うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

2011夏の帰省の終わり

2011年08月24日 21時56分34秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
あっ・・・・・・・と言う間に2週間が過ぎ、もう夏休みの帰省も終わってしまいました。

今日、神戸空港から飛行機(スカイマーク175便:B737-800, JA737N)で札幌という現実世界に戻ってきました。
明日から我が研究室の慰安旅行(in洞爺湖)の予定が入っているため、今日中に帰ってくる必要があったのです。ぎりぎりまで実家滞在を楽しみたい私は、帰路に飛行機を使うことを選んだのでした。この時期、大手航空会社では特割などが設定されていないので、日本のLCC(格安航空会社)の先駆者であるスカイマークを利用しました。私は機内サービスや安全性(スカイマークもかなり高いレベルにありますが、大手との相対的にやや心配)の面からスカイマークは避けがちなのですが、考えてみたら2年前の北大修士課程入試の際は羽田からスカイマークで札幌入りしたわけで、実は私にとってはラッキーエアラインなのです。今回、博士課程進学を前にスカイマークに乗ることになったのも、なにかの縁かも・・。


阪神三宮駅。
三重県伊賀市の実家から、元来の私の地元である奈良県天理市に父運転の車で出て、天理駅から近鉄京都行き急行に乗り、大和西大寺で阪神三宮行き直通快速に乗り継いで神戸に向かいました。伊賀上野からJRを使う手もあったのですが、乗り換え接続の悪さから2時間近く余分に時間が掛かったり、運賃が天理からの3倍必要だったりしたので、このルートにしました。
ところで、終点の阪神三宮駅が何やら変わっていましたよ。


2年前の阪神三宮駅。
これは以前の三宮駅なのですが、奈良方面からの到着番線自体は今と変わらないものの、このときは乗車ホームと降車ホームが分離されていました。
しかし、現在の三宮駅では降車専用ホームが廃止・取り壊され、線路が元の降車ホームの位置に移設、そして旧乗車ホームが拡幅されています。



実は、現在阪神三宮駅は改修工事の真っ最中で、東側に新たな改札を設けたり、ホーム配置をより効率的なものに変更したりと大規模な変更が行われつつあります。完成は2年後の春で、今後は現在奈良方面への列車が発着している南端の折り返し線が新下り線(姫路方面)に変更され、代わりに現行の下り線が折り返し線化されるそうです。
多分、この改修はホーム上の利用客動線改善の目的以外に、将来の奈良方面列車の三宮以西への運行区間延伸を見据えていると思われます。


三宮から、ポートライナーに乗り換えて神戸空港に至りました。後方の車両に駆け込んだところ、座席が空いていなかったので、どんどん前方車両に進んでいったら、なんと最前列の展望席(ポートライナーは無人運転なので、運転席がありません)が空いていました。電車でGO!気分で、神戸中心市街→神戸港→ポートアイランド→連絡橋→神戸空港へと変わりゆく景色を堪能しました。
途中、旧「ポートアイランド南(花鳥園前)」駅がいつのまにやら「京コンピュータ前」駅に名称変更されていて驚きました。京コンピュータと言えば、先日世界ランキングで処理速度最速となったスーパーコンピューターです。実はポートアイランドにその施設が設置されていて、今年7月から駅名が変わったとのこと。

ポートライナー 2011年8月24日の前面展望(中公園~神戸空港)

ケータイで前面展望動画も撮ってみました。京コンピュータ前駅から神戸空港駅までの駅間距離が圧倒的に長いことが分かります。


予定通りの時間に神戸空港に到着し、すぐさま飛行機の搭乗手続きを行いました。
その後の手荷物検査も無事に通過し、飛行機に搭乗、機上の人になりました。
神戸空港は13時20分に出発、新千歳空港までは1時間55分のフライトでした。飛行機が小型ということもあり、そこそこ揺れを伴いましたが、定刻通りに千歳に到着しました。
残念ながら今回の座席は通路側で、春休みの帰路に続いてまともな空撮写真が撮れず・・。



