うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

車を港に持っていきました。

2009年09月17日 21時42分22秒 | うちなー日記(沖縄編)
明日のフェリーで鹿児島まで航送するため、今日、那覇港まで我が愛車であるダイハツ・オプティを持っていきました。

積めるだけ積んだので、リアのサスペンションはほぼ目一杯まで落ち、走っていると路面の凸凹がかなり伝わってきました。
ただ、普通に走る分には問題ないので、大丈夫だと思います。

これからのスケジュールを申しますと、
我が愛車は明日の朝7時発のマルエーフェリーの船「なみのうえ」で鹿児島へ向かいます。所要時間はおよそ25時間、かなりの長旅です。
当初は、私も同じ船に乗るつもりでしたが、ガスや電気、不動産屋さんでの手続きの時間を確保するため、明日の午後4時発の飛行機で、遅れて那覇を出発し、途中の徳之島上空でフェリーを抜き、先に鹿児島へ到着、そこで一泊して船の入港を待つ予定です。
明後日の朝、フェリーが鹿児島に入港し、車が引き渡され次第、高速道路で一路熊本の親戚の家へ向かいます。

引っ越し作業中

2009年09月17日 12時03分31秒 | うちなー日記(沖縄編)
現在、猛スピードで引っ越し作業を行っています。

今日の午後4時までに那覇の船着き場に我が車を持って行かねばならないのですが、大きな荷物は全てそれに載せるつもりです。
研究室の先輩の協力を得て、昨晩からの頑張りで、なんとか本は全て車に載せました。(車のサスペンションがかなり沈み込んでいますが・・)

あとは服と家電くらいですが、果たして間に合うのか、どうか・・。かなり微妙なところです。

祝!閲覧10万回突破

2009年09月13日 22時13分44秒 | うちなー日記(沖縄編)
ついに当ブログの閲覧回数が10万回を突破いたしました。
いよいよ大台ですねぇ。感慨深いものです。

桁が一つ増え、人口で言えば、北海道室蘭市や山形県酒田市、埼玉県戸田市、千葉県鎌ケ谷市、東京都国分寺市、滋賀県草津市、大阪府池田市、広島県尾道市、福岡県春日市、沖縄県浦添市などに匹敵する(手元の社会科地図帳の、やや古いデータを参照してます)数です。
1人1円ずつ徴収すれば、10万円ですか・・。

10万回を突破したからといって、特に記念品の贈呈などはありませんが、日頃の皆様のご愛顧には、心から感謝いたしております。

毎度ご覧いただいている皆様に、これからも私の日常、非日常を出来る限り紹介してまいりたいと思います。
ではでは。m(__)m

北大理学院受験についての補足 青年は如何にしてその心情に至ったか

2009年09月06日 10時19分37秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日、改めて去年の秋くらいからのブログ記事を見直していたのですが、北大を受験した経緯が実はあまり詳しく語られていませんでしたので、補足いたします。

Q1. あれ、奈良先端科学技術大学院大学はどうなったの?
A1. 当ブログの、今年の春頃の記事では、奈良先端科学技術大学院大学をまず受験する旨が書かれています。実は、春の時点では北大と奈良先端大の併願を考えており、奈良の方が7月に入試・合格発表があり、入試の難易度もやや簡単かと踏んでいた(奈良先端大は大学院しかなく、学部からの内部進学者がおらず、受験生の境遇が公平)ので、先に奈良を受験して、まずは一つ合格を得て、心に余裕を持って、北大に挑むつもりでした。
しかし、奈良先端大出願期間の6月になると、卒業単位の取得が忙しく、既に出席日数がぎりぎりの講義が出てきていたため、受験のために何日も沖縄を離れるのが難しいと判断したのと、奈良先端大の場合、入学は必ず4月からになるので、今年度中なら、いつ受験しても入る時期は変わらないので、ならば北大がもしもダメだった場合に、10月の二次募集で受験しようと考えたのです。
そんなわけで7月の奈良先端大入試は受けませんでした。

