うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

九州旅行その後・・

2010年03月30日 10時32分17秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
太宰府の祖父の家に着いたのは、実は予定よりも1時間近く早い時間で、祖父母は共に買い物に出掛けていたため、帰りを待ちました。途中で甘木の大叔母(祖母の妹)も合流し、近況報告などをしていると、ちょうど予定していた時間に祖父母が帰ってきました。
半年ぶりに祖父母と会ったのですが、大学院進学に際して多大なる支援を頂いているので、まずはそのお礼と、やはり近況報告をしました。例の、先日アメリカの論文誌に受理された論文の概略も見せましたよ。
本当に、祖父母には私が恩返しできるようになるまで、まだまだ長生きしてもらわないと・・と思います。
薩摩隼人の祖父はいつも通りのツンデレっぷりで、「お前が来るとご飯代が高くついて困る!」と言いつつ、この日も近所の鮮魚店のお寿司を2人前×7つも用意してくれて(祖父母と大叔母、母と私の5人しかいないのに)、今回も満腹にしていただきました。(後の運転が大変だ・・)

計3時間ほど祖父の家に滞在した後、甘木の大叔母の家に、祖母と一緒に向かいました。大叔母の車の先導で、裏道を走ったのですが、インサイトは5ナンバー車なので、割と細い道でもそれほど緊張せずに走れました。
30分ほどで甘木に到着。平成の大合併で、甘木市も朝倉市甘木となっていました。大叔母の邸宅にお邪魔し、まずは去年秋に亡くなった大叔父の仏壇を拝んだ後、再びそれぞれの近況などの世間話に花が咲きました。

ここでも2時間ほど滞在した後、祖母と大叔母と別れ、熊本方面に向かいました。
夕暮れまでに墓参りを済ませたかったので、山鹿市近郊(旧三加和町)の父方の先祖の墓へ急いで参りました。この辺は、ここ20年間ほとんど変わらない、いわゆる田舎の風景が残っている地域で、いかにも「田舎に帰ってきた」という感覚を味わえます。
いつもの商店に車を停めさせてもらい、その店でお供え物を買って、数百mほど離れたお墓へ歩きました。途中、田圃に菜の花が咲いていて、春らしい光景を楽しめました。1年半前のお彼岸以来の参拝で、お墓の現状が気になっていましたが、どうやら先客がいたようで、草取りなどはちゃんとされていました。それでも枯れ枝などが散らばっていたので、軽く箒で掃いてから、拝みました。


お墓の近くの菜の花畑。左手の森は城跡で、その麓に堤家累代の墓があります。

お墓を後にした我々は、植木町の父方の親戚の家(祖母の骨が納骨されている墓がある)に向かいました。植木町は、つい先日の今月23日に熊本市と合併し、熊本市植木町となりました。西瓜の名産地で、温泉地でもあるのどかな町でしたが、合併により来年4月からは
政令指定都市の一角となります。変わるものですねぇ・・。
この日はここで泊めさせてもらいました。

