うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

大雪!

2010年11月29日 14時50分32秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
週末から強い寒気が北日本上空に入り、あの新日本海フェリーが欠航するほどの大荒れの天候となっている今日この頃。
昨晩からは雪も降り始め、札幌はすっかり雪景色となっています。今はかなり吹雪いており、冬本番の様相です。

【夏休み補完】陸奥ねぶた紀行3【2010/8/6-8】弘前ねぷた前奏

2010年11月29日 00時56分08秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
来週月曜日(12月6日)に学会発表の申込締め切りを控え、我が研究が佳境を迎えているため、ますます以て忙しい毎日を過ごしております。何この慌ただしさ・・。まあ、前期に割とのんびり過ごしていた反動でもあるのですが、TA(ティーチングアシスタント)3つ掛け持ちも相まって、12月前半にかけて大変忙しい日々が続く見込みです。去年は8月が大学卒業や大学院入試などで多忙でしたが、今年は今が最大の踏ん張りどころのようです。

さてさて、夏休みから延々と続けてきました8月初めの「ねぶた旅行」の補完ですが、すっかり時間も経ってしまい、間もなく冬休みというところまで来てしまいましたよ・・。もうちょっとサクサクと補完を進めるべきでしたねぇ。

ここでもう一度この旅のおさらいをしておきましょう。
8月6日(金曜日)の夜、レポート6種同時提出を果たした私は、夜行急行「はまなす」で青森へ向かいました。翌7日の朝、青森駅に到着、少し青森駅周辺を散策した後、この日1つ目のねぶた・ねぷたを観るため、普通列車で弘前へ向かいました。(今ココ)
ちなみに、先にこの後の行程を書いておくと、午前中に弘前ねぷたを観賞後、特急「つがる」で青森へ戻り、青森ねぶたの最終日昼間運行を観賞しました。そして青森駅前の銭湯で汗を流して休憩後、普通列車で五所川原市へ向かい、夜の五所川原立ねぷたを観賞。その後臨時の特急「つがる」で秋田市へ出て、駅前の東横インで一泊。翌朝、秋田新幹線「こまち」、東北新幹線「はやて」、特急「スーパー白鳥」を乗り継いで函館まで戻り、五稜郭や旧市街を観光した後、特急「スーパー北斗」で夜遅くに札幌に帰着。通常の週末2連休をフルに使った旅でした・・。

前回、7日午前7時半に弘前に到着したところまで書きました。今回はその続きから始めます。


道端にスタンバイされていた「弘前ねぷた」の山車。
弘前駅から旧ダイエー前の通りをしばらく歩いていたら、このような山車が何台か停めてあるのを見つけました。本物の山車を見て、この後のねぷた巡行への期待感が一気に高まりました。


ねぷた運行ルートの案内看板。
弘前ねぷたは、一週間に渡って毎晩運行されます。ルートは日によって異なりますが、基本的に弘前城近くの商店街を通るように設定されています。


土手町通りの店舗の軒先には、このような「雁木」の様式が見られます。これは雪国の知恵で、買い物客が雪道を歩かずに済むようになっています。弘前市のお隣の黒石市には、今も木造の昔ながらの雁木が保存されており、私も以前見に行ったことがあります。


というわけで、7年前の8月15日に撮影した黒石の雁木の写真です。
同様の様式は、雪深い新潟などでも見られるそうです。


ねぷた運行開始まで時間があったので、商店街を散策しました。弘前城近くまで歩いて往復したので、喉がカラカラに乾き、自販機でジュースを買いました。この自販機、一時期流行ったラーメン缶仕様なのに、肝心のラーメン缶がない・・。


ねぷた巡行開始!
パトカーの先導の後に、広報車、じょっぱり大太鼓、そして山車の順に続いています。

・・・その4「弘前ねぷた本編」へ続く。・・・

地震速報!深夜便

2010年11月24日 02時22分13秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
先ほど、午前2時9分頃、石狩地方で地震が発生しました。

トイレを終えて、電気を消してベッドに横になろうとした瞬間に、「ドガーン」という音とともに、一瞬建物全体が大きく揺れるのを感じました。その後、小刻みにしばらく揺れていましたが、大型トラックがアパートに突っ込んだのか、はたまた至近距離に落雷したのかと思うほどの揺れでした。揺れを感じた直後に、避難に備えてズボンを履いてしまいましたよ・・。

