うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

修士課程修了!

2011年09月30日 01時19分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
最近、実に平和な日々を過ごしていてブログに書くのを忘れていました・・。
今週月曜日、9月修了生向けの修士学位記授与式が行われ、この度私も無事に大学院の修士課程を修了しました。
振り返れば、この2年間はあっと言う間に過ぎました。一昨年の9月28日に飛行機で北海道入りしたのは昨日のように覚えていますが、いつの間にか修士課程修了まで来てしまいました。
私の大学院の専攻では日本人最初で最後の10月入学生として、かなり異例のスケジュールで修士課程が進み、常に他の学生と別行動でしたから実感が湧かないのも当然でしょう。
私は平成21年度10月に理学院生命理学専攻に入学しましたが、平成22年度4月に生命理学専攻は生命科学院生命科学専攻生命融合科学コースに組織改変され、理学院から分離しました。そのため、平成21年の8月に私と一緒に大学院を受験した人達は入学時に自動的に生命科学院に転属されています。しかし、私の場合は平成21年度中に入学したため、修士課程修了まで理学院生命理学専攻所属として過ごすことになりました。また、生命科学院への変更に伴い修士課程における日本人の10月入学制度は廃止されました。つまり、私はイレギュラー中のイレギュラーな学生だったわけです。
しかし、イレギュラーな割に課程は順調に進み、修士論文関連以外の修了必須単位は全て最初の1年で取り終え、学部時代のように卒業間際に単位取得で苦しむこともありませんでした。修士研究の方も、目的蛋白質の発現や精製も順調、活性比較実験も再現性が良かったため、殆ど躓かずに修士論文執筆に漕ぎ着けました。蛋白質科学の分野では、蛋白質発現や実験手法検討に苦労する姿をよく見かけますから、私はとても幸運だったと思います。
また、修士課程の間には、大学院での研究以外にも学部での卒業研究業績が2報の論文に結実し、この業界ではメジャーであるAmerican Chemical SocietyのJCIM誌(IF:3.9)に載せることが出来ました。修士課程の内に自らが主要著者名になっている論文を2報出していることは、今後の研究者人生にとっては大きなアドバンテージになります。この調子で、博士課程でもメジャージャーナルに論文を出していけるように頑張りたいと思います。

さて、その修士課程の修了に相当する学位記授与式は、理学部本館2階の大会議室で行われました。理学部本館は昭和4年の竣工で、大会議室も赤絨毯が敷かれ、数々の絵画が壁に飾られた重厚な趣の部屋でした。参考写真(北大ショートフィルムHP)
通常の3月修了生向けの学位記授与式は全学合同で体育館で行われるのですが、今回は理学院修了生のみでの挙行でした。しかも、修了生は私以外全員海外からの留学生なため、夏休み中に既に帰国している人が多く、出席者は5人だけでした。その5人の国籍が様々で、開式前に控室で待機していたら、中国語、アラビア語、ロシア語が飛び交っていて面白かったです。
授与式は午後1時半に開始、理学院長から学生全員に学位記が手渡されました。私が順番の最後だったのですが、何故か私だけ握手してもらえました。唯一の日本人として、院長先生にとっても感慨深かったのかもしれません。
今回私が授与された学位記の記載によると、私の修士号は、修士(理学)です。英語だとMS (Master of Science)ですね。ちなみにこの修士号、()内が理学になったのは私が理学院卒だからで、もし生命科学院を修了していた場合は修士(生命科学)になりました。(個人的には「理学」という書き方の方が好きです)

今週月曜日に理学院生命理学専攻修士課程を無事に修了した私ですが、間もなく10月からは生命科学院生命融合科学コースの博士課程に進学します。出来れば博士課程は半年短縮させて、2年半で出たいと思っているので、ますます研究生活は忙しくなりそうです。
博士(生命科学)を目指し、これからも万里一空の境地を目指して研鑽に努めてまいります。

飛行船見物リベンジ、本編。

2011年09月26日 03時02分57秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
かれこれ1週間が経ってしまいました。
ここのところ、帰宅する→パソコン起動→ブログの編集ページ開いた瞬間に寝落ち・・という流れを繰り返してしまい、更新が途絶えてしまっていました。秋とか春って、寝ても寝ても寝足りないんですよね・・。全てに対して睡眠欲の方が勝ってしまうと言いますか・・。
ともあれ、いつまでも更新しないわけにもいきませんので、飛行船の離陸を見るために再び石狩湾新港へ行った話を記すことにします。


9月19日(敬老の日)、午前6時半過ぎに自転車で自宅を出発しました。
前々日に石狩湾新港まで長距離サイクリングしたばかりで疲れていましたが、飛行船は19日中に札幌を離れる予定で、これを逃せば飛行船の離陸を見られる機会はしばらくありませんでした。私の飛行機好き根性が、飛行船の離陸を見たいと叫んでいる以上、再び石狩湾新港を目指す他なかったのです。
とは言え、前回のサイクリングのように往復新川通り経由で走ると、距離も長いし面白みも無いので、今回は創成川通り経由の短絡ルートを走ることにしました。地図上で測ったところ、樽川埠頭までだと片道で約3km短くなる計算でした。


