うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

地震、続く・・。

2011年06月25日 02時57分46秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
先ほど、6月25日2時39分頃に浦河沖を震源とする地震が発生しました。
震源の深さは約50km、マグニチュードは5.3、最大震度は3で、我が札幌市北区の震度は2でした。窓がガタガタ言う音で目が覚めましたが、それほど長くは揺れなかったと思います。
ところで、札幌では一昨日と、さらにその2日前にも震度2以上の揺れを感じています。


21日18時51分頃に発生、震源は札幌市南東部市街地の直下、マグニチュードは3.3でした。昨年末にこの地域で群発した地震の余震でしょうか。これも札幌市北区の震度は2でしたが、このときはごく狭い範囲で短時間揺れたようで、当時大学にいた私は全く気付きませんでした。


22日23時29分頃発生。岩手県沖震源で、マグニチュード5.4、札幌市の震度は1でした。私はちょうど帰宅途中で、やはり気付きませんでした。
しかしその翌朝、


23日6時51分頃に規模の大きな地震が発生。震源地は岩手県沖、震源の深さは約20kmで、マグニチュードは6.7でした。
最大震度は岩手と青森で震度5弱に及び、緊急地震速報が発表され、さらに発生直後には岩手県沿岸に津波注意報が発令されました。
札幌市北区でも、東北地方太平洋沖地震の本震に匹敵する、震度3の振幅の長い揺れを体感しました。

東北地方での余震発生状況と比べて、北海道は地震活動が穏やかな状況が続いていましたが、ここに来て割と大きな地震が連続して起きました。やはり、ある程度の防災意識は持っておいた方が良いようですね。

-追記-
6/25 23:00

今日22時5分頃に日高地方西部を震源とするマグニチュード4.1の地震が発生、札幌市北区で震度1を観測しました。私は帰宅途中だっため、揺れには気付きませんでしたが、家に帰ってテレビを点けたらちょうど速報が流れて驚きました。震源はそれぞれ異なりますが、これほど札幌で有感地震が続いたのは私が住み始めて以来初めてですね。

あのアニメのOPのホールのモデルはKitaraか?

2011年06月19日 11時47分30秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
穏やかな日曜の朝、皆さまいかがお過ごしですか?
さて、女の子にとって日曜の朝と言えば、スイートプリキュアですね。私も将来娘が生まれたときのために予習に努めて(?)いるのですが、大きなお友達が見てもなかなか面白いアニメです。ちなみに今朝はアメリカのゴルフ中継のために、残念ながら放送はお休みでした。(石川遼のプレーを朝っぱらから家族で見る需要はあるのか甚だ疑問ですが・・)

ご存知の通り、スイートプリキュアは音楽をテーマにしたプリキュアです。そんなスイートプリキュアのオープニングテーマの冒頭、「ラー♪ラー♪ラー♪」というイントロと共に、とても印象的なコンサートホールの映像が流れます。



このホール、手前側が客席方向ですが、ステージの左右や奥にも客席が設けられています。これは現代のコンサートホールの形式の一つで、アリーナ型と言います。しかも、客席が段々畑のように細かく区切られて立体的に配置されるヴィンヤード(ブドウ畑)形式となっています。この形式のホールは20世紀後半にドイツで造られ始めたもので、客席のどこにいても良い音響を楽しめ、また指揮者・演奏者と客席との一体感を感じられるという利点があります。日本でも東京のサントリーホールやミューザ川崎など、いくつか存在しており、実は我らが札幌にもKitaraというコンサートホールの大ホールがこのヴィンヤード型で造られています。
それで・・ですよ。上のスイートプリキュアのOPで流れるコンサートホールですが、私が思うに札幌のKitaraをモデルにしているのではないかと思うのです。


