うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

写真の本焼きをしました。

2005年09月29日 23時25分32秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日に続いて、今日も一日暗室作業でした。
本焼きも、基本は昨日のプリントと同じ要領でするのですが、大きさが違う(昨日はキャビネサイズでしたが、今日は全紙サイズ(60×40cmくらい)だったので、光を当てる時間もプリント液に漬ける時間も長く、根気のいる作業でした。
大体1つの作品に1時間半ほどの時間がかかるのが普通だそうで、今日は4枚の作品に5時間かかりましたから、これでも少し早いくらいだったようです。
それにしても、全紙サイズでは作品を印画紙に感光させるのに180秒~550秒もかかるので、待っているだけでも結構疲れます。また、今回の作品の中には「覆い焼き」という技術(一つの写真の中で、違った明るさの部分をつくりたい時に、感光させたくない部分を紙や手で覆って感光させる技術)を使った写真があったのですが、この作品では、飛行機の部分を明るめに、雲の部分を暗めにプリントするため、感光時間をそれぞれ150秒と500秒に設定しました。この時間差の350秒間の間は、飛行機の部分を手で隠さなければなりませんでした。紙のサイズが大きいので、普通に手を置いただけでは隠したい部分を隠しきれません。なので、手を射光器のライトに近づけて影を大きくしないといけなかったのですが、350秒といえば5分50秒です。その間ずっと手を空中に止めていなければならず、175秒ずつ先輩と交代して行なったのですが、腕が攣(ツ)りそうになりました。この覆い焼きは、失敗すると、覆った部分とそうでない部分の間にオーロラのような変な境目ができてしまうのですが、作品をプリントして確かめてみたところ、ちゃんと成功していて、思い通りの露出になっていました。
今後は、この出来上がった写真をパネルにする作業が残っています。この作業では、角材やベニヤ板を切り出すので、かなりの労力がいるそうで、作品の完成にはもう少し時間がかかります。

ドキドキの一日

2005年09月28日 23時24分04秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は一日かけて、写真の現像・プリントを行ないました。
まず、午前9時から現像を始めました。詳しい方法は割愛しますが、かなり手間のかかる作業で、しかも少し手先が狂っただけで、いくつものフィルムのコマが使えなくなってしまうので、かなり緊張しました。結果は、32枚撮ったうちの24枚程度はまともに使える状態にできあがりました。
そして、昼からはプリントです。いわゆる「焼き」です。実際には、射光器で光を当てて印画紙を感光させるのですが、ここでも細かい作業が必要で、試し刷りで適当な露光時間を確認したり、ちょっとでも暗室に光が入ると写真にならないので、作業中はケータイのメールも確認できません。もっとも、キャビネサイズ程度なら、5秒~9秒程度の露光で感光できるので、プリントは意外にすぐできます。ただ、1秒露光時間が違うと写真の出来が全く違ってくるので、ここでも細かなテクニックが必要です。このプリントの際に写真の明暗やエッジの出方なども調整でき、失敗してしまった作品でも、トリミングすれば使えたり、手作業なだけに臨機応変な対応ができるのが面白い作業でした。
できあがった写真を見ていると、自分の手で撮って、現像して、プリントするという一連の作業で写真を作っていく楽しさと面白さがこみ上げてきました。やはりデジカメで撮って、パソコンに保存するだけとはわけが違います。単純に写真を撮るだけなら、デジカメでも十分だと思うのですが、白黒作品は、まさに「芸術」ですね。一連の作業をすべて含めて「写真」という作品が出来上がるのを見ていると、写真と絵画が芸術史の中で深いかかわりを持ってきたのも納得できました。
明日はいよいよ展覧会に出展する作品の本焼きです。
ところで、今日の夜は、初めて原付で車道に出ました。しかもしょっぱなから沖縄随一の幹線道路、国道58号線を走ってしまいました。詳細は、コラム参照です。(後ほどアップします)

