消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.156 金融の水脈

2007-09-03 14:46:46 | 金融の倫理(福井日記)


 「ユダヤ人が世界を支配している」などと言えば、ただちに、またあのきな臭い「陰謀史観」かと、鼻でせせら笑われるのがおちである。

 しかし、全米科学賞受賞者の三分の一はユダヤ人であるし、世界の金融界の大物には、ユダヤ人がとてつもなく多いという現実を前にするとき、そうした陰謀史観を荒唐無稽なものとして捨て去ることはできない。少なくとも、金融界には無視できない強固なユダヤ人水脈がある。

 もちろん、水脈はユダヤ人だけではない。ユダヤ人を中核とし、各国の権力の移行期に素早く利権を拾って、それをただちに国際的な水脈に流す権力利用者たちの集団がある。

 このような国際的な国際水脈=利権集団の存在を如実に見せたのが、ソ連崩壊後のエリツィン、プーチン政権下のロシアである。

 LTCMを破綻に追いやった一九九八年のロシア経済情勢は、石油がらみの西側金融資本の跳梁跋扈の土俵であった。

 広瀬[2002](第五章)を援用してその態様を見る。
 『フォーブス』(Forbes)は、二〇〇一年の世界の大富豪五〇〇人をよく発表しているが、二〇〇一年には、ロシアの大富豪が一一人入った。この一一人は、なんらかの形で、エリツィン(Boris Nikolayevich Yeltsin, 1931~2007)政権と強い関係をもっていた人たちである。

 第一位のホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)は、一九八八年までは共産党幹部、エリツィン時代には、ロシア政府の主任経済顧問となって、民営化に移行するさいに利権を集積して行った(広瀬[2002]、二七五ページ)。ユコス(Yukos)を買収した後、ルーブル危機のときに、石油増産に踏み切り、プーチン(Vladimir Vladimirovich Putin, 1952) の石油戦略に上手く適合した。価値が下落するルーブル対価の原油販売よりも、西側通貨対価の販売に切り替え、ユコスの原油価格の安さを売り込んでいたのである。

 二〇〇一年九月一一日の事件が起こった後、さらに積極的に、米国にユコス石油の売り込み攻勢をかけた。大増産を継続して、サウジアラビアの生産量を超えた。二〇〇二年五月のユコス石油の株式時価総額は二一〇億ドルで、シティ・グループ(Citi-group)の一〇分の一にもなるという暴騰ぶりであった(同、二七八ページ)。『フィナンシアル・タイムズ』(Financial Times, 24th May 2002)では、一八七億ドルで、時価総額において、ロシア企業で初めて世界トップ五〇〇社に入った(二二七位)と報じられた。

 九・一一事件直後の一一月、プーチン大統領が訪米、その返礼に子ブッシュ大統領が二〇〇二年五月二四日、訪ロ。そして、ホドルコフスキーは、二〇〇万バレルの石油を積んだをタンカーを、同年七月三日、ヒューストン港に横付けさせたのである。

 西側資本もユコスに投じられていた。フランスのクレディ・リヨネ(Crédit Lyonnais)副頭取のジャック・コシューシコ=モリゼ(Jacques Kosciusko-Moriset)が、ユコスの経営に参画していた。

 彼は、米国独立戦争に参加して英雄となった一八世紀のリトアニア(Lithuanian)貴族(ポーランドから米国へと渡る)、タデウス・コシューシコ(Andrew Thaddeus Bonventure Kosciusko)の末裔の一人であった。

 コシューシコの末裔たちは、ヨーロッパの上流閨閥を形成していた。コシューシコ=モリゼの同名の父は、フランスの国連大使や米国大使を歴任。兄フランソワ(Francois)はフランスの原子炉メーカー、フラマトム(Framatome)の理事。一族のオリガ・フォン・ルート(Olga Van Root)オキシデンタル石油(Occidental Oil)会長、アーマンド・ハマー(Armand Hammer, 1898 ~1990)の妻であった。

