うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

熊本お墓参り2日目

2005年03月20日 16時50分53秒 | うちなー日記(沖縄編)・・旅
早朝、北九州新門司港に入港、シャトルバスで門司駅に出て、そこから電車で博多に向かった。途中、スペースワールド駅付近で、変わった雲を見た。櫛のような雲が、南西の空に出ていた。なんとなく、「地震雲かなあ」などと思ったが、福岡は有史以来地震による被害の記録が無いということなので、そんなはずはないだろうと、あまり気には留めなかった。
午前7時過ぎ、博多駅に到着。午前9時に新幹線で到着予定の父を待つ間、マクドナルドで朝食することにした。
ここで、1回目の異変があった。注文と全く違うものが出てきたのだ。セット自体を間違っていて、こんな間違いをするのかと驚いたが、それを店員に告げると、向こうもかなり驚いている様子。「なんでこんな間違いをしてしまったんでしょう。」と困惑していた。
そして午前9時過ぎ、予定通り父が到着。新幹線口で出迎え、レンタカーの営業所に向かったのだが、一向に見つからない。かなり大手の会社なので、駅前の目立つところにあるはずなのだが・・・。博多駅周辺をうろうろしているうちに、不安になってきた。普段ならここまで迷うことはないのだが・・・。途中で見つけたコンビニで道を尋ねたのだが、ついでにお菓子を買うと、二回もレジ打ちを間違われた。特に新人らしい人でもなく、慣れていそうな人なのに、今日は博多の人はどうかしてるんじゃないかと思ってしまった。私たちを含め、なんとなく皆そわそわしていた。
その後、ついに営業所を見つけ、トヨタ カローラで熊本に向け出発した。カーナビ付きなので、助手席の私もゆっくりできる。
九州自動車道を走り、鳥栖ジャンクションを通過した直後、車が上下に大きく揺れた。工事区間かと思ったが、路面状況は良い。おかしいと思っている間も、何回か大きな縦揺れがあったあと、横揺れがあり、父もハンドルを取られている。感覚は、以前体験したパンクのときに似ている。左車線に寄り、速度を落としてまずタイヤを確認するが、各タイヤともパンクはしていない。周りを見たが、徐行している車が目立つ。ということは、この車だけの問題ではない。そこで、父は閃いたらしく、すぐにラジオをつけた。すると、入ってきたのが、「福岡で強い地震が発生、震度は6弱」という速報だった。福岡県西方沖地震の発生である。最初はとても信じられなかった。何度も福岡には来ているが、地震らしい地震にあったことはない。色んな本を読んだが、地震の少ない地域で、全国のハザードマップでも最も安全な地域とされていた。そこでこれほどの地震が起きるとは・・・!
とりあえず、これほどの地震がおきれば、まもなくこの高速道路も通行止めになるはずで、その前に熊本に着くため、先を急いだ。
ほどなくして熊本県植木町の親戚の家に無事到着。まずは福岡や佐賀に住んでいる母方の親戚に電話をかけ(もちろん一回ではつながらず、何度もかけた)全員の無事を確認した。親戚の話でも、かなり揺れたということだったが、内心、今回の目的地が福岡でなくて本当に良かったと思った。問題は帰りである。まだ余震が起きる可能性が高く、予想通り高速道路は福岡県内全線で通行止め、新幹線も停止し、安全点検中。いつ通行止めが解除されるか目処はたっていなかった。(こういうとき、強いのが飛行機だ。今回も、福岡空港はガラスが割れるなどの被害を受けたが、滑走路の点検が終了し次第運行を再開していた。)しかし、すでに帰りの新幹線の切符を買っており、飛行機に乗るともったいないことになる。予定がたたなかったが、とりあえず当初の予定通り墓参りに向かった。
墓は、福岡との県境近くの町にあるが、幸い倒れてはいなかった。いつものとおり、近くのスーパーでろうそくなどを買ったのだが、その店がいつのまにか大手スーパーの系列店になっていて、少々驚いた。
墓前では、普段の感謝はもちろんだが、今日の帰りのご加護もおねがいしますと祈った。