原付初運転

2005年09月28日 23時11分08秒 | うちなー日記(沖縄編)
夜7時、暗室作業を終え、自室に戻った直後、メールが鳴りました。写真部の同学年の友達からです。今日沖縄に戻ったので、どこかに食べに行こうという内容でした。(彼は自分のバイクを持っています)食べに行きたいのは山々ですが、アシが無いので、近場にしようと返信すると、「友達からバイク借りるから・・・」との返事。免許は持ってるけど、ちょっとそれはまずいんのでは・・・と思いましたが、用意の良い彼は、すぐに鍵を借りてきてしまいました。
とりあえず、慣れるために大学構内のループ道路を一周してみます。この道路、意外にアップダウンがきつく、カーブもところどころで急になっているため、結構運転は大変です。制限20キロをあっという間に超えてしまいました。自転車でも出そうと思えば出せる速度ですが、夜間ということもあり、かなりひやひやしました。
さて、練習走行も終わり、どこへ行こうかという段になり、彼は「じゃあ北谷に行こう」と言い出しました。「えっ!北谷まで行くの?」思わず叫びました。琉球大学から沖縄随一の若者の町、北谷へは、坂を下り、国道330号線を横切り、さらに急坂を下り、大謝名交差点から沖縄の基幹道路、国道58号線を10kmも走らなければなりません。国道58号といえば、線形が良いので、普通車が100km近くの速度で走る道です。初心者には危険すぎるのでは・・・との心配の声も空しく、北口から構外へ出ました。友達は、明らかに制限速度をオーバーして走っています。「イヤイヤイヤ」と突っ込みながら、涙を出しながらも、なんとか大謝名交差点まで来ました。ここからはいよいよ国道58号線です。信号が青になり、いざ進行!出来る限り速度を維持したまま、北谷まで走りつづけました。
なんとか北谷にたどりつき、北谷食堂で夕飯を食べました。とても美味でした。
その後、せっかく北谷まで来たのだから、シンボルの観覧車を見ようということになり、「じゃあ、ジャスコの屋上くらいから綺麗に見えるんじゃないかな?」という私の意見で、一路ジャスコ北谷店に向かいました。着くと、幸いまだ屋上駐車場は開いている様子。スロープを登り、駐車場に進入します。観覧車の見えるスポットを探しながら、場内を周回していると、警棒を持った警備員が2人で向かって来るではないですか・・・!!どうやら暴走族かヤンキーに間違われているようです。(沖縄は今でも暴走族が流行っています)時計を見ると、すでに時間は11時をまわっています。まともな時間ではないな・・と思い、その場はひとまず退散し、地上に下りました。すると、店の前でも警察が車で警戒していて、どうやら今日は取り締まりの日だったらしいと分かりました。こんなところで捕まっては、色々と面倒なので、運動競技場前まで撤退しました。そこで、観覧車の写真を撮り、そろそろ帰ろうということになり、再び国道58号線にのります。時折、改造原付と思しきバイクがものすごいスピードで追い抜いていきますが、それ以外は車も少なく、意外に順調なツーリングでした。大謝名からの坂を登り、見慣れた長田の交差点から琉球大学に向かったのですが、自転車では心臓が破れるほどキツイ坂なのに、バイクではいとも簡単に登ってしまいました。「これは凄い・・・!」と感動しきりです。
こうして、なんとか無事に大学に戻ってきました。夢のような一夜のツーリングでしたが、これで、ますますバイクが買いたくなりました。
後日談:ある日、構内の交差点で信号待ちしていると、目の前で原付が凄い勢いでこけました。車体と乗っていた人は、回転しながら結構な距離を滑っていきました。歩道の縁石でようやく止まり、大丈夫かと思いましたが、運転手はそのまま車体を起こして、何事もなかったかのように走り去りました。けして、その原付は速度を出していたわけでもなく、カーブもそれほどきつくなかったのですが、それでもあんなにスリップしたことにかなり恐怖を抱きました。あれくらいで済んだのは、運転手が長ズボンに長袖だったからだと思います。私も、原付を運転する時は、安全な服装で運転しようと思いました。(この前は、Tシャツに短パンという恐ろしい服装だった・・ しかも急ブレーキ、急ハンドルの連続だったし、よく無事に帰って来れたものだ・・・)


平和ですねえ・・・

2005年09月26日 23時23分04秒 | うちなー日記(沖縄編)
久しぶりに沖縄に帰ってきたものの、よく考えれば、自転車は盗まれたままだし、大学構内の売店などは夏休みでほとんど営業していないしで、生活ができません・・・!ご飯が食べたい・・・「カムバッーク、自転車!」と叫んでみたところで、どうしようもないので、そろそろ原付を買おうと思っている今日この頃です。
ということで、昨日は那覇空港での写真撮影もかねて那覇にバイク探しに行ってきました。インターネットの中古車情報で見つけた2万9千円のスズキレッツⅡを見に行ったのですが、シートが破れていたり、かなり修理が必要で、初心者には売れないとのこと・・・orz まともなものを買うのなら、5万円は必要だそうで、ただ今の私の予算、3万円では到底無理!そ、そんな・・・肩を落としながらゆいレールの最寄り駅まで歩いて帰りました。本当なら今頃バイクでツーリングしているはずなのに・・・
というわけで、いまだ大学の寮から外へ出る手段はバスに頼っています。せめて自転車があれば、マクドナルドやら吉野屋やらほっかほか亭やらに行けるのですが・・・。歩いて行けない距離ではありませんが、正直面倒臭いです。市街地から最短で1km離れて(しかも坂道)いますが、今更ながらその遠さを実感している今日この頃です。
さて、話は変わりますが、先日申請していた入試成績の開示が、今日実家に届いたそうです。それによると、センター試験の成績は予想よりも悪かったようですが、二次試験(後期)の得点が、200点満点中184点で、センターとの合計でもAランクだったそうで、かなり驚きました。(てっきり尻尾のほうで合格したと思っていたので・・・)ちょっと自信がつきました。
写真は昨日那覇空港で撮影した夕景です。写真展に出そうかと思いましたが、ガラス二枚越しに撮ったため、「アイス」の看板が写りこんでしまい(よく見たら分かります)、却下になった代物です。画としては最高なのですが・・・orz