Kitara外観。
すすきのからもほど近い、中島公園の中央付近に位置します。


客席中央付近から見たKitara大ホール(演奏会終了後に撮影)
全体的に丸みを帯びた美しいデザインのホールです。初めてこのホールに入ったときは、その規模に圧倒されました。客席数は2020席です。
実は、ちょうど昨日の夜に北大交響楽団の定期演奏会がここで行われたので、私も観に行ってきたところです。北大の定期演奏会では、本演奏前に都ぞ弥生のオーケストラver.が演奏されるのですが、この編曲が秀逸で、何回聞いても胸が熱くなります。
このKitaraでは、今年秋には佐渡裕氏指揮のベルリン・ドイツ交響楽団が凱旋公演する予定なので、是非聴いてみたいと思っています。

さて、本題に戻りましょう。スイートプリキュアのOPのホールとKitara大ホールを比較すると、全体的に丸みを帯びたデザイン、ステージの左右の客席のディテールはかなり類似しています。一方、奥の客席の形状が若干異なっていて、アニメの方がより丸っこいデザインです。しかし、さらに奥のパイプオルガンのデザインはやはり似ています。全体として、かなり似ていると私は思います。


よく見たら、シャンデリアの形もそっくりですね。

ちなみに、私が把握している国内のヴィンヤード型ホールは、以下の通りです。
札幌コンサートホールKitara
サントリーホール(東京)
ミューザ川崎シンフォニーホール・・震災被害で現在使用休止中
りゅーとぴあ(新潟)
この4つが該当しますが、Kitara以外のいずれもスイートプリキュアOPのホールとは似ていません。また、私が調べた限りドイツのベルリン・フィルハーモニーザールやロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールなど、海外の主だったヴィンヤード型ホールもKitara以上に似ている場所はありませんでした。つまり、スイートプリキュアOPのホールのモデルはほぼ間違いなくKitaraでしょうね。
というわけで、知らない間に私はアニメの聖地巡礼を果たしていたのでした・・。

-追記-11/07/15


Kitaraは、あの「魔法少女まどか☆マギカ」にも登場していました。(改めて見直してみて気付きました)
最終話、まどかとさやかの見守る中で上条恭介がヴァイオリンのオーディションを受ける場面のすぐ後、ソロ・コンサートをしている場面に転換しますが、そのコンサート会場がKitaraでした。スイートプリキュアと同じ場所をモデルにしているのに、アニメの作風によって描き方が全く異なるのが面白いですね。

【駅巡り002&3】 稚内駅と赤嶺駅 ~最果ての駅たち~

2011年06月15日 23時00分42秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今週も半分過ぎました。
昨日(14日)が学術振興会特別研究員(DC1)申請の学内締め切りで、教授による評価書を添付して無事に提出してきました。さてさて、無事に採用されるだろうか・・。いや、書くべきことは全て書いたし、今からそわそわしていても仕方がありません。後は運を天に任せましょう。
ところで、いつのまにやら修士課程の修了が近付いてきました。既に修論発表会の日時は決まっていて、8月2日に行われるようです。9月修了は基本的に留学生数人と私だけで少数ですから、博士課程の修了審査会と合同で行われるとのこと・・。我が研究室の代表として、それなりにきちんとした発表にしなければなりません。これまで私は抗菌蛋白質の活性について、生化学的な実験を専ら行ってきたのですが、外部に委託していた構造生物学的解析も先日成果が出たため、私の修士論文で両者を纏めて記述する予定です。しかも、近い将来の論文化を見据えて英語で修論を書くことになってしまいました。・・・でもまあ、期待されるからには、やるっきゃない状況ですね。(汗
もちろん、先日のブログで書いた別研究の論文化の話も並行して進んでいます。・・・・・( ゜∀゜) アハハハハノヽノヽノ \ / \ / \(私は全くもって大丈夫です)。

さてさて、「駅巡り」も、シリーズで始めたからには続けることが肝要ですね。今回は、特に現実逃避感が味わえる旅の「はるけさ」を感じられる、日本最北端と最南端の駅をご紹介します。