新琴似跨線橋から撮り鉄。
札幌市の中心部から石狩市方面に向かう場合、新川通りを走るとJR札沼線→札樽自動車道の順番に高架を潜るのですが、創成川通りを走ると両者の順番は逆転して札樽自動車道の高架を潜った後でJR札沼線を跨ぐことになり、少し不思議に感じます。
その創成川通りが札沼線を跨ぐ場所が新琴似跨線橋で、良い具合に線路が曲がっているので、列車を眺めるのにもってこいのポイントです。
今回もせっかく通りかかったので、サイクリングの休憩を兼ねて列車の通過を撮影してみました。札沼線は現在電化工事の真っ最中で、架線の下をキハが走る面白い光景が眺められます。今回は、ちょうど上下の列車(キハ40系とキハ141系)が同時に通過してフレームインしたので興奮してしまいました。よく写真を見ると、列車の天井にパンタグラフがないことが分かります。


跨線橋での休憩を挟み、ひたすら創成川通りを北上して石狩市に入りました。


茨戸大橋で創成川通りと別れ、石狩市役所の通りをさらに北上し、石狩湾新港樽川埠頭に至りました。
2日ぶりの飛行船係留地です。今回は風も弱く、離陸が拝めそうでした。


係留地に着いて間もなく、離陸の準備が始まりました。
こうして人間が一緒に写っていると、飛行船の大きさが実感できますね。


前回はエンジンの試運転直後に風雨が強くなり離陸中止になってしまいましたが、今回は順調に試運転を終え、係留ポールから飛行船が放たれました。その後、地上作業員の人力で離陸開始地点まで後退し始めました。


係留ポールから数百メートル離れた緑地北端まで後退しました。


そこで地上作業員が一斉に係留ロープを手放し、飛行船が浮かび上がりました。間もなく、飛行船はエンジン全開で推進し始め、離陸しました。


見物客に別れを告げるように緑地上空で右旋回した後、飛行船は西の方角に飛んで行きました。

飛行船、札幌ラストフライトへ離陸!

以上の流れは、動画で見た方が分かり易いですね。通常の飛行機と異なり、宙に浮かんだ後にエンジンが全開になるのが面白いです。


離陸後しばらく追跡していると、飛行船は手稲山の手前を通過しました。
中腹の観覧車はテイネオリンピア遊園地のものです。手稲山山頂に立ち並ぶテレビ電波塔が圧巻です。
遊園地とテレビ塔の組み合わせは、奈良の生駒山上遊園地を彷彿とさせますね。(手稲山の方が標高は高いですが)


離陸を見届けた後、せっかくなので着陸も見たいと思い、しばらく樽川埠頭で待つことにしました。通常、飛行船は午前9時に離陸した後、昼頃に一度戻ってくると聞いていたので、昼まで埠頭公園(係留地から1kmくらいの場所)でのんびり過ごすつもりでした。
埠頭公園のベンチに座り1時間ほどが経った頃、不意にエンジン音が聞こえ、低空に飛行船が姿を現しました。


嫌な予感がしたので係留地に戻ってみると、既にポールの撤収作業が行われていました。どうやら今日はテレビ局の搭乗取材があったため、飛行船は1時間ほど札幌上空を飛行しただけですぐに戻ってきたようでした。先ほど埠頭公園から見えたのは、取材クルーを降ろした後離陸した様子だったようです。そんなことはつゆ知らず、完全に見逃してしまいました。何たる不覚、こんなことなら係留地であのまま待っていれば良かった・・。orz


再度離陸した飛行船は、そのまま定期検査を受けるために帯広近郊の大樹町へ向かって飛んで行きました。これで札幌とはお別れです。
ちょうど係留地上空をパラグライダーが飛んでいたので、空飛ぶ仲間同士を一枚に収めてみました。


予想外に早く飛行船とお別れしてしまったので、とりあえず新川通り経由で札幌市方面に戻ることにしました。
石狩湾新港付近は石狩市と小樽市の市境が複雑に入り組んでいるので、同じ道路上に何回かカントリーサインが現れます。


せっかく札幌の北西側に来ているので、前々から行きたかった手稲稲穂のカフェSAKURAに寄り道してみました。実はこのカフェ、根室の名物料理「エスカロップ」を提供していることで有名なのです。
というわけで、上がその「エスカロップ」です。一見カツカレーのようにも見えますが、このソースはデミグラスソースです。トンカツの下のご飯はタケノコ入りのバターライスで、とても高カロリーな食べ物です。それもそのはず、元々根室の洋食屋さんで、漁師が手早く栄養を取れるように考案されたメニューだそうです。このバターライスとカツの組み合わせ、美味しくないわけがないです。あっという間に完食してしまいました。


手稲稲穂から、手稲通りを走って発寒まで戻りました。
実は、この日はイオン発寒ショッピングセンターで北海道と中国黒竜江省の友好イベントが行われていて、私のアパートの近所の中華料理屋のオーナー兼書道家のおじさんが書道の実演展示をすると聞いていたのでした。
イオン店内のイベント広場に赴くと、ちょうど展示の最中でした。


いつも炒飯を注文する相手であるおじさんが、この日は盛装して書家の顔になっていました。
おじさんも、記念写真の撮影後に私が来ているのに気付き、喜んでくれました。(他にも何人か常連さんが見にきていました)

実は、この後、私はこのイオン発寒ショッピングセンターのゲームコーナーで奇跡を起こすのですが、それはまた別のお話・・。(近日更新予定。。?)

