うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

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ヨーロッパ日帰り旅行を計画してみた。

2019年03月11日 00時49分01秒 | えぞ日記(北海道編)・・趣味
地震や停電の備忘録ばかり書いていると少々気が重くなってくるので、今回は思いっきり趣味的な話を書きたいと思います。

先日、私はこんな動画を見つけました。↓

【日帰りアメリカ旅行】東京から1日でハワイに行ってきた 10/1-101


乗り鉄系YouTuberとして有名なスーツ氏の動画です。
私は氏の1回目の最長往復切符旅行の途中から動画を見はじめたのですが、初めて見た動画(我が地元の奈良県天理市付近を通過した際の動画)で、実に的確な解説を早口で行っているのに感銘を受けたものでした。最近はYouTuberとしての収入が増え、シベリア鉄道と日本航空ファーストクラスで世界一周旅行に出掛けたり、豪華客船飛鳥Ⅱのワンナイトクルーズでスイートに一人で乗るなど、かなりリッチなことにも挑戦していて、乗り物好きとしては羨ましい限りです。

閑話休題、上記の動画では、東京から日帰りでハワイに行った様子が紹介されています。
実は私、この動画のタイトル自体は前にも見ていたのですが、てっきり鳥取のはわい温泉か常磐ハワイアンセンターに行ったネタ動画とばかり思い込んでいて、内容を見ていませんでした。
今回たまたま暇つぶしにこの動画を見たところ、本当に羽田から日帰りでハワイに行っていて衝撃を受けた次第です。
動画では、ハワイアン航空の深夜便で羽田を23:55に出発し、朝(現地時間の昼)にハワイに到着、5時間ほどハワイを観光して帰路便に乗り、22時頃に羽田に帰着するという行程でした。往路便が日付変更前に出発するので、実際には0泊2日になっていますが、羽田の滑走路を離陸するのは午前0時を過ぎるため、動画中では日帰りであると主張しています。

日帰り海外旅行といえば、最近はLCCの普及で近距離国際線を利用し易くなったため、韓国や台湾、香港に日帰りでご飯を食べにいくような旅行をする人も増えてきました。私の高校時代の恩師も、時折Peachで韓国に焼肉を食べにいかれているとか・・。ネットで検索してみると、マイレージクラブのステータスアップ目的のため、日帰りでバンコクやシンガポールに旅行する人もいるようです。
日帰りの定義が色々あるようで、スーツ氏のように日本を当日出発(離陸)・帰着とする人もいれば、深夜便利用で現地に当日到着・当日出発(0泊3日)とする人もいます。

上記の動画に触発されて、私も日帰りの遠距離海外旅行をしてみたくなってきたのですが、あいにく持ち合わせが無いので、今回はひとまず時刻表を見て妄想してみたいと思います。
スーツ氏は上の動画中で、ハワイが考え得る日本発着で最長の日帰り(日本に当日出発・帰着)旅行先であると述べていました。
本当にそうでしょうか?例えばヨーロッパには日帰り出来ないのでしょうか?

結論から言いましょう、ヨーロッパ日帰りは可能です。
ヨーロッパ日帰り旅行の候補地は2つあります。
1つ目は、ロシア・ウラジオストク
2つ目は、後述します。(そちらが今回の考察のメインとなります)



ウラジオストクは東京から直線距離で1100 kmほど、稚内よりも近いところにありますが、立派なロシア本土のヨーロッパ文化圏の街です。
最近は鳥取県境港からフェリーで行くこともでき(上述のスーツ氏のシベリア鉄道旅行ではこの経路を利用)ますが、飛行機ならば東京から2時間少しで飛ぶことが出来ます。
しかしながら、成田直行便のS7航空(旧シベリア航空)利用の場合、15:25に成田を出発し、帰着は翌日の14:30になってしまいます。24時間以内に帰ってくるとはいえ、向こうで宿泊しては日帰りとは言えません・・。
そこで、経由便を調べてみると、韓国仁川経由(大韓航空・アエロフロート利用)で9:05成田発→16:35ウラジオストク着という経路が見つかりました。
帰路も仁川経由だと、18:50ウラジオストク発で23:25には羽田に帰着できるとのこと。
これなら、僅か2時間15分ですが、ウラジオストクに滞在できます。
とはいえ、ウラジオストク国際空港から市内までは約1時間掛かるため、現実的には観光は困難です。また、ロシア旅行にはビザが必要なため、気軽に行きにくいのも難点・・。
追記1:S7航空は今年のGW・夏休み期間に水曜日限定で9:20成田発→12:45ウラジオストク着の午前便を飛ばすようです。この便を使えば、ウラジオストク滞在時間を6時間以上確保でき、無事ロシアに入国出来れば、市内まで足を伸ばすことは可能そうです。)
追記2:ウラジオストクでは近年観光客の誘致のため、簡易化された電子申請ビザで入国可能になっているとのことです。別の街に行くことは出来ませんが、最短で即日発給されるとのことですから、思っていたよりは行き易い街になっているようですね。)

