消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 74 労働破壊を憂う

2007-03-02 23:00:36 | 金融の倫理(福井日記)
 『週間ポスト』2007年3月9日号の「労働者斬り捨て『戦犯』たち―part1」は、過労死の悲惨な現状を報じた記事である。

 
その記事中にコンピュータ会社に勤務していた、あるサービス・エンジニアの過労死のことが紹介されている。44歳の若さで憤死した彼は、入社以来、多い月で135時間もの残業をこなし、総労働時間は毎年平均3000時間を超えていた。

 過労死で労災認定を受ける際の基準は、月100時間以上の時間外労働である。

 
年間3000時間以上の労働時間が「過労死ライン」と呼ばれている。日本の男性正社員の4人に1人がこの基準を超えているとの指摘もある。誰もが過労死の危機に瀕している。

 件の彼は、銀行のシステム開発のプロジェクト・リーダーに選ばれて以来、勤務ぶりは地獄であった。納期が迫る中でプログラムの修正と検査に追われ、連日の残業で、疲労はピークに達し、帰宅して5時間の睡眠を取るのが精一杯であった。そして、彼は、帰宅した直後、脳出血で倒れ、帰らぬ人となった(同書、27ページ)。

 私の近くにいる30歳の青年も、連日、深夜まで、会社で、このサービス・エンジニアと同じ仕事をしている。

 
超一流大学の学部・大学院を卒業し、世界的に著名な外資系IT企業に勤務している人である。納期の関係で休日はない。疲労が蓄積し、ついに腎臓を痛めた。いつ倒れるかと近親者は怯えている。

 同記事には、デパートへの納品代行業に従事していて、29歳で過労死した人のことも掲載されている。

 
実質労働時間は、朝7時から深夜0時までの17時間もあった。同居している家族が休むように諫めても、同僚に迷惑がかかるからと言って、休まなかった。ついに、就寝中に心筋梗塞で亡くなった。

 厚生労働相の諮問機関に「労働政策審議会」という組織がある。使用者代表、労働者代表、それに学識経験者や弁護士なのどの公益代表がメンバーを構成し、労働法制の改正をする時などに審議する。この会議の下に、労働条件などを審議する分科会があり、さらにその下に、部会や委員会がある。分科会や部会での審議結果は、労働政策審議会の決議と同等の効力をもっているという。

 2006年時点での、労働政策審議会の下の「労働条件分科会委員」を務めていた、ある人材派遣会社の社長は、その分科会で、「労働者を甘やかしすぎだと思います」と発言したという(2006年10月24日の委員会、上記週刊誌26ページより)。

 同氏は、『週間東洋経済』2007年1月13日号に次のように語った。
 「過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います」。
 「祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべきだと思いますよ」。
 「『残業が多すぎる。不当だ』と思えば、労働者が訴えれば民法ですむこと」。

 同氏はまた、『PHPほんとうの時代』2001年3月号で語っている。中高年の賃金を引き下げて若者の新規採用を促すべきだというのである。

 「中高年の雇用維持と引き換えに、若者の新規採用を抑える構図となっているというわけである。これは、横から眺めれば、親子で職の奪い合いをしている姿で、決して見栄えのいいものではない。親は子を思う生き物であれば、賃下げも解雇も涙をのんで認めてはどうか」。

 『産経新聞』2002年1月31日付では、失業率の増加に関して次のように発言した。
 「あれこれとえり好みするところに発生する一種のぜいたく失業だと思う」。

 『週間ポスト』は、この社長の発言に対して過労死訴訟を数多く手がける玉木一成・弁護士の批判を紹介している。

 「労働者が自分で健康管理しようにも、会社側から時間と仕事量で縛られているためできないのが実態です。あり余る人員で余裕をもって仕事をさせているような職場はないでしょう。(この方は)残業が多すぎたら会社を訴えろというが、サラリーマンが自分の会社を訴えるなど、現実には退職する覚悟がないと無理な話です。また、労災申請のハードルも非常に高い。自己申告である残業時間を労働者本人が立証するのは非常に難しい。遺族による申請ならばなおさらです」(同、28ページ)。

 ちなみに、2005年度に、厚生労働省から過労死認定されたのは157人しかいなかった。

 民主党の城島正光代議士(当時)は、2003年の国会で、「労働者派遣法改正」を審議している「規制改革会議」議長が、件の社長の経営する会社の大株主であることへの疑念を表明し、物議を醸し、次の選挙で刺客の前に落選した。

 同社は、「日本郵政公社」の職員研修事業を受注している。郵政公社職員約26万人の研修を引き受けているのである。

  日本郵政公社は、2003年に旧郵政事業庁が公社化されたものである。そして、2006年1月23日、日本郵政公社を民営化するための準備企画会社、「日本郵政株式会社」が発足した。2007年10月に、日本郵政公社の機能と業務は、持株会社となる「日本郵政株式会社」と4つの事業会社に引き継がれることになっている。

 竹中平蔵・総務相(当時)は、日本郵政株式会社の社外取締役5人の1人に選んだ。
 経済評論家の森永卓郎氏は、上記『週間ポスト』に語った。

 「これは、『強者の論理』です。・・・経済界の本音は、構造改革で正社員をパートに置き換えた後、さらに人件費を削るにはホワイトカラーの給料を削るしかない。だから過労死するまで安い賃金で働かせることができる制度を作ろうとして、・・・(この方を)スポークスマン役にしているようにも見えます」(同、29ページ)。

 頓挫したが、安倍政権は、年収400万円以上のサラリーマンに「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」という、残業代ゼロ制度を導入しようとしたことがある。

 まさに、労働界は孤立無援である。支配者からの怒鳴り声だけが高らかに響く。

 そして、労働組合の防波堤を失った働き手の労働は壊死寸前にある。

 経済学が精緻化したとされているのに、悲惨な、こうした現状が、片方にはある。

 昔の経済学は、こうした悲惨な状況からの脱却方法を懸命に模索してきたものであったのに・・・。

 この学問は、いまや、どうなってしまったのだろう。