沖縄に戻りました。

2005年09月22日 23時18分02秒 | うちなー日記(沖縄編)
ほぼ1ヶ月ぶりに沖縄に戻ってきました。
今朝は4時半に起床。それ以上眠れそうになかったので、眠い目をこすりながら甲板に出ました。既に船は奄美大島の島影の穏やかな海域に入っているので、揺れは全くありません。周囲を見渡すと、左手に奄美大島の大きな島影が横たわり、空には無数の星が輝いていて、滑らかな水面に月明かりとともにはね返り、まるで歌に出てくるような幻想的な光景でした。
午前5時、奄美大島名瀬港に入港。まだ夜は明けず、下船客も眠た気な方が多い様子でした。午前6時前、名瀬港を出航した船は、朝焼けに輝く海を背に、奄美海域を順調に南下、徳之島、沖永良部島、与論島に寄港し、沖縄本島に至りました。南下するにつれて、空の色が深くなり、日差しが強くなるのが分かりました。飛行機ではあっというまに通り過ぎるところですが、こうやって船で航海していると、距離感や気候の変化がよくわかります。途中、昨日発生した台風の影響か、うねりが意外に高く、縦揺れが感じられましたが、この前と違って、歩けないほどではなかったので、船内を散策したり、木甲板で海を眺めたり、寄港中はレストランで食事をしたり(レストランは寄港中にしか開かない)と結構、船旅を楽しめました。
午後4時頃、沖縄本島最北端の辺戸岬沖を通過、いよいよ沖縄県に入りました。島影に入ったので、うねりも無くなり、とりあえずホッと一息です。ヤンバル、本部半島、伊江島、瀬底島を望みながら、船は最後の寄港地、本部港に入港。これまで寄港した港と明らかに違うのは、周辺に建っている民家の形です。徳之島までは瓦屋根の家が多かったのですが、沖永良部あたりから徐々にコンクリートの建物が増えてきて、この本部港では全てコンクリートになりました。やはり沖縄です。甲板で荷役作業を見ていると、作業員の肌もかなり日に焼けています。もう夕暮れ時だというのに、まだ暑い日差しが照りつけていました。
本部港を出航すると、見覚えのある風景が船窓に広がりました。ダイビングの実習をした真栄田岬、大獅子のある残波岬、嘉手納基地、北谷の観覧車、普天間基地とその上に見える琉球大学の灯り、大謝名の車の流れ、浦添~那覇の明々とした夜景・・そうこうしているうちに、船は那覇港に入り、間もなく本港の岸壁に着岸しました。
長いタラップを降りて、久しぶりの沖縄に上陸したのですが、なかなか実感が湧きません。25時間半の船旅でしたが、意外に時間が過ぎるのは早く、案外鹿児島と沖縄って近いのではないかと思いました。(実際の距離は約700km)
さて、バスで琉球大学の寮に帰ってくると、私の部屋は1ヶ月前のまま、洗濯物や本などで散らかっていました。そして、空気がこもってかなりムサくなっていたので、すぐに除湿機を入れたのはいうまでもありません。(-。-)