イオン発寒からは下手稲通りを走って北大まで戻り、1日で計49km走行しました。前々日に61km走っていたので、週末で合計110km走ったことになります。大体札幌から旭川までの直線距離に相当しますね。よく走ったものです・・。


飛行船の大きさ

2011年09月18日 14時59分09秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
最近飛行船ネタを続けて書いています。
実は私は飛行船好きでもあり、お金持ちになったらヒンデンブルク号を復元したいという野望を以前から持っていました。
「ヒンデンブルク号」(LZ129)は、戦前にドイツのツェッペリン社が建造した史上最大の旅客輸送用飛行船です。爆発事故で有名ですが、その大きさというものは案外知られていないように思います。
今回、試しに現在の乗り物と比較してみたのが上の画像ですが、これを見るとその巨大さが一目瞭然です。ヒンデンブルク号の全長は約245mあり、なんと日本最長のカーフェリーである新日本海フェリー「あかしあ」(224.8m)よりも長いのです。ジャンボジェット機(ボーイング747-400)と比べても3倍以上長く、ボリュームの差は圧倒的です・・。こんなものが空を飛んでいたと思うと、ワクワクしますね。

近年、全長300m級の超大型客船によるクルーズが世界的に浸透してきていることを鑑みると、巨大飛行船によるクルーズ飛行もそろそろ復活するかもしれないと、私は思います。低空をゆっくりと飛行する飛行船の特性は、クルーズに向いているはずです。中途半端な大きさだと旅客定員が限られて運賃が高額になり、利用のし易さの点で不利です(実際、一時期東京で定期遊覧飛行していた飛行船の運賃は当初90分で13万円もしました)。ここは一つ、数百人乗りの巨大飛行船を建造し、安価で遊覧飛行を行えるようにするのが得策だと思います。
実は、巨大飛行船の建造計画は近年盛んに検討されていますが、民間の計画は悉く失敗しているようです。
英語版「CargoLifter計画」
10年ほど前には、全長260mの巨大飛行船で貨物輸送を行う計画が実現しかけました(縦360m×横220m×高さ106mの巨大格納庫が実際に建てられました)が、実物を建造する前に運行会社が倒産し、日の目を見ませんでした。
技術的には巨大飛行船を復元することは十分可能ですが、課題は安定的な需要の確保のようですね。ヒンデンブルク号級の飛行船の建造費は、大体100億円くらいかかるそうです。上記のCargoLifter計画では160トンの貨物を載せられる設計でしたから、クルーズ用ならば、数百人定員にすることが出来るかと思います。建造費100億円というとかなり高く感じますが、実はジェット旅客機ではごくごく一般的な価格で、中型旅客機のボーイング767でも100億円ほどはします。それでも航空会社は格安運行でも採算を取れているわけですから、運用の仕方次第で巨大飛行船の運行も成り立つんじゃないでしょうか。
うーん、巨大飛行船が造りたくなってきましたぞ・・。

飛行船を間近で見てきました。

2011年09月17日 22時12分30秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は石狩湾新港に係留中の飛行船「スヌーピーJ号」を見にいってきました。

昨夜、いや、今日の未明ですかね、急に「夜明けの飛行船」を撮りたい衝動に駆られてしまい、午前3時に家を飛び出し、撮影機材を背負って自転車で走り始めました。
飛行船の係留地の情報は、いくつかのネット上の情報から樽川埠頭の近くであることを把握していました。ただ、正確な場所は分からなかったので、とりあえず新川通り経由で石狩湾新港方面へ向かいました。


久しぶりにこの道を自転車で走りましたが、記憶よりも長距離に感じました。それでも1時間ほどで新川通りの終端まで走り、石狩新港入口まで来ました。


新港入口のローソンで少し休憩した後、空も白んできたので急いで樽川埠頭方面に向かって走ると、樽川埠頭通りの脇の原っぱに飛行船の姿を発見!
先日の夜間飛行のときと同様、ライトアップされていたので一目で分かりました。


朝もやの中で光り輝く飛行船、良い雰囲気です。


飛行船近くの砂利道に自転車を停めたところ、スタッフカーから見張り番の外人さんが出てきて、「こっちへおいで」とジェスチャーしてくれました。


その見張り番さんに「写真を撮りたい」と(英語で)お願いしたところ、「近付いて好きなだけ撮って良いよ」と快く認めてくださったので、早速飛行船へ接近。スヌーピーが目の前に見えて大迫力です。この飛行船の全長は、先日の記事でも書いたように小型ジェット旅客機のB737-800とほぼ同じ40mですが、気嚢の直径は10m近くもあり、ジェット機と比べるとボリュームは圧倒的に大きいです。まさに空飛ぶ船ですね。


飛ぶ原理が違うので当然ですが、翼の大きさも通常の飛行機とは全く異なります。昇降舵・方向舵が対になっている様子は、潜水艦に似ていますね。


撮影している間に夜が明けてきて、一瞬ですが朝日も拝めました。これぞ私が撮りたかった写真です。(欲を言えば、もう少し太陽がちゃんと出てくれたら良かったんですけどね・・)


見張り番さんに撮影許可のお礼を言ったついでに、今日のフライトの離陸予定時刻を聞いたら、午前9時くらいとのこと。まだ時間は6時前だったので、近くの埠頭公園でしばし休むことにしました。

そして少し余裕をもって8時頃に再び飛行船の係留地へ行くと、結構多くの見学客で賑わっていました。日本人のスタッフの方が対応されていたので、私も再び飛行船を間近で撮影して回りました。


ゴンドラに近付いてみました。この飛行船はスペック上は操縦席と客席4席の計5席の座席が備えられていますが、重量制限の都合などで実際は最大4人乗りで運用しているそうです。
ゴンドラの外装には、東日本大震災を受けて復興メッセージが書かれています。