「稚内(わっかない)駅」  JR北海道・宗谷本線 1928年12月開業
2003年8月17日撮影。

北海道最北の街、稚内市に存在する駅です。戦前には南樺太への連絡船への乗り換え駅として栄え、多くの旅客・貨物を捌くために広大で複雑な構内線路配置を誇っていましたが、徐々に縮小し続け、現在ではホーム1面と線路1線のみが残るのみです。しかし、今でも稚内駅付近の埠頭からは礼文・利尻・サハリン方面へのフェリーが就航しており、交通の結節点として重要な役割を担っています。
なお、現在稚内駅では再開発計画が進行中で、上の写真の駅舎は今年4月に閉鎖され、新駅舎に業務が移行されています。また、駅前広場には再開発ビル(第1期)が既に完成しており、旧駅舎跡に第2期の再開発ビルが建設され、来年春には新たな駅前広場などの施設とともに全面供用される予定です。


稚内駅構内北端にあった「最北端の線路」の看板(2003年8月17日撮影)。
再開発のために一時撤去されていましたが、ちょうどこの写真を撮った辺りに新駅舎が建設され、現在はガラス越しに見られる場所に復活しているようです。
参考→稚内駅前地区市街地再開発HP

私が訪問した2003年当時は夜行特急「利尻」が運行されており、早朝に稚内駅に到着、北の防波堤などの観光スポットを少し見た後に特急始発のスーパー宗谷2号でとんぼ返りという強行スケジュールで訪ねました。(2007年に「利尻」は廃止)
稚内駅の乗客数は一日119人(2008年)とかなり少ない部類に入りますが、最北端の駅・終着駅・特急停車駅として、鉄道ファンにとってはとても重要な駅です。再開発完了の暁には、是非また訪ねてみたいと思います。



「赤嶺(あかみね)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年3月11日撮影。

沖縄県那覇市に存在する駅です。日本最南端の鉄道駅として知られます。この「ゆいレール」開業以前は、長らくJR九州の西大山駅(指宿・枕崎線)が日本最南端とされていましたが、晴れて沖縄県に鉄道が復活(戦前には複数の鉄道路線が存在しました)し、最南端のタイトルを獲得しました。
この赤嶺駅は那覇市街地の南西端に位置しており、周辺住民や糸満・豊見城市方面へのバス乗り換えに利用されています。一日の乗客数は1632人(2007年)で、なんと稚内駅の10倍以上です。まあ、稚内は中長距離旅客が中心で、都市交通駅である赤嶺とは単純に比較できませんが、意外に利用されているものですね。


駅前には、立派な石碑が建てられています。モザイクの人物は、大学受験前日にも関わらず余裕をかましてモノレール乗り潰しをしていた私です。(無事に通ったから良かったものの・・)
ちなみに、私が沖縄在住時代を通して赤嶺駅で写真を撮ったのはこれ一回きりでした。住んでいると、いつでも行ける気がして全然興味が湧かないものなんですよね・・。


稚内駅と赤嶺駅の位置関係。両駅間は約2500kmも離れています。ちなみに稚内駅基点で北東側に2500kmの場所はアメリカ領アリューシャン列島、赤嶺駅基点で南西側に2500km行くと、ベトナム南部になります。日本は広い!

ここまで最北端、最南端と紹介したので、最西端の駅もついでに紹介しちゃいましょう。


那覇空港(なはくうこう)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年2月24日撮影。

赤嶺駅から僅か一駅の、ゆいレールの西の終点です。その名の通り、那覇空港と直結しており、利用客は多い(乗客数4607人/日)です。ちなみに、最北の稚内、最東の東根室、最南の赤嶺よりも利用客が多く、「最果て」の代名詞網走駅(450人/日)の10倍以上も利用客の多い、元気な最果て駅です。


駅の改札口脇に設置された日本最西端の駅の碑。これは受験のため沖縄に到着した直後に真っ直ぐ撮影に向かった写真です。こちらは観光客からも目につく場所に設置されているので、結構撮る人も多い気がします。ちなみに、この駅は日本最南端の終着駅でもありますね。