いよいよ帰る段取りになったが、ちょうど高速道路の通行止めが解除されたようだ。南関ICから九州自動車道に入った。鳥栖ジャンクションまではなにごとも無かったかのようにスムーズに走っていたが、筑紫野が近づいてくると、猛烈な渋滞に巻き込まれた。ほとんど動かない。正確には、筑紫野インターで降りる車の列が左端にずっと続いていて、本線を塞ぎ、非常に流れが悪くなっていたのだった。ようやく渋滞を抜け、本線から下のバイパス道路を見ると、福岡市内へ向かって延々と先まで渋滞していた。市内方面への帰宅を急ぐ人々の車が殺到したためのようだった。ここで、問題が出て来た。今乗っているレンタカーは、博多駅前で返す予定になっている。ところが、この先、福岡市の都市高速はいまだ通行止であり、しかも下の道は猛烈な渋滞である。さらに、いまだ新幹線も復旧していなかった。下手をすれば、博多駅前への到着は深夜になり、このまま新幹線が復旧しなければ、駅前での宿泊となってしまう。(しかも、、まだ大きな余震が起きる確率が高かった)
結局、考えた末、私の提案で、高速に乗ったまま北九州市へ直行することになった。レンタカーは同じ県内なら追加料金無しで返せるし、新幹線も予定の列車に小倉から乗ることができる。ただ、それでも夜8時の返却に間に合うかどうかは微妙だった。
筑紫野の次の大宰府インターは、さきほど以上にひどい渋滞だった。ふと空を見れば、明らかに異常な雲が出ていた。雲の底が触手のようにぼこぼこと出っ張っているのだ。その下を、福岡空港へ降りる飛行機が飛んでいった。こくこくとラジオやテレビから入ってくる情報は、死者が出たことを伝えていた。改めて震度分布を見ると、博多区は震度6弱で、天神などではガラスの破片が落下するなど、かなり被害が出ているようだ。当時私たちが走行中だった久留米市も、震度5強で、けっこうな揺れだったらしい。車に乗っていたからあれくらいで済んだが、実際に体験していたら、そうとうな恐怖だっただろう。周囲の建物に特に目立った被害は見えなかったが、自分が被災地にいることを改めて実感した。
ようやく大宰府の渋滞を抜け、福岡インター方面に走り始めたとき、新幹線運行再開の第一報が入った。どうやら今日中に奈良に帰ることができそうだ。とりあえずほっとした。(実はこの日は第二志望校の合格発表日であり、早く帰って確認したいという思いもあった)
福岡インターでもかなりの渋滞であったが、そこを抜けると、一気に走行がスムーズになった。いつもの高速とほとんど変わらない様子で、そこからは順調に小倉駅前に向かうことができた。駅前に着いたのは、午後7時40分ごろだった。返却にも間に合ったわけだ。先に電話をいれていたので、手続きもスムーズだった。店員さんに話を聞くと、ここでも震度5弱程度の揺れがあり、かなりの恐怖感だったそうだ。
予定の列車の時間が迫っていたので、小倉駅に急ぐと、改札前には、いまだに運休中の看板が立っていた。電光掲示板によると、私たちの乗る予定ののぞみ号名古屋行きは、予定通りの時間で運行されるようだ。指定席券も有効だ。他のひかりやこだま号は、運休や大幅な遅延が出ており、博多から一駅だというのに、30分程度の遅延列車もあった。
ホームでのぞみを待っていたら、先に新大阪行きのひかりが入ってきた。これも15分以上遅れている。短い停車ですぐに発車していった。その3分後、予定の列車が入ってきた。まだ再開から時間がたっていないので、乗客でいっぱいかと思ったが、意外に空いていた。乗車すると、予定の座席もちゃんと空いていた。間もなく、小倉を発車し、新関門トンネルに入った。まだ余震が起きていつ運休になるか分からないので、とりあえず広島あたりまでは気を抜けない。その間にも、車内のニュース速報で地震情報を流していた。いま、そこから走ってきたというのが不思議な感覚だった。
無事に広島に至り、ようやく安堵できた。それにしても、わざわざ墓参りにいって、前代未聞の場所で起きた大地震に遭遇するとは、なんとも運の悪い話だ。今日は併願校の合格発表だが、明日はいよいよ琉球大学後期試験の合格発表である。今日これだけひどい目にあったんだから、明日は良い日になるのでは・・・という妙な希望的観測が湧いてきた。(実際そうなったわけだが・・・)
