス愛好の性格を表す「ウィンブルドン・ファンド」(Wimbledon Fund)を設立している。二〇〇二年二月に外国の顧客向けに資金運用をする「マタドール・ファンド」(Matador Fund)も設立した。これらファンドを併せて、彼は、二〇〇一年から五年間で年平均五〇%ものリターンを挙げている。悪い年は二〇〇四年であったが、それでもリターンは四〇%であった。二〇〇五年では五六・二%も稼ぎ出した(Wikipedia)。

 運用実績のよいファンドを報奨する「マーヘッジ」(MarHedge)賞というのがある。この組織が、二〇〇六年四月六日にビクターの主催するマタドール・ファンドとマンチェスター・トレーディング(Manchester Trading)の二つのファンドに、二〇〇四年と二〇〇五年実績面から見た優れた「コモディティ・トレーディング・アドバイザー」(Commodity Trading Advisor=CTA)として賞を与えた。

 彼が出版する本は、いずれもベストセラーの仲間入りをしている。破産する直前には、『ある投機家の教育』(Niederhoffer[1997])を出版し、二〇〇〇~二〇〇三年には毎週、投資雑誌(CNBC Money Central)に市場観を執筆していたし、二〇〇三年には共著で『投機の実際』(Niederhoffer[2003])、二〇〇六年には回顧録『ウォールストリートの五〇年』(Clews & Niederhoffer[2006])を出している。

  彼が育てた投機家は、ことごとく億万長者になっている。モンロー・トラウト(Monroe Trout)、トビー・クラーベル(Toby Crabel)、スツ・ローズ(Stu Rose)、ジョーン・ハマー(John Hummer)、ロイ・ニーダーホッファー(Roy Niederhoffer、実の弟)などがいる。

 政治的には、シカゴ学派の新自由主義思想の普及に腐心している。リバータリアニズ(libertarianism)という運動体、「ニューヨーク市フントゥ」(NYC Junto)の主催者である(Wikipedia)。

 
一口にリバータリアニズムを定義づけることは、神学論争とのからみもあって困難だが、ビクターの主催する組織の主張は、個人に他の自由を侵さない限りにおいて最大限の自由を認めるべきであるとする、自由に最大の価値を置く個人主義的な立場で、公正に価値を置くリベラリズム、慣習、共同体に価値を置く共同体主義と対立する。近年では、一般的にリバタリアニズムと言った場合、新自由主義を進展させた無政府資本主義(アナルコキャピタリズム)を意味することが多い。またさらに限定してアイン・ランド(Ayn Rand)などに代表される米国現代政治における有力なひとつの政治党派を意味する場合もある。ハイエク、ミルトン・フリードマンなどが目立つ存在である(http://plato.stanford.edu/entries/libertarianism/)。

 NYCフントゥは、一九八五年、ビクターが創設した。毎週、集会をもち、新自由主義思想を議論している。「フントゥ」(Junto)は、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)が、フィラデルフィア(Philadelphia)に住民の生活改善を目的として一七二七~一七五七年に活動した組織である(http://www.juntosociety.com/about.html)。

 建国の父たちを持ち上げて、そこから抽象的な「自由」の観念だけ抜き取り、荒っぽい稼ぎの正統性を訴える新自由主義は、他ならぬ、投機家たちから振りまかれたイデオロギーであることに注意しなければならないのである。

 大儲けした投機家たちは、破産した後も不死身のように再生する。一文無しのスッテンテンになってから、またたくまにふたたび億万長者に駆け上がるという姿は、常人では想像もできないことである。

 ビクター・ニーダーホッファーは、音楽にも造詣が深かった。株式相場の展開はベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』などに類似していると、日頃から主張していた。

 この説にヒントを得て、米の天才的投機家になった音楽家がいる。リッチー・ウェルシュ(Richie Welsh)である。

 
彼は、株式相場の展開はクラシックの名曲数曲を関数と見たてたあるパラメータの範囲でカオス展開したものと等しいと主張した。彼は、タイの通貨危機が起こり、ニーダーホッファーが破産した一九九七年に生まれた。幼い頃から音楽と投機に著しい才能を見せ、幼稚園時代の教諭によれば「モーツァルトとソロスを足して二で割った」とのことだった。九歳でジュリアード音楽院に入学、指揮・作曲・ピアノを専攻したが、この間、混沌とする一方の株式相場に対する興味を強くした。教授と衝突を繰り返し、一六歳で自主退学。その後、全世界を放浪しながら、投機および彼のいうところの投資理論の構築にいそしむが、いまは所在不明であるという。この話はかなり眉唾もので、私もウェブサイトを漫遊していたときにたまたま遭遇しただけのことであるが、ウェルシュの信憑性よりも、ニーダーホッファーの奇才が語り伝えられている事実が興味深い(http://www.classicajapan.com/future/future.html)。

 投機家たちが、奇才・異才呼ばわりされることにも私はきな臭さを感じてしまう。そもそも、投機を旨とするシカゴ学派から九人もノーベル経済学賞が輩出したこと自体、大いにきな臭いことである。