 ユコスには、油田採掘のフランスの企業、シュルンベルジェ(Schlumberger)の幹部、ミシェル・スーブラン(Michael Souverain)も経営陣にいた。これら、旧ソ連や過渡期のロシアに関わっている、主としてスイスやフランスのエリートたちは、「赤い貴族」と呼ばれていた。旧ソ連の民主化の影には必ずこうしたフランス、スイスの大富豪の名前が登場する(同、二七九ページ)。

 ソ連崩壊後のロシアの石油会社の会計監査を担当していたのが、エンロン事件で解散に追い込まれたアンダーセンの子会社、アンダーセン・ロシア(Andersen Russia)CISであった。

 アンダーセン消滅後は、ロシア最大の会計事務所は、米国の会計監査会社、アーンスト&ヤング(Ernst & Young)に引き継がれた。子ブッシュ大統領が、SEC委員に任命したシンシア・グラスマン(Cynthia  Glassman)(女性)の出身会社である(同、二七九~八〇ページ)。

 富豪順位、第二位のポターニン(Vladimir Potanin)も、一九九二年外国貿易省の高官であった。借金だけを国に押しつけて、自らはずさんな民営化路線に乗って、ちゃっかりとソ連時代の貿易銀行の資産を乗っ取り、金融会社のMFKと貿易銀行(Unexim Bank)の経営に乗り出した新興財閥である。ノリリスク・ニッケル(Norilsk Nickel)の民営化(一九九五年)のさいに、株式を不当に安く取得したことが二〇〇〇年七月に発覚した。一九九六~九七年、チェルノムイルジン(Viktor Chernomyrdin)首相の下で第一副首相を務めた。

 ポターニンは、投資会社、ルネッサンス・キャピタル(Renaissance Capital)を設立した。出資者は、クレディ・スイス・ファースト・ボストン (Credit Suisse First Boston)、ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター(Morgan Stanley Dean Witter)、BNPパリバ(BNP Paribas)、等々の欧米資本であった。エレクトロニクスや資源関連の投資を行っている投資会社である。一九九七年、ジョージ・ソロス(George Solos)が、ポターニンと組んでロシアへの投資を開始した(同、二八一ページ)。

 富豪第三位のウラジミール・ボグダノフ(Vladimir Bogdanov)については、どの程度、権力に近かったのかはよく分からない。権力関係は不明だが、ロシア第三位の石油会社、スルグトネフテガス(Surgutneftegaz)の経営者である。ちなみに、二〇〇二年時点でのロシアの石油会社のランキングは、一位がルクオイル(LUKoil)、二位がユコス、三位がスルグトネフテガス、四位がタトネフチ(Tatneft)、五位がシブネフチ(Sibneft)であった(同、二八四ページ)。

 富豪第四位のレム・ビアヒレフ(Rem Viakhirev)は、世界最大の天然ガス会社、ガスプロム(Gazprom)の経営者である。ガスプロムを最初に設立したのは、ビアヒレフではなく、富豪第八位のビクトル・チェルノムイルジンであった。創業者、チェルノムイルジンが一九九二年に首相になったために、ガスプロムの後継経営者に任じられたのである。「ガスの帝王」と奉られていたが、二〇〇二年六月、プーチンの手によって、経営陣から追放された(同、二八三ページ)。

 チェルノムイルジンの影響力の強さは、ガスブロムの創設とともに、電力にも現れている。

 プーチン登場以前に電力を支配していたのは、新興財閥のアナトリー・チュバイス(Anatoly Borisovich Chubais, 1955~)であった。電力会社の名は、「ロシア統一エネルギー・システム」(the Unified Energy System of Russia)である。チュバイスも、チェルノムイルジン首相時代に蔵相兼第一副首相や大統領府長官を務めていた。大臣の任期中にこの電力会社株の一五%を不法に外資に売ったとして、責任を問われて一九九八年八月、大臣を解任されたのだが、なんと、解任後に、この電力会社を牛耳るようになっていたのである。

 富豪第五位のロマン・アブラモビッチ(Roman Abramovich)は、ユダヤ人石油王である。ロシア第五位の石油会社、シベリアのシブネフチをボスのボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)と九〇%を共同支配している。 