日本航空旧塗装の呪い。
千歳到着後、特に急ぐ用事もなかったので、しばらく展望デッキで飛行機を撮影していました。
お目当ては、着陸時に見えた日本航空の新塗装機だったのですが、到着口から展望デッキに向かう間に出発してしまったらしく、待てど暮らせど撮影出来ませんでした。代わりに、旧塗装の機体をいっぱい撮影しました。上の写真のように離陸機と着陸機が同時に撮影出来るのはクローズドパラレルの滑走路を持つ新千歳ならではですね。

結局、3時間近く粘ったのですが、最後まで日本航空の新塗装機は撮影できませんでしたとさ・・。
千歳からは快速エアポートで札幌に帰還、無事に北区の自宅に帰宅しました。
意外に我が部屋は片付いていて、却って実家よりものびのびと過ごせて快適な感じです。

さあて、明日からは研究室の慰安旅行だ・・。洞爺湖方面に行ってきます。

近所の祭りに出掛けました。

2011年08月21日 22時04分09秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は、実家のある三重県伊賀市の中心市街にて、伊賀市民夏のにぎわいフェスタが開催されました。


花火大会(前夜祭)


萌え車オフ

花火大会や目抜き通りの歩行者天国、さらにはゆるキャラのライブショーや萌え車オフ会まで催され、なかなか楽しめました。

(近日中に完全版記事更新予定)

30万PV突破!

2011年08月16日 10時45分26秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
本日、午前0時までで当ブログの閲覧回数が300,000回に到達しました。

09年9月12日:100,000回
 ↓
10年3月24日:150,000回
 ↓
10年8月 9日:200,000回
 ↓
11年3月22日:250,000回
 ↓
11年8月15日:300,000回

という推移で、ここ2年間で順調に閲覧回数が伸びています。琉球大学在学中は、半年当たり20,000回程度閲覧されていました(アクセスカウンターの仕様が現行と違うため、正確な比較は出来ません)が、北大進学以降更新回数が増えたからか、半年で約50,000回ずつに加速しました。

最近の記事の中では、
先日の新日本海フェリー「ゆうかり」船内見学会の記事が人気のようで、毎日コンスタントに閲覧されています。
新日本海フェリー「ゆうかり」船内見学記in小樽マリンフェスタ(客室編)の記事
また、去年7月に行った、研究室の友人達とのドライブの記事も人気のようです。
美しい北海道の私-週末ドライブ(絶景堪能編)1 「車について」
検索ワードとしては、「北海道 ドライブ 絶景」や「沖縄 海底トンネル」、そして「弔辞 例文 祖母」がトップ3を占め続けています。
最近は、当ブログも様々な検索ワードでGoogle検索上位にヒットするようになっているので、以前とは異なる客層(?)の方にも見ていただいているようで、面白いです。

さて、閲覧回数ネタ恒例となっております、市町村人口との比較をしてみます。人口30万人は、「中核市」の要件になっており、この数字を超えると、いわゆる大都市の扱いになります。
青森県青森市、群馬県前橋市、埼玉県越谷市、三重県四日市市、滋賀県大津市、福岡県久留米市、宮崎県宮崎市、沖縄県那覇市などが30万人台前半の市町村で、ついに有名どころの市町村名と肩を並べる(?)ところまで来ましたね・・。
今後は、政令指定都市(要件は50万人以上で、実際は約70万人以上の人口が必要)に達するのが楽しみです。順調でも、あと4年ほどかかる計算ですが・・。

最後に、いつもブログを御覧いただいている皆さまに、改めて感謝いたします。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
m(_ _)m

ご近所ドライブ&花火大会観賞

2011年08月15日 23時04分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
実家に帰って5日が経ちました。
一昨日13日には中学校の同窓会に参加し、久しぶりの旧友との再会を楽しみました。なかには中学卒業以来一度も会っていなかった人もいたので、本当に懐かしい気持ちになれました。結婚し、子供も出来ている人もちらほら見かけられ、私も益々結婚したい欲求が強まりました(一応、中学時代に立てた人生計画では、28歳頃までに結婚するつもり)。
そして、昨日8月14日は、私の25回目の誕生日でした。いやぁ、もう四半世紀も経ってしまったんですね・・。中学時代には、「まだあと10年以上も勉強しなきゃいけないんだなぁ」と学生生活の遥かさに恐れおののいたものですが、もう残り3年程度で学生時代も終わってしまうんですよね・・。研究者として独り立ちするにはまだまだ実力不足なので、しっかり準備しておかなければ・・。

