うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

いまだ自転車は見つからず・・

2005年07月30日 17時33分00秒 | うちなー日記(沖縄編)
あれから2週間がたとうとしていますが、いまだに自転車は見つかりません。学校への登校は、仕方なく歩いています。案外歩いても15分くらいで着くことができ、それほど時間のロスにはなっていません。(自転車なら5分以内で着けるのですが)ただ、炎天下を歩くのがこれほど辛いとは・・行きと帰り、それぞれに途中の自販機でジュースを買わないと、体が持ちません。
TSUTAYA(距離:5km)などの遠くへは、寮の友達に自転車を借りて行っています。その自転車も、変速機つきの軽快車なので、乗り心地はけっこう良いです。
いずれにしても、そろそろ新しい自転車の購入を考えた方が良いかも・・・


花火を見に行きました。

2005年07月23日 17時30分51秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は念願の花火を見に行きました。
ことは先週から始まります。先週の土曜日、私は寮の先輩と、本部町の海洋博公園花火大会に行く予定でした。ところが、いざ車に乗り込むと、なんと故障で一寸たりとも動かない状態で(なんと走行距離720,000km!寿命か?)、結局花火は見に行けませんでした。(先輩は本当に残念そうでした。)
それから一週間後、新聞で、隣町の浦添市の夏祭り「浦添てだこ祭」の花火大会を知り、男たちはリベンジを果たすべく立ち上がったのでした。
友達に自転車を借り、先輩と共に嘉数公園に向かいました。この公園を観覧場所に選んだのは、私の事前のシミュレーションにより、この公園の展望台から見るのが最も静かで、綺麗に写真に撮れるはずだという結論に至ったからです。
嘉数公園到着後、ドリンクを調達して、125段の石段を上りきると、展望台に到着しました。ここは、太平洋戦争中に激戦地となったところで、慰霊塔が展望台脇に建てられています。まずは、そこで拝み、ここで写真を撮影することを報告しました。
花火は21:15分頃開始予定でしたが、21時すぎに予想外の方向から花火が上がりました。牧港の方角でした。1分ほどで終了。確かに浦添市内ですが、まさか今のが花火大会?小さすぎではないのか?とは思いましたが、他の見物客も帰るので、多分今のがそうだったんだろうと思い、とりあえず普天間基地の夜景を撮っていました。すると、当初の想定通りの場所から花火が上がり始めたのです。どうやらさっきのは別のものだったようです。
やはり花火は良いですね。この花火大会では、特に様々な形の花火が上がっていました。無我夢中でシャッターを切り続けました。花火は30分くらい続き、最後は大きな3尺玉で締められました。感動しました。
できればこの夏のうちに、またどこかの花火大会に行きたいものです。




盗難届けを出しました。

2005年07月21日 17時28分35秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、日曜日に盗まれた自転車の盗難届けを出しに行きました。(もちろん初めてです)
朝、友達の自転車を借りて、寮から最も近いと思われる交番(それでも4kmもある)に行きました。中に入ると、4名の警察官が居て、各人パソコンで作業中。改めて世間のコンピュータ化の進展を実感しました。
とりあえず正面にいた新人さんっぽい警官に、「自転車を盗まれたので、盗難届けを出したいのですが・・・」と切り出したところ、応対は、意外に親切で、一安心しました。
とりあえず盗難届けの書類を作成するため、名前や生年月日などの個人情報と、盗まれた自転車の製造番号や防犯登録番号、盗難の詳しい状況などを聞かれました。
興味深かったのが、盗まれた物品の購入金額と時価の項目でした。購入金額は、確か30,800円でしたが、時価とは? 悩んでいると、「だれかに売るとすれば、幾らくらいで売るかということですよ」とのこと。前輪ブレーキなど、ところどころ故障しているので、12,000円くらいと答えました。
すべて書き終えて、後は印鑑を押すだけですが、外出ついでに来たので、あいにく印鑑を持ってきていません。左手の人差し指の指紋で代用しました。もう悪いことはできないなあと思いながら、慎重に押しました。
そして、書類の作成が終わると、新人さんの隣にいた、巡査長風の警官が、「では現場の確認に行きましょうね」と言いました。「今日は自転車で来たんですか?」と聞かれ、「はい」と答えると、「じゃあ車で行きましょう」・・・「えっ?」。もしかして車って、パトカーですか?・・・・・・・かくして、私は人生18年目にして、三つの緊急車両「消防車・救急車・パトカー」を完全制覇してしまうハメに・・・。(このとき、新人さんの「私が連れて行きますよ」という言葉に、「いやいいよ、俺が行くから・・」と答えた時にはっきり縦社会の縮図が見てとれた。)
パトカーはトヨタのクラウンでした。車内は黒で統一されていて、かなり豪華な内装でした。カーナビも装備、シートも体を包み込むような感じで、高校の先生に乗せてもらったベンツCクラスを思い出しました。
署にパトカー使用の無線連絡を入れてさあ出発。道中、如何せん気になるのが道を行く人々の視線・・パトカーの後部座席といえば、特等席ですからねぇ。そして、パトカーは15分ほどで私の自転車が盗まれた、高速バス「琉大入口」バス停付近に到着。
あの日、私は三線の練習に那覇へ向かうため、高速バスに乗りました。そのとき、バス停に降りる階段脇に自転車を止めました。そして帰ってきたら無くなっていたのです。(鍵は最近壊れていた)
駐輪していた場所を示して、確認してもらいました。なにか怒られるのかと思っていましたが、そういうことはなく、ずっとこちらの言い分を聞いていてくれました。
その後、交番に戻り手続きは終わりました。さきの巡査長風の警官曰く、「全県に手配したので、情報が寄せられ次第、連絡します」とのこと。とりあえず、待つしかないようです。一刻も早く見つかってほしいものです。