再び船上の人に・・

2005年09月21日 23時16分39秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は色々と内容の濃い日でした。
今朝は8時半に起床。シャワーを浴びて、午前10時にホテルをチェックアウトし、宮崎駅に向かいました。昨日撮れなかった、寝台特急「彗星」を撮るためです。ホームに上がると、私と同じような服装の男の人がいました。明らかに鉄道マニアです。話せば(こういう方はフレンドリーな人が多い)、兵庫県在住だそうで、わざわざこの列車を撮るために宮崎まで来たそうな・・。「会社の同僚からは止められたんですけどね・・、こういうのは撮り逃したらずっと後悔しますから・・」とのこと。私のようなにわか鉄ちゃんとは気合が違います。ちなみに寝台特急「彗星」は、宮崎が終点ではなく、隣の南宮崎(操車場がある)まで運行されます。で、この方は宮崎から南宮崎まで乗車されるそうで、「一駅だけの贅沢」を味わうとのことでした。
そうこうしているうちに、彗星がホームに入ってきました。写真もなかなかよく撮れ、満足な気分で出発を見送りました。
その後、沖縄行きのフェリーの出る、鹿児島への高速バスに乗るためにバスセンターまで行くと、次のバスは13時4分だそうで、かなり時間があります。当初の予定では、鹿児島空港を見学するはずでしたが、これでは18時発のフェリーに間に合うか微妙です。(鹿児島空港は郊外にあるため、鹿児島市内から1時間近くかかる)
「まあ、なんとかなるか・・」と思い、ひとまず空き時間を使って、電車で3駅の宮崎空港に行ってみることにしました。列車で空港に着くと、旅客ターミナルビルの前には椰子が植えられていて、南国の趣。とりあえずお昼時なので、昼ごはんを食べることにしました。3階のグルメコーナーに行くと、宮崎名物「冷汁」の店がありました。早速中に入り、注文すると、5分ほどで出てきました。「冷汁」は、ちりめんだしの汁に、ゴマ、豆腐やネギなどを入れ、かきまぜたものをご飯にかけて食べるものです。これがなかなか美味しくて、初めてでしたが大満足でした。
展望デッキに上ると、ちょうど離着陸に出会い、ここでも良い写真が撮れました。
宮崎空港からの帰りは、特急「にちりん」に乗車しました。空港から宮崎駅までの間は、運賃のみで乗車できるのです。途中の南宮崎で、今朝撮った寝台特急「彗星」が停車していたので、一度下車してベストポジションからの写真を撮りました。2分ほどかかったので、特急電車は出発してしまっているだろうと思ったのですが、意外にもまだホームに停車していて、再び乗り込むことができました。(実はこの特急に間に合わなければ、鹿児島への高速バスに間に合わないところだった)
宮崎駅に着いたのは、13時ちょうど。バスの出発時間まで4分しかありません。駅からバスセンターまでも、少々歩かないといけないので、けっこう冷や冷やしましたが、これまたぎりぎりで間に合いました。鹿児島への道では、霧島連山が左に見え、放牧を行なっていたり、北海道に似た雰囲気でした。途中、鹿児島空港で一旦下車して写真を撮った後、空港リムジンで鹿児島中央駅前に到着。フェリーの出航までまだ時間があるので、駅前のダイエーで鹿児島土産を買いました。その後、路面電車の写真を撮ったりしていると、よい時間になったので、タクシーで港へ・・・。このタクシーの運転手さんがよくしゃべる方で、デジカメの話や大学時代の日本一周(1970年にホンダの360ccの軽四で行ったらしい)の話をされていました。ちなみに奄美諸島以南へは行ったことはないそうで、しきりに「沖縄へ行ってみたいねえ・・」と言っていました。
鹿児島新港へ着くと、窓口でチェックインして、早速マルエーフェリー「フェリーあかつき」の船内へ。来たときの船よりも1500トンほど大きく、全長も5mほど長いので、船内はかなり余裕のあるつくりです。この船の特長は、木甲板を備えていることで、ちょっと豪華な船旅を体験できます。
18時に鹿児島を出航、桜島を左に見ながら、錦江湾を南下しているのが、現在の状況です。明日はいよいよ沖縄に戻ります。