さて、今日はなんとなく家族でドライブすることになり、実家の近所を回ってきました。


実は最近、実家が車を買い替えました。これまで三菱ミラージュ・ディンゴを10年以上乗ってきましたが、先日からトヨタのカローラ・アクシオが我が実家のメインカーとなりました。
私はカローラと聞くと大衆車のイメージが強かったのですが、ネットで性能を調べたり、実物を見ている内に、なかなか魅力的な車だと感じるようになりました。最近のカローラは結構スタイリングが格好良く、装備も良くなっています。そこいらのコンパクトカーよりもよく走りますし、セダンとしてはかなりの低燃費(TNP)を誇ります。下手にプリウスとかだと、車幅が広くて細道を走りにくかったり、後部座席の座り心地がやや悪かったりもするので、実家の車としては良いチョイスだったと思います。


そんな我が家の新メインカー、カローラ・アクシオで、実家の三重県伊賀市の東の端に位置する青山高原にまず向かいました。
ここは、近畿の風力発電のメッカのような場所で、多くの風車が設置されています。高さは約75m、風車の直径は50mほどもあります。一基あたり750kWの発電能力があるそうです。


風車の根元から東側を望んでみました。標高約750mのここからは、天気が良ければ伊勢湾を挟んで中部国際空港まで見えるそうですが、今日は霞がかっていてよく見えませんでした。


その後、名張市の青蓮寺ダムまで走りました。
このダムは名張市街から至近にありますが、堤高82mの迫力あるアーチ式ダムが特徴的です。洪水調節から、近隣府県の水源地、さらには2000kWの水力発電施設の役割まで果たす多目的ダムです。


ダム湖の青蓮寺湖(湛水面積約100ha)は、水がたっぷりと湛えられていて、渇水の心配は全くなさそうでした。


名張から伊賀市に戻り、旧大山田村の花火大会(ふるさと夏まつり)を見物してきました。
駐車場からほど近い、川に架かる歩道橋上が穴場になっていて、川面にも花火が映って2倍綺麗に見えました。






打ち上げ玉数は僅か200発でしたが、却って風流な田舎らしい花火を堪能できました。

2011夏の帰省の始まり

2011年08月11日 15時11分39秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんにちは。
私、現在実家でセミの声を聞きながらこの記事を更新しています。
我が研究室では先週から夏休み期間に入っており、私も修士論文審査会を終え、次の実験の目途もついたので、今週から2週間ほど帰省することにしました。

一昨日の夜に札幌を出発し、日本海航路の船で昨日の深夜に実家に帰って来ました。
去年の夏の帰省帰路以来の日本海航路の船旅でしたが、夏の日本海は穏やかなことで知られているにも関わらず、今回は台風9号崩れの熱帯低気圧の影響で、「天気晴朗なれども波高し」の迫力ある航海となりました。


一昨日の夜9時前、札幌からフェリーターミナル直通シャトルバス(季節運行)で苫小牧東港に向かいました。高速道経由で1時間半で港に到着。すぐに乗船手続きをしました。事前に、ある理由(後述)から生協で乗船券を買っておいたので、スムーズにチェックインできました。
今回の船は新日本海フェリー「すずらん」。苫小牧東~敦賀航路に就く超高速フェリーです。全長は約200m、エンジン馬力は約6万5000馬力、航海速力は29.4ノットを誇ります。恐らく、日本のフェリー史上、最強のエンジンを搭載した船ではないでしょうか。
そしてこの船、私にとっては非常に思い出深い船でもあります。ちょうど10年前の2001年8月、祖母と初めての北海道旅行の往路に乗船した船なのです。当時、瀬戸内海航路しか乗ったことのなかった私は、長距離フェリーの豪華な設備に目を丸くしたものです。