仲間由紀恵とD-51のライブを見に行きました。

2005年07月18日 17時27分01秒 | うちなー日記(沖縄編)
りっか・りっか!!「マリンフェスタ」:仲間由紀恵&D-51スペシャルステージ、一時は開催が危ぶまれましたが、今朝の朝刊に予定通り行われる旨が発表されました。良かった良かった。
今日のライブには、私と同じく仲間由紀恵ファンの先輩と一緒に行きました。開場時間は17時30分でしたが、少し早目に寮を出発し、16時には直通の高速バスで会場(那覇軍港)に入りました。軍港のだだっ広い敷地の中にぽつんとステージが建っていて、そのかたわらで海上保安庁や航海練習船の一般公開が予定通り行われていました。まだ台風の影響で風が強く、船も左右に揺れていました。開場待ちの行列はまだ短く、時間があるので、私は船の見学に行きました。
1時間ほど船の見学をしたあと、列にならびました。ちょうど、D-51がリハーサルをしていて、聞き覚えのある曲を何曲か流していました。当初、このライブに来た目的は「仲間由紀恵」がメインだったのですが、曲を聴いている内に、だんだんとD-51のライブも楽しみになってきました。
17時半、予定通りに開場すると、「走らないでください」という注意もむなしく、一部の女子中学生たちが最前列に陣取ってしまい、前を歩く男性のせいで出遅れた私と先輩は、4列目くらいの位置になってしまいました。この時点では、まだ会場はかなり空いていました。(あまり大きく宣伝していなかったのも影響したと思う)が、開演まで1時間以上あるのに、観客が前に前に押し寄せてくるため、私たちは座れなくなってしまいました。周りの人が座っていくのに、タイミングを逃して座れない私たち。周囲を見渡すと、同じ状況の人がちらほら・・空いているのだから、もっと全体的に後ろに下がれば良いのに・・・もうちょっと考えてほしいところでした。(その後、私は無理して座ったが、先輩は一度も座れなかった:何回かゆずったんですけどね・・)
18時45分、ついにステージが始まりました。最初は、前座として、「サースティ・ロード」というバンドの演奏でした。デビュー前のオレンジレンジやD-51と同じように、北谷で演奏しているらしく、なんとなく他のバンドと似たような曲が多かったのですが、完成度は高く、これならすぐにでも全国デビューできそうなくらいの腕前でした。
そして演奏が終了し、19時10分ころ、いよいよ仲間由紀恵が登場しました。生で見る仲間さんは本当に細くて美しかったです。数年前「トリック」(初代)で初めて見たときは、一瞬お笑い女優なのかと思ってしまいましたが、今や日本でも指折りの名優であります。来年は大河ドラマに主演されるそうで、今年も映画やドラマ、CM出演に忙しい日々を送っているそうです。
仲間由紀恵のステージは、司会者との対談形式で行われました。意外に静かな声で、答えかたは、ドラマでの言い方とほぼ同じような感じでした。「違いますよ~。」とか、「そんなわけないじゃないですか~。」という一つ一つの返答に全て可愛さを感じてしまうのです。会場からは、終始、「美しい・・」や「かわいい!」との反応が聞こえていました。最近流行りの、いわゆる「萌え系」ではなく、純粋に「美しく、可愛い」人でした。やはり常人とは違うオーラを感じました。対談のなかで興味深かったのは、仲間さんが沖縄に来られたのは今年まだ2度目だったことでした。春に放送された、「ごくせん」の最終回で、沖縄ロケがあったそうで、そのとき以来だとか・・やはり仕事の拠点は東京だそうで、「15歳でデビューしたから、あと5年もしたら、東京暮らしのほうが長くなっちゃいますね。」と言っていました(現在25歳)。当初の予定では、仲間由紀恵サイン入りグッズの抽選会がある予定でしたが、台風の影響で中止(24日に延期)になってしまい、少し残念でした。
仲間由紀恵さんの美貌の余韻も覚めやらぬ中、D-51のライブが始まりました。私は少し後ろに移動して見ましたが、やはりライブは良いなあと思いました。あの雰囲気は最高ですね。D-51の曲はいい歌ばかりで、とても良かったです。特に、オリオンビールのCM(沖縄限定)で流れている、「バッカナルTIME」は夏らしい曲で良かったですね。あと全国版としては「ノーモアクライ」や「ハイビスカス」などもありましたが、無料のイベントでここまで楽しめるとは思いませんでした。
今回のステージで一つ残念だったのは、写真撮影、ビデオ撮影、録音が禁止だったことです。私と先輩は、仲間由紀恵の写真を撮るために行ったのに、非常に残念でした。
ただ、ステージ自体はとても楽しいものだったので、またどこかのイベントに行きたいと思います。沖縄は、頻繁に有名人のコンサートやライブが行われるので、チャンスは多いですからね。

