うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

東京大停電!

2006年08月15日 09時10分37秒 | うちなー日記(沖縄編)
びっくりしましたね。東京では史上2番目の規模の停電だそうですが、139万世帯の停電とは、本当にたまげました。奈良県の総世帯数が55万世帯ですから、恐ろしい規模です。
発生当時、ちょうど私は東京に滞在中でしたが、ホテルで寝坊したために、幸いなことに停電の混乱には巻き込まれずにすみました。それどころか昼前に実家に電話して初めて停電があったことを知り、びっくりしました。
その後、「九段下」から地下鉄東西線に乗ったところ、停電の影響で私鉄との直通列車や特急が運休になり、全列車が各駅停車で運行されていました。
私が実感した停電の影響はそれくらいでしたが、帰宅後にニュースを見たところ、かなり広範囲に影響が出たそうで、さらに驚きました。
交通や、エレベータの停止などに他にも、水道がとまったり、予備電源の不調から日経平均株価が表示されなくなったり、意外なところに影響が出ています。
クレーン船がたった2本の送電線に接触するだけで、これだけの影響がでるとは、テロのことを考えるとちょっとこわいですね。
今回はお盆の時期で、人の少ないときに発生したのがまだ救いだったようですが、もしもこれが平常時だったら、損害はもっと甚大なものになったことでしょう。実際、今回の停電でも金利や株価など、日本の経済活動にも少なからず影響が出ているようですし・・・。
電気は現在の社会活動に不可欠になっていることを、改めて思い知りました。

