消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 77 ラスキンによる富の定義

2007-03-07 23:50:46 | 金融の倫理(福井日記)

 
  ラスキン(John Ruskin)は、「」(wealth)の理解が、経済学の目指すべき目標を明示するものであるとの認識を示した。



   彼は、J. S. ミル(John Stuart Mill)の「豊かであるということは、必要な品物を豊富にもっていることである」という言葉を発展させた。

 「もつということは、絶対的な力ではなく、相対的な力を表している。所有物の量や質が大事であることはもちろんであるが、それよりも大事なことは、財をもち、財を使う人にとって、その財がふさわしいということである」(Ruskin, J.[1903], p. 87)。

 彼は、そうした財のことを「役に立つ品物」(useful articles)と名付け、それを「効用」(utility) と同義のものとした。つまり、ラスキンは富を二つの側面から定義した。一つは、「役立つ」(useful)ものでなければならないこと。二つは、所有者がその品物を容易に入手でき、それによって、自らの能力を高めることができるものでなけれならないこと、というのである。後者のことは彼は「受諾能力」(acceptant capacity)という用語で表現した。

 「従って、富は、たくましく生きる人(the valiant)がもつ、役に立つもの(the valuable)
であり、そうした富が、国力の源泉である。物の価値と、その物をもつ人の活力とが、併せて評価されるべきなのである」(ibid., pp. 88-89)。
 「価値は、物自体の内在的なものだけではなく、富が有効に作用するには、所有者の活力にも依存している」(ibid., p. 166)。


 役立つもの、所有者の能力という二つの側面に加えて、ラスキンは、第三の側面として、正しく組織される生産をを重視する。信頼、活力溢れる産業によって生産される財に対して、すぐに廃れる奢侈とか、無慈悲な専制や詐欺に包まれた財はけっして富ではない(ibid., p. 52)。ラスキンは、こうした論点を打ち出すことによって、当時の正統派経済学への批判を行ったのである。注1

 富をこのように定義したラスキンは、価値(value)にも独特の定義を与える。
 「価値(valor)は、活力(valere)という面からすれば、・・・・(それが人間のことを指す場合)人生における(in)・・・健康(well)、つまり、健全さ(strong)を表す。それはたくましさ(valiant)のことでもある。(それが事物のことを指す場合)人間の生活にとって(for)の健全さ(strong)、つまり、役に立つ(valuable)ことである。ここで、『役に立つ』(valuable)ということは、『人生に資する』(avail towards life)ことである。真に役に立つもの、資するもの、とはすべての力能を動員して(with its whole strength)人生を高める(leads to life)ものである。人生を高めることなく、そうした力能が損傷される度合いに応じて、それは役立たない度合いを大きくする。人生を損なうものは役に立たないし、害あるものである」(ibid., p. 84)。

 「『価値』(value)は力能を表す。生活を支えるのに『資する』(availing)ものである。それはつねに二面性をもつ。価値とは、第一次的には内在的(intrinsic)、第二次的には実効的(effectual)な側面をもつ」(ibid., p. 153)。

 つまり、そもそも内在的には価値をもちうる物を、たくましい人間が人生に活かす実効あるものに仕立て上げることが価値なのである。

 「効用」(utility)の定義も、ラスキンのそれはユニークである。
 
既述のように、「効用」とは「役に立つもの」(usefulness)と同義である。それは、事物の内在的価値はもちろんであるが、人がそれを使う際に、生活にとって役立つということの方が重要である。

 「物が役立つということは、物自体の役立つ性質だけでなく、物を使う人にとって役立つ(in availing hands)ことである(ibid., p. 88)。

 役立つもの、それが富なのである。
 
こうした表現だけでは、ラスキンは、実態経済に即していない歯の浮くような美辞麗句を駆使しただけの人のように受け取られる可能性がある。

  事実、ラスキンを心から尊敬するホブソンですら、ラスキンに欠けているのは社会学的考察(social theory)であるとした(Hobson, J. A.[1898], pp. 104f)。

  ただし、ジョン・タイル・フェイン(John Tyree Fain)は、ホブソンの言い過ぎだとラスキンを擁護している(Fain, J. A.[1952], p. 302)。

 ラスキンは、生産者と消費者を別人格のものであるとする正統派経済学への果敢な挑戦を行おうとした。

 
生産過程が消費過程を決定するとの立場から、彼は、労働者が生産現場への指揮権をもつことを提言した。労働者が使い捨てられるような生産現場では、労働者自身が自ら生産する財への接近ができないばかりか、生存そのもを脅かされる。そういう悲惨な環境の下で産出された財は、けっして富(wealth)ではない。