新大阪に到着し、大阪に出ると、普段の生活が広がっていた。ほんのさっきまで被災地にいたのがうそのようだ。その気持ちは、奈良の実家に帰りついたときにより強くなった。テレビで地震関連の情報を見ていたら、はるか遠くのことに思われるが、朝は博多にいたのだ。改めて、無事に帰れて本当に良かったと思った。
その後、パソコンで第二志望の私立校の合格発表を確認すると、みごとに合格していました。
そして、翌日、運命の合格発表を迎えて今日の私がいるのです。






熊本お墓参り1日目

2005年03月19日 23時49分18秒 | うちなー日記(沖縄編)・・旅
突然、熊本に家族で墓参りに行くことになった。
ただでさえ、私の受験関連でお金がかかっているため、今回の旅行では母と私と弟はフェリーで行くことにした。父は仕事の関係で、2日目の朝に新幹線で向かうことになっている。
夕方、近鉄と南海電車を乗り継ぎ、泉大津港に着いた。出航時間は迫っていたが、お菓子などを買い込んで、フェリーに乗船した。
今回利用したフェリーは、阪九フェリーの「やまと」。全長200m近い、瀬戸内海最大のフェリーだ。なんといっても「やまと」という船名が良い。
とりあえず、2等船室の大部屋でスペースを確保し、プロムナードデッキで一息つく。窓際のイスに座り、リラックスしていると、セレブの気分になった。出航の時間になり、サイドスラスター(船を横に動かすプロペラ)の音が一際大きく響く。岸壁が離れていき、汽笛一声、船は泉大津を出港した。
しばらくしてから甲板にでると、進行方向左に関西国際空港と連絡橋が見えてきた。夕焼けの中を飛行機が旋回して着陸する光景がしばらく見られた。大阪湾の中央まで船が来たところで、夕暮れを迎えた。今日の天気はとても良く、ひときわ綺麗で大きな夕日を拝めた。
さらに30分ほどすると、明石海峡通過の時間になった。再び甲板に出ると、長大な明石海峡大橋が前方に見えてきた。宝石のように美しくライトアップされた橋を見ていると、惚れ惚れとする。くぐりぬけるまでの数十分がとても短く感じた。
明石海峡を通過すると、船が揺れ始めた。いつもの瀬戸内海は、まるで川か湖のように穏やかで、揺れなどほとんど感じないのだが、今日はなにかが違う。多分今日は乗客や車の積載が少ないため、風で船体が揺らされているのだろう。大きな船だけに、右に左にゆっくりと揺れる。それほど大きな揺れではないが、いつもと違う航海に、少し気持ち悪くなってしまった。こんなときは早く寝たいのだが、母がレストランに行くと言う。レストラン前で待っている間も、窓から見える海面は、窓枠の上から下へと動いていて、他の乗客も、「なんか揺れるね。」と会話していた。しかたがないので意を決してレストランに入る。夕食はカフェテリア方式なので、好きなものをとって食べた。本当ならば、お洒落な雰囲気を味わってゆっくり味わいたいが、早々にかき込んで、部屋にもどり、今日のところはもう寝ることにした。
ところが、またもや母が風呂に行くという。一人で寝ているのもなんなので、結局私も展望風呂に行ってしまった。やっぱり風呂に入ると気持ち良かった。30分も長居してしまった。気持ち悪かったのも、だいぶよくなった。
結果的に寝たのは0時近くだった。

琉球大学受験旅行3日目(後期編)

2005年03月12日 16時55分00秒 | うちなー日記(沖縄編)・・旅
そして3日目、試験当日、朝6時半起床、いよいよ最終決戦の日だ。とりあえず今日は気合で乗り切ろうと思う。風呂に入って体力を充電し、早速出発した。いつものルートとなったゆいレールで首里に向かい、そこでタクシーに乗り換えた。余裕をもって試験会場に入ると、まだ席は空いていた。理系複合棟の102号室(大講義室)が会場だ。だんだんと席が埋まっていき、3席を除いてすべて埋まった。どうやら今年も実質倍率が高いようだ。私は出願が遅かったので、座席も後ろの方で、会場内が見渡せる位置だった。実は前期試験で集中できなかった理由の一つに、前の席の人が試験中に鼻をかみまくっていたこともあった。(その人も不合格だったようだが、その前の席の人は合格していた)だから、試験前から周囲の人のそぶりを気にしていたが、どうやら大丈夫そうだ。