ゴンドラを後ろから見てみると、2枚プロペラを付けた80馬力のエンジンが左右対に装備されています。これが飛行船の推進装置で、最高速度は90km/h程出るそうです。


操縦席に座ることは、飛行前の安全上の都合で叶いませんでした(フライト後なら可能なこともあるそうです)が、外から撮影することは出来ました。
飛行船の種類によって操縦装置は異なるのですが、この飛行船では一般的な航空機の操縦桿に代わって、座席の左右の操舵輪を使って操縦するそうです。計器類は以前見たジェット機のものとほぼ同じで、速度計や方向、姿勢表示の計器が確認できました。


地上にいるときでないと撮れない、真正面からの写真も撮影。こう見ると、気球にも見えますね。


見学中にも飛行の準備が進められていて、午前9時前に離陸作業が始まりました。


さあ、パイロットも乗り込み、係留ロープが放たれていよいよ離陸・・!

と思ったら、何と急に雨風が強くなりフライト中止になってしまいました。

この動画でも、今にも飛び立たんとしていたところに雨が降ってきた様子が分かります。


これは今朝の天気図ですが、実はちょうど秋雨前線が上空を通過中で、天候が急変してしまったわけです。急に寒くなって驚きました。(自転車に乗るため、軽装で来たので余計に寒く感じた)


結構雨も強く、30分ほど断続的に降り続きました。おかげで原っぱもずぶ濡れ・・。私も雨具を持ってきていなかったので、濡れかけましたが、スタッフカーの屋根の下で雨宿りして、何とかしのぎました。
結局、午前のフライトはこのまま中止になり、その後も風が強かったため、私が石狩湾新港に滞在していた午後2時頃までの間には、ついに離陸することはありませんでした。

この飛行船「スヌーピーJ号」、明日まで札幌に滞在予定ですが、明日も風が強いようなので飛ぶ姿は見られないかも・・。明後日以降に耐空検査を受けるためによそへ移動するはずなので、そのときに離陸の姿が見られたら良いのですが・・。(でも、また新港まで自転車で行くのはしんどいな・・)

-おまけ-
石狩湾新港からの帰り道、新川通り沿いにある「前田森林公園」に立ち寄りました。観光ガイドブックで見かけて、以前から一度来てみたかった場所だったのですが、なかなか凄い規模の公園でした。


これが前田森林公園の目玉、「カナール」です。長さ600mほどもある細長い池です。
多分、イタリアの世界遺産カゼルタ宮殿あたりをモデルにしているようで、奥の方に宮殿のような建物(展望台)が見えます。


その"宮殿側"から見ると、こんな感じ。天気が良ければさぞかし美しい光景でしょうね。
それにしても、水路もさることながら、両岸の600mものポプラ並木も見事です。台風被害で歯抜けになっている北大ポプラ並木に移植してくれないかなぁ・・。

さて、昨夜急遽思いつきで出掛けたサイクリングでしたが、結局ほとんど寝ずに61kmも走ってしまいました。最後の方はお尻の痛み(サドルが細いのでかなり食い込む)も限界、半分意識も飛んでいる状態で走り続けました。今回のサイクリングは本当に疲れました・・。

札幌の夜空に謎の発光物体現る・・!?

2011年09月16日 07時48分19秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
昨日の夜8時頃、研究室から自転車で自宅に帰っている途中、謎の光り輝く飛行物体を発見しました。
信号待ちでふと空を見上げたときに、ビルの間に浮かんでいたので、一瞬本当にびっくりしましたよ・・。


札幌駅のJRタワー上空を飛ぶ発光物体。
札幌市北区から中央区にかけての上空をゆっくりと移動しているようでした・・・って、ここまでの写真を見たら、このブログの前々回の記事を読んでくださった方にはもう正体が分かるかもしれませんね。


急いで自宅に戻り、超望遠レンズ付きのカメラで拡大してみると、発光物体にはこんな模様が描かれていました。
そう、光り輝く飛行物体の正体は、先日札幌に飛来したメットライフアリコの宣伝飛行船「スヌーピーJ号」なのでした。


こちらが撮影しているのに気付いたのか(んなわけないですが)、わざわざ私の自宅の窓から見えるところで旋回してくれて、真横からも撮影できました。

札幌の夜空に謎の飛行物体出現!?

動画も撮ってみました。
昨夜は南風が吹いていたのか、飛行船は北に向かって横に流されながら宣伝飛行を続けていました。

飛行船の宣伝飛行を夜間にも行うとは、新鮮な驚きです。
飛行船の気嚢の部分を内側から照らしている様子は、行灯や提灯のようにも見えます。
帰宅途中の会社員や、散歩・ジョギング中の人たちも結構な割合で見上げていましたから、注目度は高そうでした。(でも、肉眼ではメットライフアリコって見えないんですよね・・)

天皇陛下お出迎え

2011年09月11日 14時53分31秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今朝、私のアパートの前を天皇陛下がお通りになりました。
私も滅多にない経験なので、近隣の住民の方とともにお出迎え(お見送り?)しました。

現在、天皇陛下は国際微生物学連合の総会ご臨席及び地方事情視察のため、北海道にご滞在中です。
私のアパートは主要幹線道路の創成川通り(国道5号線)に面しており、10日ほど前に地元警察署からの通知で、陛下がその道路を通過されるとの情報を知らされていました。