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翌朝、8時半に植木の親戚の家を出発、佐賀県鳥栖市の叔母(母の姉)の家へまずは向かいました。去年、息子さん(つまり私の従兄弟)が結婚された(一応、このブログでも書いたのですが、途中で終わってる・・)のですが、この度赤ちゃんが生まれたそうで、写真を見せてもらいました。お父さん似だったかなぁ・・。従兄弟は高校からラグビーを始めたのですが、めきめきと頭角を現し、花園で準優勝、大学でもラグビーを続け、今は神戸製鋼に勤めています。私と4歳違いで、まだまだ現役選手として活躍するものだと思っていたのですが、なんと子供が出来たのを期に、今回現役を退いたそうです。ラグビーの引退の年齢としてもかなり早い方ですが、今後は後進の指導で活躍したいとのこと。私の4年後といったら、まだ博士号を取得できるかどうかで、ようやく社会にデビューするかも・・といった年ですから、世界の違いをひしひしと実感します。(良いんです、私は大器晩成型だそうなので・・)
叔母の家で道路地図を借り、この後の行動を考えました。当初の目論見では、長崎へ行くつもりだったのですが、この日の大阪へ戻る船の出航時間は17時。小倉駅北口から港への無料送迎バスは15時40分に出発することになっていたので、レンタカーの返却時間などを考えると、この時点で残り時間は5時間弱しかありませんでした。長崎へもし行ったとしても、滞在時間は1時間も取れず、ご飯を食べるくらいしかできません。仕方が無いので長崎へ行くのは諦めるとして、このまま北九州まで真っ直ぐ帰るのも面白くありません。どこか良い寄り道先が無いかと考えていて、思い出しました。私はこれまで日本全国47都道府県の内、46都道府県を既に踏破しましたが、未だ未踏の県がすぐ近くにあったのです・・。それが「大分県」です!鳥栖から最寄の「大分県」である日田市までは30分ほど。往復して九州自動車道に戻っても、十分フェリーの時間に間に合います。
善は急げ、早速叔母の家を出発し、インサイトで走り出しました。

途中、うっかり高速道路を乗り間違えて、大分へ行くつもりが長崎自動車道に乗ってしまうミスがあったものの、1つ目のインター(十数キロ先でした)でUターンし、なんとか方向修正し、予定通り30分ほどで大分県境に至りました。


大分自動車道の福岡・大分県境。実は、母の実家は以前朝倉郡杷木町(現朝倉市)にあったので、日田市は目と鼻の先でした。私も何度も杷木へは行ったことがあるのに、大分県が最後の未踏県になるとは、因果なものです。
ともあれ、この県境を越えた時点で、私はついに日本全都道府県を踏破したわけです。

道が空いていたので、もう少し足を伸ばして、かねがね一度行ってみたいと思っていた、湯布院を目指すことにしました。


そして鳥栖出発から1時間半、湯布院に到着しました。(写真は由布岳PAから撮影)
とりあえず湯布院インターの目の前にある、道の駅に入りました。
この時点の時刻は12時20分。せっかくなので温泉に入りたいところですが、ちょっと時間に余裕が無いので、断念。


道の駅からも由布岳が綺麗に見えていました。


昼ご飯は道の駅の露店で購入した「地鶏唐揚げ(柚子胡椒味)」と「とりめし」でした。
唐揚げと柚子胡椒はあいますねぇ。自分でも今度作ってみようと思いました。

お土産なども買い、40分ほどで道の駅を出発。
九州自動車道へは戻らず、このま大分道を東進して九州東海岸側へ出て、日出ジャンクションから宇佐別府道路に乗り換えて北へ転進、宇佐からは国道10号線で北九州を目指すルートで走ることにしました。カーナビの予想到着時間は3時間後の16時頃ですが、タイムリミットは残り2時間。正直間に合うのは難しいかと思いつつも、路上の人になりました。

走り始めると、大分道、宇佐別府道路ともに空いていて、他の車の速度もかなり速かったため、湯布院から僅か30分で国東半島を縦断して宇佐まで至りました。さらに下道に下りてからもほとんど信号に引っかからなかったため、平均速度40キロ程度で走り続けることができ、結局小倉駅北口にはカーナビの予想よりも1時間早い、15時前には到着できました。
その後指定ガソリンスタンドで給油し、レンタカーを返却しましたが、送迎バスには十分余裕を持って間に合うことができました。これだけスムーズに走れたのも、インサイトのおかげかもしれません。


