消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 11 仮面(ペルソナ)と生贄

2006-07-07 22:20:43 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)

ユングの心理学では、仮面をペルソナとして重視するらしい。仮面をペルソナと表現したのが、ユングを嚆矢とするのか否かは、いまの私には不明である。しかし、ペルソナには、「人間というイメージ」を欺くというニュアンスが込められているのではなかろうか。本当は、人間であるのに、仮面を着けてしまうと、本来の人間の姿が隠され、人間以外の存在、例えば神にもなれる。


 そこまで言わなくても、変身願望を人はもつために、舞踏会では、そうした願望を込めて仮面を被る。本当の自分は石部金吉*なのに、舞踏会ではドンファンを気取る。本来の自分を隠して別次元の世界に浸りたくて仮面を被る。仮面とは、古今東西を問わず、現世の鬱陶しさからの一時的離脱を望む人たちが、舞踏に託して、集団的に盛り上げる劇の小道具であるといっても間違いはないであろう。

*(いしべきんきち)石と金と二つの硬いものを並べて人名めかしたもの。きわめて物堅い人。融通のきかない人

 仮面が、人類社会でいつから使用されてきたのか私は知らない。しかし、ギリシャ文明に流れ込む古代世界の文化の爪痕を探し求めるカール・ケシーニーが、ミノア期より以前の古代に、ディオニソス的宗教に関わる石壁の文様を、ファイストス近郊の墓から発見したことを興奮した筆致で説明していることは重要である(ケレーニー、カール『ディオニソス―破壊されざる生の起源像』白水社、1999年、原著、1976年)。そこには、仮面を被った人間と山羊が描かれていた。仮面を被った人間はディオニソスであり、山羊はディオニソスに捧げられた生け贄なのだろう。

 しかし、祭りごとには、なぜ、仮面が必要なのであろうか。なぜ、人間は神に生きた家畜の生け贄を捧げるのだろうか。このことは、宗教学者の間では、とっくに解決された問題なのかも分からない。しかし、寡聞にして私はそのことに関してのきちんとした解答を聞いたことはない。仮面と生け贄にこそ、人間の救済の原始的な手法が表現されているのではなかろうか。まだある。前稿で書いたように、異国の荒ぶる神がアテネの最高府のデルフォイ神殿にアポロンと並んで祭られた。これは、なんなのだろうか。

 ケレーニーは言う。ディオニソスが仮面を被るのは、本来が人間である自己を隠して神として振る舞うからであると。この理解の仕方は、刺激的である。救いは現人神からくるという民衆の帰依が正確に表現されているからである。

 実際、宗教が爆発的に民衆に広まるには、生き神、生き仏の存在が大きな力をもつ。民衆は難しい教義の世界で想像される高貴な神仏よりも、目の前の慈愛に満ちた現実に存在する人に帰依する。帰依される人間は限りなく神と仏の香りを醸し出す。その人を通じて、民衆は神の御許に身を置くことができると信じる。あるいは、民衆は、そうした雰囲気を醸し出す人が、民衆を神に導く仲介者であり、あるいは、そうした気高さをもつ人を神の化身であると思い込みたくなる。

 目の前の祭司が本当は人間なのに、仮面を被って、人間であることを隠し、神として、祭りに参加した民衆に宗教的法悦を与える。いにしえにおいて、東西を問わず、祭りで仮面が多用されたことの意味はこの点にあるのではないだろうか。