いよいよ試験問題が配られる。後期試験は小論文試験で、私にとっては得意分野である。だから、なんとなく気は楽だった。とにかく自分らしく書こうと決めた。
そして試験開始!配られた問題は、第1問目は「琉球大学で海産哺乳類について研究するとすれば、どのような研究をしたいか」で、第2問目が、ダーウィンについての文章のあとで、「ダーウィンの語った『科学への愛』について自らの思うところを述べよ」という問題だった。私としては、第2問はまさしく得意分野だったので、第1問にゆっくりと時間を掛けた。しかし、意外と本番の小論文というのはどこまで自らの考えを述べて、どこまで客観的に述べればいいのかの境目が難しい。結局「600文字程度」の制限のところ、700文字弱になってしまった。しかし、時間が少なくなってきたので、第2問に進んだ。第2問は、とにかく勢いで書いた。自分でも何を書いたのかよく覚えていないのだが、多分「信仰者と科学者の比較」っぽい内容だったと思う。そして終了30秒前にぎりぎり書き終えた。試験を受ける態勢としてはあまり良くなかったが、とりあえず書くべきことは書けた。
さあ、試験は終わった。会場を後にして、4月に必ずここに戻ってくることを誓いつつ、大学を後にした。バスで儀保に出て、ゆいレールに乗り換え、那覇空港に直接入った。
帰りは熊本の親戚の家に寄るため、ANA468便熊本行きに搭乗する。天候が悪化してきていたが、どうやら飛べるらしい。そろそろ慣れてきた手荷物検査を済ませ、全日空側サテライトの搭乗口に着いて、あることに気がついた。来たときに搭乗した関空からの便が、折り返しで熊本行きになるらしいのだ。まず降りたのと同じ搭乗口であり、同じ機材、時間的にも折り返すのにちょうど良い時間である。航空会社の機材繰りはなかなか興味深い。沖縄入りしたのと同じ搭乗口から搭乗を済ませ、予約通りに窓際の席に陣取った。来たときと同じで、座席が新しいものに更新されており、すわり心地も上々だ。
ドアクローズの後、出発、誘導路を進み始めると、機内放送が入る。機長席からで、やはり今日は強い揺れが予想されるらしい。特に、九州地方上空の気流が不安定で、熊本に近づくほど揺れが激しくなるということだ。ちょっと緊張してしまう。隙をみてシートベルトサインを消して機内サービスを行うが、揺れに気をつけてほしいとの内容だった。そして、その放送が終わると同時に離陸滑走に入り、来た時と同様に軽いエンジン音を響かせながらテイク・オフした。今日の風は強い北風で、低空での揺れは少ないが、時折風に煽られるのが少々こたえる。なかなか今日は上昇しないが、乱気流を避けているのだろう。しばし低空飛行を続け、雲の隙間から上昇し始めた。雲の中はやはり揺れる。それどころか、雲の上に出ても揺れが続く。やはり気流が悪いらしい。近距離路線の割にかなりの高空まで上がって、ようやく揺れが収まり、ベルトサインが消灯した。機窓からは美しい空の光景が広がっているが、いつまた大きく揺れるか分からない。まだ小刻みな揺れはあったが、機内サービスが始まった。こういうとき、客室乗務員は大変だなと思う。時折中くらいの揺れが来るが、しっかりと足を踏ん張ってドリンクを配り続けている。テーブルにドリンクを置いたが、時々揺れでこぼれそうになるので、テーブルをしまって、手で持つことにした。
しばらくすると、屋久島上空でまたベルトサインが点灯し、乱気流に入った。まだコップの回収に来ていなかったが、機長からの指示で乗務員も席に着いているということだった。このまま熊本まで揺れ続けるのかなと思ったが、鹿児島付近で揺れは完全に収まった。左には東シナ海から八代海へと続く海岸線が続いていて、美しかった。再び機内サービスが始まり、コップの回収も終わった。しばし夕暮れ時の機窓風景が楽しめた。