バングラディシュの女性と英会話・・

2005年07月18日 03時30分49秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日の昼前、自室で音楽を聴いていると、先輩の中国人留学生のFさんが「ちょっと来て」と呼びに来ました。案内されたところには、インドっぽい民族衣装を着た女性がいました。(バングラデシュから来たそうです)
どうやら、この女性、琉大法文学部の学生で、人探しにこのユニットに来たらしく、最初、友達のK君(自転車を貸してもらっている子、先輩のKさんとは違う)の部屋に来たのですが、彼女が英語で話し始めたため、英語の不得意な彼は、隣室のFさんに助けを求めた模様。そしてさらに私に回ってきたようです。
あいにく英文専攻の先輩は出かけていて、助けを求められないので、ここはなんとか3人で対応することにしました。
まずは一体誰を探しているのかを聞いてみました。すると、仕事を紹介してもらう約束の中国人留学生を探しているようです。この棟に住んでいるそうですが、この棟だけでも180人の住人がいますから、絞り込むためにfirst nameを尋ねてみましたが、我々の英語では通じないのか、なかなか答えてくれません。半ばなげやりに、私がWhoud you tell me his or her last name?と聞くと、何故か答えてくれました。が、その名前から漢字を思い起こすことは不可能、Fさんも「分からない」と困惑気味・・・
すると、女性は、英語で「見つからないのなら、代わりに仕事を探してください」と頼んできました。「えっ?」なにか話が複雑になってきました。「それは学生課に頼むべきでは?」と聞くと、「学生課は私を助けてくれなかったわ」とのこと。仕方なく、彼女が持参していた、仕事情報誌を翻訳してあげました。ところが、その情報誌が、3冊あったうちの一つは、観光情報誌、他の二つもフォークリフト操縦やトラック運転手など、無理そうなものばかり、それらの一つ一つ、これは少し無理なのではと説得しました。そもそもバイトするにしても、日本語を話せないと・・・と言うと、「ちょっと話せます」と日本語で答えました。ならば最初から日本語で用件を話してくれれば良かったのに・・・と思ってしまいました。もっとも、まだそれほど流暢ではないので、工場などでの仕事は無理だと思われ、とりあえず仕事の話は終わりました。すると、もう一度自分で探し人を探すと言い、立ち上がり、隣のユニットに歩き始めたのです。このまま行っても、行った先で今の会話を繰り返すことが予想されるので、少し引き止めて、その間にFさんとK君にこの棟の名簿を見に行ってもらいました。この棟はA、B、Cのブロックに分かれていて、名簿は各ブロックごとに別の場所に掲示されているため、引き止めていた時間の間には、2ブロックしか確かめることはできませんでした。すると彼女は残りの1ブロックに向かい始めました。我々も付いていくと、そのブロックの2階のユニットにずけずけと入っていくではないですか。玄関でしばらく待っていると、偶然にもそこが探し人のユニットだったのです。探していた彼は約束を忘れて昼寝していて、我々が起こすと、状況がなかなかつかめないようでした。
とりあえず一件落着!ホンマに疲れました。