 ディオニソス神話が、ペルソナ(仮面)の意味を示唆してくれる。それが神話であるかぎり、これが正しいディオニソス像であるといったものはない。時代により、地域によっって、語られるディオニソスの姿は異なる。トラキア地方では、ディオニソスは「ザクレウス」と呼ばれていた。ザクレウスとは、ギリシャ語で「野獣を捕らえる者」という意味である。ディオニソスに帰依する者たちは、ディオニソス(ザクレウス)が捕らえた野獣を「神の体」として八つ裂きにし、その生肉を食らう。さらに、酒に酔って、夜の森を駆け回る。それが蘇生・復活の秘儀(ミステリア)であった(1999年開催された『トラキア黄金展』でのフォル、アレキサンダー「古代トラキア、文字をもたない社会」)。酒に酔って夜の森を駆け巡るのは、ディオニソスが酒を喰らい(ローマ時代ではディオニソスはバッカスと呼ばれた)、各地を放浪し、夜に姿を見せるからである。しかも、ディオニソスは様々の動物に姿を変え、本当の自分の素顔を晒さない。ディオニソス信仰の民衆が、動物、とくに、牡牛の生肉を喰らうのは、ディオニソスが、牡牛に変身していたときに、タイタン(巨人族)に八つ裂きにされ、喰われてしまったという神話に基づく。そうした神話に基づいて、信者たちは、動物を「神の体」と解釈したのである。

 さらに、酒を喰らうのは、忌まわしい墓場としてのわが肉体から魂を離脱(エクスタシー)させようとの試みである。

 ドゥティエンヌ、マルセル『ディオニソス―大空の下を行く神』(法政大学出版局、1992年、原著1986年)によれば、ディオニソスの故郷、テバイでは、ディオニソスの一族は追放され、ディオニソスも放浪を余儀なくされている。しかし、ディオニソスは、心をさらけ出してくれる人々を救済する。救済を求める信者たちは、葡萄酒を喰らい、酒に酔って踊り狂う。生肉を引き裂いて喰らう。沸き立つ血と酒が巨大なエネルギーを人々から引き出す。「殺戮の狂気、踊り狂う忘我の女たち(マイナス)、泡立つ葡萄酒、血に酔った心臓―これらは一つの行動様式である」。このエクスタシーに導かれて、人々は、再生の力をディオニソスから得るというのである。ディオニソスは、「他者を支配する」アポロン的なギリシャ正統の神々と異なり、「自らの内なる能力」を解放してくれる神なのである。ディオニソスこそ、人間が内在的にもつ狂気をしっかりと受け止めてくれる現人神である。

 高津春繁『ギリシャ・ローマ神話辞典』によれば、ディオニソスは2人いた。最初のディオニソスは、ゼウスとペルセポネとの間に生まれた子である。ペルセポネにディオニソスを生み付けた時のゼウスは蛇の姿に変身していた。ゼウスは、ディオニソスに世界の支配を託すつもりであった。これに、ゼウスの正妻ヘラが嫉妬し、タイタン(巨人族)にディオニソスの殺害を依頼した。そこで、ディオニソスは様々の姿に身を変えて、タイタンたちの追跡を逃れて、逃亡者として各地を遍歴した。ディオニソスが荒ぶる神としてエーゲ海各地を走り回るというイメージはこの神話に基づいている。また、ディオニソスが返送の名人であることも同様である。

 ディオニソスが女性の信仰を集めたのは、希代のドンファンであったこともある。例えば、セメレーという女性を死者の世界から奪い取ってきたという、身を捨ててまで女性を救ったという神話がディオニソスにはある。前回で触れたように、事実、ポンペイの壁画には、ディオニソスに救ってくれと懇願する女性たちが描かれている。


(出所)
 牡牛に変身していた時に、ディオニソスはついにタイタンたちに捕らえられた。タイタンたちによって、ディオニソスは、八つ裂きにされて、牡牛の生肉として、彼らに食われてしまった。


(出所)

 怒ったゼウスは、雷の力でタイタンたちを焼き殺してしまった。そして、焼き殺されたタイタンたちの灰の中から人間が生まれてきた。つまり、人間は、生まれながらにして、タイタンによって食われたディオニソス神の一部をもっているのである。人間は、ディオニソス的神性を体内に宿しているとされるようになった。しかし、人間の中にはタイタンの悪も同時に存在している。神的な要素と悪の要素が同時に存在しているのが、人間であるということになる。ただし、人間には、もっとも大事なディオニソスの心、つまり、心臓が移転しなかった。ディオニソスの心臓は、アテナによって救われて、ゼウスに差し出された。ゼウスはそれを飲み下した。そして、初代ディオニソスがさらってきたセメレーと交わり、二代目ディオニソスを産ませたとある。