熊本上空に入ってくると、着陸態勢に入って速度が落ちてきたこともあり、再び横風の影響が出てきた。時々西風で右側に煽られる。旋回していないのに機体が傾くのは嫌な感じだ。B767型機は中型機に属するので、B747やB777などの大型機にくらべると、風の影響をよく受ける。左に天草諸島が見えたところで、右に旋回し、熊本市交通センター上空を通過して、最終着陸態勢に入った。熊本空港は丘陵地帯にあり、着陸直前までゴルフ場の敷地が続くため、各コースが手につかめるくらいすぐ下に見えて迫力満点だ。今日もなかなかのスリルを味わえた。着陸は意外にスムーズだった。予定よりも30分ほど遅れての到着だったが、そんなことよりも、強風のおかげで空気が澄み、阿蘇山がくっきりと見えていたのが感動的だった。
降機すると、すでに搭乗口に人が並んでいる。折り返しの便の出発時間が迫っているようなのだが、折り返しの便の目的地は伊丹だった。ということは、この飛行機の機材繰りは関空~沖縄~熊本~伊丹とぐるっとまわるものらしい。なかなか興味深いルートだった。
到着口には親戚が迎えに来てくれていた。
外は猛烈に寒かった。沖縄の気温は25度あって、クーラーが入っていたが、、なんと現在の熊本の気温は-1度!コートを鞄に用意しといて良かった。親戚の家に着くと、飛行機の遅延時間の間に買いに行ったという、馬刺しと白魚の踊り食いで少し気の早い合格前祝いを開いてくれた。どちらも初めてだったので、新鮮な美味しさだった。親戚の親切に感謝!その後、温泉にも連れて行ってもらい、疲れを癒すことができた。
その後、夜行バスで奈良に帰り着いたわけだが、今回の旅は全般的に気持ちの良いものだった。帰宅した私の胸には倍率は高いが、なんとなく後期は合格しているのではないかという期待があった。


琉球大学受験旅行2日目(後期編)

2005年03月11日 16時53分55秒 | うちなー日記(沖縄編)・・旅
2日目、朝8時頃に目覚めた。さて今日はどうしようかと思い、とりあえず机に向かい、赤本を見た。昨年の入試データの欄を見ていて、後期の倍率が並大抵のものではないことを改めて認識した。琉球大学の他の学科は、後期試験の志願者の倍率と、実際に受験する人の倍率に大きな差がある。恐らくこれは、後期を出願したものの、前期で志望校に受かった人が受験を辞退するからだと思うが、理学部海洋自然科学科の場合、志願者数と受験者数が全く同じ数なのだ。生物系の場合、倍率は両方とも6.9だった。今年は、数学試験の出題ミスの関係で、前期での合格者が昨年よりも多いので、そのぶん後期の定員(10人)外の合格者が減らされ、さらに倍率は上がることが予想される。果たして7倍の倍率をくぐり抜けることはできるのか?数字とにらめっこしていたら、ナーバスな気分になってきたので、外に出ようと思った。
ケータイの地図で検索したところ、近くに那覇市立図書館の分館があるそうだったので、とりあえずそこに行くことにした。ホテルを出て、久茂地川沿いの道を北東へ歩く、途中、川の水面が昨夜よりもかなり高くなっているのに気づいた。この川は川というよりも運河のようなもので、海と直接繋がっていて、干満の差があるようだ。
ケータイの地図上の図書館の周辺まで来たが、歩けど歩けどそれらしいものはどこにもない。そろそろ暑くなってきたので、どこか日陰に入りたい。そしてうろうろする内に、結局図書館は見つからないまま裏道をホテルの裏まで戻ってきてしまった。このままホテルに帰るのも癪なので、とりあえず気晴らしに日本最南端の駅、赤嶺駅に行くことにした。県庁前からゆいレールの車内に乗り込むと、冷房が効いていて涼しい。まだ3月だがすでに冷房はフル稼働だ。
赤嶺駅に着き、セルフタイマーで記念碑と一緒に写真を撮り、ゆいレールの側道沿いのマクドナルドで昼食を取った。本土と同じものが食べられるのは嬉しい。少々食べ過ぎたが、その後小禄の那覇ジャスコに向かい、店内を見物したのだが、まだ時間はたっぷりとある。ここで、せっかくの沖縄滞在なので観光に行くことにした。前期入試の憂さ晴らしの意味もある。そうだ、首里に行こう!