帰りの船は、名門大洋フェリーの「フェリーきたきゅうしゅう」。
全長160m、9350総トンで、阪九フェリーの船よりはやや小柄な船です。就航は1992年で、既に18年を経過しているため、同じ会社の2便(20時発)で使われる船と比べてかなり古さが感じられます。(もう新造船に代わってもおかしくないのですが、燃料費高騰などの影響で、なかなか余裕が無いようです)
今回は高校の剣道部や少年サッカー、バスケットボールのグループが多く乗船していたため、船内はかなり汗臭い感じでした・・。
この船には安価な1人部屋は設定されていないため、特2等(8人相部屋)を利用しました。(あまりむさ苦しかったので、乗船後に母は女性専用部屋に変更しました)


新門司港をほぼ定刻に出航後、すぐに右舷側に新北九州空港が見えてきました。
ちょうど、この空港を拠点とするスターフライヤーの飛行機が降りてきました。

今日は結構長いこと運転して疲れたので、周防灘に出た辺りで、早々に寝入りました。


翌朝、つまり今朝は午前2時に起床。ロビーで研究作業(持参したPCで)を行って、大阪南港入港まで過ごしました。

大阪南港には午前5時半入港。甲板でその様子を見ていたのですが、夜明け間近の空の色にしばし見入りました。


その後、ニュートラムと近鉄、自家用車を乗り継ぎ、9時頃に三重県伊賀市の実家に帰りつきました。
近畿地方では前夜から雪が降ったらしく、3月末だというのに珍しく雪が積もっていました。

今回の九州旅行のまとめ、
・インサイトは良い車だ。
・大分はまたゆっくり行ってみたい。



太宰府にて

2010年03月28日 09時32分01秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
フェリー「せっつ」は定刻6時に新門司港に入港しました。
韓国人ツアー客がやや騒がしかった以外は、まあ快適な船旅でした。船内で研究作業(今月中にパソコンでデータ処理しないといけないのです)もできましたし、やはり船にして良かったと思います。

港からは無料送迎バスで門司駅(再開発でたいぶ景観が変わりましたね)まで出て、JRで小倉へ。


現在の門司駅。立派な橋上駅になっていて、北側にはタワーマンションもできていました。


小倉駅南口のビルは何度見ても面白い構造ですよね。誰が考えたのでしょうかね。門型のビルからモノレールが飛び出して来るなんて・・。

小倉駅北口のオリックスレンタカーで車を借り、九州自動車道で太宰府に至りました。
今日のレンタカーは、一昨日夜に急遽インターネットで予約した、格安プランSクラス(ホンダ・フィット相当)のはずでしたが、レンタカー会社側の都合で車がアップグレードし、なんとあのハイブリッド車、インサイトになりました!
プリウスには以前試乗会で乗ったことがありますが、インサイトはなかなかそんな機会もなかったので、どこかで一度乗れたらなと思っていたのです。

運転席の情報画面によれば、小倉から太宰府までの燃費は22km/L(!)で無給油での航続可能距離はなんと1000kmとのことでした。東京まで行けちゃいますがな・・。
ハイブリッド車、おそるべし・・。

それにしても、インサイト、格好良いですねぇ。

フロントから。


メーター。デジタル表示となっており、定速走行がし易くなっています。
中央の情報画面は、エンジンとモーターの出力状況や、瞬間燃費、航続可能距離などの切り替えが可能です。


途中のPAで新型プリウスと並んだので、比較用に一枚・・。かなりよく似たデザインの両者ですが、フロントマスクはインサイトの方が私の好みに合っています。インサイトは旧来の車の正統発展系という感じでしょうか。ハイブリッドのシステムや内装的にも、プリウスは未来の車というイメージが強いです。


後ろから見ると、さらにそっくりな両者。私はこれまで見分けがつきませんでしたが、今回、ようやく差が分かりました。テールランプの上下方向の長さで区別が付きますね。

出航

2010年03月27日 18時00分17秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
ただ今、阪九フェリー「せっつ」の船内にいます。