東京二日目

2006年08月14日 16時44分23秒 | うちなー日記(沖縄編)
朝、気がつくと9時半をまわっていました。チェックアウトは10時なので、もう時間がありません。ロビーで朝食(無料)を食べるはずでしたが、食べそびれてしまいました。
急いで身支度を整えて、弟とホテルを出発しました。(同じ頃、都内で記録的な大騒動が発生しているとも知らずに・・・)
実は今日は私の誕生日です。それも成人の節目である、二十歳の誕生日なのです。この日を東京で迎えることになるとは・・・。弟はそんなことは微塵も気にする様子はなく、おめでとうの一言もありません・・・orz。
閑話休題、ホテルを出た私たちは、首相官邸の裏口前を抜けて、溜池山王駅の入り口まで来ました。ここで、少し考えて、せっかく日本の中枢に来ているのだから、永田町見物をすることにしました。首相官邸の西側から山王坂を上り、衆議院議員会館、遠方に自民党本部、国会議事堂の裏側から首相官邸を表側から眺め、国会の正面に周り、警察庁、警視庁、そして法務省旧館前まで歩きました。途中議事堂の正面で弟の写真を撮ってあげました。それなりに感動していました。日本の国の中枢を成す機関が意外に狭い範囲にまとまっていて、「もしも災害でここらへんが壊滅したら日本はどうなるんだろ?」などと余計な心配をしてしまいました。
ここで、ふと実家に電話をかけてみました。現状報告のつもりでしたが、そこで驚きのニュースを耳にしました。東京で大停電が発生したというのです。しかも、140万世帯という史上2番目の大規模停電です。にわかには信じられませんでした。全国ニュースで大きく報道されているとのことでしたが、今日は寝坊したため、テレビを見ていません。しかも、その寝坊のおかげで、今のところ混乱に巻き込まれていなかったので、気付かなかったのです。それにしても、私ときたら、本当によく旅先でトラブル?に出くわします。初めて行った沖縄では、ビーチに行っているときに地震が発生して津波注意報が発令されるし、去年の春には墓参りの道中で福岡県西方沖地震に遭っています。そして今回の大停電・・・。幸い、いつも自らの身には直接の被害が出ないのですが、これは一体どうしたことでしょう・・・偶然とは思えません。ちょっと背筋が寒くなってしまいました。
電話を終え、桜田門から地下鉄で次の見物先に向うことにしました。
飯田橋で下車し、神楽坂を歩いて向った先は、そう、靖国神社!父の是非にとのススメで、参拝することにしました。(一応親族で祀られている方もおられるそうなので・・)それにしても、靖国神社といえば、明日小泉総理が参拝すると言われている今一番ホットな場所です。重厚な青銅製の鳥居をくぐり、神苑に入ると、気持ちもピリッと引き締まって感じます。予想外に多くの観光客(参拝客というよりも観光客)が来ており、至る所で写真やビデオを撮っています。(そういう場所ではないと思うのですが・・・果ては、拝殿の前で記念撮影している人までいました。)
大村益次郎の銅像の脇を通り抜け、神門の前に至る道のりは意外に距離がありました。
神門の前では、すでにテレビ局のクルーが陣取っており、ちょうど撮影を行なっていました。その手前では右翼団体の署名活動が行なわれており、さらによこでは、多くの機動隊員が警備に当たっていて、自分が今ニュースの現場にいることを実感しました。
神門をくぐり、拝殿の前に出ました。参拝客の列に並び、私たちも二拝二拍手一拝の正式な仕方で拝ませてもらいました。
いざ参拝してみると、世間で騒がれている、賛否両論の声がちっぽけなことに思えてきます。明治維新以降、戦いで、愛する国や人のために、散っていった250万もの人々の霊が祀られていて、それを一つの所で拝むことができる・・・。歴史の感覚がますます失われている今日、こんな場所が身近にあるのは、けして悪いことではないのではないか、そんな風に思いました。
その後、神門前を横切る道から神苑の外に出て、地下鉄九段下駅まで歩きました。
九段下から、地下鉄東西線に乗ったところ、停電の影響で、私鉄との相互連絡が休止されており、全列車が各駅停車での運行になっていました。茅場町駅までの乗車で特に影響はありませんでしたが、ただ、改札前の看板に停電の情報が掲示されており、初めて停電があったことを実感しました。
茅場町駅で日比谷線に乗り換え、アキバに降り立ちました。私の第一の目的地です。さあ、ゆっくり電化製品を堪能しようと、昨年出来たばかりのヨドバシアキバを訪ねました。大阪梅田のヨドバシにはよくお世話になっていますが、規模的にはちょうど同程度ですが、雰囲気はまた違いました。というのも、外国人の客がとても多いのです。カメラコーナーでもインド系の男性が熱心に展示品を触っていました。もちろん日本人も多数来店しており、その賑わいを見ると、(いつも思うのですが)景気回復の実感が湧かないと世間ではいうけど、実は絶好調なのではと思ってしまいました。
弟をゲームコーナーに預け、私はしばらくデジタル一眼レフカメラを物色しました。実は今度本格的な写真を撮るために、デジタル一眼の購入を考えていて、特に入門機のCanonEOSkiss Digital Nに興味があり、触ってみたかったのです。実際に触ってみると、やはり評判どおり、グリップが小さくて、少々不安定に感じるな・・とか、シャッター音は確かに鋭くて良い感じだなどと、カタログを見るよりも感覚的なものがよくわかります。また、超広角レンズや望遠レンズの体験もでき、特に超広角レンズ(16mm相当)は、人間の視界よりも世界が広く見え、新鮮でした。いつかはこんなレンズがほしいものです。(高いんですよね・・・)十分に実機を体験することができ、相当参考になりました。
結局何も買いませんでしたが、十分日本最大の電器屋を体感することができました。
ヨドバシアキバを出て、嫌がる弟を連れてしばらくアキバを歩いてみました。とりあえず、
オープンしたての「とらのあな」秋葉原本店を目指しました。道行く人のほとんどはいわゆるアキバ系男性で、暑苦しいメガネの中年顔が至るところにいます。(はっ!私もそうだった・・・)
意外に駅のそばに「とらのあな」はあり、中に入ろうとしましたが、あまりもの熱気(なにか普通と違う・・)のため、弟を連れて入るのはままならず、写真を撮って撤収しました。「ダメだ、まだあの中には入れない・・・orz」完敗でした・・・。すごすごと駅に引き返す途中、驚くべき光景を我々は目にしました。道端にメイドが立っているのです。メイド喫茶の宣伝で、ティッシュを配っていたのでした。アニメ声で、「よろしくお願いします、ご主人様(はあと)」としゃべりかけてきて、これには大阪の日本橋電気街で鳴らした私もただ驚くばかりでした。
せっかくなのでメイド喫茶に行きたい!と思ったのですが、何故かメイド喫茶は駅から離れたところに集まっており、新幹線の時間(私の誕生日を実家で祝うため、夕方までに帰る予定にしていた)を考えると、行けそうになく、またもやお預けになってしまいました。残念orz
まあ、アキバのディープさは十分に体感できました。思った以上にアキバ系全盛で、もう本当に驚くだけでしたが・・・。