宮崎にて

2005年09月20日 23時14分49秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は宮崎県に住む、寮の先輩に会いにいきました。
今朝、7時前に宮崎交通バスセンターに到着。最寄り駅の南宮崎駅に行き、JR宮崎空港線で隣の宮崎駅に出ました。ひとまずコインロッカーに重い荷物を預け(それでもかなりの重さの手荷物だった)、駅周辺を散策。どうやら駅は繁華街には位置しておらず、少々さびしい印象でした。
午前8時43分の日豊本線の快速で都農へ。電車は窓も大きく、革張りのシートで、普通車両とは思えない高級さでした(帰路の電車も、昔の特急のシートを使用していてリクライニングまでできる代物だった)。
都農に着くと、駅前にはコンビニ?らしきものがあるだけ・・他は住宅が点在しているくらいで、以前に訪ねた、北海道の名寄駅の辺りを思い出しました。(先輩、スミマセン;)
そこで先輩と合流。先輩の運転で、以前から訪ねようと約束していた、高千穂に向かいました。
高千穂へ向かう国道自体は大丈夫でしたが、道路沿いの谷や峰峰を眺めていると、ところどころで先日の台風14号による崖崩れの後が生々しく残っていて、かなり痛痛しかったです。
途中、青雲橋(国道にかかる橋では東洋一のアーチ橋だそうです)や天翔大橋(日本一のアーチ橋だそうです:こちらの方が規模は大きいです)を見物して、昼過ぎに高千穂に到着。想像していたよりも開けていて、大型電気店や24時間営業のファミレスまであり、驚きました。
ただ、高千穂峡の域内に入ると、やはり神々しい雰囲気が漂い始め、国造り神話の地に相応しい景観が広がりました。駐車場に車を止め、早速ボート乗り場へ。私の操舵で、先輩と渓谷の奥の方へと進んでいくと、橋をくぐったあたりで大きな滝があり、避けようとしたのですが、かなり近くまで寄ってしまいました。おかげで服はびしょ濡れ。それはそれで楽しかったですが・・。f^^;他の船にぶつかりながらもなんとかボートで行ける最奥のポイントに着きました。碧の水面の左右に柱状節理の岩岩が連なり、頭上には深い緑が生い茂る様は浮世離れした景観で、先輩曰く、「RPGゲームに出てきそうだね」とのことでした。私にとってはかなり以前から、一度は来て見たかった場所だったので、感動も一入(ひとしお)でした。
その後、遊歩道(こちらも台風によって橋が流され、かなりの被害が出ていた)を散策し、高千穂高原をドライブしながら都農まで戻ったわけですが、先輩と別れた後、電車で宮崎に戻ろうとすると、駅のホームは地元の中学生やら高校生やらで溢れかえっていて(これがまたマナーが悪い・・(*ー*))、ベンチに座って電車の到着を待っていると、彼らに囲まれてえらい目(集団で隣に座られたり、写メール撮られたり・・お前らアホか・・!?)にあいました。よほどぶち切れそうになりましたが、なんとか耐えて、5分遅れ(この遅れがとても長く感じた)で着いた電車に乗り込みました。(もちろん別の車両に)やはり休日以外の日の旅行は障害が多いことを改めて思い知らされました。
ところで、途中の駅で寝台特急の「彗星」とすれ違いましたが、後から考えると、「彗星」は今月で運行が終わってしまうのです。写真が撮れなかったのがとても残念・・・!
宮崎到着後、観光案内所で紹介してもらった最安の駅前ビジネスホテル(宮崎オリエンタルホテル)にチェックインしました。今はそこの一室です。
さて、実は今日の宮崎観光で、私の日本の都道府県踏破記録は46都道府県となり、残るはお隣の大分県のみとなりました。こちらは来年にでも観光しようと思っています。


ただ今夜行バスの中です。

2005年09月19日 22時43分54秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日は、新幹線を使って鳥栖の親戚(おばさん)宅を訪問、大宰府のおじいちゃんやおじさんとも会い、従兄弟のお古の服を頂いて(気に入ったので、早速着ています)、そのままそこで泊まりました。
そして本日、朝から熊本の親戚を訪ね、午後は再び福岡市に戻り、福岡空港でしばし飛行機を眺め、ここまで一緒に行動していた母と弟は今日の新幹線で実家に帰るため、ここでお別れ。また半年ほど顔を見れないと思うと少し胸がキュンとしました。
その後、一人で飛行機の撮影ポイント(空港から15分くらい)へ行き、2時間ほど撮影した(なかなか良い写真が撮れました)後、地下鉄で博多に出ました。交通センターで宮崎行きの夜行バスの切符を買い(残り3席でした)ました。2時間ほどあったので、ファーストキッチンで夕食(月見キーマカレーパスタ)を食べ、服を買いに天神へ・・・。ところが時間が遅すぎて、どこのデパートも閉店・・orz(そりゃ夜の10時過ぎにはしまってますよね・・)ジャスコの感覚でいたら失敗してしまいました。服は明日宮崎ででも買いましょうか・・・。
そして現在は博多交通センター22時54分発の夜行バスの中です。そろそろ消灯なので、ここらへんでやめておきます。
写真は、上記の撮影ポイントから撮った、福岡市内の町並みを背に離陸する、大韓航空A330-300です。もっと良い写真もありますが、それはいずれ乗り物ギャラリーで紹介します。(゜▽゜)


いよいよ実家を離れます。(午前5時55分)

2005年09月18日 20時42分27秒 | うちなー日記(沖縄編)
先月の24日に実家に帰ってきて以来、想定外に滞在が延びに延び、10日程度の滞在予定が、結局25日目にしてとうとう実家を離れる時がやってまいりました。唐突に始まったこのサイトの「実家編」でしたが、それも今日で終わり。今日は新幹線で一路、九州を目指します。しかし一ヶ月近くもこちらにいたとは・・・。あれ、お袋様の手料理って食べたっけ?なんか卵焼きと和え物くらいしか食べてないような気がするんですけど・・・。他はカップラーメンか外食だったしな・・。今度帰省する時はもうちょっとちゃんとした家庭料理を食べたいものですな・・