日本から一番近いヨーロッパといわれるウラジオストクならば、日帰りはどうやら可能そうでした。
でも、往復僅か2000 kmそこそこで、スーツ氏の日帰りハワイ旅行の距離には到底及びません。どうせ行くならウラル山脈を越えたヨーロッパ亜大陸に行ってみたいところです。

この希望をどうにかして叶えられないかと、私はこの週末、夜も眠らず昼寝して考えました。
そこで、あのヨーロッパへの最短ルートである航空会社を思い出したのです・・。



そう、我らが(?)フィンランド航空です。
というわけで、日本発着日帰りヨーロッパ旅行の2つ目の候補地は、フィンランド・ヘルシンキになります。



日本からヘルシンキへは約 8000 kmほど、ハワイと比べると更に 2000 kmほど遠いです。本当に日帰り可能なのでしょうか?

フィンランド航空の2018-19冬期の日本発着時刻表は以下の通りです。

成田 11:55発 → ヘルシンキ 15:10着
中部 11:55発 → ヘルシンキ 15:10着
関西 11:45発 → ヘルシンキ 15:00着

ヘルシンキ 17:30発 → 成田 10:00着
ヘルシンキ 17:15発 → 中部 09:50着
ヘルシンキ 17:35発 → 関西 10:00着
(全て毎日運航)

あれ、これだと日本を昼頃に出発していて、あまり日帰り感が無いような・・。しかも現地滞在はたったの2時間強で、とてもじゃないですが観光は無理そう・・。

・・・ご安心ください、同航空の2019夏スケジュールがこちらです。

成田 09:50発 → ヘルシンキ 13:50着(毎日)
成田 11:00発 → ヘルシンキ 15:00着(毎日)
中部 10:30発 → ヘルシンキ 14:30着(毎日)
関西 01:30発 → ヘルシンキ 05:40着 月・木・土曜
関西 10:45発 → ヘルシンキ 14:45着(毎日)
福岡 10:00発 → ヘルシンキ 14:25着 水・金・日曜

ヘルシンキ 16:45発 → 成田 08:05着(毎日)
ヘルシンキ 17:35発 → 成田 08:55着(毎日)
ヘルシンキ 17:25発 → 中部 08:45着(毎日)
ヘルシンキ 00:45発 → 関西 16:15着 日・水・金曜
ヘルシンキ 17:25発 → 関西 08:55着(毎日)
ヘルシンキ 16:30発 → 福岡 08:00着 火・木・土曜

夏期スケジュールでは日本路線が増便され、関西国際空港から深夜便が飛びます。帰路便をヘルシンキ夕方発の便にすれば、翌朝に日本帰着となります。計約30時間の旅ですが、未明出発・朝帰着ですから、ほぼ日帰りと言っても良いかと思います。
金曜日に仕事を終えて空港に向かい、土曜日の未明に日本を出発、その日は早朝から夕方まで(約12時間)ヘルシンキを満喫しつつ、日曜日の朝には日本に帰ってきてゆっくり休める・・というわけです。
(翌日、職場で「俺、一昨日フィンランド行ってきたんだ」と言ったら皆ビックリしてくれるでしょう)
フィンランドはビザ無しで訪問できますし、ヘルシンキ・ヴァンター空港の入国審査は自動化ゲートを利用可能です。また、空港から市内まで約30分で移動できるので、ロスタイムが少なく、滞在時間を大いに活用できるかと思います。
さらに、ヘルシンキからヨーロッパ各地へは数多くの乗り継ぎ便が運行されており、ストックホルム(滞在7時間)やベルリン(滞在4時間半)、パリ(滞在2時間40分)まで足を伸ばすことも出来ます。水曜どうでしょう辺りの番組がネタに使いそうなヨーロッパ主要都市への弾丸旅行も可能なのです。
もう一つ付け加えると、通常の便だと往路は日中の飛行になりますが、深夜便では往路便、復路便ともに夜中の飛行になるため、往復ともに機窓からオーロラを見られるチャンスがあります。この旅程、色々とおいしいのです。



・・・え、日本を当日発着しなければ日帰りとは認めないですって?
仕方ないですね、実は上記の夏期スケジュールを使えば、真の日帰りヘルシンキ旅行も可能なのですよ。
成田9:50発の便でヘルシンキに飛び、ヘルシンキ17:35発の便で成田に翌朝8:55に戻るコースです。
これをUTC協定世界時(UTC+0000)で表すと、成田を午前0時50分に出て、同日夜11時55分に帰着することになります。世界時間で見れば、ばっちり日帰りになっているのです。しかもヘルシンキ滞在時間も3時間45分確保されており、少なくとも1時間以上はヘルシンキの街中で過ごせるものと思われます。
これ、凄くないですか?誰か試してほしいですね。というか、私が行きたいです・・!