今日から母と二人、3泊4日で九州を旅行してくる予定です。
遅いお彼岸みたいなもので、熊本(父方)や福岡(母方)の親戚の家及びお墓にお参りします。

今しがた、船は泉大津港を出航しました。明日の朝5時半には北九州・新門司港に到着する予定です。
その後は小倉でレンタカーを借り、一路太宰府の祖父の家に向かうつもりです。
往復フェリー利用なので、実質36時間ほどの九州滞在ですが、効率良く廻ろうと思います。


阪九フェリー「せっつ」
全長189m、全幅27m、15200総トンの大型フェリーで、瀬戸内海では最も重いフェリーです。阪神淡路大震災の年、95年の12月に就航したため、当初は「We Love KOBE」という文字が船体に大きく描かれていました。総トン数の割に船室はコンパクトにまとまっています。

今日の船室はこちら。↓

今日は2等指定A室を利用しています。一人部屋の個室です。
他のフェリー会社の場合、一人部屋は大概1等相当の船室で、お値段もお高くなってしまいますが、阪九フェリーでは2等相当に当たり、学割も適用されますから、私もよく利用しています。おまけに今日は高速道路割引に対抗して、土日25パーセント割引になっているため、7000円でチケットを買えました。

写真の通り、カプセルホテルに机と通路が付いたような構造になっていて、鍵もちゃんとかかります。
テレビはベッドの天井に埋め込まれています。
夜行バスよりも安くて、この設備なら、なかなか良いではないでしょうか。

祝!閲覧回数15万回突破

2010年03月25日 04時31分04秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
当ブログの閲覧回数が昨日までで累計15万回を突破いたしました。
これもひとえに皆様の日々のご愛顧の賜物でございます。
拙いブログではございますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m

10万回突破は去年の9月12日でしたから、およそ半年で5万回閲覧されたことになります。
当ブログの歴史を書きますと、
2005年6月8日  :我がHP「大和人もとすけ」内の「うちなー日記」、「もとすけのコラム」として開始。
2006年9月27日 :gooブログに「うちなー日記」の内容を移行。「うちなー日記」として運用開始。
            その後、当初niftyココログに移行していた「もとすけのコラム」をgooブログに統合、
            「うちなー日記(もとすけのつぶやき)」に改称。
2009年10月   :北海道大学大学院進学を期に、「うちなー→えぞ日記(もとすけのつぶやき)」に改称。
            今に至る。

となっており、「うちなー日記」の開始から今年で5年目となります。
開始当時、私は大学に入学したばかり。若かったですなぁ・・。
まあ、まだ今でも23歳なので十分若いのですがね。
多分、gooはNTT系列なので、そう簡単にはサーバーは無くならないと思いますし、今後も数年単位でブログを運営し続けられるでしょう。今後も、私の日常や非日常を出来得る限り皆様にお伝えしていくつもりです。
「日常」といっても、この5年でだいぶ変わりましたよね。5年前はまだ単位を取得し始めたばかりで、高校までとあまり変わらない、授業を受ける日常でしたが、今やバリバリの研究生活が日常となっています。今後数年以内には何らかの形で就職することになりますから、ますます「日常」の形は変わっていきそうですね。そういった変化も、長期間記録をつけ続ける醍醐味でしょうか。

ところで、去年の9月13日の記事では、人口10万人の都市を挙げましたが、今回も人口15万人程度の都市を挙げてみることにします。小樽市、東京都青梅市、千葉県浦安市、広島県尾道市、鳥取県米子市・・。知名度の高い市が徐々に出てきましたね。ちなみに、合併前の鳥取市も人口約15万人でした。今の調子でいけば、今年中に20万人都市は突破できそうですね。目指せ、政令指定都市!