SHARP

2005年09月18日 03時17分28秒 | うちなー日記(沖縄編)
私が最も好きな電気メーカーはシャープです。というよりも、物心ついたときには、家にある電化製品はほとんどシャープ製でした。テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、電卓、ラジカセ・・(なぜかビデオはソニーのベータだった)・・・。これは我が家の知り合いの電気屋さんがシャープの専門店だったからです。最近でこそ、電化製品は分野ごとに最も良いメーカーのものを選んで買っていますが、今でも、寮にあるサイクロン掃除機と炊飯器、MDプレイヤーはシャープ製です。電気屋の店頭に立つと、ついつい「シャープなら間違いないか・・」と思ってしまうのです。
私がシャープフェチなのは、やはり実家の町にシャープの工場がある影響が強いと思います。この工場、今から36年前、大阪万博の前年にできたのですが、この時期は、前身の早川電機からシャープへの社名変更が行なわれ、電気メーカーとして、大きく飛躍しようとしていた頃でした。当時、他の電気メーカーが次々と万博へのパビリオン出展を決めていたところ、シャープはパビリオン出展の代わりに研究センターと工場を併設した総合開発センター建設を決定し、その建設地を、開通したばかりの名阪国道、西名阪自動車道の脇の丘陵地(奈良県天理市)としました。万博の開催地が大阪の千里だったため、この決定は「千里から天理へ」と呼ばれ、世間から注目されました。
同じ頃、開発が進んでいたのが、現在のシャープの主力製品である液晶でした。この液晶の開発も、ここの研究センターで行なわれ(この模様はプロジェクトXでも放送された)、世界初の実用化に成功しました。その後も、液晶のカラー化、壁掛けテレビの実用化、IC・LSI(LSIの量産もここが最初だった)の研究、生産が行われ、現在のシャープの成功の礎を築いた地が天理だったのです、。液晶テレビ「アクオス」の液晶パネルも最初は天理工場で量産が開始されました。最近では、三重県の亀山工場がクローズアップされるようになりましたが、今でも先端的な液晶やLSI、その他の分野の研究が日夜行われています。新聞を読んでいると、時折シャープの新製品の紹介記事に「・・・天理工場で完成した」と書かれていることがあります。また、シャープの展示ホールもこの総合開発センター内にあり、一週間前までに予約しておけば誰でも見学することができます。ここでは、最新型アクオスを使ったホームシアターの体験や、これまでのシャープの歴史、開発した製品(社名の由来となった、シャープペンシル(早川式繰り出し鉛筆)もある)が紹介されています。
そんなシャープですが近年は、液晶分野においては国内他社が、苦戦している中、独自技術とコスト削減で、一人勝ち、世界一の実績を誇り、太陽電池(奈良県葛城工場で生産)も家庭用では世界一のシェアで、他にも携帯電話やオーディオ(1ビットデジタルアンプ)、ビデオカメラ、パソコン、PDAなどで好調な売り上げを続け、大手電気メーカーではトップの利益率を誇ります。また、実はデジカメのCCD(受像装置)も作っています。自社ブランドでこそデジカメを販売していませんが、ケータイにいち早くカメラ機能をつけたのがシャープ製ケータイだったのはこういうわけだったのです。
そんなシャープですが、現在の私の夢は、大型の液晶アクオスを手に入れることです。もちろん学生の身ですので、そうそう簡単には買えませんが、バイトなどで、コツコツ貯金して手に入れようと思います。(`・ω・´)