さて、ここまで北南西と最果ての駅を紹介してきましたが、では最東端の東根室駅(JR根室本線)はどうなのかと言えば、実はまだ未踏なのです。釧路までは何度か行っているのですが、根室はさらに100km以上先に有り、しかも特急が停まらないのでなかなか行けずにいます。さすがに、北大在学中のいずれかには訪問するつもりですが、しばらく先のことになりそうです。






YOSAKOIソーラン見物。

2011年06月12日 23時42分14秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日はYOSAKOIソーラン祭りの最終日を観てきました。

このYOSAKOIソーラン祭り、なんでも今回で第20回目を迎えたそうで、すっかり札幌の初夏の風物詩になったものです。そういえば、私の地元、奈良県天理市でもYOSAKOIソーラン祭りのイベントを行っていたなぁ。隣の奈良市ではよく似たバサラ祭りが行われていますし、既に全国的にこの類のイベントが普及しているのでしょう。札幌に来るまでは、YOSAKOIソーランって何だか不良のする踊りというイメージを抱いていて、あまり好みではないと思っていたのですが、昨年初めてパレードを観て以来すっかり虜になってしまいました。YOSAKOIソーランは生で観ると断然迫力があって面白いのです。
私は大きいもの好きなので、特に大人数の演舞チームが一糸乱れず踊っている光景を観ると、惚れ惚れします。

今年は大通南北会場の桟敷席に整理券無しで入場できたので、椅子に座りながらゆっくり観賞できました。
その中で、特に気に入ったチームの演舞を2つ紹介します。

まずはこちら。

何やらパジャマっぽい衣装を着て踊っています。男子が水色、女子がピンクと、他チームと比べて地味なのが少々気になったのですが、踊り始めてから1分ほどで、驚くべき変化が訪れました。


一同が円陣を組んで一斉に衣装を脱ぎ捨てたところ、なんとAKB48?とサポーター(AKB48のライブを支える秋葉原オタクの皆さん)が現れたではないですか!
というわけで、その踊りをご照覧あれ。↓

AKB?×YOSAKOIソーラン

見事に秋葉原の日常を再現していました。女の子も可愛かったし、こんなYOSAKOIソーランもアリなんだなぁと感心しました。

そして、もう一つ面白かった演舞チームがこちら↓
エイサー×よさこい×ソーラン 第20回YOSAKOIソーラン祭りにて

なんと沖縄のエイサーと高知のよさこい、そして北海道のソーランの混成チームでした。南北の踊り祭りが協同で踊る姿は、なかなか胸がアツくなる光景でした。

【駅巡り001】 礼受駅

2011年06月12日 07時58分25秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
おはようございます。
先週は、我が研究室の教授陣が全員学会出張で木曜日まで不在だったので、平和でした少し寂しかったです。金曜日には博士課程でメインに行う某蛋白質転写調節因子の研究についての打ち合わせを共同研究先の先生と行い、前任者の研究結果を補完して早期の論文化を目指すことになりました。私は修士課程では抗菌蛋白質リゾチームの研究をメインに行っており、そちらもそろそろ論文化の話が出ているので、並行して2つの論文を纏めなければなりませんから、修論を纏めた後も多忙な日々が続きそうな予感・・。まあ、なんとかなるか。

さて、近頃近況報告が真面目すぎる気がするのですが、記事の内容は今回も趣味の話です。前回、鉄道研究会の展示「高倉健の駅ベスト3」について紹介しましたが、改めて振りかえってみると、私も鉄道旅行で北は稚内から南は那覇・赤嶺まで、様々な駅を訪ねたものです。全駅制覇などは夢のまた夢ですが、それらの中から個人的に面白かった駅をちょくちょく紹介していきたいと思います。
記念すべき第1弾は、JR北海道の礼受駅です。

「礼受(れうけ)」  JR北海道・留萌本線 1921年11月開業
2011年5月22日撮影。

見ての通り、車掌車を待合室として用いた小規模な無人駅です(北海道のローカル線では時折見かけます)。よく車掌車の下を見ると、不釣り合いなコンクリート製の土台が残っており、以前はちゃんとした木造駅舎が建っていたと思われます。Wikipediaによれば、半世紀ほど前には貨物取り扱いも行う立派な駅だったようです。