事前の警察署からの通知では、午前9時から10時にかけてお通りになると伝えられていたのですが、私は少し寝坊してシャワーを浴びたので、午前9時15分くらいに沿道に出ました。幸いまだご通過されていないようで、アパートの大家さん含め、何人かの住民が待機中でした。
交差点の角では警官が警備に当たっていましたが、まだ交通規制は敷かれていませんでした。


しばらく交差点で警備車両が通過する様子を眺めていると、警備中の私服警官が沿道の人々を歩道の道幅が広い場所に誘導し始めました。
私も少し北側の沿道に移動し、車道際で待機することにしました。


待機を始めてしばらくは一般車も通行しており、時折信号待ちのドライバーの方から「何を待ってるんですか?」という質問が飛んできました。そりゃ、日曜日の朝っぱらから沿道に人がずらりと並んでいたら、不思議に思うでしょうね・・。
私が外に出て15分ほど経った頃、白バイ隊の通過を合図に、交通規制が開始されました。


普段は非常に車の往来の多い創成川通りが、完全に封鎖されました。ちなみに、この道は道路の中央に川が流れていて、上下線が分離されています。今回、陛下は北の札樽道札幌北IC方面に向けて通行されました。


まだ陛下が通られるまで時間がありますが、既に創成川通りの信号は全て青で固定されています。時折、警官の誘導に従って歩行者が横断していました。赤信号無視が警官の前で許される、貴重な経験かも・・。


陛下ご通行の3分前、青色ランプのパトカーが通過しました。青色ランプと言えば、最近民間の防犯見回り車に使用が許可されるようになったのですが、このような要人警護の先導車両でも使われるんですね。


陛下ご通行の1分前、青・赤・青のランプを点けたパトカーが通過。こんなランプ配置は初めて見ました。


いよいよ陛下の車列が通過し始めました。
まず、警護要員が乗っていると思しき黒塗りのトヨタ・クラウンマジェスタが通過。


そして白バイ2台の先導で、本隊が近付いてきました。


そしてついに、陛下のお車がお通りになりました。
車種はトヨタ・センチュリー、フロントには天皇旗が掲げられ、ナンバープレートは菊の御紋という、特別車両です。
お写真の撮影は許されていましたが、この写真、あまりにどんぴしゃで撮れてしまいました。私はあくまでお出迎えが目的だったので、手を振りながら片手でタイミングを合わせて撮影したのですが、まさかこうも綺麗に撮れてしまうとは・・。
陛下は窓をお開けになり、沿道の人々に手を振り返してくださりながら、ゆっくりと通過されました。私も、最接近されたときは無意識にお辞儀しましたよ・・。
なにしろ、これほど間近(1車線分の距離!)に天皇陛下のお顔を拝する機会はありませんでしたから、感激してしまいました。


陛下のお車に続き、高橋はるみ北海道知事の車(トヨタ・セルシオ)が通過しました。


さらに随行員のバスが続きました。


2分ほどかけて、陛下の車列全てが通過しました。さすがに天皇陛下の車列は物凄い警護体制でした。


車列の最後尾が通過するのと同時に交通規制が解除され、一般車の通行が再開されました。

道内の報道によると、この後陛下は白老町などを訪問されたとのことです。明日、全てのご日程を終え、帰京される予定です。

何故かは分かりませんが、現代の若者の中では皇室の重要性を理解していない人が間々見受けられます。
日本史、世界史、国際政治の上で、如何に重要な位置を占めているか、教えられていないのでしょう。しかし冷静に考えて、奈良時代や平安時代の古典文学に出てくる人物と同じ王朝が現在も続いていること、現在世界で唯一公式にemperorを名乗ることを認められていることを踏まえれば、尊敬の念も自ずと出てくるはずです。
私も、いずれ園遊会にお招きいただけるような人物に成りたいと、今日は改めて心に誓いました。

札幌の空に飛行船現る!

2011年09月10日 13時53分31秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
昨日9月9日金曜日の午後2時頃、北海道大学北キャンパスの次世代ポストゲノム棟での実験データ整理を終え、理学部に戻ろうとした時のことです。ふと階段踊り場の窓から外を見ると、上空に何やら丸い物体が飛んでいる様子が見えました。


一瞬、UFOかとも思ったのですが、外に出てケータイのカメラのデジタルズームで拡大すると、どうやら飛行船のようでした。

・・って、飛行船!?
私もこれまで空飛ぶ物体は数々写真に撮ってきましたが、飛行船が飛んでる姿を拝んだことは殆どありません。その昔、20年くらい前にコニカの宣伝飛行船を託児所から見たのが最後の記憶ですかね・・。
(一時期東京で飛行船が定期遊覧飛行していましたが、撮ろうと思っている内に廃止になってしまいました・・)

ただでさえ珍しい飛行船の飛来、しかも私の住んでいる場所に来てくれているのですから、これはしっかり写真に収めなければ・・と思い、急いでカメラを取りに自宅へ戻りました。


自宅(3階)の窓を開けると、ちょうど真上を旋回中でした。


最接近したときに、真下から撮影。
おや、飛行船の側面に何か書かれていますね・・。


おお、これはメットライフアリコの宣伝飛行船、「スヌーピーJ号」ではないですか!札幌に来ていたんですね。
先日NHKの番組(「サラメシ」)で、この飛行船のパイロットのお弁当を取材していました。
LIGHT SHIP A-60+型という形式で、今現在、日本で活躍している唯一の飛行船です。激レアです。
全長は約40mで、旅客機で言えばボーイング737-800くらいの大きさですね。史上最大の飛行船であるヒンデンブルク号の全長245mには遥かに及びませんが、通常の旅客機とは違う、ゆったりとした動きが見ていて気持ち良いです。


