消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 08 フェニキア

2006-07-03 16:23:46 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)
栄光のギリシャ・ローマ。古今東西の激賞の対象。人類にもたらした巨大な恩恵。否定されえない最高の権威。しかし、しかし。そうした金字塔の裏に抹殺された民族と文化があった。死屍累々の地獄があった。私は、こうした消された者たちの、現代的意味をすくい取ることに残りの人生をかけている。勝者の栄光だけが尊敬される社会に、私は、生理的嫌悪感をもつ。敗者の哀しみが奏でる、得も言えぬ美しさに私は惹かれる。学問とはポエムである。人生とは哀愁である。そうした感情をもつ人だけにこのブログは語りかけている。

 前146年、ポエニ戦役は、ハンニバル率いられるカルタゴの敗北で終わった。この勝利によって、ローマは世界史に地歩を築いた。そして、後の学問を支配した。敗北したカルタゴは、そのすばらしい学問を抹殺されてしまった。消されてしまった。

 ギリシャ人の歴史家アッピアヌスは、炎上する地獄図絵を描いた。ローマ軍の総大将スキピオは、ローマもいずれ同じ運命を辿るかも知れないとつぶやいたと言われている。
 5万人が虐殺され、残りの全市民が奴隷として連れ去られた。無人となった都市には、大量の塩が撒かれた。今後、カルタゴの大地で作物がいっさい育たないようにするためであった。

 カルタゴは17日間にわたって炎上し、蔵書数50万冊あったとされる図書館も消失した。これは、人類史上もっとも大規模な焚書である、カエサルによるアレキサンドリアの図書館の焼き討ちに比べれば小規模であったが、少なくともこの消失でフェニキア人たちは「謎の海の民」として、歴史研究の外に放り出されてしまった。ちなみに、アレキサンドリアの図書数は数千万冊あったと言われている。この焚書によって、フェニキアやエジプトの学問は伝承されなくなってしまった。現在の米国によるイラク爆撃によって、再び、オリエントの学問は消し去られたのである。

 カルタゴは、フェニキア人たちが建設した都市である。フェニキア人たちは、本拠の東地中海だけでなく、北アフリカ沿岸、スペインなどの大西洋沿岸にまで植民都市を作っていた。カルタゴは、その中で最大のものであった。フェニキア人は高度な航海術をもっていた。すでに、前3200年頃には、レバノン杉をエジプトに輸出していた。活発な交易民族であった。鉄は、ベッセマー方式に似た炉に送る空気を調整する手法で生産されていた。その武器がカルタゴをしてローマと覇権争いを可能とさせたのである。スペイン南部カルタヘナ近郊のマサロン湾で、前7世紀頃のフェニキア船が発見された。その船はホゾ接合で作られていた。当時の船は木に穴をあけ、紐で結うという構造のものが通常の姿であった。しかし、フェニキアの船は当時の技術においてぬきんでていた。これで、船の強度は決定的に高くなった。碇には鉛が詰められていた。発見された船は沖の大船に物資を運ぶ艀(はしけ)であった。前1100年には、フェニキア人は、雄壮なガレー船を大西洋まで運航させていた。

 フェニキアという名称は、ギリシャ人が与えたものだとされている。前1200年頃はカナン人と呼ばれていた。彼らは赤紫色の高価な布(古代紫)を輸出していた。この染料は、イワニシ貝から取られたものである。そこで、古代ギリシャ人たちは、彼らを「赤い人」(フォイニケス)と呼んだ。これがフェニキアになったのである。

 フェニキア人たちは地上の帝国を作らなかった。地中海の各地に港を建設し、そうした港が都市に成長したのである。交易品は主力のレバノン杉の他に貴金属、葡萄酒、オリーブ油等々であった。前9世紀から前6世紀に地中海の海上覇権を確立していたとされる。彼らは、アッシリア、バビロニアの思想や神話をエーゲ海に伝えた。それが古代ギリシャに刺激を与えたのである。


(出所) 
 周知のように、フェニキア人たちが開発した音標文字は、古代ギリシャに伝えられてアルファベットなった。いうまでもなく、アルファベットとはアルファ、ベーターの語順からきた呼び名である。さしずめ、ABCである。

 フェニキア文字は母音を表記しなかった。ギリシャ人たちは、ギリシャ語には不要な子音5つを母音に転用したのである。そして母音と子音とを組み合わす表記法を開発したのである。華麗なギリシャ文化だけではなく、現代文明そのものも、フェニキア人の偉大な業績の恩恵を受けているのは間違いない。にもかかわらず、ギリシャ・ローマ世界はフェニキア人の学問を地上から消し去ったのである。ただし、消し去られたはずの学問が、無意識のうちに、時々の権威の中に忍び混まされるという営為を私たちはしばしば目撃する。これがせめて慰みであり、消された民族へ鎮魂歌になる。