以上、早春の夜の妄想でした。
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あの日、札幌にて (2018年9月6日)後編

2019年02月28日 20時11分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
北海道胆振東部地震当日の備忘録の続きです。


9月6日午後5時頃、ガソリン給油を終えた私は、自宅に戻ってきました。
手稲の知人宅に滞在中、実家の父からのLINEで道内の一部地域で電気が復旧したとの知らせを聞いており、札幌市中心部に位置する我が自宅も復旧しているかも・・と仄かに期待していたのですが、実際にはまだまだ停電は続いていました。



朝からテレビを見ていなかったので、どうにかして映像情報を手に入れたいと思い、押入れから古いスマホを取り出しました。2014年発売のこのスマホ(SHARP 304SH)はスウェーデン留学やボストン出張にも持参した思い出の端末なのですが、高感度の伸縮式アンテナを備えており、単独でワンセグならぬフルセグメントの地上デジタル放送を受信・録画可能です。
車の中で少し充電してからスマホの電源を入れたところ、停電後初めて映像のニュースを見ることが出来ました。
朝の時点では最大震度は6強と報道されていましたが、厚真町で震度7が観測されていたこと、大規模な土砂崩れが起きていたこと、札幌市内でも一部地域で地盤に大きな被害が出たことなどを知りました。
また、停電はまだ道内の数パーセントの地域でしか復旧しておらず、徐々に発電所を再起動させている途上であることも報じられていました。私は全道規模の停電という第一報を聞いた際、数日間から数週間は電気が復旧しないことも想像していたため、予想よりも早い復旧スピードにむしろ驚きました。順調に行けば今夜か明日には停電から回復できると聞き、大いに希望が湧いてきました。



自宅に居ても特に出来ることも無いので、日没まで街の様子を見に出掛けることにしました。
自転車で自宅を出てものの数分、僅か300メートルのところまで来ると、電気が復旧して信号機が灯っていました。病院など、特に市民生活に特に重要な施設がある地区から順に復旧が進められたそうで、札幌市民病院がある桑園エリアはかなり早い段階で停電から復旧したようでした。
また自転車で数百メートル進むと、再び停電中の地区に入りました。



特に目的地を決めずに走っていたのですが、なんとなく人が大勢集まっていそうな大通り・すすきの方面に向かいました。



沿道のスーパーやコンビニは軒並み休業状態で、今夜のご飯については先程手稲の知人宅で頂いた食材でなんとかなりそうなものの、明日以降の食糧確保が心配になってきました。



大通公園まで来ました。午後6時を過ぎて、だいぶ日が暮れてきました。札幌市役所(写真左側のビル)は自家発電で窓に明かりが灯っていましたが、テレビ塔の電光時計が消えており、街灯も点いていないため、仄暗く感じました。
公園のベンチや芝生には観光客と思しき人々が集まっていましたが、ホテルも殆どが休業しており、行くあてが無さそうで、ただただ時間を持て余しているように見えました。



地下鉄大通駅の入り口にはこのような張り紙がされていて、シャッターが降ろされていました。
少し不安に思ったのが、先ほどの公園内にたむろしていたような観光客の多数を占めると思われる、海外からの観光客にどれくらい情報が伝わっているかでした。
地元民の我々でさえ情報不足に陥っていたところ、外国人にとってはひとたびスマホの電源が切れてしまえば、ラジオもテレビも無く、街中の張り紙も日本語でしか書かれていないため、一層状況判断が困難なのではないかと思いました。



市電西4丁目停留場交差点付近も、ほぼ全ての建物が休業しており、とても平日の午後6時頃とは思えない光景でした。



交差点に面した三越もこの日は全館で臨時休業。



狸小路のアーケードも信じられないくらい真っ暗でした。当然ながら、全ての店が休んでいました。



参考までに、停電から2日後、9月8日の狸小路の様子がこちらです。



すすきのエリアまで来ましたが、店の看板や街灯が点いていないため非常に暗く、歩いている人の視認すら難しい状況でした。
安全のため、懐中電灯やヘッドライトを点けて歩く人の姿も時折見られました。



すすきののランドマークの一つである観覧車ノルベサの辺りの様子です。ここも真っ暗でした。



そしてすすきの交差点まで来ました。この交差点だけは自家発電で信号機が灯っていましたが、有名なニッカの看板を含めて全てのネオンが消えており、いつもは気にも留めない車のヘッドライトが眩しく感じられました。
私を含めて何人もの人がこの衝撃的な光景を写真に収めていました。
それにしても異様に人通りが少なく、静かで、街全体が喪に服しているような感覚まで覚えました。