今日は内容の濃い一日でした。

2005年07月17日 17時23分10秒 | うちなー日記(沖縄編)
三連休の中日、今日はいろいろとありました。
・インド人っぽい女性が突然現れ、仕事を紹介してほしいと英語で頼まれた。
・除湿機の水タンクを久しぶりに使った(今まではホースでダイレクトに排水をベランダに流していたのだが、今日は風が強く、窓を開けられなかったので)ら、水位センサーが壊れていて、室内が床上浸水した。(ある意味台風被害?)
・三線の師匠から、ついに「安里屋ゆんた」の免許を皆伝してもらった。
・帰ってきたら自転車が盗まれていた。(緊急事態です)
特に最後のは大変です。どうしましょう・・・とりあえず盗難届けを出さなければ・・・
まだ買って4ヶ月なのに・・(泣)


台風接近中!

2005年07月16日 17時20分55秒 | うちなー日記(沖縄編)
猛烈につよい台風5号が、現在沖縄の南方海上にあります。午前0時現在の中心気圧は915ヘクトパスカルだとか・・。これだけ強い台風なのに、台風銀座の沖縄らしく意外にテレビや新聞の報道は少ないです。もし本土に接近すれば、NHKで一晩中気象速報を放送するところなのでしょうが・・・
昨年は台風の当たり年で、本土に10個の台風が直撃し、甚大な被害を出しました。私の出身地、奈良県は、とても自然災害の少ない地域として、昔から伝えられていますが(大阪の食い倒れに対して、奈良の寝倒れなどという言葉もある)、台風も滅多に来ません。昨年も直撃を免れています。多分周囲の山のせいだと思うのですが、私の記憶では、生まれてこのかた、台風が奈良を直撃したのは、3、4回程度です。
小学校6年生の年、珍しく台風7・8号が奈良に襲来したときは、県内に甚大な被害が出て、驚きました。しばらくの間、屋根瓦がはがれて、ビニールシートで代用する民家があちこちで見受けられました。そのときの台風の気圧は、960ヘクトパスカル程度で、案外に高かったのです。それが、今度の台風は915ヘクトパスカルですから、単純に比較はできないにしても、相当に強いのは確かですね。
幸い本島は通過しないようですが、この週末から開催されている、「海フェスタおきなわ」のステージイベントが台風のために中止になり、私の楽しみにしている野外での仲間由紀恵スペシャルステージも中止になってしまい、代替地でのイベントがあるようですが、無事に仲間由紀恵の写真を撮れるかどうか、微妙な状況です。海フェスタなだけに、一般公開船なども無事に那覇に入港できるのか、心配なところです。

交通ルール

2005年07月13日 03時32分42秒 | うちなー日記(沖縄編)
本日、3回も車に轢かれかけました。特に3回目は、車が下り坂の途中のわき道から猛スピードで飛び出てきたのですが、なんとか急ブレーキで衝突を免れました。あと1秒でもブレーキが遅かったら、私は今頃病院行きでした。3回とも原因は全て相手の車の停止線無視によるものです。どうも沖縄のドライバーは停止線で止まることを嫌うようです。きちんと数えたわけではありませんが、停止線で止まる車と止まらない車の割合は、2:3くらいに思います。歩道を走っていると、わき道との交差点ごとに停止線からはみだした車が通路を塞いでいて、困ってしまいます。信号のある交差点でさえも、横断歩道上に車を止める車が多く、閉口してしまいます。
そしてもう一つ交通ルール違反で多いのが、路上駐車です。まあ歩道上に駐車して、歩行者や自転車の通行を妨害する車の多いこと・・。ひどいのは、スーパー(比較的大型)の駐車場が5台くらいしかなく、どう考えても店側が路上駐車を強要していることが時折見受けられることです。他にもガソリンスタンドや駐車場から出てくる車が歩道を塞ぐことは多く(しかも交通量の多い道路に出るため、数分くらいは塞ぐ)、歩道を歩くのには障害が多い、沖縄です。(泣)