何回か自宅上空を旋回した後、飛行船は西へ向かったので、自転車で追いかけて北大理学部まで来ました。
理学部本館と飛行船・・、良い組み合わせです。考えてみたら、理学部の本館はちょうど先述のヒンデンブルク号が活躍していた時代に竣工しているんですよね。


まだ研究室のコアタイム中だったので、飛行船追跡はこれくらいにして、研究室に戻りました。

調べてみたところ、この「スヌーピーJ号」、ちょうど昨日北海道に飛来したばかりで、今月18日まで札幌を中心に宣伝飛行するそうです。夜間の係留地は石狩湾新港だとか・・。しばらくの間、札幌上空を飛行船が飛んでいる様子を楽しめそうです。

大阪再開発、なう。(2011年夏休みの再開発風景)後半

2011年09月08日 06時00分43秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
大阪駅ツアーの続きです。


屋上の「和らぎの庭」と「風の広場」を見学した後、ガイドツアーは再び直通エスカレータに乗り、下層階に向かいました。


続いての見学スポットは、新生大阪駅の目玉の一つである、「時空(とき)の広場」でした。ここは高架ホーム上に架かる橋上駅舎の屋上部分に当たります。これほど広大な広場(面積3000平米)が大阪駅構内に出来るとは、再開発前には予想だにしませんでした。


以前の大阪駅は、駅ビルは南北に建っていたものの、改札や通路などの駅機能は全て高架下の地平レベルにありました。しかし、今回の再開発で、北ビルの建て替えと、橋上駅舎及びドーム屋根の建設が為され、大阪駅の南北が線路上空でも一体化したのです。


「時空の広場」の南側から北側を見上げてみると、視界の幅いっぱいにノースゲートビルディングが広がり、物凄い迫力です。また、上空には幅180m、奥行き100mの巨大な屋根が架かっており、この贅沢な空間の使い方は、ちょっと日本の駅とは思えません。


広場の電灯の柱から、何やら霧状のものが噴出していました。これは、ドライミスト装置といって、水の蒸発による気化熱吸収を応用した冷却装置です。近頃ヒートアイランド対策として、都市部で設置される例が増えています。


「時空の広場」のシンボルとして、広場の南北に金銀の大時計が設置されています。この金時計は、本物の金箔が貼られていて、文字盤の直径は160cmもあります。かなり遠くから視認できますから、待ち合わせ場所に便利です。


広場の端から下を眺めると、ホーム屋根の波板が剥がされている様子が見えました。ちょうど今波板が無くなっている部分が最終的に屋根を撤去する範囲で、残りの古い屋根の部分がガラス屋根に改修されます。


ガイドツアーは「時空の広場」を後にし、橋上改札口階を経由して、サウスゲートビルディングに進みました。


橋上改札口階の天井高は、ビル2階層分に相当する高さになっていて、これまでの高架下改札口と比べてとても開放的に感じられました。


ツアーはいよいよ大詰め、中央南口に面した南ゲート広場に下りてきました。


ここには水時計があります。上から落下する水滴で文字や絵を表示する時計で、春休みに初めて見て驚きましたが、何度見ても面白い機構です。季節によって表示される絵柄が変わるそうで、時刻表示の合間に花火や向日葵が表示されていました。


大阪駅南ゲート広場。
ガイドツアーはここで終了で、レシーバーと参加証を返却して解散となりました。ここまででちょうど1時間、普通に歩けば5分ほどの距離ですが、駅ビルをあちこち散策したので、結構歩き応えのあるツアーでした。
ガイドツアーは終わったのですが、実はこの時点では私の再開発巡りはまだ始まったばかりで、この後大阪駅を基点に周辺の再開発現場をさらに散策し、結局1日で17kmほども歩いたのでした。再開発ウォッチの趣味は、健脚でないと務まりませんですな・・。

琴似神社例祭の山車行列に、出遭ったー。

2011年09月04日 23時45分54秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今週末は全国的に雨でしたねぇ。
近畿では台風12号による大雨で大変なことになっているようですが、札幌でも秋雨前線の影響で今日の午前中まで雨が降り続き、結構な雨量となりました。
札幌の雨は昼には止み、山沿いを除いて晴れ間が広がりました。私は昼から手稲にサイクリングに出掛けましたが、手稲に滞在中に少し雨が降ったものの、往復ともに濡れることはありませんでした。

さて、そのサイクリングの途中で、面白い光景に出くわしました。

交差点で信号待ちしていたら、何やら太鼓を抱えた一団を載せた車が通り過ぎて行きました。
よーく見ると、「琴似神社」と書いた幟を掲げており、昨日から行われている琴似神社の例祭関係者のようでした。


続いて、神職らしき方達(正装した氏子さんかも・・)もトラックの荷台に載せられて通過・・。


さらに、トラクターに牽引されて山車まで走ってきました。
なかなか豪華な装飾の山車ですが、トラクターが引っ張るというのがいかにも北海道らしい。


山車は後ろから見ても凝った造りでした。
後で調べたところ、この行列は琴似神社を朝10時に出発し、夕方5時まで琴似の市街を巡行する山車行列とのことでした。偶然、面白いものを見られて良かったです。
私の住んでいるアパートの目の前にも神社があり、もうすぐ秋祭りの時期なので、今度見に行ってみようかな・・。