すすきのからの帰路、大通西11丁目付近を通りかかると、不思議な光景が見られました。
大通公園に沿ったエリアはご覧の通り真っ暗だったのですが、



石山通りに面した沿道は停電から復旧し、街灯が煌々と灯っていたのです。
この2枚の写真は同じ場所から撮ったのですが、如何に普段の札幌が電気に照らされていたのか実感できました。



そういえば我が職場である北海道大学には病院も併設されているので、もしかしたら優先的に電気が復旧しているかも・・と思い、数時間ぶりに様子を見にいきました。
しかし、まだ復旧はされておらず、昼間と状況は何も変わっていませんでした。内部の人に聞いたところでは、どうやら病院施設のみ先に復旧させたものの、他の各施設についてはまだ復旧の優先順位を付けている段階であり、しばらくは復旧の見込みが無いことを知りました。このとき、私は実験用に細胞を培養中でしたが、培養装置復旧の目処も立たないため、処分・廃棄することをついに覚悟しました。
この夜は学内の体育館が避難所として学生・職員向けに開放されており、学生の下宿が集まる北区や東区は地震の揺れによる被害が大きく、ここで一夜を過ごした学生さんも多かったようです。



夜8時頃、再び自宅に戻りました。
自宅の部屋の中は相変わらず電気が点きませんでしたが、幸いなことに水道とガスは停電中もずっと使用できました。水道水をガスで湧かし、夕食作りに取り掛かりました。



出来上がったのがこちらです。
手稲の知人宅で頂いたチキンラーメンに魚を載せ、卵でとじようとした一品でした。
知人には感謝してもしきれないのですが、とても残念なことに魚の小骨が思いのほか多く、ラーメンに混ぜたことを後悔しました・・。



この日の夜は、多くの時間を車の中で過ごしました。座席を倒して空を眺めていると、街明かりが少ないからか、いつもより星空が綺麗に見えました。



日付が変わり、9月7日の朝5時を過ぎても我が家の停電は復旧していませんでした。
車中でずっと過ごして体のあちこちが痛くなってきていたので、夜が明けてきたのを機に自室のベッドで横になりました。



ウトウトとしながら1時間ほど横になっていたところ、不意に部屋の灯りが点きました。
停電発生から26時間、ついに我が家も停電から復旧したのでした。

(続く)
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あの日、札幌にて (2018年9月6日)

2019年02月26日 21時19分47秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
2018年9月6日、未曾有の地震(北海道胆振東部地震)と大停電が北海道を襲いました。
この記事は、札幌在住の私が体験したあの日の記憶の備忘録です。

・・・・・・・・・・・

9月5日、地震前日の未明に台風21号が北海道の西方を通過しました。
この台風は前日に関西方面に大きな被害を与えていましたが、札幌でも瞬間最大風速32.8 m/sを記録し、多数の倒木が発生したり、電柱倒壊で一部地域で停電するなどの被害が出ました。



出勤してみると、北海道大学構内でもあちこちで巨木が倒れていて、とても驚きました。
ただ、外の被害は小さくなかったものの、日常生活には特に支障はなく、この日も通常通り研究業務をこなしていました。
夜は古巣の研究室の後輩と発寒のスープカレー屋で会食し、夜10時には帰宅、いつもより早めに眠りに就きました。



翌6日、早めに寝たせいか、午前3時少し前に目が覚めました。実家から来ていたLINEに返信しようか考えながら、暇つぶしにスマホゲームを少し遊び始めたところで、突然画面上に緊急地震速報が表示されました。



「道南で地震発生」との文字列を見たかどうかというところで、強い揺れが襲ってきました。
これまでに無く大きな揺れでベッドから落ちそうになり、並の地震ではないと思いました。
比較的周期の長い揺れに感じたため、千島海溝沿いの巨大地震かとも一瞬考えましたが、それだと道南で発生したとは言わないな・・などと思っているうちに揺れが収まってきました。
このとき、BGM代わりに古いスマホでNHKラジオを流していたのですが、スマホアプリでは約1分のタイムラグがあり、まだ地震の情報は流れていませんでした。そこで、テレビを点けて情報を確かめました。
(実はこの地震時によくとる行動こそが、大停電の引き金になっていたことを後で知り、大いに後悔しました・・。)