Q2. なぜ北大なのですか?
A2. そういえば、去年以来のブログで、今年6月に至るまで、はっきりと北大を受験するとは書いていませんでした。
しかし、実は去年の夏頃から北大理学院の受験を考え始めていました。琉球大学の私の同期生で、隣の研究室だった友人が、去年に東京大学、東北大学、北海道大学の大学院を受験しており(元々彼は北大志望だったのですが、研究室の指導教官が東大出で、東大受験を勧められたそうです)、彼は結局(入試日程的に)先に東大に受かり、そちらに行ってしまったのですが、その経緯を私も見ていたので、北大受験を身近に考えるようになったのです。
元を辿れば、大学受験の際に、奈良県民だった私は、日本の北か南の端に住んでみたいと考えており、北大と琉球大を念頭においていました。結局、琉球大学を選んだ(毎日海が見てみたかったのと、成績の都合もあって)のですが、その後も、いずれは北海道に住むことを考えていました。
また、私の卒業研究でタンパク質の構造について考える際に、「構造生物学」の教科書を参考にしたのですが、その教科書の編者が北大の教授で、その人のもとでなら、もっとタンパク質について実践的に学べると思い、今回北大を受験するに至りました。

Q3. あれ、10月入学?
A3. そうなんです。10月から大学院に入学するんです。
普通の大学院は4月入学ですが、北大の場合、受験資格さえ揃っていれば、10月から入学することが可能です。
多分、海外の大学を卒業した学生を念頭においた制度なのでしょうが、卒業が半期遅れた私にとっては、時間を有効に使えるため、嬉しい制度です。
ただし、これまで日本人でこの制度を利用して北大理学院を受験した人はいなかったそうで、つまり私が初めてのケースだそうです。
実際、受験番号も私だけ他の受験生と異なっていましたし、今年(平成22年度入試)の英語の筆記試験の表紙には、昨年度までの過去問にはなかった、「平成21年度10月入試と共通」との文言が追加されています。
なにか、「日本人で初」という響きは良いですね。まあ、入学してからが人一倍大変でしょうけど・・。

以上、長々と書きましたが補足でした。

≪速報!≫北大、合格しました!

2009年09月03日 17時57分21秒 | うちなー日記(沖縄編)
北海道大学理学院の合格発表が今日あり、なんと無事に合格しておりました!
新天地、北海道へ向かうことが決まったのです!
逆立ちで町内一周したいくらい嬉しいです。

今回の入試は、筆記試験(英語)と口頭試問が課されたのですが、英語の問題は、私の専門分野であるタンパク質の内容が多く、私にとってはかなり有利でした。
また、口頭試問では、最初の5分間で卒業研究の要旨を発表し(カンぺなどは無し)、その後15分間で研究に関する質問や、志望動機などを聞かれます。そちらも、5分間をやや超過したものの、研究要旨は漏れなく発表しましたし、質問にもほとんど答えきれたと思ったので、まあ全力は出し切れていました。
卒業単位の取得と卒業論文の執筆、アルバイトなどで、なかなか受験勉強に時間を割けなかったのですが、こうやって無事に合格でき、本当に有り難いです。

入試を終えてからも、北海道での生活はなかなか想像できなかったのですが、合格の知らせを聞いて以降、観光ガイドブックを見てにやにやしたり、入試の際に撮った北大の写真を見て、ここで学べるのかとうっとりしたりしています。

10月入学を申請していますから、もうあと1ヵ月以内に沖縄から引き揚げ、北海道へ向かわなければなりません。
かなりハードなスケジュールです。

再来週からの秋休みに、とりあえず車で実家へ向かう予定で、現在引き払う準備を進めています。

そういえば、琉球大学に入ったときも、後期試験の合格発表から入学までの間の時間がほとんどなく、着の身着のままで沖縄に上陸したものです。今回も似たような状況になりそうです。

夢に祖母現る。

2009年09月02日 17時17分50秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日の朝、二度寝をしていたら、夢に祖母が出てきました。
最近、夢自体を見ていなかったのですが、あまりに日常的な内容過ぎて祖母が出てきたことに気付いたのは目が覚めてから結構経ってからでした。