これは祖母から貰った昭和12年の鉄道路線図です。現在では留萌本線は名ばかりの「本線」ですが、この当時は数多くの支線が分岐していたことが分かります。留萌~増毛間には正式駅である礼受駅と舎熊駅、そして海水浴客向けの瀬越仮乗降場の計3つしか駅がありませんでしたが、その後徐々に仮乗降場が設置され、国鉄民営化と共に駅に昇格したため、今は7駅に増えています(でも利用客は明らかに減ってそう)。
まあ、何が言いたいかといえば、礼受駅は戦前から正式駅として存在する、由緒正しき駅だということです。ちなみに、もう一つの正式駅だった舎熊駅も、現在では車掌車駅に成り下がってしまっています・・。


礼受駅は、北海道地図でいうと、道北の南端の日本海側に位置しています。留萌から約6km、増毛から約10kmの地点にあり、すぐ南を留萌市・増毛町の境界線が通っています。


増毛駅で13時4分発の深川行き普通列車を見送った後、車で礼受駅まで来たのですが、5分くらいの時間差があったはずなのに列車に追い付いてしまいました。ホームには先ほど増毛で見送ったはずのキハ54が停まっています。乗降客はいませんでした。礼受駅の正確な乗降客数の情報は見つけられませんでしたが、一説には一日4人程度とか・・。しかし、貨物取扱い当時の名残か、ホーム幅は結構広いです。


駅名板。南隣りは阿分(あふん)駅、北隣りが瀬越(せごし)駅です。どちらも仮乗降場から昇格した駅で、特に阿分駅はホーム長が極端に短く、マニアの間で「朝礼台」と呼ばれています。
駅名板の左側には、ちらっと日本海が見えています。礼受駅は海岸線を走る国道から少し山側に入った場所にあり、国道には特に案内標識も存在しないため、初めてだとまず駅に辿り着けないと思います(今回は他の鉄研部員の案内で一発で着けました)。

礼受駅、戦前からの正式駅なのに、他線のローカル駅と比べるとかなり冷遇されている気がする、ちょっと悲哀を感じる駅でした。

高倉健な駅ベスト3

2011年06月07日 00時54分32秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは、ご無沙汰しております。
ここしばらく、学術振興会の特別研究員の申請書類を書き続けていて、ブログの更新をすっかりサボってしまいました。ごめんなさい。
今週木曜日に大学側の1次(チェック)締め切りが迫っていたので焦っていましたが、教授と打ち合わせを重ね、徹夜を何度か繰り返して、なんとか書きあげることができました。(教員が科研費申請締め切り間近になると近寄り難いオーラを出す理由がよく理解出来ました・・)
あとは、大学の事務に提出して間違いが無いか確認してもらった後、大学を通して学術振興会の方に正式に申請する段どりになっています。私が申し込む特別研究員(DC1)の採用率は30%程度。数年前までは20%弱だったことを考えれば、採用率は上がっていますが、それでも狭き門です。もし無事に採用されれば、博士課程在学中は毎月お給料が支給されます。通常の奨学金と異なり返済の必要はないので、経済的に非常に助かりますし、この特別研究員に採用されること自体が「我が国の科学研究の将来を担う有為な人材である」という評価を国の機関から得ることになるため、将来の研究活動において大きなインパクトがあります。私も、是非採用して欲しいと思っています。
まあ、書くものは書いたので、後は運を天に任せるしかありませんけどね。