テレビが点くやいなや、大地震(震度6弱以上)を知らせる速報チャイムが流れ、胆振地方東部で震度6強を観測したとの一報が入ってきました。
胆振地方東部では2017年7月1日に震度5弱を観測する地震(マグニチュード5.3)が発生しており、近年やや地震活動が活発になっている地域ではありましたが、2018年6月3日を最後に地震は起きていませんでした。
自宅周辺の震度は4で、幸い部屋の中の物は転倒・落下などの被害はありませんでした。
テレビニュースとスマホの天気予報アプリで地震情報を集めていました。職場の震度が5強だったので、実験機器や動物などに被害が出たかもと心配したり、震源の場所的に石狩低地東縁断層帯が動いたのかな?などとツイッターに呟いたりするなど、比較的落ち着いて構えていました。
一応実家向けにLINEで被害が無かったことを伝えた直後、3時21分頃に俄かに部屋の照明が点滅しはじめ、しばらくして全ての電源が落ちました。



スマホの充電がかなり少なかったためにライトを点けることを躊躇しましたが、折しも前の週末にライブで持参したペンライトが枕元にあったので、それで明かりを得られました。
この時点では近所の電線トラブルか何かが原因だと思っており、すぐに復旧するだろうと考え、ひとまずベッドに戻りました。



ところが、停電から20分が経っても復旧しないため、様子を見に外に出ました。
ここで初めて、周辺一帯が全て停電していることに気付きました。一部の建物の照明は点いていましたが、道路沿いの街灯や信号機が消えており、非日常的な光景に驚きました。
スマホの充電が減っていたのと、自宅でテレビもラジオも使えなくなったので、駐車場に停めていた我が車にひとまず避難しました。
車内でスマホを充電しながらラジオを聴いていると、どうやら北海道全道で停電していることが分かってきました。全道停電となると、規模からして復旧まで相当の時間が掛かることが予測できたので、なんとか水と食糧を手に入れようと思い、近所のローソンに向かったのですが、レジ停電のため既に営業中止となっていました。



9月の初めはまだ日の出が早い時期で、午前4時過ぎには空が白みはじめてきました。
自宅付近は停電している以外には大きな被害は無かったのですが、職場付近で震度5強の揺れを観測していたため、どうしても気になり、車の台数が少ないこの時間帯に一度様子を見にいこうと車を走らせました。
想像通り、車の走行台数が少なかったため、信号が消えていても一時停止の繰り返しでそれほど難なく北大の職場近くまで辿り着けました。また、北18条のエルムトンネル西口だけは信号が点いていました。恐らく重要な交差点には非常用電源が備わっているのでしょう。
職場に着いて、外から眺めた限りでは建物に被害は無く安心したのですが、入構ゲートや建物の自動ドアが停電で動かなくなっていたため、建物内に入ことは諦め、すぐに自宅に戻りました。
帰路に沿道のセブンイレブンが非常電源を使って営業しているのを見つけました。近所の人達が食糧や電池などを買い求めて、いつもより混みはじめていましたが、なんとか私も水分と軽食を確保できました。



停電発生から2時間が経った午前5時半、太陽が昇ってきました。
信号も街灯も消えた街に光が差し込んできて、少し希望が湧いてきたように感じられました。

午前6時頃から職場関係のメールが届きはじめました。職場のメールサーバーは非常電源で稼動していたようで、上司から安否確認と無理な出勤を控えるようにとの連絡が届きました。
7時を過ぎると、職場の近くに住んでいる同僚から職場建物の中の様子について連絡が来ました。大きな物品被害は出ていないようでしたが、停電で細胞培養器や冷凍庫などが止まってしまい、何かしら対策を取る必要がありそうでした。
私も少し車の中で仮眠を取った後、8時半頃に職場に再度向かいました。道中、沿道にある大型ショッピングセンターの周囲に開店を待つ長い行列が出来ていたのが印象的でした(結局この日は停電のため営業しなかったようです)。
また、早朝には通れたエルムトンネルも内部の照明の非常電源が停止したらしく、通行止めになっていて驚きました。



職場に着いて、先に連絡をくれていた同僚と合流し、職場内の実験機器の対策を行いました。・・といっても、冷却が必要な実験機器の周囲に、製氷機内に残っていた氷を運び込むくらいのことしか出来なかったのですが。
各部屋とも細かな書類の落下はありましたが、什器類は固定済みだったので転倒物はありませんでした。私のワークスペースも無事で、机の上に立てておいたポスターケースが倒れた程度で済んでいました。
ただ、私の部署でも地震の揺れで鍵が開かなくなった部屋が見受けられたり、建物の階や場所によってはもっと揺れが大きかったようで、他部署では大型の実験機器が大きくずれ動いたところもあったようです。
しばらくすると、職場の上司や同僚も徐々に出勤してきましたが、交通機関が麻痺しているため、徒歩や自転車で来れる範囲の人のみ来ている模様でした。

一通り職場の顕微鏡なども確認しましたが、目に見える破損は無かったものの、電気が点かないことには動作は確認できません。職場の建物にも自家発電装置はあったのですが、共用のクリーンルームにのみ電気を供給する仕様であり、他の部署の停電復旧の見込みは全く立たない状況でした。
室内灯が点かず、ネットもPCも使えない状況では当然仕事も出来ないので、緊急対応が一通り終わった昼過ぎには職場を離れました。