天気は予報どおり、だんだんと崩れてきていて、首里散策の間もってくれるか心配だったが、ゆいレールはだんだんと首里の丘に登っていく。
首里駅に着いて、バスもあるようだったがひとまず首里城公園に向かって歩き始めた。道路標識を頼りに進んでいくと、案外距離があって、30分近くかかってしまった。
久しぶりの守礼門は、シロアリ被害の修繕工事で柱がすべて囲われていた。そういえば以前新聞に3月まで工事中だという記事が載っていた。いつもなら記念写真の客引きが待ち構えているのだが、今日はいない。3年前の観光旅行の記憶を辿りながら、歓会門をくぐり、城内に入っていくと、石垣のテラスから那覇市街地を一望できた。なかなか壮観だ。しばらく見とれた後、いよいよ正殿に向かう。正殿手前で入場料の徴収をするシステムになっていたが、ゆいレールのフリーパスを持っていたので、入場料を割引してもらえた。奉神門をくぐると正殿が目の前に現れたのだが、こちらも修繕工事中で透明なビニールシートがかけられていて、普段の迫力はなかった。まあ、工事中の正殿や守礼門を見られる機会なんてそうあるもんじゃないから、逆に幸運なのかもと思い、写真を撮った。
一通り展示を見て、正殿内を見学し、お土産コーナーも回ったが、なんとなく物足りない。正殿が工事中でなければ、広場で何時間でも居座って眺めるのだが・・・そこで、私は前々から行きたかった「金城町の石畳道」を訪ねることにした。守礼門への道から分岐する道を下り、石垣沿いの道を歩き続けるが、またしても地図無しで行動する私の性である、迷子になってしまった。金城町とはどこなのかさえつかめていなかった。電柱の表示では、ここの辺りが金城町らしいが、石畳がどこなのか分からない。三叉路の交差点に出たところで今来た道を引き返し、首里城入口を通り過ぎて、首里高校の前を過ぎると、左下の道に通じるS字カーブの下り坂(私有地っぽかった)があったので、そこを下りてみた。広い道に出ると、「金城町の石畳」の観光案内板が見つかり、それに導かれるまま、再び上り坂を上る。すると、さきほど道を引き返した交差点のそばに出たところで、金城町の石畳にたどり着いた。やはりさっき近くまで来ていたのだ。とりあえず見つかって良かった。
金城町の石畳については、フォトギャラリーに参照の通りだが、私としては、石畳道を学校帰りの小学生が一人駆け下りていったのが、印象的だった。この道も観光地である前に地元の人の生活の通り道だったのだ。
坂を下り終え、首里駅まで遠いので、どこでも良いからゆいレールの駅まで歩くことにしたのだが、これまたかなりの距離を歩き、たどり着いたのは首里から6駅離れた安里駅だった。今日歩いた距離は実に7km。こんなに歩き疲れて明日の試験は大丈夫なのかとも思ったが、しかし、あこがれの石畳道に着けた達成感の方がそれに勝っていた。遠回りしても、目的地に辿りつければ良いんだと妙に納得して、この日は寝床に入った。






琉球大学受験旅行1日目(後期編)

2005年03月10日 16時52分34秒 | うちなー日記(沖縄編)・・旅
前期入試の合格発表から3日後の朝、私は関西国際空港国内線出発ロビーに立っていた。前期の結果により、私は再び入試を受けに沖縄に行くことを余儀なくされた。(ちなみに前期と後期ともに同じ学科に出願していた。)
後期試験は12日だが、今回は余裕を持って沖縄に入ることにした。前回往復に日本航空を使って試験に落ちた経緯があるので、今回はANAを使う。空港も関西国際空港発の便にした。元々関空が好きなこともあるが、やはり関空には空港らしさがある。わくわくするのだ。