とまあ、冒頭に重い(?)話題を書きましたが、今回のブログ記事は思いっきり趣味の話となります。
私の現在の趣味の一つ、鉄道についてです。

先週末、6月2から5日にかけて、北海道大学では北大祭が開催されました。この北大祭は、サークルと各学科1年生が催す楡陵祭と、各学部が主催する学部祭から構成されており、今年も我らが北大鉄道研究会は楡陵祭に出展しました。
北大鉄研の展示といえば鉄道模型が中心ですが、密かに模造紙での学術展示も行われます。例年、学術展示は本格的な鉄道事情の考察がテーマになってきました。例えば去年は「札沼線の電化」がテーマで、電化の目的や予想される効果、技術的な話などを検討・考察しました。ところが、今年の学術展示のテーマは「北海道の駅ベスト3」。会員が各自好きな課題設定で駅について調べ、ベスト3を決めたものをオムニバスで展示するという異色の内容でした。事前の会員各自の調査により、合計21件の「○○な駅ベスト3」が調べ上げられましたが、学祭展示ではスペースの都合上、多数決で評価の高かった上位10選を展示しました。で、この上位10選のトップに選ばれてしまったのが、私の調べた「高倉健な駅ベスト3」だったわけです・・。

学術展示のテーマが発表された後、他の会員と課題が被るのを避けるため、半ばネタで設定したのが「高倉健な駅ベスト3」でした。高倉健は、網走番外地、幸福の黄色いハンカチ、鉄道員など、北海道を舞台とした映画に数多く出演してきました。また、それらの映画の重要なシーンでは、度々地元の駅が登場しています。今回、「高倉健な駅ベスト3」では、そんな高倉健に所縁のある駅にスポットを当てて調査しました。
取材は先月22日に敢行。事前調査で高倉健主演映画で有名どころの駅をピックアップし、鉄研の部長達と日帰りで見て回りました。

と、いうわけで、以下に「高倉健な駅ベスト3」の調査結果を記します。
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◎高倉健の駅ベスト3
北海道が似合う俳優, 高倉健. そんな高倉健と縁深い駅をベスト3に纏めて紹介する.


第1位 根室本線 幾寅駅 「鉄道員(ぽっぽや)」(東映1999年)


幾寅駅ホームにて、「鉄道員」の場面を再現(部長)
ホームの奥に見える山が印象的である.

選評:映画では,「幌舞駅」という架空の支線終着駅として登場. 高倉健はこの幌舞駅の駅長, 佐藤乙松を演じた. 駅舎周辺のロケセットが保存されていて, 観光スポットになっている.
北海道の高倉健の駅と言えばこの駅であり, 映画公開で一躍観光地となったことから, ベスト1に選んだ.



第2位 留萌本線 増毛駅 「駅 STATION」(東宝1981年)


増毛駅構内にて、映画の一場面を再現。

選評:劇中でも留萌本線の終着の増毛駅として登場.
警察官の主人公, 英次(高倉健)が故郷の雄冬(増毛町南部の集落)に戻るシーンで登場し, 連絡船乗り継ぎ駅として描かれる. 1981年に国道231号線が全通するまで, 雄冬は完全な陸の孤島であり, 増毛発着の連絡船が唯一の交通手段だった. 今では車で札幌から2時間弱で到達可能である.
増毛駅も,映画公開後しばらくはロケ地巡りの観光客で賑わった経緯がある.現在でも,駅前の売店内には増毛駅でのロケ風景写真が展示されていて,高倉健との関係が強い駅であることから,ベスト2に選んだ.



第3位 釧網本線 北浜駅 「網走番外地」(東映1965年)


流氷が接岸した北浜駅の風景

選評:映画の冒頭,主人公の橘真一(高倉健)が網走刑務所収監のために「網走駅」で汽車から降り立つシーンがこの駅のホームで撮影された. ちなみに駅舎の場面は北隣の藻琴駅にて撮影されている.
この駅はオホーツク海に最も近い駅として知られ, 多数の映画, TVドラマのロケ地になっている. 訪問は流氷の時期がおススメ.


まとめ:この他, 網走駅(幸福の黄色いハンカチ),銭函駅(駅 STATION),旧上武佐駅(遙かなる山の呼び声)なども,高倉健の映画ロケに使われている. やはりローカル風情のある,地方の駅が映画に好まれるようである.
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といった内容でした。この結果は、楡陵祭の模造紙展示で展示された外、今後発行予定の鉄道研究会の冊子にも掲載される予定です。多分、何かしら加筆修正すると思います。