今日は辺戸岬に行きました。

2005年07月10日 17時14分17秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は、かねてからの予定であった、寮のユニットメンバー4人でのドライブに出かけました。総走行距離300km近くに及ぶドライブでしたが、晴天に恵まれ、沖縄本島の中部・北部を堪能できました。
その中でも、古宇利島と辺戸岬は非常に印象的でした。
古宇利島は、今年の3月に開通した沖縄最長の古宇利大橋で話題の島です。この橋は全長1960mで、隣接する屋我地島との海峡に架かっているのですが、その屋我地島も、本島と橋で結ばれているので、本島から古宇利島に車で直通できるようになりました。今日は、早朝に行ったのですが、すでに釣り客や海水浴客がかなりいました。橋もさることながら、この島の海の美しさは絶品でした。サンゴ礁の広がる浅瀬は、まさにコーラルブルーに染まり、他の海域の色と全く違っていました。これぞ沖縄という風景で、私も先輩もかなりテンションが上がりました。少し驚いたのは、全長2kmもある橋を歩いて渡る人を多く見かけたことです。すでに30度を超える気温の中、よく歩けるものだと感嘆してしまいました。
続いて、一向は辺戸岬へ向かいました。今日は岬から、30kmほど北にある、鹿児島県の与論島を見ることができました。この海峡に、30年ほど前まで国境が存在したことを思うと、感慨深いものがあります。本島最北端でも、亜熱帯には変わりがなく、やはりここも猛烈に暑かったですが、空に浮かぶ入道雲と海の深い青を見ていると、心が和みました。
今日のドライブでは、私も早く免許が取りたいという気持ちが一層強くなりました。ああ、いつかはマイカーで沖縄を隅々まで走りたい!


前期も終盤です。

2005年07月07日 17時12分43秒 | うちなー日記(沖縄編)
前期も残すところ1ヶ月となりました。基礎ゼミは修了し(正確には風樹館(博物館)見学が1回ある)、ダイビングもプール実習が修了して、あとは夏休みまで無いし、授業が無い時間帯がちらほらと出てきました。今週から水曜日が全日休みになり、週休完全3日に突入したのですが、これほどの時間的余裕はこれまで経験したことがないものです。授業を受けていないときにはNEETになる、そんな感じです。図書館にでも行って勉強すれば良いのですが、あの雰囲気の中では、必ずと言って良いほど眠くなります。で、実際何をしているかといいますと、結局自室で昼寝しているのであります・・・どうも沖縄には他のアジアの国々と同様、眠くなるオーラが漂っているような気がします。(以前そのように書いていた本もありました)我が寮でも、高校のころは明らかに勤勉家だったと思われる住人が昼間っから気持ちよさそうに寝ているアングルをよく目にします。街中に出ても、市民図書館に入ると、そこは眠りの園、雑誌コーナーではおじさんたちが新聞を顔に被せて昼寝しています。
結果、大学の先輩と後輩の会話でも、どこどこの図書館のいすはよく眠れるとか、人間の最適な睡眠時間についての話やらになるわけで・・・これもうちなータイムに慣れてきた証拠なのでしょうか?