カウンターでチェックインすると、窓側の席は満席だった。私は基本的に後部座席が好きなのだが、受付の方の早く降機できるようにとの親切で、前から2列目の席になった。今回もインターネットで予約したのだが、昨日チケットを取った時点ではまだ窓側が空いていたはずなのだが・・・急いで空港内のインターネットコーナーに行き、確認すると、確かに空いていない。ではせめて帰りの便は窓側にしようと思い、ここで座席を指定した。
かなり時間に余裕があるが、手荷物検査場に向かった。前回の伊丹での教訓があるので、今回はスムーズに済んだ。チケットにかかれた搭乗口は目の前だった。チェックインカウンターから搭乗口まで全く上下の移動をせずに、しかもせいぜい50mくらいしか歩いていない。こういう時、関空の機能性がよく分かる。写真を撮ったりして時間を過ごすうちに、搭乗の時間になった。今日の搭乗客は、国際線からの乗り継ぎ客も多いようで外国人も多い。今日の搭乗機はNH485便、関空発那覇行き、機材はB767-300だ。
搭乗が済むと、すぐにドアクローズし、まもなく出発した。今日は南向きの離陸なので、北側に位置するターミナルビルからあっというまにランウェイエンドに到着、離陸滑走を開始した。ここで、この前に乗ったB747-400よりも機内でのエンジン音が小さいのに気がついた。前回は「ゴー」という音だったが、今回は「ヒュイーン」という軽快なサウンドだ。機内は満席だったが、実に軽い離陸だった。
順調に上昇を続けるが、だんだんと天候が悪化しているためか、そこそこ揺れがある。しかし、エンジンの軽快なサウンドが心地よく、なんだか安心する。雲上に出ても、気流の影響でまだ揺れは続く。機内アナウンスでも「揺れがしばらく続いてまいりますが、飛行機の航行には影響はございませんのでご安心ください」と放送があった。ジャンボのゆっくりとした揺れと違い、やはり中型機だからなのか風に舞うような揺れが続く。
しばらくすると揺れもおさまり、機内サービスが始まった。コーヒーの紙コップに「名鉄ミュースカイ(中部空港の連絡特急)」の絵が描かれているのが全日空らしい。(名鉄は全日空の大株主である)
青空が広がる機窓を横目に漫画を読める贅沢・・・いつしか機は着陸態勢に入り、あっというまの飛行を経て、那覇空港に着陸した。今日も南向きの着陸だった。
ホテルの予約時間が迫っているので手荷物を受け取るとすぐにゆいレールに飛び乗った。今日は東横インが全館(おもろまち、美栄橋、旭橋)満室だったので、インターネットで見つけた格安のホテル、「ホテルまるき」に泊まる予定だ。最寄の県庁前駅で降り、道路を渡るとすぐに着いた。玄関を入ると、駅前のビジネスホテルの雰囲気(まさにそうなのだが)だった。チェックインを済ませて部屋に入ると、想像外に広かった。ホテルの外見が細長かったので、狭いと思っていたのだが、一般的なシングルルームの2倍はある。これは快適に過ごせそうだ。早速、疲れていたので、ベッドに横になった時、窓の外をゆいレールが通り過ぎていった。ここは5階、ちょうどゆいレールの高さと同じだったのだ。早速走行写真を撮ったが、車内の人の顔まで見える。ということは逆に、ホテルの客室の中もまる見えということだ。この広さなのに宿泊料金が安かった理由が分かった。
下の写真の手前の建物がホテルまるきで、奥の立派な建物は、日本航空と国場組が入る国場ビルだ。