乗船すると、10年前と変わらぬ豪華なエントランスが出迎えてくれました。
3層吹き抜けを、直階段が真っ直ぐ突き抜けています。「すずらん」の内装は、色彩が強調され、非常に煌びやかです。


「すずらん」と同時期に就航した同型姉妹船の「すいせん」の内装は「人と光の調和」がテーマになっており、大人しい印象です。「すずらん」がバブル期のリゾートホテルとしたら、「すいせん」はシティホテルと言ったところでしょうか。


階段の裏側には、巨大なオブジェの前にロビースペースが設けられています。


「すずらん」の後部デッキにはジャグジーも設置されています。新日本海フェリーの場合、80年代からプールやジャグジーを備えた船を就航させていましたが、この「すずらん」型を最後に、新造船では設置されなくなっています。これもバブルの名残の一つかもしれません。


↑10年前のレストラン ↓現在のレストラン

基本的なところは変わっていませんが、レストラン内に仕切りが出来たり、柱が一つ増えるなどの変化が見られ、カーペットが色褪せていることが分かります。


ところで、この「すずらん」と「すいせん」、実は来年夏までで引退する予定です。新日本海フェリーは現在、三菱重工長崎造船所にて2隻の大型高速カーフェリー(小樽~舞鶴航路に就航中の「はまなす」・「あかしあ」と同船型)を建造中で、それに交代するのです。上の写真で「はまなす」型(上)と「すずらん」型(下)を比較していますが、新造船は全長が24m長く、幅も1m大きくなります。特に3階以上の旅客甲板は50mも長くなりますから、客室・公室ともに現行よりも広くなることでしょう。しかも、大型化する一方でエンジンは低出力化されるので、環境性能が大幅に向上する見込みです(速力は現行と同等以上)。


今回、私は2等客室を利用しました。「すずらん」型は現行でも2等客室の定員が少なく、他のフェリーと比べて上級船室の割合が高いのです(34名)が、新造船では2等客室の設定が無くなり、2等寝台が最下等船室になる予定です。


さて、今回の船旅に話を戻しましょう。
苫小牧出航直後から、太平洋上の台風からのうねりを受けて、軽く前後左右に揺れていましたが、そこまで激しい揺れではなかったので、割合よく眠れました。
夏場の平常の航海なら、津軽海峡を抜けて日本海側に出ると波はおさまるのですが、今回は日本海側に台風9号崩れの熱帯低気圧が居座っていて、南下するほど波が高くなりました。フィンスタビライザー(揺れ防止装置)を使っていたようで、能登半島沖までは殆ど横揺れを感じなかったものの、それ以降はうねりが高くなり、かなり揺れを感じました(冒頭の写真はその時に撮ったもので、高さ10mくらいある船首を波飛沫が飛び越えてきました)


夏休みイベントとして、午前10時30分からビンゴ大会が行われました。
去年の夏に乗船したときは、真っ先にリーチになったものの結局ビンゴにならず、景品を貰えなかった苦い思い出があります。
今回も、開始直後に最速でリーチになりました(船員さんも驚いていました)が、なかなかビンゴにならなくてやきもきしました。


ビンゴ大会の景品は、1等が船内で使える商品券(3000円分)、2等が小樽の新日本海フェリー系列ホテル特製クッキー、3等が防水バッグかソフトクリーム券、又はソフトドリンク券でした。私は、結局3等でビンゴになり、同時にビンゴになった人とのジャンケンの結果、防水バッグを獲得しました。無事に景品が貰えて良かった・・。


ビンゴ大会に続いて、大道芸人によるジャグリングショーが催されました。今回の演者は、京都を中心に活動しているプロの方でした。
足元のままならない船内で難しい技を決めていて、面白かったです。


能登半島の沖に浮かぶ七ツ島が見えてきた頃から、船がローリングを始めました。それまで船内のロビーやプロムナードデッキに出ていた人達が徐々に自室に戻っていき(多分寝るため)、公室が静かになりました。