 ベレゾフスキーは、シブネフチとロシアの独占航空会社、アエロフロート(Aeroflot)を支配していた。彼は、ユダヤ人であり、全ロシアのユダヤ人資本家の事実上のボスであった。エリツィン大統領を指一本で動かす「泥棒貴族の代表者」と呼ばれていた(同、二八〇ページ)。泥棒貴族というのは、権力者にすり寄り、取り巻きとなって、無秩序な民営化の気運に乗じて、法外な利権を獲得してしまうという、一種の泥棒行為をして大富豪に成り上がった連中を指す。このように、ロシアの民主化には、かなりいかがわしい人物群が見受けられる。

 『フォーブス』は、彼をロシアにおけるユダヤ人犯罪組織の「ゴッド・ファーザー」として描いた(同、二八一ページ)。先述のポターニンも彼をボスとして仰いでいる。

 ベレゾフスキーは、第一〇位の富豪にランクされている(同、二七五ページ)。
 一九九九年の歳末に辞任したエリツィンの後継者(正式に大統領になったのは二〇〇〇年三月二六日)ウラジミール・プーチンが、二〇〇一年秋から着手したのは、鉄道、電力、ガスの三大独占事業のを政府に召し上げることであった。

 この三大事業で雇用されている人数は二五〇万人もいた。中でも鉄道は一五〇万人も抱えていた。この鉄道を支配していたのが、ベレゾフスキーである。ベレゾフスキーの事実上の配下であった時の鉄道大臣、ニコライ・アクショネンコ(Nikolai Aksënenko, 1949~)が資金の不正流用を行ったとして二〇〇二年一月三日、プーチンによって追放された。

 アブラモビッチは、エリツィン一家の金庫番の役目をはたしていた。しかし、後ろ盾のベレゾフスキーが失脚した後の二〇〇一年、極東ロシアのチュコトカ(Chukotka)地域の知事になった(同、二八三ページ)。

 富豪第六位は、ワギット・アレクペーロフ(Vagit Akekperov)である。六位とはいえ、ロシアの石油外交において、彼が、もっとも重要な人物であるとされている。ロシア最大の石油会社、ルクオイルの創設者である。

 アレクペーロフは、アゼルバイジャン(Azerbaijan)のバクー(Baku)油田のエンジニアであった。ソ連崩壊後の一九九〇年代に燃料エネルギー大臣代理となり、その権力を利用して、一九九二年、ソ連の油田群を統合してロシア最大の石油会社、ルクオイルを創設した。ルクオイルは、二〇〇二年時点でロシアの原油生産量の四分の一を占めた。油田の大半は西シベリアにあり、従業員は一三万人を超す。ルクオイルもまたロシア外交の基本の一つとなっている。

 彼が、バクー油田とカスピ海を通るパイプライン・コンソーシアムCPC建設の主役を担うことになる(同、二八四ページ)。

 富豪第七位のミハイル・フリードマン(Mikhail Friedman)もまた外国貿易大臣と図って石油利権を手に入れている。チュメニ(Tyumen)石油の大株主で経営者である。米国で石油取引における詐欺行為をしていたマーク・リッチ(Marc Rich, 1934)のビジネスを二〇〇一年に買い取り、以後、アルファ・バンク(Alpha bank)などのアルファ・グループを率いている。

 そして、第八位が、すでに上で幾度も触れたが、ガスプロムを創設したチェルノムイルジンである。その後、一九九二年一二月一四日から九八年三月二三日までの五年間以上、エリツィン大統領の下で首相を務めた。首相退任後、すぐさまガスブロムに復帰し、二〇〇〇年にはウクライナ大使に転出した。

 富豪第九位のオレグ・デリパスカ(Oleg Deripaska)は、エリツィンの孫である。そして、第一〇位が、すでに説明した大物のベレゾフスキーだったのである。

 ソ連時代の基幹産業であったエネルギー部門が、民営化の名において、欧米資本と手を結んだ泥棒貴族たちによって、私物化され、欧米からの膨大な資金流入があったと予想されるに足りるロシアの新興財閥形成過程であった。

 引用文献

広瀬[2002]、『世界金融戦争─謀略うずまくウォール街』NHK出版。