平城宮跡に行きました。

2010年03月22日 21時22分03秒 | えぞ日記(北海道編)・・趣味
↑朱雀門から見た平城宮跡

昨日は昼に奈良市の平城宮跡に行ってきました。

今回は朱雀門の近くに車を停めて、そこから大極殿方向へ散策しました。
平城宮跡は、西大寺にある近鉄百貨店に行く沿線にあり、幼い頃からよく通ったことがありましたが、当時はまだ建物は復原されておらず、ただただ広い空き地が広がり、一部の柱の跡に木が植えてある程度でした。
朱雀門は平成10年に復原完成しましたが、近くで見たのは実は今回が初めてでした。(まもなく完成する大極殿の方は、以前工事中の見学会に参加しましたが)

平城宮跡は、東西1.5キロ、南北1キロ、およそ120万平米(ちょうど琉球大学と同じくらいですね)の面積があり、ちょっとした空港くらいの広さです。ちなみに、中国北京の紫禁城の城内が72万平米らしいですから、大陸の宮殿と比べても非常に壮大な宮殿だったことが想像できます。


上が紫禁城で、下が平城宮跡です。(同縮尺)

平城京自体が壮大な計画都市で、朱雀大路などは幅70m余の直線道路が4キロにも渡って続いていたのですよ。これは関西国際空港の第2滑走路に匹敵する規模です。東大寺大仏殿も現在よりもさらに1.5倍巨大な建物でしたし、一説には100m近い高さの七重塔が聳えていたとか・・。まあそれを言ったら大山古墳などの例もありますし、ピラミッドしかり、秦の阿房宮しかり、古の人々は今以上に大きな感覚で物事を捉えていたのでしょうね。


朱雀門からまっすぐ北へ進むと、200mほどで近鉄の線路に行き当たります。旧跡、ましてや世界遺産である平城宮跡を複線の線路が横切っているのに驚く人も多いはずです。
本格的に旧跡としての保存運動が始まる以前に作られたものですから、当時はあまり問題にならなかったのでしょう。特に朱雀門から大極殿方向を眺めると、架線がかなり目障りに見えます。国営公園化され、今後も建物の復原が徐々に進められると思われます。そうなるとますます近鉄の線路が邪魔になってくるでしょう。将来的には西大寺駅ともども地下化を検討しているそうですが、木簡などの埋蔵遺物の問題などもあり、工事に取り掛かるまで時間がかかりそうです。せめて、架線をもうちょっと目立ちにくくできれば良いのですが・・。
ま、現状は撮り鉄にとってはかなり良い撮影スポットですけどね。


平城宮跡の各所では、4月から開催される平城遷都1300年祭メイン会場の設営が進んでいました。ほとんどの建物は仮設のもので、すぐに現状復帰できるように作られていますが、朱雀門の西側に建設されている「平城京歴史館」と「遣唐使船」は恒久的な建築となっています。ここは平城宮跡から少しはみ出た場所に位置しており、遺跡と重複しないようです。まだ工事中で、建物には入れませんでしたが、完成後は是非見学したいものです。


ではでは、復原建築物を見て行きましょう。
まずは朱雀門です。幅25m、奥行き10m、高さ22mの二重門として復原されています。これが完成したことで、平城宮跡のイメージがかなり変わりましたね。観光地としての魅力が上がったことはもちろん、先ほどの近鉄線や宮跡の南を通る阪奈道路の車窓から見えますから、古都のシンボルになっていると思います。ドラマ「鹿男あをによし」の中でも奈良のイメージとしてよく使われていましたよね。(ちなみに最終回で出てきた「奈良駅」の場面は「天理駅」で撮影されていました)
最近、「実は二重門ではなく、単層だった」という新説が出て話題になりましたね。この門は外国使節の歓待などにも使われたそうで、それなりの威厳を示す建物だったと思われますが、果たして真実はどうなのでしょうか。余談ですが、韓国の扶余に作られたテーマパークの「百済王宮」は朱雀門をかなり参考にしているようですから、結果によっては、あちらにも少なからず影響が出てくるでしょうね。