その後、山手線で東京駅に出て、新幹線で帰ってきましたが、永田町から靖国神社、そしてアキバへの、あまりにも濃すぎる体験のため、なかなか日常の感覚が戻りませんでした。
そんな二十歳の一日・・・、まあ楽しかったかな・・・・。


東京に来ています。

2006年08月13日 23時42分35秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は東京に来ています。
目的は、弟のポケモン集めです。なんでも、東京の山手線に乗ったらポケモンがもらえるというイベントがあるそうで、弟は先日からしきりに東京に行きたいと言っていたのです。一人で行かせるのも危ないので、私が引率で連れて行くことにしました。(ついでにアキバへも行きたかったし・・・)
早朝、5時8分の始発の近鉄電車に乗り、京都へ向いました。6時9分には京都へ着き、6時31分の東京行きのぞみ102号に乗り換え、一路東京へ・・・!
あっというま(2時間15分)に、東京駅に到着しました。
私にとっては3年ぶり、弟にとっては6年ぶりの東京です。しっかり目に焼き付けておこうと気合を入れ直しました。
まずは、丸の内口の駅舎の復元工事も、いよいよこの秋から始まるそうなので、今のうちに写真を撮っておこうと、弟を連れて東京駅周辺を歩き回りました。
八重洲口から丸の内口へと、横断したのですが、丸ビルの前に着いたときには、弟は歩きつかれ、ぐずり始めてしまいました。
あまり弟を怒らせるのも悪いので、弟の目的である、ポケモンを優先することにしました。
ちなみに、そのポケモンをもらう方法なのですが、まず駅でSuicaイオカードを購入し、山手線のそれぞれの駅に置かれた専用の端末にかざしてカードに情報(1匹のポケモンの情報)を読み込み、最後に東京国際フォーラムでゲーム機に入れてもらうというのですが、カードには一人最大3匹まで記録でき、東京駅から東京国際フォーラムの間の連絡通路にも2匹分のポケモン端末が設置されていました。弟は、秋葉原駅で貰えるポケモンと、東京駅から東京国際フォーラムの間で貰える2匹のポケモンの計3匹が欲しかったそうで、まずは秋葉原に行くことになりました。
東京駅丸の内南口でSuicaイオカード2000円分を購入し、山手線で秋葉原へ向いました。山手線で使われているE231系は、車内に液晶モニターが設置されていて、大阪の環状線(古い車両が中心)に乗りなれた私には、実にうらやましく思えます。
秋葉原駅に着くと(私にとって初めてのアキバです)、弟は一目散に改札を抜け、ポケモンの端末に向いました。
弟の用事が終わったあと、しばらく駅前をうろうろとしていたら、ある店の前で、「魂のルフラン」が聞こえてきたのです。魂のルフランといえば、あの「エヴァンゲリオン」の劇場版エヴァのテーマ曲であり、その歌詞にはまってしまった私は、最近まで着メロに使っていたのです。一瞬、ケータイを確かめてしまいました。それにしても、こんな曲が道端で流れているとは、いかにもアキバです。
もうちょっと遠くまで散策したいですが、残念ながら、今は弟のポケモン集めを急ぐためにあまり長居はできず、30分ほどで再び山手線で東京駅に戻りました。
東京駅丸の内南口から、連絡通路を歩いて東京国際フォーラムへ向います。意外に長い道のりでしたが、途中の端末でもポケモンを貰い、ようやく東京国際フォーラムに着きました。
東京国際フォーラムの建物は、以前写真で見たことのある、ガラス張りの壮大なもので、展示会場には、すでに多くの子供たちが集まっていました。
会場内では、この秋に発売されるポケモンの新作ソフト、「ダイヤモンド」と「パール」の体験会や説明会、そしてこれまでのポケモンのソフトや映画の歩みのパネル展示などがされており、なかなか賑やかです。展示を見ていると、ポケモンが登場したのが、私が10歳の頃で、ちょうど今の弟と同じくらいの歳のころだったのを思い出し、「十年一昔」というのは本当だなあ・・・などと思ってしまいました。
結局一時間半ほど会場に滞在し、弟と展示を周ったのですが、なかなか楽しめました。
その後、東京国際フォーラムを後にして、有楽町駅から電車に乗り、横浜に向いました。実は、横浜でもポケモンのイベントが開催されており、それにも弟が行きたがっていたのです。横浜で、みなとみらい線に乗り換え、みなとみらい駅で下車しました。私はみなとみらいに来るのは初めてで、予想以上に都会的で驚きました。イベント会場のパシフィコ横浜に着くと、こちらもなかなかの賑わいで、子供でいっぱいでした。私は昨晩寝ておらず、少々疲れがたまっていたので、弟だけを会場に入らせて、ロビーのソファーで休憩することにしました。室内はクーラーがガンガンに効いており、やはり快適です。しばらくすると、うとうとしてしまいました。