原付免許の試験顛末記

2005年09月16日 20時09分09秒 | うちなー日記(沖縄編)
午前8時12分起床。今日は原付免許の試験を受けに行く予定だったことを思い出し、パニくりました。試験開始時刻は10時でした。(当初の予定では、6時半には起きて参考書で勉強するつもりでした)
今日を逃せば、もう受験する機会が無い(日曜日には実家を出発する予定だったので)ので、電車に飛び乗りました。実家の町から免許センターのある、橿原市の新ノ口駅まではおよそ20分強。その間、参考書を読もうと思ったのですが、しばらく細かい字を読んでいると、途中の駅の駅名板が読めなくなっていて、これでは視力検査に落ちるかもしれないので、そこからは外の風景を眺めていました。
新ノ口駅に到着。この駅は、関西初の「トイザラス」の最寄り駅であったため、幼少時から一人でよく来ていましたが、いつのまにか整備されていて、地下に改札が移っていました。(でも駅周辺は昔のままの町並み)駅前からセンターまで歩いていると、以前来たときには気づかなかった、証明写真屋や学科試験の対策塾などが道沿いに並んでいて、さながら「免許城下町」のようでした。
奈良県免許センターに到着。早速申請書を受け取り、項目に記入し、住民票と一緒に窓口に提出しました。すると、受験番号を告げられます。私の番号は、「13番」・・・(((;゜д゜)))ガクガクブルブル
その後は適性検査です。視力検査、聴力検査、運動能力検査などがありますが、実際に検査するのは視力検査のみ。しかもこれも結構いい加減で、最初に両目で0.5の段を見た後は、片目で0.1のところを見るだけ。よって、検査結果は全員「両目0.5、右目0.1、左目0.1」となってしまいます。
検査が終わって、待合室に出ると、知っている顔が並んでいるではないですか、中学時代の同級生が3人も来ていました。(高校も同じでしたが、コースが違っていたため、ほとんど顔を合わすことはなかった)、「奇遇だね。」と話していると、どうやら女の子2人のほうは複数回受験に来ている様子。しかも参考書(塾でもらったようだ)を熟読しています。残る男の子も、今朝6時から塾で勉強してきたそうで、かなり自信ありげ・・・。対して私は、それほど勉強していないので、この時点では受かるとは到底思えませんでした。とりあえず、私も参考書で項目を再確認しておきます。
しばらくすると、学科試験の開始時刻が迫り、受験番号順に整列させられた後、試験場へ。今日の受験者は30人ほどです。
試験場は、普通の学校の教室と同じ造りで、各自着席すると、早速試験の説明が行なわれ、試験問題と解答用紙が配られました。(両方とも後で回収される)
さあ、試験開始です。私にとっては久しぶりのマーク試験。センター試験以来です。(ダイビングの試験の際は筆記試験だった)参考書に書いてあった、「悩んだらこれを思い出せ」というコーナーに、「・・・・は大切である。」が出れば○という項目があったのですが、第3問くらいに早速これが出て、迷うことなく○にマークしました。その後も、参考書で確認した事項がどんどん出てきて、シミュレーション問題に至るまでほとんどが分かりました。一通りマークし終えて、周りを見ると、まだ取り組んでいる人が多い様子。ただ、すでに終えて、手持ち無沙汰の人もいるので、私が最初に立ち上がり、提出しました。再び待合室に下りると、一緒に下りて来たのは10人程度・・・他はまだ受験中のようです。
合格発表までの30分ほど、旧友と話していましたが、向こうも試験はよく出来たらしく、笑顔でした。(この旧友は、小学校の頃、当時「神童」と呼ばれていた私とライバル関係にあった。現在は関西大学生)
しばらくすると、放送がかかり、受験者は電光掲示板の前に集まるようにとの指示。いよいよ合格発表です。合格者は受験番号が点灯するという方式ですが、旧友に私の番号を教えてしまった手前、落ちていたらバレバレじゃないかと、いまさら心配になる私・・・。掲示板を眺めていると、「・・・・5(旧友の番号)・7・・・・・13・・・・」と数字が出てきて・・・・、「あれっ!?」・・受かっていました、13番。合格者数は10名、意外に少ないです。早速合格の書類を持って窓口回りへ。次は免許証の写真の撮影です。父や母はこの写真の写りが今一でいつも嘆くので、私は気合をこめて写りました。「パシャっ」・・・
ここで一旦昼休みになりました。午後からは必修の安全講習です。
昼ごはんは近くのお好み焼き屋で食べました。思わず、「俺免許の試験受かったんだよー!」と言いそうになりますが、よく考えればそれほど難しい試験でもないので、抑えます。
昼休みが終わり、いよいよ安全講習です。ここで失敗しても、免許は貰えるので、それほど緊張はしなくても良いのですが、やはり胸が高鳴ります。初めてバイクに乗るわけですから・・・。
まずは、机上で一通り操作方法の説明を受けます。講師の方々はどう見ても警察OB。しゃべり方に特徴があります。説明が終わると、いざ実地訓練。車体はホンダのディオ50です。バイクに乗るところから何度も繰り返させられます。キーを挿し、エンジンをかけると、心地良い振動が身体を包みます。快感!そこからはカーブ操作や、右折小回り、徐行、二段階右折などを練習しました。もと警察官らしい、怒号が飛び交う中、黙々と課題をこなしました。
最後の方になると、突然講師の方がフレンドリーになり、練習中にも関わらず、話しかけられました。
講師:「あんた、その眼鏡変わっとるな。どこで買ったんや。」
私:「私の大学の近くの眼鏡屋です。一番安かったんです。」
講師:「どこの大学に通ってるんや。」
私:「沖縄の大学です。」
講師:「沖縄って・・・、琉球大学か?」
私:「は、はい。」
講師:「国立やないかあ!頑張ってんなあ、兄ちゃん。」
とか・・・。どうやら、眼鏡が変わっていたため、ヤンキーと思っていたらしかったです。そして、琉球大学の評判も案外悪くないようで・・・。というか、この時点で、免許の実際の使用地が沖縄であるのはバレバレなわけですが・・・。
こうして、無事に安全講習を終え、修了書を手にセンターの窓口に行くと、ほどなくして、出来立てほやほやの免許証を渡されました。「おお、免許証や!」初めての免許証を旧友と見せ合いながら、帰路に着きました。