いよいよ大極殿(第1次大極殿)です。幅44m、奥行き19.5m、高さ27mの大きな木造建造物です。既に外観は完成していますが、落成式典は4月に行われるそうで、内側でまだ工事が行われているようです。
京都御所の紫宸殿のような簡素な造りも好きですが、この鮮やかな色彩は美しくて良いですね。先日フェリーの中で見たテレビでは、この建物に「あをによし」という言葉を当てはめていました。「青丹よし」、つまり丹(赤)色と青色の対照が素晴らしいとのこと。「よし」は間投助詞であって、「良し」の意味ではないとか、青と丹は分けて考えないとか、解釈は色々とありますが、「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」といった当時の歌を見ると、やはり「あをによし」という言葉はこの建物にしっくりとくる気がします。


斜めから見た大極殿です。
大極殿周辺は、鉄製の仮設塀で囲まれています。率直に言って、仮設塀はちょっと安っぽい感じがします。是非、今後ちゃんとした塀を復原してもらいたいものです。


ちなみに、2年前の秋には、工事中最後の一般公開が行われました。そのときの様子がこの写真です。屋根を間近で見られて、細部に至るまで実に細かく再現されていることに驚きました。瓦の質感が印象に残っています。


資料館から見た東の山々。午前中は黄砂が酷くて山は見えませんでしたが、折からの強風で流されたらしく、昼以降は綺麗に山々が望めました。
実は、昨日は朱雀門から大極殿や資料館を目指して宮跡を縦断したのですが、どちらもまだ工事中で見学はできませんでした。4月24日にオープンするみたいですが、道中にその旨が掲示されておらず、私以外にも資料館の前で呆然としている人を見かけました。春休み期間なのですから、もうちょっと早くに資料館だけでもオープンしてくれたら良いのに・・と思いました。(1万歩以上歩いてしまいましたよ・・)


さて、平城遷都1300年祭はもちろん楽しみですが、将来的な平城宮跡の整備も気になりますね。是非全ての建物を復原してほしいものです。しかし、未だ発掘作業は続いており、今までに完了したのは、宮跡の3割に過ぎないそうです。とりあえずは既に概要が把握されている、大極殿院と朝堂院、そして応天門まで復原できれば、かなり迫力のある景観になると思います。建設費はそこそこかかると思いますが、これだけまとまって宮跡が残っている場所は稀なのですから、首里城のように、なんとかして全体の復原に着手してほしいと思う今日この頃です。

黄砂

2010年03月21日 23時42分56秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は全国的に強風と黄砂の影響が大きかったようですね。
奈良や三重でも、今朝はかなり濃度の濃い黄砂が漂っていました。

今日も実家から名阪国道で奈良方面に出たのですが、沿線風景が中国のように見えました。

砂以外にも身体に悪そうな物質がいっぱい混じって飛散していそうなのが嫌ですね。
ゴビ砂漠緑化プロジェクトなど、日本も黄砂の抑制のための支援を行っているそうですが、中国があの調子で成長し続ける限り、まだまだ黄砂の規模は大きくなっていくのでしょう・・。




桜が咲いています。

2010年03月19日 16時37分24秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
高校の同級生に会う約束があったので、今日は早速天理市に出てきました。

天理ではもう桜が咲きはじめています。
早咲きの木だと、既に七分咲きといったところです。
札幌ではまだ一ヶ月以上は桜の花は拝めませんから、こちらで一足早く春を実感できて良かったです。

実家到着

2010年03月19日 01時59分52秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
敦賀から2時間半、長浜と草津で乗り継いで、実家近くにある柘植(つげ)駅に到着しました。
敦賀で予定より早い電車に乗れたおかげで、特急列車を使わずに済んで良かったです。

駅には家族が迎えに来てくれていて、家の車で実家に帰り着きました。
実家のある伊賀地方は、今夜は薄く霧が出ていて、なかなか幻想的でした。霧は春先に出やすいものです。昨日の夜、札幌を出発したときは雪景色でしたから、高速フェリーに乗って、季節の境を越えて来たんだな・・と一人感じ入りました。