 「どの国民にとってもそうであるが、富について、まず第一に研究されるべきことは、国民がどれだけ多くの財をもっているかではなく、財が有益に使用されているか、財が使用できる人の手元にあるかということである」(ibid., p. 161)。
 「政治経済学の究極の目的(the final object of political economy)は、それゆえに、よい消費方法を手に入れ、豊富な物資を得ることである。言い換えれば、あらゆる物を使い、それも優雅に(nobly)使用できるようになることが富である」(ibid., p. 102)。

 「経済学者たちは、よく、完璧な消費などはないと言う。そんなことはない。完璧な消費こそが、生産の目的であり、王冠であり、完成なのである。賢く(wise)消費することは、賢く(wise)生産することよりもはるかに難しいことなのである」(ibid., p. 98)。

 再々こだわるが、「効用」(utility)をラスキンはかなり広い意味で理解している。よい消費を生み出す生産が、効用をもつという言葉の使い方を彼はしている。

 「よい仕事は役に立つ(useful)。・・・これまで、私たちは、自分の仕事が、自分自身に対して、あるいは国家に対して、どのようなものになっているのかを自問してこなかった。仕事が優雅に遂行されたかということにも気にかけてこなかった。他の人たちの仕事が優雅であるかを気にしなかった。少なくとも、忌まわしい(deadly)ものではない、役立てるような仕事にすることに、私たちは、留意してこなかった」(ibid., p. 426)。

 「効用は、生産にも、消費にも、労働自体にも存在する。人生の中身を豊かにすること、彼はそれを効用と定義したのである。人生とは、仕事に生き甲斐を見出すべきである。仕事が地獄になれば、休日に浴びるほどワインを飲んで酩酊してしまうことになる。そうした狂気の世界は、効用の正反対の極に立つものである」(ibid., pp. 505, 542f)。

 ラスキンは、この効用の反対のものを「コスト」と理解する。人生の内容を貧しくさせてしまう負の労働(labor)がコストである(ibid., p. 97)。つまり、苦痛と感じる労働がコストである。つまり、物を生産するのに、多くの仕事(work)を必要としても、その仕事自体が楽しければ、費やした時間はコストではない。楽しくなく苦痛に感じる労働がコストなのである(ibid., p. 183f)。注2

 注

注1) Fain, John Tyree[1943]は、ラスキンが同時代の経済学者に吹きかけた論争を紹介したものである。

注2) ホブソンは、ラスキンを全面的に受け容れ、ラスキンを忠実に祖述した人であると一般には理解されている。フランク・ダニエル・カーティン(Grank Daniel Curtin)の論文はそうした一般的理解を代表するものである(Curtin[1940])。そうした理解に対して、少し違うと異議を申し立てたのが、ジョン・タイル・フェイン(John Tyree Fain)であった(Fain[1952])  

 確かに、ホブソンの価値理解は、ラスキンとの食い違いを見せている。
 「物の価値(the value of a thing)は、・・・考え方に影響されるものではない。・・・人がその物に対して何を感じようとも、・・・それによって物自体の価値が増減することはない。・・・酔っぱらいがジンにどれほどの高い価値を与えても、ジンが本来もつ内在的価値は変わらない」(Hobson[1898], p. 115)。

 ただし、私は、フェインのように、ホブソンのラスキン理解の誤りだとは見ない。ラスキンには社会学的力学の考察が、ホブソンが言うように、いささか弱かったと私は受け取らざるを得ない。

 引用文献

Curtin, Frank Daniel[1940], "Ruskin's Aesthetics in Subsequent Social Reform," in Davis, Bald  and DeVane, eds, Nineteenth-Century Studies,Fain, John Tyree[1943], "Ruskin and the Orthodox Political Economists," Southern Economic Journal, X, July.
Fain, John Tyree[1952], "Ruskin and Hobson," PMLA(Publications of the Modern Language  Association of America, Vol. LXVII, No. 4, June.
Hobson, J. A.[1989], John Ruskin, Social Reformer, Nisbet. Ruskin, John[1903-10], Unto This Last(1862) in Cook, E. T. & A. Wedderburn, ed, The Works of John Ruskin, vol. 17, in 39 vols. George Allen & Unwin.