以下、夢の内容を書きますと、
多分中学生の頃の設定でしょうか、地元の町の駅前に父の運転する車で到着し、駅前ビルの1階に祖母と二人で入りました。
祖母が和菓子屋でお菓子を選んでいる間、私は隣のカメラ屋でカメラケース(というかウェストポーチのようなもの)を物色していました。
旅行の準備のようなことを夢の中の私が口ずさんでいたので、恐らく中学三年生の頃の、祖母と初めての北海道旅行に行く直前の設定なのでしょう。

当の駅前ビルは実在し、現在はダイソーなどが入っています。
以前はニチイやいそかわ(スーパー)などが入っており、1階は名店街で、和菓子屋やカメラ屋、レコード屋が軒を連ねていました。
今は空き店舗が増え、以前ほどの活況はありませんが、幼い頃にはよく祖母と買い物に行ったものです。

実は今日は沖縄の旧盆の中日でして、祖母もはるばる様子を見に来ていたのかもしれないですね。
僕はまあまあ順調にやっていますよ、バーバ。。

清き一票

2009年08月30日 19時54分11秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日の衆議院議員選挙、私も一票を投じてきました。

実は今日の投票が、私にとっては選挙権を得て初めての投票でした。

二十歳になってから今までの間に、参議院と西原町長の選挙がありましたが、参議院選挙の際はまだ住民票を移動して間がなく、こちらで投票できませんでした。西原町長選挙の際は、うっかり忘れてしまっていました。

ともあれ、今回が初めての投票でしたが、思っていたよりも投票って簡単にできるのですね。
西原町運動公園体育館の投票会場に入って、ものの2分ほどで投票を終えました。

さてさて、もうまもなく、開票が開始されるわけですが、ほぼ結果は見えているものの、果たしてどのような様相を呈するのか、興味深いところです。

萌え系県産品ドリンク

2009年08月27日 22時21分45秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、我が研究室の同僚が、買い物先のスーパーから電話をかけてきました。
曰く、「凄いドリンクを見つけたんだけど、買って帰るから、後で研究室で会おうぜ」。

約束通り、夕方から研究室に来て待っていると、凄まじく破壊力の強いドリンク2本が私のデスクの上にやってまいりました。

宮平乳業という、こちらではそこそこ有名なローカル企業が製造している、県産品の萌え系清涼飲料です。
曰く、「し~くゎ~たんのシークヮーサーウォーター」と「たんたんのタンカンウォーター」です。


し~くゎ~たん


たんたん

で、研究室の同僚が聞くには、「どっちが好き?」
私は断然し~くゎ~たんですな。
コードギアスのC.C.を彷彿とさせるキャラクターデザイン、何より、こちら目線でのウィンクが最高です。

と、そこに指導教官のO先生が登場・・。
同じ質問をすると、先生はたんたん派だそうでした。(あくまで美味しそうだからだそうです)
そういえば、たんたんの視線の先には、オオゴマダラが飛んでいます。我が研究室は、蝶を中心に研究していますから、やはり研究室としてはこちらかも・・。

それにしても、ローカルな製品とは思えない、良い仕事をしていますな、絵師は・・。これはかなりぐっと来ます。
(どちらの服装も、なんとなく、ひ○らしのなく頃にの登場人物の服装に似ているのは気のせいでしょうか・・)


し~さ~たん?

パックの裏側には、やたら可愛いシーサーのイラストも付いていました。

ところで、お気づきになったでしょうか?946mlという表記に・・。
いずれこのブログで紹介するつもりでしたが、実は沖縄の牛乳パック系の飲料は、ぴったり500mlや1000mlで作られてはいません。
これは、アメリカ統治時代の名残で、飲料の単位でガロンを基準にしているためです。
返還前は、1ガロン(3785ml)で販売されていたようなのですが、返還後、本土とおおよその規格を合わせるため、4分の1ガロン(946ml)でパックを作るようになったのだとか・・。500mlに相当するパックは、473mlとなります。
森永ココアなどの全国的な製品も沖縄でライセンス生産されているため、みなこの規格で作られています。
本土と同じ値段で売られていると、ちょっとこちらの方が量が少ないので、損した気分になるかも・・?