僅か二ヶ月ぶりの再会ですが、やっぱり普段離れ離れで生活していると、久しぶりに生身で接するのは嬉しいものですね。



草津線の車両は、懐かしの湘南色の113系でした。通勤路線として定着しているようで、草津からしばらくはほぼ満席でした。


車内も古典的ボックスシート。この車両も近々引退するとの噂が流れています。

敦賀駅にて

2010年03月18日 21時10分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
船は定刻の午後8時30分に、敦賀新港に到着しました。
荒天での定時運航、船と船員さんにはご苦労様と言いたいですね。


徒歩での下船客は8人のみで、駅への連絡バスはすぐに出発しました。
駅までは20分弱の道のりで、目当ての9時10分発の米原行きに十分間に合いました。


6年ぶりの敦賀駅です。改札が自動化されていなかったり、ホーム配置が不思議なこと(4番線が5番線の先にあり、150mほどホームへの階段から歩かなければならない)になっていたりで、なかなか個性的な駅です。

このまま乗り継げば、終電よりも一つ早く実家近くの駅に着けそうです。

石川県沖を航行中

2010年03月18日 19時19分10秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
その後、うねりを伴った横波に大きく揺さぶられつつも、「あかしあ」は順調に日本海中央部を疾走し続け、無事に石川県沖まで至りました。
あと1時間強で敦賀入港です。
敦賀からはJRで実家の近くの駅に向かう予定ですが、船が定刻に着いたとしても、終電に間に合うかどうかが微妙なところです。

今日の日中は、プロムナードデッキで海を眺めたり、シアターで映画(「おくりびと」と「オーマイゴースト」)を観たりして過ごしました。

ケータイも圏外ですし、日頃のせわしなさから解放されたひと時でした。

途中、午前10時30分頃には、敦賀から苫小牧へ向かう僚船の「すいせん」(「すずらん」と同型姉妹船)とすれ違いました。
やや海が荒れていたためか遠距離でのすれ違いで、特に船内放送もなく、他の乗客は気付いていませんでした。


船首に大波を受けて進む「すいせん」。船室のカーテンもほとんど閉まっていますし、あちらも乗客は少なそうです。


お互い超高速航行中で、相対速度約120キロでのすれ違いなので、ほんの数分ほどで視界から去っていってしまいました。




午後1時からは映画タイムで、6階のコンファレンスルーム(シアター)で「おくりびと」と「オーマイゴースト」の2本立てで上映されました。
題名からお分かりのように、2本目は幽霊ネタのコメディ映画でした。なかなかセンスを感じるチョイスです。
「おくりびと」は、昨年春に映画館で観て以来でしたが、今回も泣かされてしまいましたよ。やはり名作だと思いました。
観客は私を含めて5名程度でした。



船上の日の出

2010年03月18日 06時30分59秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
津軽海峡通過後、津軽半島を回り込むように日本海を進む「あかしあ」。
ほぼ正面からうねりを受けているため、上下動が大きく、身体にかかる重力が常に変動しています。

午前5時頃から空が徐々に白けはじめてきました。
朝の気配が感じられます。


「あかしあ」は高速なため、通常の船のように甲板に自由に出られません。「あかしあ」で唯一外の空気を味わえる場所は、5階(客室や公室は船の4階から6階にあたります)の後部オープンデッキのみです。今回、日の出を拝むため、私はこのオープンデッキに1時間以上出ていました。
外は恐らく氷点下で、雪が時折舞い込んできます。
凍りつきそうになる手を、時折ポケットに入れて温めながら、日の出を待ちました。
案内所に日の出の時間が掲示されていましたが、船体動揺のためか、私以外に甲板に出ている人はいませんでした。