一度帰宅した後、車のガソリンを給油しに出掛けました。実は前夜に給油するつもりが忘れており、朝からスマホの充電やラジオを聴くために車中で過ごした結果、エンプティランプが点いていたのです。
ところが、いざガソリンスタンドに向かってみたら、停電で給油機が動かないために殆どのスタンドは臨時休業中。一部の災害対応スタンドに車が殺到し、数十台の行列が出来ていました。しかも、製油所からの輸送も止まっているため、タンクに残っている量しか販売できず、せっかく並んでも途中で閉店してしまうというありさまでした。
手稲通り沿いのガソリンスタンドを順に確かめましたが、軒並み休業か販売中止状態で、気付けば手稲区まで来ていました。



国道沿いの主要交差点では警察が交通整理に当たっていました。手信号による交通整理なんて自動車教習所で習って以来初めて体験しましたが、お蔭で交通が円滑に流れていました。
手稲区には私が一時期下宿していた知人宅があり、ご家族が車関係のお仕事をされているので、もしかしたらガソリンが手に入るかもと思い、知人宅に立ち寄ることにしました。



結果的には知人のお宅でも余分なガソリンは無く、手には入らなかったのですが、職場も学校も休みということでご家族が集まっており、家庭的な雰囲気にしばし癒されました。
冷蔵庫で保管できなくなった食材で昼食を作っていただき、さらには当面の食糧としてインスタントラーメンに卵と缶詰まで頂き、とても助かりました。
この知人宅では付近の携帯電話基地局の電源が切れてしまったようで、外部との連絡が取り難くなっていました。スマホも使えないため、情報は旧型の電池式ラジオからのみ得られるという状況。この時点では未だ厚真町の地滑りの状況などの視覚情報は殆ど我々には伝わってきていませんでした。



知人宅からの帰路、下手稲通り沿いのガソリンスタンドが営業しているのを見つけ、数十分並んでなんとか給油出来ました。
レジが動かないため現金のみ使用可能で、スタンドのタンク残量保持のために給油量も制限していました。
実は翌日も別のガソリンスタンドで追加給油したのですが、そこでは30リットルまでの制限になっていて、携帯端末を使ってレジ対応(クレジットカードもOK)していました。



ガソリン給油を終えて、夕方5時頃に帰宅しました。
自宅マンションは内階段が無く、エレベーターで居住階まで上がる方式なのですが、停電でエレベーターは使用できませんでした。
しかも、非常階段の1階出入口と各階から非常階段への扉はオートロックになっているため、一度扉が閉まってしまうと非常階段で上ることすら困難な構造。このような長時間停電は建設時に全く想定してなかったのでしょうね。
住民が工夫したようで、非常階段の出入口は完全に閉まらないように物が挟まれており、なんとか自室まで戻ることが出来ました。(自室の電子錠は電池式だったため、正常に作動し続けていました)


・・・ここまでで、かなり長くなってきたので一旦区切ります。
(次回に続く)
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506日ぶりの更新 その間、何があったのか・・?

2019年02月25日 21時50分03秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
皆様、こんばんは。もとすけです。
大変長らくご無沙汰しておりました。
2017年10月7日以来の更新となりますが、先ほど計算したところでは実に506日ぶりとなります。

この間、更新を妨げるような何か(病気、結婚、その他)があったかというと、そんなことはありませんでした。私は元気です。
Twitter辺りでは結構呟いていたりもしましたから、まあブログに長文を書くのが単に面倒だっただけということになるでしょうか・・。
今回更新を思い立ったのは、Google検索で長年「もとすけ」の検索結果第1位を保ってきた当ブログが、あまりにも更新しなかったために首位から陥落し、ここのところ徐々に位置が低下していたことに危機感を持ったからです。
私は毎回このブログに来る際には「もとすけ」で検索して来ておりまして、Google検索で引っ掛からなくなると来にくくなってしまいます。(お気に入りに登録すれば良いだけの話ですが)