那覇市と豊見城市の境にある湿地帯

2005年07月07日 15時56分33秒 | うちなー日記(沖縄編)
那覇市の東南に広がる広大な湖、それが漫湖です。周辺に広がる湿地帯は、珍鳥の宝庫で、ラムサール条約でも保護されています。昔の中国の王朝の歴史書にもその名が見られる、由緒正しき湖なのですが、本土人にはその名がネックとなり、意外に観光ガイドでも紹介されていません。時折全国版のテレビなどで放映されることもありますが、そのときは、冒頭のようにまわりくどい言い方をしたり、「那覇市の湖」と、省略してしまい、本当の名で呼ばれないこともしばしば・・・
私も実家の両親に週末の予定について電話した時に、「漫湖公園に行くんだ。」と言ったところ、当初は変な風に誤解されてしまいました。
ただ、地元の人にとっては、そんなことは関係ありません。そもそも琉球語と本土の言葉とでは単語が違いますから、本来は純粋に湖の名前という意味しか無いのです。
しかし、近年は、沖縄にも標準化の波が寄せており、昔よりも呼びにくくなっているのは事実のようです。
漫湖周辺には、立派な公園が整備されており、那覇市民のオアシス、奥武山公園とも隣接していて、朝夕はジョギングの人々もよく見受けられます。珍鳥の宝庫として、また休息の場所として、一度は行くことをオススメしたいスポットです・・・

癖って怖い・・・

2005年07月03日 17時08分14秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日も三線の練習に那覇に行ってきました。名人曰く、「先週よりも上手くなってるよー。」とのことで、一安心。ところが、「でも歌に癖があるねー。三味線はもう良いから歌の癖を直せばイケルんだけどねー。」とのお言葉・・・
今は安里屋ゆんたを練習しているのですが、その冒頭の、
「さあ 君は 野中の いばらの ・・・」
の、「のなかの」という部分に癖があるということでした。本当は「のなかの(→→↓→)」と歌えば良いのですが、私は「のなあかの(→↑↑→→)」と歌っていました。実は私が歌の参考にしていたCDの唄者の方はかなり唄に癖のある方だったのです。本来の島唄は、そんなに癖の強いものではないそうです。ということで、今日は「のなかの」をずっと反復練習しました。なんでもそうですが、癖というものはなかなか取れないもので、かなり練習しましたが、時折元の歌い方が出てしまいました。練習の最後に、名人曰く「明日の朝一番に安里屋ゆんたを歌ってみて、本来のように歌えれば一人前さー。」とのお言葉でした。明日の朝が勝負です。

謎の停電!

2005年07月03日 03時33分53秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨夜、学科の友人ら十数名で大学近く(中城村)のカラオケ店に行ったのですが、午後十時ごろ、ある子が森山直太郎のさくら(独唱)を本物顔負けの上手さで歌っていたところ、突然の停電・・・。携帯電話のライトを点けてしばらく待っていたのですが、なかなか復旧しませんでした。当初この店だけの停電なのかと思ったのですが、周辺一帯がみんな停電していたそうです。結局2分くらいは停電していたと思います。
 その後、寮に帰ってみると、こちらも停電したそうで、つけっぱなしにしていたはずの除湿機が停止していました。また、大学も停電したそうで、ある研究室では当時プログラムを作っていたパソコンの電源が落ち、データが全て消えてしまったという話も先輩から聞きました。そしてまた別の先輩は宜野湾市内のスーパーで買い物中に停電に遭ったそうです。そちらでもなかなか復旧しなかったとか・・・
 今日、琉球新報のホームページで確認したところ、宜野湾市宜野湾、中城村上原、西原町千原(琉球大学)の9500世帯が停電したという記事が載っていました。が、沖縄電力によると、原因は不明であるとのこと。謎の停電です。もしかしたら、琉球大学でものすごく電気を喰う実験でもしたのでしょうか・・・それとも森山直太郎パワー?

今日から7月です。

2005年07月01日 17時06分29秒 | うちなー日記(沖縄編)
月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり・・・
月日が過ぎるのは早いもんです。もう7月です。梅雨明けの早いこちらは夏モード全開です。
ダイビングの実技試験も一通り修了しました。200mもなんとかクロールと平泳ぎと立ち泳ぎの組み合わせで乗り切り、次回は8月19日からの慶良間諸島での海洋実習となり、来週から水曜日が完全に休日になりました。
先週、メガネが壊れてしまい、新しいメガネをこちらの東江(あがりえ)メガネで作ったのですが、昨日完成し、届きました。私としてはものすごく気に入っているのですが、両親に写メールすると、「お前はヤンキーか!」とひどく不評・・・寮の先輩には、別に普通だよと言われたのですが・・
今日は新しいメガネを掛けて講義に出たのに、いまだ(昼休み)に気づいてくれるクラスメートゼロ・・昼からのドイツ語に期待しますか・・(泣)
写真上が旧メガネ、下が新メガネです。