そして、午前6時頃、ついに日の光が雲の隙間から差込みました。
心が洗われるような光景でした。



ロッド・スチュワートの「セイリング」を思わず口ずさんでしまいました。

津軽海峡通過中

2010年03月18日 04時00分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
現在、「あかしあ」は津軽海峡を通過中です。

寝た記憶はなく、うとうとしながら1時間くらい経過しただろうかと思って時計を見たら、すでに出航から4時間経っていました。お酒の効果みたいです。


この海域は波高3メートルとシケており、船のあちこちから軋む音が聞こえ、時折船首に波が当たる「ドーン」という音も響いています。しかし、揺れはほとんど感じません。フィンスタビライザーを展開しているのと、やはり大きな船だからでしょうか。
今日の日中は、徐々に波も低くなってくるので、そこそこ快適なクルーズが楽しめるはずです。

今はたまたま陸地に近いところを航行しているため、電波は通じていますが、これから日本海のかなり沖合まで進んでいくので、間違いなく圏外になります。というわけで、今の間に更新しておこうと思ったわけです。

ほろ酔い加減って気持ち良いですねぇ・・。

新日本海フェリー あかしあ

2010年03月18日 00時02分10秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
ただ今、フェリーに乗船しました。

こちらが本日の船、「あかしあ」です。日本最大かつ、最速の韋駄天フェリーです。
日本の大型船の場合、法令で全長200mを超えると「巨大船」に分類され、フェリーとして運用するには色々と不都合が生じるのだそうで、大体はぎりぎり200m足らずで造られています。
しかし、この船はそんなしがらみを乗り越え、なんと全長224.5mという長さで造られました。
トン数では、同じ新日本海フェリーの僚船に譲りますが、全長では日本最長(カーフェリーとしては世界最長)を誇ります。
しかも、航海速力は30.5ノット、通常のフェリーより10ノット近く速く走れ、この舟脚のおかげで、北海道と関西をわずか20時間で結びます。
そして、私がもっとも気に入っている点が、三菱重工長崎造船所で建造されたというところ。豪華客船「飛鳥」や、「サファイアプリンセス」と同じ造船所で造られたのです。なんとなく船内も高級感があるような・・。

ただ、今日は爆弾低気圧の余韻で、北日本の海はシケているそうで、港外に出たら揺れるらしいです。
珍しくお酒でも飲んで早く寝ようっと・・。

-追記-
「あかしあ」がどれくらい大きいかというと、

これぐらいの大きさです。(以前、趣味でペイントで描いた比較図です)
ちなみに「すずらん」は、普段苫小牧東~敦賀間に就航している船で、2001年に祖母と初めて北海道に来たときに乗った船(当時は敦賀~小樽を結んでいた)です。こちらも航海速力29.4ノットを誇る超高速フェリーです。(6万4800馬力という、フェリーではありえないような強力なエンジンを搭載しています)
こう比較してみると、「あかしあ」は、戦艦大和と十分張り合える大きさですね。

「あかしあ」の推進機関はちょっと変わっていて、通常2機関2軸でスクリューを配置するところ、2機関1軸のスクリューとアジポッド(モーターを内蔵した、舵と一体型の推進装置)を直線状に組み合わせた、CRP(二重反転プロペラ)ポッド推進システムを採用しています。このシステムを採用した大型船は「あかしあ」(及び同型姉妹船の「はまなす」)が世界初ということです。これを採用したことにより、超高速フェリーでありながら、従来船よりも13%以上推進性能が良くなり、省エネ化されたとのことです。

そういうわけで、「あかしあ」は一番づくしな船で、私は以前から一度乗ってみたいと思っていました。普段は小樽~舞鶴間を結んでおり、舞鶴からだと実家の三重県伊賀市に当日中に到着できないため、利用しづらいのですが、今日はたまたま苫小牧~敦賀航路の「すずらん」がドック入りしているため、代替運航に入っていて、運良くこの船に乗船できました。