卒論完成&提出完了しました!

2009年08月25日 18時58分41秒 | うちなー日記(沖縄編)
おかげさまで、無事に卒業論文を完成させ、提出することができました。

先生のおっしゃっていた通り、ほとんど訂正箇所はなかったので、順調に訂正が進み、3時間ほどで訂正を完了することができました。

たまたま以前購入し、私のデスクに置いていた高品位専用紙に論文を印刷し(計32ページ:印刷に30分かかりました)、理学部の生物系事務室へ向かいました。
事務室では、まず閲覧用の論文(卒論を両面コピーしたもの)を作り、封筒に入れ提出、続いて保存用の、先ほど印刷したものの左端に四つ穴を開け、紐を通して冊子に纏めました。
さすがに、上質紙に印刷したので、図表も鮮明に印刷できていて、上出来でした。

こうして午後3時半に卒論の提出を完了しました。
事務室の職員の人たちも、拍手で祝ってくれました。

これにて、今期に私がしなければいけなかったことは全て終了しました。
ようやくゆっくりできます。

沖縄にて

2009年08月25日 12時09分15秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日は、その後、無事に沖縄に帰ってくることができました。

結局JTA319便(B737-400:JA8597)は、定刻より1時間15分遅れの午後10時5分にゲートを離れ、10時15分に離陸しました。

初めてJTAを利用したのですが、さすがに沖縄ローカルの航空会社だけあって、機内で沖縄民謡が流れたり、客室乗務員がかりゆしウェアだったりで、良い雰囲気でした。
小型のジェット機なのと、飛行時間短縮のために低空を飛行していたため、常に小刻みな揺れがありましたが、大きな揺れはなく、まあ快適な方のフライトでした。
神戸から瀬戸内海近辺、屋久島、そして沖縄本島の夜景が次々と表れては後方に流れていく様子は、とても美しく、ずっと機窓に額をくっつけていました。


沖縄本島東海岸沖を飛行中の機内から。手前側が海中道路で、奥が嘉手納基地方面


ジェット気流に逆らう形で飛行するため、通常2時間はかかる沖縄へのフライトですが、今回はかなり早い1時間40分で那覇空港に到着しました。
確実に午前0時を過ぎると思っていましたが、午後11時50分にはゲートに到着、午前0時には迎えに来ていた後輩と合流できました。

今回が多分沖縄生活での最後の帰沖ですから、那覇空港での「めんそーれ」の看板の感慨もひとしおでした。

そして、現在、早速研究室に来て、今日が最終提出期限である、卒業論文の訂正を行っています。
幸い、指導教官のO先生によれば、「よく書けているので、訂正箇所は少ないよ」とのことで、確かにそれほど書き直すところはないので、十分期限に間に合わせることができそうです。

続報2

2009年08月24日 21時38分54秒 | うちなー日記(沖縄編)
JTA319便に使用する飛行機が、今神戸空港に到着しました。
これから機内清掃などを行った後、可及的速やかに搭乗開始となるそうです。

多分午後10時を超えての出発となるでしょう。
沖縄までは約2時間のフライトですから、那覇空港到着は午前0時を過ぎることになりそうです。
私は、後輩が空港まで迎えにきてくれるので、大丈夫ですが、既にその時間は公共交通機関がすべて運行を終えているため、空港から那覇市内へ出ることができない人が出る恐れがあります。
まあ、多分乗り合いバスのチャーターか、タクシー券を配るかをすると思うのですが、ちょっと興味深いところです。
また、那覇空港の駐車場の営業時間は、通常午前0時で閉鎖されるのですが、この便の遅れに対応して、閉鎖時間を延長するようです。
イレギュラーな事態ですが、普段できないことを経験できることは、ちょっと楽しいですね。

トラブル発生!