大阪再開発、なう。(2011年夏休みの再開発風景)前半

2011年09月03日 20時36分07秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
「なう。」と書きましたが、別に今現在大阪にいるわけではありません。
今回は、私の趣味の一つである大阪の再開発ウォッチについて、2011年夏現在の様子を紹介したいと思います。

今年5月、大阪駅の再開発プロジェクトである「大阪ステーションシティ」が全面開業を迎えたことは、以前の記事で紹介しました。
「大阪再開発!今の再開発現場」(2011年5月21日更新)


実は私、この夏休みに大阪ステーションシティのガイドツアーに参加してきました。
恐らく開業後しばらくの試みで、大阪駅の見どころを1時間ほどで歩いて回るツアーです。事前予約制で、午前と午後の2回、各15人定員で催されています。参加費は500円掛かりますが、駅内での定期ガイドツアーなんて他ではまずお目にかかれませんから、お金を払う価値はあると思います。
そんなわけで、このブログ記事ではガイドツアーのルートに沿う形で各々の見どころを紹介していこうと思います。


まず、ノースゲートビルディング3階のインフォメーションカウンターで参加受付をして、3階西側通路上の集合場所に集まりました。


受付時に、首からぶら下げる参加証と、ガイドさんの音声を受信できるレシーバーを渡されました。駅構内という様々な音が併存する環境下でのツアーですから、その対策というわけです。
ちなみに、この記事冒頭の駅構内の写真は集合場所付近から撮影しました。ドーム屋根の下、線路上に橋上駅舎が架かる様子がよく分かります。


ツアーでは最初に、ノースゲートビルディング2階中央の「アトリウム広場」を訪ねました。


これがノースゲートビルディングのほぼ全景ですが、アトリウム広場は中央の開口部に位置します。この広場を境にして、西側に「JR大阪三越伊勢丹」、東側に専門店街「ルクア」が入居しています。


たまたま、2003年当時のほぼ同じ場所(旧北ビル1階)の写真が手元にありました。
以前の大阪駅北口はこんな感じだったのですが、
↓↓

今ではこんな感じに大変身してしまいました。アトリウム広場は8層吹き抜けで、遥か上に天井があります。しかも、その天井を突き抜けてエスカレータが伸び、近未来的なデザインになっています。


アトリウム広場は2階にあるのですが、ではその下の1階はどうなってるかというと、高速バスターミナルになっています。ここは以前駅前の市道だったところで、市道を迂回ルートに切り替えた後、旧道を跨ぐ形でビルが建てられ、バスターミナルとして跡を利用しているというわけです。数分間隔で中長距離バスが発着していて、非常に賑わっています。


アトリウム広場から北側の開口部を望むと、目の前に巨大なビルを建設している様子が飛びこんできます。
これは梅田北ヤード再開発地区「うめきた」の先行開発プロジェクトである「グランフロント大阪」のAブロック建設現場です。「グランフロント大阪」は2013年春の完成を目指しており、オフィスビル2棟、ホテル棟・住居棟各1棟の計4棟の超高層ビルを同時に建設しています。完成後は、これらのビルは大阪駅アトリウム広場と歩行者デッキで繋がる予定です。


また、アトリウム広場とグランフロント大阪の間には三角形の土地が残されており、ここは北口の駅前広場となります。ちょうど先日工事が本格的に始まったようで、安藤忠雄氏監修の下、池のある1万平米の広場が建設中です。


続いて、ガイドツアーではエスカレータを乗り継いで10階「和らぎの庭」に向かいました。
先ほどのアトリウム広場の写真に写っていた、天井に吸いこまれるエスカレータは、7階から10階までを直接結んでおり、屋上への最短ルートとなっています。


10階「和らぎの庭」。ノースゲートビルディングの10階はレストラン街になっており、その北側のテラスが和風テイストの広場として開放されています。桜や松、楓が植えられていて、駅に居ながらにして四季の移ろいを感じられる空間です。


さらに、ツアーでは屋外のエスカレータで11階に上がりました。ここは「風の広場」です。その名の通り、風で動くオブジェによって風を感じられるようになっています。
写真の奥に見えている巨大なY字型の柱は、ノースゲートビルディングの低層部と超高層部を連結する部分です。この柱の上に、さらに100mほどのオフィスフロアが乗っかっています。ちなみに、そのオフィスフロアには伊藤忠の本社が入居しています。


風の広場からは、グランフロント大阪のタワークレーンがよく見え、なかなか面白い風景だと思いました。


さて、11階「風の広場」には、低層部最上階にある「天空の農園」への入口があります。「天空の農園」へは長い階段でしか上り下りできないため、ガイドツアーのコースには含まれていませんでしたが、ツアー終了後に改めて行ってみた様子を紹介しておきます。


これが天空の農園への道程です。ひたすら階段が続き、ちょっとしたハイキングコースですね。


階段を登り切ると、まさに都会のオアシスが出迎えてくれます。ブドウ棚や小規模な菜園が設けられており、駅の屋上で農業体験が出来るのです。


菜園では、なんと立派なスイカが育っていました。これは驚き!