原付の免許取得しました。

2005年09月16日 18時34分55秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、ようやく原付免許の試験を受けに行くことができました。なかなか勉強する時間がなく、免許センターへ向かう電車の中や待ち時間の間に本を読んだ程度でしたが、無事に一発合格できました。懸念していた視力検査も、簡単なもので、引っかかることなくクリアできました。
昼からの安全講習を受講して、夕方に免許証を受け取りましたが、いやあ、なかなかの感動ですね。「めんきょしょう」の響きにこれまでどれほど惹かれたことか・・・。しかし、試験自体は思いのほかスムーズにいき、案外あっけなく初めての免許を手に入れることができました。


また朝がやってきました

2005年09月15日 18時32分28秒 | うちなー日記(沖縄編)
ただいまの時間、午前5時45分。
さて、今日はどうなることやら。衆院選で自民党が圧勝してから、早4日・・昨日や一昨日はなにやってたんだっけ・・(゜。゜)?
この数日我が父の勤め先の高校の研修の紹介ビデオの編集で寝てなかったので、昨日は一日中寝てましたね・・orz
さて、どうしようか・・とりあえず、
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■■■□■■□■■■■□□■だ~!!

午後11時
というわけで、今日という日を無駄に過ごさないために、昼から大阪空港に飛行機を撮りに行ってきました。
今日は、大阪空港のターミナルビルから、左回りで空港を一周してしまいました。一周約16kmを歩いたわけですが、意外に疲れませんでした。途中、道を間違えて制限区域内に立ち入ってしまいました(都市高速の下をまっすぐ歩いていると、いつのまにか飛行機の整備場エリアに入ってしまっていた)が、親切な警備員さんのおかげで正しい道に戻ることができました。(ここで2kmほどロスしましたが・・・)
ほとんどの撮影ポイントを回ったので、結構良い写真が撮れました。一部は「夜景版」のサイトでも紹介しています。また、今日は特別塗装機にも多く出会えました。「ムシキングジェット」、「お花ジャンボ」、「ポケモンジェット’99」の3機です。普通の人には何のことやらさっぱり分からないと思いますが、今日は収穫の多い撮影となりました。
また、ちょうど大阪空港では「沖縄フェア」が開催されていて、そこでブルーシールアイスを買って、食べました。


沖縄の家には風呂桶がない?

2005年09月15日 15時53分26秒 | うちなー日記(沖縄編)
意外に知られていないことですが、沖縄では風呂桶完備の家が少ないのです。
古い住宅には、お風呂はありません。私の住む寮(1984年築)も、シャワー室はありますが、風呂はありません。最初、シャワー室に入ったときに、愕然としたのを覚えています。まあ、私はもともとシャワー派だったので、あまり問題はありませんでしたが・・ ちなみに、寮の周囲にある、ワンルームマンションなどは、風呂完備で、少々差がついています。
また、沖縄は温泉も少ないです。以前は数えるほどしかありませんでしたが、近年は、スーパー銭湯のようなものができてきて、だんだんと増えてはいます。
実は私、温泉が大好きで、これまで北は登別温泉から南は北谷の美ら湯まで浸かりましたが、何ヶ月も風呂に入っていないと、やはり体がむずむずとしてきます。シャワーはあびているので、けして汚いとかいうわけではありませんが、やはり体がお風呂を求めてくるのでしょう。そういうときは、迷わず銭湯に行き、体の欲求に答えてあげます。これが結構ストレス発散になり、なかなか良いのです。ただ、現状では、銭湯へも自転車で行くしかなく、大学への帰りには結局汗をかいてしまうので、何のために風呂に入ったのか分からなくなってしまうのが難です。


選挙速報!

2005年09月11日 20時29分42秒 | うちなー日記(沖縄編)
まさかの自民党圧勝ですね!
午後8時15分現在、なんか凄いことになっています。出口調査で、各テレビ局が軒並み自民党が300議席を上回るという結果を出してきました。これは中曽根政権時代の「死んだふり解散→選挙」の勢いです。(※当時は衆議院の議席数自体が500議席以上あり、480議席の今回の選挙とは単純には比較できない)激戦区が多いので、まだこれからどうなるか分かりませんが、とにかく凄いことになっています。
翌12日午前3時
いち早く全議席の当確を出し切った、テレビ朝日の報道によると、自民党が296議席、民主党が113議席、公明が30などとなっています。我が奈良2区では、自民党の高市候補が小選挙区で当選、新党日本の滝候補が比例で当選し、保守陣営の勝利に終わりました。私は両方とも応援していたので、とりあえずほっとしました。