消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.155 監督機関を取り込むファンド

2007-09-02 23:03:35 | 金融の倫理(福井日記)

  LTCMは、監督機関をも取り込むことに成功した。米連邦準備制度理事会(FRB)の副議長(一九九〇~一九九四年)、デビッド・W・マリンズ(David Wiley  Mullins, Jr., 1946~)を採用したのである(一九九四年二月一五日)。ファンドの運用開始直前のことであった。

  当時のFRB議長は、アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan、在任一九八七~二〇〇六年)であった。マリンズが、グリーンスパンの後を次いでFRB議長になるというのが、当時のウォール街の一般的な観測であった。その大物をLTCMは自社に引き入れたのである。

 マリンズもまた、一〇歳代から株の売買に熱中していた。父親はアーカンゾー大学の学長をしていた。父親の名も子と同じのデビッド・W・マリンズの名(David Wiley  Mullins)である。アーカンソー大学(the University of Arkansas)のマリンズ文庫は有名である(http://libinfo.uark.edu/SpecialCollections/findingaids/mullins/index.html)。

 マリンズは、MITで学び、マートンに師事していた。ハーバードの講師も務めた。学生の人気は高かったという。そのときに、マートンの弟子で、ソロモンからLTCMに入社することが決まっていたエリック・ローゼンフェルド(Eric Rosenfeld)と同僚であった。ローゼンフェルドは、マートンを口説いて一九八〇年代にソロモンの顧問に就任させていた。

 マリンズは、政府の依頼を受けて、一九八七年の株価暴落(ブラック・マンデー)の原因を調査するレポート作成に参加したことがある(Brady, Nicholas F.[1988])。このときのマリンズは、新興デリバティブ市場には懐疑的であった。レポートの中で、彼は、一九八七年株価下落の大きな原因はデリバティブ市場の特性にあると断定した。デリバティブ市場では、売りが売りを呼ぶという損失を加速化させる構造があると断定したのである。

 調査レポート作成後、財務省に移って(一九八九年、財務次官補)、破綻したS&L(
Savings & Loans=貯蓄貸付組合)
救済法の法案作りに携わった。「一九八九年金融機関改革救済執行法」(Financial Institutions Reform, Recovery, and Enforcement. Act of 1989)がそれである。

 当時、彼は、金融市場の変化があまりにも激しく、つねに新しいものが生まれてくるので、それぞれの市場がニアミスする危険性はいつもあると発言していた。市場は、完璧な価格設定機構ではなく、周期的に正常な軌道から脱線してしまうという認識をもっていたのである。民間金融機関が「流動性危機」に直面したときに、流動性を瞬時に供給することによって、破綻を防止するのが連銀の任務の一つであると、LTCMに移籍する一年ほど前に発言している(Bacon, Kenneth H.[1993])。

 LTCMが破綻して、FRBが強引に傘下の銀行に救済資金を提供させたのであるが、マリンズはそのことを予見していたかの発言をしていたのである。

 金融機関のお目付役のFRBの大物がLTCMに参加するという情報は、マートンの参加以上に大きな影響を出資機関に与えた。世界中の政府系金融機関がLTCMに出資することになったのである。シンガポール政府投資公社(Government of Singapore Investment Corporation)、イタリア中央銀行(Banca d'Italia)、台湾銀行、香港土地開発局、バンコク銀行(Bangkok Bank Public Company Limited)、等々が莫大な資金をLTCMに注ぎ込んだ。イタリア銀行だけでも一億ドルも出資した。通常、外国の政府系金融機関は、民間のヘッジ・ファンドには投資しないものである。マリンズの人脈がいかに効を奏したかをこれは示している。

 政府系金融機関が出資するのだからと、これまた諸外国の民間銀行も競って出資した。住友銀行は一億ドルを出資した。ドイチェ・バンク(Deutsche Bank)、リヒテンシュタイン・グローバル・トラスト(Liechtenstein Glob Trust)、ブラジル最大の投資銀行のバンコ・ガランティア(Banco Guarantia)、スイスのプライベート・バンクであるイリアス・ベアー・グループ(Julius Baer Group)、それに国際的なバンカーであるエドモンド・サフラ
Edmond Jacob Safra, 1932~1999)
が運営する非公開組織のリパブリック・ニューヨークRepublic New York)、等々である。

 著名な大富豪も続々と投資に参加した。ハリウッドのエージェントであるマイケル・オビッツ(Michael S. Ovitz, 1946~)、ナイキ(Nike)CEOのフィル・ナイト(Philip H. Knight, 1938~)、エンロン(Enron)の事実上のオーナーであったロバート・ベルファー(Robert Belfer)、ベア・スターンズ(Bear Stearns Companies)CEOのジェームズ・ケイン(James E. (Jimmy) Cayne)、マッキンゼー(Mckinsey)のパートナーたち、等々であった。

 大学も出資した。セント・ジョーンズ大学(St. John's University)、イェシバ大学(Yeshiva University )、ピッツバーグ大学(University of Pittsburgh)などである。

 一九九四年二月末に運用を開始したが、この時点で、LTCMは一二億五〇〇〇万ドルを集めたのである。わが住友銀行の出資額一億ドルがいかに大きかったかが分かるだろう。イタリア銀行も一億ドル出資している。ファンドの立ち上げとしては市場最高額であった。

 数十億ドルの自己資本、七〇〇〇人の従業員というソロモンから「アービトラージ・グループ」を引き抜き、ソロモンの信用力もなく徒手空拳を覚悟で、一一人のパートナーズ、トレーダーと事務員三〇人程度という小集団で出発したLTCMが、一二億ドル強も集めることに成功したのは、メリウェザーの名声だけでなく、ノーベル賞受賞確実であった二人の著名経済学者、そしてFRBの超大物の参加による巨大な影響があったことは否定できないであろう。

 マリンズが加わる前は、米国一の大富豪のウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffet, 1930~)がメリウェザーの要請を蹴飛ばした。ゴールドマン・サックスGoldman Sacs)のジョン・コーザイン(Jon Stevens Corzine, 1947~)も自己の傘下に屈服しないのならと出資を断った。スイス・ユニオン銀行(Union Bank of Switzerland=UBS)も熟慮の末に断っていた(以上は、Lowenstein, Roger[2000], 邦訳、六一~七二ページによる)。

 しかし、エドモンド・サフランといい、ロバート・ベルファーといい、様々の風聞が飛び交う人物がLTCMに関わっていたことを軽視してはならないのである。この点については、次稿。