・・・・
いつのまにか時間は過ぎ、弟と約束していた2時間半がたっていました。そろそろケータイに電話が入るかなと思い、確かめると、なんとバッテリー切れではないですか・・・。これはいけないと思い、最寄のコンビニに行って簡易充電器を探したのですが、なんと品切れ・・・。仕方なく、ショッピングモールの方に向いました。(これが意外に距離があり、疲れる・・)いくつかの店をまわって探しましたが、なかなか見つからず、結局30分ほど歩き回って、モールの地下にあるコンビニで買うことができました。
すぐさまケータイの充電を始め、弟と連絡をとり、どうにか無事に合流することができました。
一応、弟の目的はこれで全て果たしたので、ここからは私の行きたいところに行けます。
とりあえず、せっかくみなとみらいに来ているので、ランドマークタワーに登ることにしました。横浜ランドマークタワーは、いわずと知れた日本一の高さを誇るビルです。その高さは296mで、東京都庁や六本木ヒルズの森ビル、大阪のWTCコスモタワーがみな250m程度なのに対して、一段抜きん出ています。
早速、チケットを購入して展望台行きのエレベータに乗ったのですが、このエレベータが世界一の高速エレベータだそうで、かなりの加速感を感じながら、あっというまに地上273mの展望フロアに到着しました。早速窓の側に近寄って外を見ると、目をまわしそうなほどの高さです。下を見ると、最早人間の姿は確認できず、往来する車が塵のように見えます。(思わず「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐のセリフ「フハハハハ、見ろ、人がゴミのようだ!」を思い出してしまいました)
それにしても、上空からみると、恐ろしく遠くまで見えます。横浜ベイブリッジ、横浜市街は元より、羽田空港方面や、東京湾の対岸の房総半島まで見えました。(富士山は残念ながら見えませんでしたが・・・)高々300mほど上っただけでこれだけ視野が変わるとは・・・。
私は高いところが好きなので、人ごみの中、ずっと景色を眺めていたのですが、弟は少し怖くなったのか、すでにお土産コーナーを物色していました。(あまりオリジナル商品がなく、ちょっと残念・・・)
十分に景色を堪能して、下りのエレベータに乗り込みました。帰りも超高速で、体が浮きそうな感覚を味わいました。
さて、今日の弟の目的は全て果たしたので、そろそろ東京の方へ戻ることにしました。桜木町駅から電車に乗り、一路都心へ・・・。
東京に着き、さあ、帰りの新幹線の切符を買いにいこうと思ったのですが、よく考えると、私の目的をまだ果たしていません。元々は日帰りの予定ですが、ちょっと一泊しちゃおうかな・・・と思い始めました。そこで、弟に、「もう一日東京に居たい?」と聞くと、「うん!」の答え。
とりあえず、ネット喫茶(上野駅前のビルの6階)に入り、ホテルを探してみました。お盆の最中で、空いているのだろうかと思いましたが、しばらく探して溜池山王の東横インに空室を見つけました。溜池山王といえば、首相官邸や国会議事堂のすぐ裏手です。ちょっと面白い経験ができるかもと思い、すぐに予約しました。
そして、東京メトロで溜池山王駅に着き、地上に上がり、ホテルに向ったのですが、ホテルはなんと首相官邸の裏口に面していました。ホテルに繋がる道には、二重のバリケードが築かれており、警官が警護にあたっています。特に、明後日8月15日に小泉総理が靖国神社に参拝するとされているため、普段より警戒体制が強化されているようです。恐る恐るバリケードを抜け、ホテルに向いました。
ホテルに着き、料金を先払いしたのですが、学生証を見せると、一泊通常6500円のところ、なんと日曜限定の学割キャンペーンが適用され、3900円で済み、びっくりしました。弟はまだ小学生なので、添い寝扱いになるため、実にお得です。(正直東京でこんな料金で泊まれるとは思ってみませんでした)
部屋に入ると、早速ベッドに倒れこみました。今日は歩き続きで本当に疲れました。チェックインを済ませたらどこかに夕食を食べに行く予定でしたが、もうそんな気力もなく、その後は東京のテレビを見ながらごろ寝して過ごすことにしました。
かくして東京二人旅の夜は更けて行きました・・・・。