スイカとタワークレーンの共存する光景。都会のど真ん中にこんな豊かな空間が出来るのは良いことですね。地上68mの農園、実に面白い取り組みだと思いました。

(後半へ続く)

講座旅行(洞爺湖)2011

2011年09月02日 01時08分30秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
ご無沙汰しております。
近頃夏バテなのか、微妙に体調の悪い日が続いています。なんか本調子じゃないんですよねぇ。先週帰省から戻ったばかりですが、もうしばらくどこかで羽を伸ばしたい気分だったりします・・。
とは言っても、既に後期の研究生活は始まっています。重要な実験も進行中ですし、適度に休みつつエンジン回転数を上げていくしかないですね。

さて、今回は先週帰省から戻った直後に行われた我が研究室(正確には2つの研究室から成る共同講座)の慰安旅行の様子を紹介したいと思います。
基本的に、我が研究室の旅行先は宴会が可能な札幌近辺の温泉地に決まっており、ほぼ定山渓・登別・洞爺湖のローテーションとなっています。そんなわけで、今年は洞爺湖温泉に行ってきました。


8月25日の午前、貸切バスで雨模様の北大理学部前を出発、中山峠経由で2時間強で洞爺湖温泉に到着しました。


昼ご飯にラーメンを食べた後、研究室のメンバーで洞爺湖のスワンボートに乗りました。


私が乗ったのはこの4人乗り人力式スワンボート。各席にペダルが設置されていて、4人同時に漕ぐことができます。全てのペダルはリンクしているので、一度一人が足を滑らせると物凄い勢いで回るペダルに足をぶつけられて痛かったりもします。
同僚と後輩と4人組で乗り込んで、食後だというのに、遥か沖合を目指して一生懸命漕いでしまいました。


最近は、エンジン付きスワンボートなどというものがあるそうで、他のメンバーが乗り込んで湖面を疾走していきました。


ところが、何故かそのエンジン付きスワンボート、沖合でエンストしてしまい、漂流するはめに・・。船着き場のおじちゃんが別のスワンボートに乗り込んで救出に向かい、事なきを得ました。(どうやらガス欠だったようです。)


ところで、洞爺湖には貸しボート屋が複数あり、それぞれ微妙に料金設定が違ったりしていて興味深いのですが、ある貸しボート屋の看板は、色々と時代を感じさせる作りでした・・。湖上の異邦人って・・。


さて、ホテルに戻った後は自由時間で、研究室のメンバー各々、テニスコートで教授の雄姿を拝んだり(写真はプライバシー保護のため、あえて広角端にしています)、


プールで戯れたりして過ごしていました。(写真はプライバシー保護のため、あえて逆光にしています)


夜7時からは夕食兼宴会で、結構ボリュームたっぷりのご飯とお酒でお腹いっぱいになりました。


夜8時45分からは洞爺湖ロングラン花火大会(夏季期間中毎晩行われる)を観賞。


この花火、打ち上げ玉数は少ないものの、船で湖の西から東へ横断しながら打ち上げるため、湖畔からよく見えて、なかなか楽しめました。


花火観賞後、宴会の2次会を経て就寝・・・、の前にちょびっと星空を見に行ったのですが、残念ながら曇天で殆ど見えませんでした・・。
その後、温泉に浸かってゆったりした後、午前1時過ぎに床につきました。


翌朝は6時半に起床、朝の散歩に、2000年の有珠山噴火時の火口見物に行ってきました。


洞爺湖温泉は、上空から見ると有珠山と洞爺湖に挟まれた非常に狭い平地に立地しています。この辺りは非常に火山活動が活発で、この100年間に4回も大規模な噴火を起こしています。そもそも洞爺湖温泉自体も1910年の噴火によってマグマが地表近くまで上昇し、熱水が噴き出るようになったことで誕生した新しい温泉なのです。
記憶に新しい2000年の噴火では、温泉の至近に火口が現れ、大量の熱泥流や火山灰が温泉街を襲いました。


これは新生した火口の近所に建っている公営住宅跡です。こちらから見ると大して被害を受けてないように見えますが・・、


火口側に回ると、噴火の衝撃波で多くの窓が破れ、1階部分は泥流で完全に埋没、さらに近所の国道から流されてきた橋桁がぶつかった痕跡が生々しく残っています。もちろん、現在は廃墟になっており、散策道の見学スポットに指定されています。


珠ちゃん火口。
2000年の噴火で新生された火口の一つです。写真だと縮尺が分かりにくいのですが、直径120mほどのクレーターになっています。洞爺湖温泉の市街から僅か500mほどの位置にあります。


有くん火口。
こちらも2000年の噴火で出来た火口で、直径200m以上と、さらに巨大なクレーターです。既に噴火活動は収まっていて、エメラルドグリーンの火口湖が形成されています。
幸い、2000年の噴火は市街地の至近で起きたにも関わらず、噴火前に住民の避難が完了していたこと、事前に対策が行われていたことから、被害は最小限でくい止められました。僅か10年前に噴火した場所も、植生が戻ってきて、平穏を取り戻しつつあるように見えます。

ちなみに、火口までの登山は浴衣姿で行ったので、たいそう歩きにくかったです。


朝食時間は午前9時までだったのですが、なんとか午前8時50分にホテルに帰還、急いでご飯をかき込みました。その後、かなり汗をかいていたので、大浴場で朝風呂を堪能し(教授と一緒になった)、10時にチェックアウトしてバスで札幌に帰着しました。
実は、ちょうど洞爺湖から帰っている最中に札幌をゲリラ豪雨が襲ったそうで、市内のあちこちで冠水していて驚きました。そういえば、途中の中山峠付近から非常に発達した積乱雲が見えていましたっけ。

1泊2日、実際には24時間強の旅行でしたが、温泉にも2回入ったし、結構色々活動できたので楽しかったですね。来年、再来年はどこに行くのかなぁ・・。