 ディオニソスは二人いたという神話が、ディオニソスの復活信仰を生み出した老いたディオニソスと若々しいディオニソスとして再生するという、ディオニソスの二重性が民衆に強く意識されるようになった。ディオニソス自身が老人と若者の資質を合わせもち、民衆も老いたディオニソスが、豊かな肉体をもつ若者として生まれ変わると信じるようになった。そして、次第にディオニソスは神から人間に近づく現人神になった。あらゆる動物に姿を変え、人間としても、老若を行き来するというディオニソスを表現する手段が仮面であった。ディオニソスの祭りで、仮面が不可欠であったのも、こうした意味合いにおいてである。
 ディオニソス生誕の神話は、信者たちが生肉を食べ、生き血をすすることの儀式の意味を示唆するものである。タイタンに食われたディオニソスの変身である牡牛の生肉を食べることによって、自己の体内にディオニソスを蘇らせ、ディオニソスと一体となった法悦に浸るのが、肉と血を食する民衆の宗教的行為の目的であった。

 それでは、生け贄の儀式について、どのように考えたらいいのだろうか。
 オットー、ワルター.F.『ディオニソス―神話と祭儀』(論創社、1997年)によれば、狩猟文化時代の人間は、つねに死と背中合わせの生活を送らざるをえなかった。獣を殺す作業は、自分が冥府の大王から呼び寄せられ、自分も非業の死を遂げることになるのかも知れないという恐怖心にさいなまれていたことであろう。自分も狩られるかも知れないとの思いが、狩猟時代の人間に生と死の儀式を同時に行わせたのであろう。自らが野獣と一体になることで、贖罪意識をもち、冥府から誘われるであろう死の恐怖から逃れようとしたのであろう。祭壇に捧げられる生け贄は、神に食していただくために供えられたものではない。生け贄に捧げられた野獣は、神の身代わりである。野獣には神が宿っている。その野獣を生きたまま捕らえ、八つ裂きにし、その生肉を喰らうことによって、人々は神との一体感を感得しようとしていた。八つ裂きにするという行為は、人間の本性の自己分裂を意味している。それを喰らうということは、生け贄に捧げられたものも、生け贄を捧げるものも同一運命にあることが意識される。こうして、生死循環の魂理解が生み出されたのである。

 生肉が焼かれた子羊になり、さらには、麦穂になるのは、こうした荒々しい神の感得方法が、後代で、平和でおとなしい儀式に変わっただけのことであり、儀式のもつ本来の意味は祭壇への供物として生き残ったのである。

 強引な解釈であろうとは重々承知している。しかし、死の恐怖からの離脱願望が、仮面、生け贄、血をすするという行為を生み出し、そうした儀式を、なんらの違和感なく、あらゆる民族が受け入れていたと考えるのが自然ではなかろうか。

 荒ぶる神ディオニソスがオリンポスの神々に列されるようになったのは、ギリシャ人たちが、ポリス世界の没落を前にして、若々しいアポロンだけではなく、冥府の悪魔的獰猛な力を有するディオニソスを人生の不可欠な要素、つまり、明るく輝く世界と裏腹の関係にある暗い要素、を意識するようになったことの現れではないだろうか。もちろん、そうなるには、信者たちが、生肉を食するのではなくパンを食し、生血をすするのではなく葡萄酒を少しだけ飲み、ディオニソス自身も、豊饒の神に変身させられなければならなかったのである。それは、ギリシャ人に魂に関する重要な認識上の変化が生じたことを表現するものである。