日航123便御巣鷹山事故から21年

2006年08月12日 12時24分30秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、8月12日で御巣鷹山事故から21年がたちました。私が生まれたのは事故からちょうど1年後の8月14日です。一飛行機好きとして、あの事故はとても悲しく、これからも忘れてはならないものだと思います。
昨日の「得ダネ」(フジテレビ系)で、元日航整備士と遺族の心の交流について特集をしていました。とても興味深く見ていたのですが、途中少々気になったことがありました。特集の中で、事故の遺族のことをさして、「被害者家族」と呼んでいたのです。「被害者」がいるとすれば、「加害者」が当然いるはずですが、ではあの事故の「加害者」とは誰なのでしょうか?
「日航機墜落事故」というと、日本航空が悪いように思われ、実際、一般の人の多くはそのように思っているようです。また、メディアの報道の中には、昨今のトラブルとあの事故を絡めて、日本航空の体質を語ろうとするものもあります。(昨日の特集でも、出演者からそのような声が聞かれた)
しかし、それは正しくありません。事故後の調査で、あの事故の責任は事故機の製造会社である米ボーイング社にあると結論が出ているのです。何故かこの事実が、あの事故についての報道の内容から欠落しています。
事故機である、ボーイング747SR型(登録記号JA8119)は、日本国内の短距離高頻度路線向けに作られた、当時世界最大の旅客機でした。500人以上もの乗客を一度に運べ、航空会社にとって非常に効率的な機体であり、日本航空、全日空双方が主要幹線で使用していました。日本航空のB747SRについては、御巣鷹山事故の影響もあり、かなり前に全機が退役しましたが、全日空では今年の春まで現役でした。(私も4年前の沖縄旅行で乗った)
事故機JA8119は何故堕ちたのか。実は、JA8119は、御巣鷹山の事故以前、1978年6月2日に大阪(伊丹)空港で着陸時に尻もち事故(機体の後部を滑走路に擦る事故、胴体が長い飛行機ほど起きやすい)を起こしていました。その際、胴体後部にある圧力隔壁(巨大なおわん形の鉄壁)を損傷したのです。比較的重度の損傷で、日航内では修理できなかったため、ボーイング社に修理を依頼しました。その修理は、圧力隔壁の損傷部分(隔壁板の下半分)を取り替えるものでしたが、その最中、ボーイング社は取り替えた下半分と元の隔壁の上半分を繋ぐリベットが2列必要なところ、実際には1列分しか固定されていない状態にするという修理ミスを犯してしまいました(これによって、当該部分の強度は通常の7割程度まで落ちてしまった)。修理後、日本航空側の立会いの下、点検、試験飛行が行なわれましたが、そのときには目視でミスを確認することはできず、修理を疑うようなことはありませんでした。そうして再び日本航空に引き渡されのち、国内線で運航されていたのですが、与圧の繰り返しで、修理箇所が金属疲労を起こし、ついに破断したのです。それが、1985年8月12日午後6時24分ごろのことでした。(つまりいつ破断してもおかしくない状況だったわけで、修理後に事故機に搭乗した乗客全員に危険があった)
JA8119は、当日、5回目の定期便運用(事故前に503便、504便、363便、366便として飛んでいた)で、123便として羽田から大阪に向っていました。
離陸から12分、相模湾上空を上昇中、高度7170mを通過したところで異常事態が発生しました。「ドーン」という音とともに、圧力隔壁の修理箇所が破れ、そこから大量の空気が流れ出て、垂直尾翼と油圧系統を機体内部から破壊、一気に事故機は操縦不能に陥りました。しかし、本来旅客機の構造はフェイルセーフ思想で作られており、一部が壊れても、他の部分に影響が及ばないように設計されています。実際、事故機の油圧系統も計4本用意されており、1本でも残っていれば操縦できるようになっていました。しかし、胴体最後尾というのは、飛行機のもっとも細い部分であり、油圧系統の全てがそこを通っているのです。そこが破壊されたため、全ての油圧系統がダウンしてしまったのが、事故機の最大の悲劇でした。垂直尾翼もその3分の2が吹き飛ばされ、飛行の安定性が大きく損なわれました。