閑話休題、506日もあれば、色々なことが起こるものです。
今回はこの無更新期間中にあった諸々について書いてみようと思います。



2017年10月、初めての総説が出版。
私は、2019年2月現在、ブログの更新停止前と変わらず北海道大学のとある顕微鏡共用施設で特任助教を務めております。一応、更新をサボっていた間に共同研究論文が2報ほど出ました。一つは琉球大学時代の古巣のボス・後輩と共著のチョウの翅模様形成プロセスを長時間タイムラプス観察で追跡した研究の話(私が観察法を確立しました)、もう一つは現職場の上司の研究室の仕事で、2光子励起蛍光顕微鏡という生体深部での観察が可能な顕微鏡の超解像化に関する研究の内容でした。2017年にはまだ論文は出ていませんでしたが、上司から総説執筆の話を頂き、医学雑誌の「生体の科学」誌の蛍光顕微鏡技術特集号にて2光子励起顕微鏡の研究トピックについて書かせていただきました。実際の執筆は2017年5月頃だったのですが、出版は10月でした。
現在、新たな共著論文が投稿準備の最終段階にあり、ちょうど明日辺りには投稿の予定です。また、職場で顕微鏡観察を支援している研究者の方々の論文も次々と論文化予定なので、今年は共著が順調に増えそうです。一方で、今年(こそ)は主著論文(私がメインに行っている超解像顕微鏡の話)も複数出すべく、研究を進めているところです・・。いずれ論文化が成った際にはこのブログでもご紹介したいと思います。



2017年10月、同じ頃、札幌時計台の2階に新たなクラーク像が爆誕しました。
主なクラーク像としては(実は北大構内だけで5体くらい有る)、北大、羊が丘についで3体目のクラーク像ですが、これまでの像に比べて若々しいハンサムな造形です。



2016年に続いてNHK紅白歌合戦を現地で鑑賞するため、この年も大量の観覧申し込み葉書を友人と協力して送りましたが、残念ながら当選ならずでした。



2017年後期から2018年前期にかけては、超解像顕微鏡(光の回折限界を超えて細かな物を観ることが出来る顕微鏡)を現職場に導入すべく、色々な手法の超解像顕微鏡を試していました。こちらはその一種の超解像法に使うために自分で組み立てたレーザーカップリング装置。この装置を使って顕微鏡にレーザーを導入し、2018年春には超解像観察に成功しました。
ちなみに今は、特殊な装置を必要としない、画像解析による超解像法にはまっていて、これから論文を書くネタもそんなお話です。



2017年の冬には縁あって、ノーベル文学賞候補にも挙がったという某SF文豪の愛車だったジープ・ラングラーに乗ったりもしました。
オートマながら、古い車ということもあって独特の運転フィーリングでした。また運転したい・・。



2017年冬から翌春にかけては古巣の研究室の後輩達の結婚式が相次ぎました。
私のことをよく理解している後輩達だったので、とても楽しかったです。



そうそう、忘れかけていましたが、2017年12月には海外の顕微鏡画像コンテストで第5位に入賞したのでした。
オランダの顕微鏡画像解析ソフトウェア会社であるSVI社主催で、同社の顕微鏡画像収差(ボケ)除去ソフト「Huygens」を用いた蛍光顕微鏡画像のコンテストでした。
私が投稿した顕微鏡動画は動画部門で1位、全体で5位に入賞し、賞状を頂きました。
参考Webサイト:Huygens Image Contest 2017
これこそブログネタにもってこいの話ですが、何故当時投稿しなかったのかは謎です。(Facebookには投稿していたのに)



明けて2018年、2月には脳科学のトレーニングコースに参加して、自分の脳をMRIで観察したりしました。
私の脳は思っていたよりは普通でした。



同月、雪まつり期間に親が札幌にやってきました。ホテルではなく我が自宅に泊まることになり、慌てて部屋を大掃除した思い出。
そしてこんなに広かったっけと驚いた思い出。こう見るとお洒落部屋に見えるのが不思議。



3月、4月には所用で実家に帰省。地元の美しい桜を堪能しました。



2018年ゴールデンウィーク、某所にてひたすらエゾリスを追いかけて連休を費やしました。



初夏には、滝川市や安平町に広大な菜の花畑を見にドライブしました。特に安平町の菜の花畑は広大で、地平線まで続く光景にうっとりしたのものでした。



7月初め、親戚の法事で熊本に行き、復興途上の熊本城も見学しました。
天守閣はだいぶ修復が進んでおり、少しずつ威容が戻りつつありました。



去年も夏シーズンには多くの花火大会を観にいきました。16ヶ所くらい観たはずですが、一番観たかった花火大会が残念なことになってしまいました(後述)。



9月1日には、東京での展示会出展出張の折に水樹奈々のライブに初参戦。猛暑の中、4時間近く立ちっぱなしでコールし続け、大興奮でした。


・・・



そして、あの日を迎えました。

長くなってきたので、今回はここまでで失礼します。
次回、あの9月の一大事について書きたいと思います。
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スウェーデン旅行記8 印象深きスウェーデンの風景

2017年10月07日 23時58分53秒 | スウェーデン旅行記
こんばんは。前回の更新からまただいぶ日が経ってしまいました。
ここのところ本業の方が忙しく、なかなかブログ書きに手が回らない状況です。
今夜は若干手抜きですが、今後順次ブログで紹介する予定の、スウェーデンで訪ねた様々な場所で撮った印象深い風景をご紹介したいと思います。