2009年08月24日 20時23分56秒 | うちなー日記(沖縄編)
今、神戸空港にいます。
実家滞在を終え、これから最終便のJTA319便で沖縄へ出発する予定なのです。

しかし、ここでトラブル発生!
なんと出発30分前現在になっても、まだ使用する飛行機が神戸空港に到着していないのです。
沖縄地方が雷雨で、向こうから飛んでくる便がかなり遅延しているためだそうで、さきほどの案内放送によれば、神戸空港の使用制限時間である午後10時を超えての出発となるそうです。

那覇空港まで迎えに来てくれる後輩に電話してみましたが、那覇市の隣の南風原町では雨は降っていないとのこと。アメダスのデータも0ミリでした。

恐らく、離島から那覇に飛ぶ便での遅延かと思われます。

なんとかギリギリ、スムーズにこなしてきた今回の帰省ですが、最後になって初体験の事態に遭遇しています。

受験終了から実家帰宅まで

2009年08月22日 17時11分47秒 | うちなー日記(沖縄編)
20日の北大理学院入試は、午後3時前に終了しました。(試験の際の話は、後ほど追加します)

この日、ちょうど父が出張で東京に出ていたので、私も当日中に飛行機で東京まで戻り、父と落ち合うことにしました。

天気予報では、昼から、前線を伴った低気圧が発達しながら接近するため、暴風雨と予想されていましたが、この時点ではまだ小雨で、昼休みに中央購買で購入していたビニール傘を差しながら、北大南門から構外へ出て、札幌駅を目指しました。

札幌駅からは快速エアポートで一路新千歳空港へ。
新千歳空港には午後4時に到着しました。
東京への飛行機は、午後4時40分発のスカイマークエアラインズのスカイメイト運賃を利用しようと思っていたので、すぐにスカイマークのカウンターに向かったのですが、なんとすでに全便満席で、空席待ちの状態でした。一応空席待ちを申し込みましたが、私は空席待ちの4人目で、係員の方の話では、恐らく乗れないだろうとのこと。
4時20分になって、一般客の搭乗手続きが締め切られ、空席待ちの呼び出しが始まりました。
意外にキャンセルの乗客が出たようで、1人目、2人目、3人目と呼ばれ、次が私の番となったのですが、なかなか呼ばれません。聞くと、予約客でまだ搭乗手続きをしていない乗客が1人いるらしく、一緒に旅行している他の仲間はすでに手続き済なため、その人を待っているとのこと。4時35分までに現れなければ、私が搭乗できるということでした。
結構期待して待っていたのですが、残念ながら4時34分に、息を切らしながら件の乗客がカウンターに現れてしまったため、私は結局乗れないことになってしまいました。
次のスカイマークの便は午後7時40分までなく、それも満席なので、どうしたものかと考えこんでいたら、スカイマークの係員の方が、「実はエア・ドゥさんの方でも同じような運賃がありまして、300円違いの9100円で利用できます。あちらは空席があるそうなので、そちらを利用されてみてはいかがでしょうか。」と案内してくれました。通常、他社の宣伝などはしないはずなので驚きましたが、それを聞いて早速エア・ドゥ(北海道国際航空)のカウンターに向かいました。
スカイマークのカウンターとエア・ドゥのカウンターはそれぞれ旅客ターミナルビルの右翼の端と左翼の端に位置しており、正反対の場所なのでかなり歩きました。

エア・ドゥのカウンターに着くと、次の便は午後6時40分だそうで、こちらは飛行機も大型(大体スカイマークの2倍)なので、空席が十分にありました。
早速航空券の購入と搭乗手続きをしました。窓側席も空いており、機体後方右側を指定しました。