圧力隔壁の破断や垂直尾翼の欠損は、構造上操縦室からは確認できず、何が起きているのか知る由もありませんでした。ただ、操縦士は当時考えうる限りの適切な対処をしました。操縦不能の状態の中、なんとか機体の制御を取り戻そうと試みたのです。以前、ボイスレコーダーの音声を聞きましたが、操縦席の3人(機長・副操縦士・航空機関士)が互いに励ましながら懸命に操縦を続ける様子が記録されていました。(ネットでも公開されていて、聞くたびに切なくなり、涙が出てきます)
結局、事故機は30分以上迷走を続けた後、午後6時56分ついに群馬県上野村御巣鷹山の尾根(正確には隣の高天原山に属する尾根)に墜落したのです。
この流れの中で、日本航空に明確な責任はあったでしょうか。答えは否です。しいていうならば、最初の「尻もち事故」を起こしたことくらいではないでしょうか(「尻もち事故」を起こした当時の機長は後年自殺している)?製造会社の修理を疑う余地はなかっただろうし、操縦士も当時考えうる適切な対処をしました。整備に関しても、圧力隔壁の金属疲労を発見できなかった責任はありますが、通常の修理が行なわれていればまず起こりえない疲労であり、いずれにしても発見は難しかったそうです(しかし、123便の整備にあたった整備士がやはり自殺している・・・)。ちなみに、現在では、同様の事故が起きないように、圧力隔壁の検査も徹底されています。
結局のところ、事故後の調査でも、責任のほとんど(保険会社の算定では8割以上)はボーイング社にあるとされ、それをボーイング社も認め、日本航空側に賠償金を支払っています。
にも関わらず、ほとんどの人はあの事故の責任が日本航空にあると思い込みつづけ、毎年の追悼特集では、出演者から的外れな指摘を受けるのです。日本航空は今も、墜落現場である御巣鷹の尾根の保全のために少なからずお金を出しているそうです。それに対して、今朝の番組でコメンテーターが「日航はお金より心の救済を」とか言っていたのですが、事故の責任のほとんどがボーイング社にあるにもかかわらず、これまで21年間も真摯に対応(賠償額は約600億円にのぼる)してきたことを彼らは知っているのか・・・、非常に疑問です。日本航空を批判する前に彼らはきちんと事故について調べたのか・・・、気になってしかたがありません。飛行機事故というものは、一度起こるとその規模の大きさから非常に注目されますが、それゆえに憶測が一人歩きしやすいものです。御巣鷹山以降に発生した、中華航空機の名古屋空港墜落事故も、相当に規模の大きいもの(乗客乗員271名中264人が犠牲になった)でしたが、現在ではほとんど報道されていません。そちらは乗員の操縦ミスが原因でした。インターネットで事故に関する記述を調べると(グーグルにおいて)、「日航機墜落事故」の327,000件に対して、「中華航空機墜落事故」の方は66,600件と、一般の関心も薄くなっているようです。事故後の対応(中華航空は、賠償金について国際条約で定められた額しか支払わないと主張し、日本国内の賠償基準で支払うべきという遺族と裁判にもなった)なども考えると、この扱いの小ささについては疑問がわきます。
確かに、昨今日本航空のトラブルは多くなっています。日本エアシステムとの統合や、民営化以前の名残である複雑な社内体質も影響しているのでしょう。このことについては、早急に改善してもらいたいですが、実際に日本航空は改善に向けて取り組み始めています。この春、羽田の日航整備センター内に、御巣鷹山事故の遺品や資料等を展示する、安全啓発センターが設置されました。これは主に社員の研修に使われ、安全に対する気概を再確認させようという施設です。事前に予約すれば一般の人も見学できます。
御巣鷹山から21年、この間、国内の航空会社は旅客が死亡する事故を起こしていません。このことについては、世界的にも高く評価されています。この流れが途切れぬよう、各航空会社の方にはこれからも頑張ってもらいたいものです。これは、一飛行機好きとして以上に、一利用者としての切実な願いです。
最後に、御巣鷹山事故の犠牲者の方々のご冥福を祈り、合掌。