ガムラスタンの街角
日曜礼拝前に流れる鐘の音を聴きに、ストックホルム旧市街ガムラスタンを歩きました。
ここはスウェーデン国王の戴冠式も行われるストックホルム大聖堂の脇の小道です。
ストックホルムは魔女の宅急便に出てくる街のモデルの一つですが、この街角にキキが佇んでいる光景が一瞬目に浮かびました。


ストックホルム市庁舎 黄金の間
魔女の宅急便に出てくる時計塔のモデルであるストックホルム市庁舎は、ノーベル賞授賞式の晩餐会場としても有名です。この黄金の間は、晩餐会後の舞踏会に使われる部屋で、市役所とは思えない、とても豪華な造りでした。


ブロンマ交差点
ストックホルムの西郊外にあるBrommmaブロンマ地区のホテルの窓から見た風景。
この交差点はストックホルムを東西に結ぶ道と、環状に周る道の交点になっており、綺麗な円形のロータリーとなっていました。


同じ場所で撮ったタイムラプス動画です。ぐるぐる回っています。


ウプサラ大聖堂1


ウプサラ大聖堂2
日帰りで出掛けたウプサラの町にある大聖堂の内部の様子。
北欧最大規模の大聖堂として知られ、圧倒的なスケールと荘厳な装飾に感涙しました。


タリンクシリヤラインの豪華フェリー船内
ストックホルムとフィンランドのヘルシンキを結ぶフェリーにも区間乗船してきました。
夜にフィンランド行きフェリーに乗り、午前2時に途中寄港地のオーランド諸島で下船、反対方向の船に乗り換え、朝にストックホルムに戻るという弾丸乗船でしたが、巨大フェリーの吹き抜けの船内は、まさに町そのものでした。


多島海の朝1


多島海の朝2
バルト海とストックホルムを繋ぐ多島海の船旅。島影から上ってきた朝日は、とても美しかったです。


ドロットニングホルム宮殿寝室
ストックホルム西方にあるスウェーデン王室の宮殿。現役の王宮ですが、宮殿内部が一般公開されていて、17世紀のヨーロッパの宮廷文化の華やかさを堪能できました。この寝室は、実際には来賓との会談場所として使われたそうで、寝室という最もプライベートな場所で会談することで、親密さを表していたとのこと。


ヴァーサ号博物館
ストックホルムは多くの博物館・展示館が存在する文化の街でもあります。
このヴァーサ号博物館は特にお勧めのスポットで、約400年前、完成直後に沈没した木造帆船ヴァーサ号を丸ごと引き揚げ、展示しています。吹き抜けの真ん中に巨大な木造船が展示されている様子は、今はなき大阪の「なにわの海の時空館」を彷彿とさせます。


夕暮れ時のガムラスタン
ストックホルムの交通結節点であるスルッセンのビルの屋上から見える風景。
地下鉄の地上区間や高速道路、スウェーデン国鉄線などの様々な交通機関がここに集中しているため、一日中ここで眺めていても飽きない風景でした。


夜のガムラスタン


夜のガムラスタン2
バルト海から繋がる入り江とメーラレン湖に挟まれたストックホルムの街は北欧のヴェネチアとも呼ばれています。
海から見える夜景は、まさに水都というに相応しい光景でした。


ロンバックスフィヨルド
オーロラを見たいと思い、夜行列車で出掛けた北極圏の風景。
スウェーデン・ノルウェー国境を通過した直後から、終点のナルヴィク駅まではフィヨルドの谷を下る路線となっており、絶景の鉄道車窓風景として世界的に知られています。


ロンバックスフィヨルドの車窓風景を動画で撮影しました。


夜行列車で到着した、ヨーロッパ最北端の駅ナルヴィク駅付近の町並み。港町らしく、斜面に家々が並ぶ様子は、どこか懐かしい雰囲気でした。


アビスコの山々
夜行列車は北極圏の自然公園を通過します。ナルヴィクから宿泊地のキルナに向かう車窓からは、不思議な形をした山々が見えました。


キルナ鉱山
地理の授業で習う、ヨーロッパを代表する鉱山。低層の建物が多い街並みから外れた場所に、大きな運営会社のビルが建っています。
背後には鉱山が迫っています。


セーデルマルムの街角1


セーデルマルムの街角2


セーデルマルムの街角3
スウェーデン滞在最後の夜、研究所で出来た友人が夜のドライブに連れていってくれました。
ストックホルムの南市街にある風致地区。地元の人自慢の夜景は、まるで絵本の中のような光景でした。

以上、時系列順に思い出深いスウェーデンの写真を紹介しました。
あらためて写真を眺めていると、また北欧を旅したい衝動に駆られてきます・・。
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