つい先ほどまで多くの人で賑わっていた右舷プロムナードデッキも、人っ子一人いなくなり、さながらモデルルームみたいに・・。


外の様子を眺めていると、船首から飛んできた波飛沫に、時折虹が現れる様子が綺麗でした。ちょっとヱヴァンゲリヲンぽいです。


能登半島沖で、近海郵船の定期貨物船「とかち」(9,858総トン(国内))を追い抜きました。
近海郵船も苫小牧~敦賀航路に就航しており、新日本海フェリーと激しく競合しています。新日本海フェリーは元々小樽~敦賀航路に就航させていた「すずらん」型を苫小牧~敦賀航路就航に転換し、航海速力の速さを武器に勝負しています。
今回追い抜いた「とかち」は、前日20時30分(「すずらん」出航の3時間前)に苫小牧を出航し、敦賀には21時(同30分後)に到着するダイヤで運航されています。近海郵船の所要時間は24時間30分ですから、毎日運航だと3隻の船が必要(それぞれ「とかち」、「つるが」、「ほくと」という船名)ですが、新日本海フェリーは21時間程度で運航されるため、毎日運航を2隻の船でこなしています。
速力差があるとは言っても、約6ノットの違いなので、視認してから完全に追い抜くまで30分以上かかりました。


東尋坊の沖あたりで日の入りを迎え、雲の隙間に沈む夕陽を見られました。


20時30分、定刻に敦賀新港に入港。シャトルバスで敦賀駅に出たところ、何やら以前と様子が違いました。


去年の春の敦賀駅。この駅舎が取り壊されていたのです。工事用フェンスの記載を見てみたら、平成25年に新駅舎に建て替わるそうで、目下再開発中なのでした。

敦賀からはJRで北陸本線、東海道本線、草津線と乗り継いで実家近くの柘植駅に至り、柘植に迎えに来ていた家族と再会。そして家族の車で実家に帰着しました。

航空自衛隊千歳基地 航空祭2011 その2「地上展示機たち」

2011年08月09日 03時10分16秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常

航空自衛隊YS-11輸送機


海上自衛隊P-3C対潜哨戒機


海上保安庁DHC-8おおわし


航空自衛隊U-4多用途支援機


陸上自衛隊UH-1Jヘリコプター


航空自衛隊C-1輸送機とC-130輸送機


航空自衛隊RF-4E偵察機


F-104J


F-104Jジュニア


F-15J


E-2C早期警戒機


斜め前から見た姿。


後ろから見た姿。


米空軍友情展示


ブルーインパルス





航空自衛隊千歳基地 航空祭2011

2011年08月07日 18時09分07秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は航空祭に行ってきました。

修士論文審査会終了後の楽しみの一つに据え、是非行きたいと思っていたイベントだったのですが、実は週末に実験の準備作業(ラージスケールのDNA精製)をする必要が出てしまい、一度は行けなくなりかけました。しかし、そこは祭り好き人間の全力をかけて、昨夜午前3時までに気合で作業を終わらせ、少し睡眠不足でしたが航空祭見物を強行して来ました。


参考写真:ラージスケールのDNA精製。通常遺伝子変異操作で行う精製の数百倍量のDNAを、特殊なキットを用いて精製しました。初めて行う手法でしたが、うまくいったかな・・。


朝9時に札幌を出発、快速エアポートで千歳駅に向かいました。この駅では初めて下車しましたが、なかなか立派な高架駅ですね。


そして千歳駅から専用シャトルバスで航空自衛隊千歳基地に入りました。今回は千歳駅と南千歳駅からシャトルバスが運行されていました。


バス降り場から会場までは少し離れており、少し歩きました。千歳基地は新千歳空港に隣接しており、軍民分離前の千歳空港の敷地に相当します。新千歳空港も広大な空港ですが、千歳基地も結構な広さがあります。ですから、今回の航空祭でも、半日で1万2000歩(約10km相当)も歩きました。


千歳基地格納庫。
徒歩5分ほどで会場に到着。早速、格納庫が出迎えてくれました。会場には4つの格納庫がありましたが、それぞれ屋内展示兼休憩所として使われていました。床には毛布が敷かれていて、猛暑に疲れた人たちが横になれるよう配慮されていました。



修士論文審査会、無事終了!