出発まであと1時間半ほどあったので、その間にトイレに行ったり、服を着替え(試験に着て行った正装のままだったので、機内で楽なように、かりゆしウェアに着替えました)たりし、荷物も預け、かなり身軽になってからご飯を食べに出かけました。
新千歳空港のレストラン街には、海鮮丼の専門店がいくつか並んでいましたが、みな1000円以上、イクラやウニがたっぷり入った丼だと、2000円以上もするので、すでに金欠気味の私には敷居が高すぎました。
結局、お土産屋さんの海鮮寿司弁当を買って出発ロビーに戻って、長椅子に腰かけて食べました。
弁当の蓋を開けてみると、なんと実家の近所のスーパーの「全国駅弁祭り」で購入したことのある弁当で、内容量も少なかったので、ちょっと損した気分でした。まあ、ウニやイクラやカニが入って1000円の弁当ですから、あまり多くを望むほうがいけないのでしょうが・・。ともあれ、大学院にさえ入れれば、また海鮮丼を食べる機会はありますから、今回はこれで我慢しておこうと思いました。

ADO24便の搭乗口は、ターミナルビルの左の端でした。待合時間に外を眺めていると、前線の接近で、本降りの雨が降っています。風も強いと予報されているので、これはあまり乗り心地の良くないフライトになりそうだなと覚悟を決めました。

今日の使用機材はB767-300(JA01HD)で、スカイマークのB737-800に比べれば、大型の飛行機なので、多少は揺れも少ないかなと思いつつ、搭乗時間を迎え、機内に入りました。

機内の各座席の背もたれのカバーには、カルビーのマークが入っていて、北海道企業の協力でこの飛行機が運航されていることが分かりました。

定刻より少し早くにゲートを離れ、ランウェイ19Rから離陸しました。
離陸の際は、垂直に窓を流れ落ちていた雨が、徐々に斜めに流れはじめ、真横に流れたかと思うと、風圧で全く雨の筋が見えなくなりました。
すぐに雲に入りましたが、考えていたほどは揺れず、順調に上昇を続け、20分ほどでベルトサインも消灯しました。

この便は全日空との共同運航で、機内サービスは大手航空会社と同等レベルを提供しており、音楽放送や機長からのアナウンス、ドリンクサービスもちゃんと行われました。スカイマークと僅か300円の違いで、これだけサービスを受けられるのですから、しめたものです。「こっちの会社にして正解だったな」と思いました。

関東地方の天候は晴れで、降下を始めると夜景が綺麗に見えました。さすがに関東平野は開けていて、行きかう車の群れが河の流れのように見えました。
千葉マリンスタジアムが眼下に見えた後、東京湾に出ました。どうやら先日の東京行きの際と同じく、羽田空港ランウェイ16Lに着陸するようで、ほぼまっすぐ都心に向かって進行した後、お台場上空で急旋回し、最終着陸コースに乗りました。

午後8時過ぎに羽田空港に到着。
着いたゲートが、第2旅客ターミナルビルのフィンガーの北端で、到着口まで結構長い距離(600m)を歩かされました。(第2ビルはただでさえ構造上他の空港よりも長距離を歩かされます)
機内に預けていた荷物は、私がちょうどターンテーブルの場所に着いたときに流れてきて、スムーズに受け取れました。
東京モノレールと山手線を乗り継いで、父の泊まる池袋駅前の東横インに向かい、1時間ほどで到着し、無事に合流できました。

その後、池袋で一泊した後、翌日昼のJRバスの中央ライナー名古屋行きに乗車、途中の八王子で渋滞に巻き込まれ、1時間以上遅れつつも、なんとか名古屋に着き、そこからJR関西本線の列車を乗り継いで実家の三重県伊賀市に帰りつきました。

18日に沖縄から大阪に飛び、奈良で昼ごはんを食べた後三重の実家に立ち寄って旅の支度を整え、名古屋から夜行バスに乗車、19日に東京に着き、そこから飛行機で札幌入りし、研究室を訪問、20日には入試に臨んだ後再び東京へ戻り、21日に東京から実家へ戻るという、僅か4日の間に、結構な強行スケジュールで北海道に行ってきました。
札幌滞在時間は丸一日で、これまでの北海道旅行の中では最短、観光もしていません。しかし、最大の目的であった北大院の入試は、思いのほかよくできたと思いますから、まあ良い旅になったと思います。

また近いうちに、北の大地へ、今度は新生活の場として行ってみたいものです。