月が綺麗です。

2006年08月07日 22時36分10秒 | うちなー日記(沖縄編)
ここのところ、うす雲や埃の影響か、赤っぽい色だった月でしたが、今晩は久々に綺麗な黄色の月を見られました。
近畿地方に接近している台風の影響で、空気中の埃が飛ばされたようで、星もよく見えました。
やはりいつもの黄色い月は安心しますね。
写真は、月明かりのなら燈花会会場の写真です。

月が赤いんですけど・・・

2006年08月06日 11時39分12秒 | うちなー日記(沖縄編)
ああ、月が赤い!世界の終わりか・・・!?
・・・・というのは冗談として、この数日奈良では月が赤い状態が続いています。正確には、地平線に近い場所では赤く、天頂付近では赤みを帯びた黄色なのですが、ある噂では、大地震の前の晩に赤い月を見たとか・・・・。まあ、実際のところ因果関係はよく分からないそうです。ある方の説明では、地震前には、岩盤に大きな圧力がかかるため、エアロゾルが大気中に噴出するので、大気中を通して見える月の色は赤くなるとかなんとか・・・。
興味深いのは、この数日赤い月が広範囲で観測されているらしいことです。巨大ネット掲示板、「2ちゃんねる」でも、「月が赤い」というスレッドが林立している状況で、その書き込みによると、大阪、京都、愛媛、広島、秋田、新潟、埼玉、神奈川、静岡、長野、岐阜、千葉、奈良とかなり広い地域で赤い月が観測されているようです。
実は私は、これまで何度か赤い月は見たことがあります。
一昨年の10月ごろ、一昨年の11月、そして去年の10月と、はっきりと覚えているのはそのあたりですが、地震との因果関係が疑われるのは、最後の去年の10月のものです。
去年の10月初旬、大学祭の打ち上げで先輩の家に遊びに行ったとき、ベランダから見た月が異様に赤黒く、気になったので写真を撮ったのですが、その2、3日後に与那国島近海でマグニチュード6クラスの地震が発生。幸い震度は大したことはなく、本島は震度1でした。
多分偶然だと思うんですけどね・・・。
今回の赤い月は、どうも天候が関係ありそうです。ここのところ、まったく雨が降っておらず、空気中に埃がかなり混じっているようです。一般に、夕焼けや朝焼けというのは、地面に近いところにある埃や水分に光が吸収され、赤く見えるのだそうで、「赤い月」も同じ原理だと思われます。最近、昼間も霞がかっており、すっきりとした青空ではありません。多分少し雨が降れば、この状況も改善されると思うのですが・・・。
と、書いていたところ、8月5日付けの朝刊で、4日に奈良県地方で光化学スモッグ注意報が発令されたと出ていました。昨日5日も、同様に発令されたので、恐らくここ数日の月の赤さはスモッグの影響のようです。なお、東京など、他の都道府県でも光化学スモッグ注意報が発令されているそうなので、ここのところ全国的に晴れが続いているのが影響しているようです。