2011年08月02日 23時24分10秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
おかげさまで、無事に発表を終えられました。

先週火曜日に審査用の修士論文を提出、それから1週間、ずっと発表用スライドの修正と、発表練習を繰り返して準備してきました。
結局、人前での発表練習は先週火曜日、木曜日、金曜日、そして今週月曜日の計4回行いました。特に昨日月曜日の発表練習は、雑誌会終了後に教室に残った教員と学生有志の前での公開発表練習で、かなり本格的なものになりました。その場では、なんとか発表を制限の7分以内に納め、本番よりも長時間の質疑応答にも耐えられたので、ある程度自信が付きました。また、人前以外でも個人的に発表練習を何度も重ねており、これまでの発表の中で最も準備に余念無く、本番に挑みました。

本日13時少し前、北大札幌キャンパスの北端に位置するシオノギ棟のホールで修論審査会は始まりました。
発表者は私を含めて4人で、私以外は全員中国からの留学生。私はトップバッターでの発表でした。
審査会委員長の教授の開会挨拶、そして私の修論の主査であるK教授による私の演題紹介の後、開始予定時間より少し早くに、口頭発表を始めました。
私は「Study of Antimicrobial Activity in Catalytic-Inactive Insect Lysozyme」というタイトル(修論のタイトルと同じ)で発表しました。まだ学術誌への投稿前なので、詳細は書けませんが、抗菌蛋白質リゾチーム(風邪薬や目薬などによく入っています)の抗菌作用の作用機構を探るテーマの研究内容でした。
ホールには我が専攻の教授陣が大勢詰めかけていて、ほぼ満席の状態。いつもなら緊張で胸が張り裂けそうになるところですが、準備をしっかり行ってきたからか、ここ数年では最も落ち着いて発表を続けられました。そのため、特に発表中に引っ掛かったり、説明漏れをすることもなく、制限時間の7分以内で順調に発表を終えました。
研究発表後は、さらに7分間に渡る討論時間が設けられており、教授陣から質問が次々飛んできましたが、事前に想定していた質問内容が殆どだったので(というか、事前にあらゆる質問の可能性を想定していたのですが)、緊張しながらも、一つ一つ確実に答えることができました。実は発表前、最も質問が来ることを恐れていた教授からも質問が来ました。蛋白質屋にとっては割と難しい観点の質問内容でしたが、リゾチームの進化生物学的な背景を踏まえて無事に答えることが出来ました。
結局、討論は予定の7分を少し超えて続きましたが、最後まで比較的冷静に答え切り、無事に全ての発表を終えられました。

その後、中国人留学生らによる発表を最後まで聴きましたが、皆制限時間の7分を超えて研究内容を発表していました。自分で言うのも何ですが、どうやら今回の私の発表は結構上出来だったようです。(実際、審査会終了後には副査の先生方からお褒めの言葉を頂けました)

計1時間で全員の発表・討論が終了、最後に発表者と教授陣と合同で記念写真を撮り、審査会は終了しました。

こうして、私の北大生活2年間の集大成の発表は無事に終わりました。審査会直後に修了判定会議が行われたのですが、どうやら無事に修了が認められたようです。あとは、9月22日までに事務に修士論文の完成版を提出すれば、9月26日で修士課程修了となります。同日には、学位記の授与式が行われるそうなので、とても楽しみです。(学部卒業以来、他の学生と半年ずれていたせいで卒業式や入学式と無縁だったので・・)

本番前までは胃が痛くなることしきりでしたが、無事に発表を終えたことで、肩の重みがすっきり抜けました。今は実に清々しい気持ちです。
ただ、私の場合はこれから博士課程での研究生活が待っていますから、あまり気を抜くこと無く、次の3年間(多分短縮するので、もっと短い)に向けて気合いを入れ直し、博士号取得に邁進していこうと思います。