揺れの大きさの割に地震速報が遅いと感じつつ待っていると、揺れから5分後にNHKで地震速報が表示されました。それによると、震源は札幌市のほぼ直下10km、マグニチュードは2.9、最大震度は北広島市の2で、札幌市北区(太平)の震度は1でした。
あり得ない・・。震度1なんてあり得ないですよ。私も数々の地震を体験してきましたが、あの揺れは体感で震度3くらいはありましたよ。少なくとも、ここ数年間体験した中では一番強い加速度を感じました。同じ北区と言えど、太平の地盤がめちゃくちゃ良いのでしょうか。しかし、ここから最寄りの観測地点である中央区(北2条)の震度も1なので、やはり私のアパートの地盤が悪いということなのですかね・・。上の階の住人も驚いて起きていたようですし、私の幻覚ではないはずです・・。

【101023】日本最長普通列車2429D乗車の旅 その後(「炭鉱萌え」)

2010年11月21日 06時24分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今週も学生実験と酵母培養、その他諸々で忙しい日々でした。ただ、最近は順調に研究が進捗しているので、今後の具体的なスケジュールも掴めるようになり、この峠を登り切る目処が立ちつつあります。ゴールが見えるのと見えないのとでは、精神衛生上だいぶ違うので、これは非常に有難いことです。

日本最長普通列車の旅については、前回までで何とか書き終えました。しかし、せっかく釧路へ行った(私は3年ぶり)のに、その後何もしなかったのかと言えば、そんなわけは無く、短時間でしたが少々面白い場所へ寄り道してきたのですよ。今回はそんな顛末を紹介します。


釧路駅に着いたのは午後6時前。釧路の主要観光スポットであり、「勝手丼」で有名な和商市場は、午後6時で閉店のため、既に多くの店が片付けを済ませており、丼を食べられそうな雰囲気ではありませんでした・・。


ちなみに、3年前の3月に食べた和商市場の「勝手丼」。最初にご飯だけよそってもらい、各店舗で具材を買って載せていくという形式の丼です。これで1000円分くらいだと思います。(なんかオマケで色々つけてくれるので・・)
今回は食べられなくて残念・・。

午後6時過ぎに列車追跡班(滝川から車で2429Dを追いかけてきた二人)と合流し、とりあえず幣舞橋たもとのフィッシャーマンズワーフMOOへ向かいました。


2003年当時のフィッシャーマンズワーフMOO。(今回外観を撮れなかったもので・・)



皆お腹が減っていたので、2階の屋台村で海鮮丼を食べました。店員のおばちゃんが非常に賑やかな方で、色々とオマケをつけてくれました。(外食先で学生扱いされたのは久しぶりだなぁ・・)

食後、そのまま札幌へ向かっても良かった(実は私はこのとき酵母の小規模培養中で、翌朝までに研究室へ行く必要がありました)のですが、もう少し釧路に滞在したかったので、この後鉄道研究会メンバー同士の旅に相応しい場所を巡ってきました。


知人港頭貯炭場の夜景。
釧路市沖には海底炭鉱があり、現在も採炭が続けられています。現在では日本で唯一残る坑内掘の炭鉱であり、石炭王国であった頃の北海道の面影を残す貴重な場所です。この貯炭場には23万トンもの石炭が保管できるそうで、選炭場から運炭鉄道でここまで運ばれてきます。写真中央左に山積みになっているのが石炭です。


運炭鉄道の線路。(踏切脇から撮影)
運炭鉄道もこれが現存唯一です。釧路の海底炭鉱は、釧路コールマインが採掘業務を、太平洋石炭販売輸送が輸送業務等を受け持つ分担体制で事業が行われており、この運炭鉄道は太平洋石炭販売輸送の運営となっています。運炭鉄道は釧路市の南岸を通って、春採の選炭場までの4kmを結んでいます。以前は東釧路駅まで繋がっていて、旅客営業も行われていた
そうです。



次に向かったのがこちら。釧路コールマインの益浦事業所です。海底炭鉱へは春採・興津・益浦の3つの斜坑が掘られており、ここもその斜坑の入口の一つです。釧路コールマインの本社所在地もここです。
先ほどの運炭鉄道はここを通りませんが、この事業所内には抗外軌道が敷かれており、小型の電気機関車が使われています。北海道の鉄道の大半は非電化であり、なんとここが日本最東の電化路線とされています。写真にも、ちゃんと架線が写っていますね。
(事業所の敷地外から、フェンス越しに撮影)


太平洋石炭販売輸送 春採駅。
続いて一向が来たのがこちら。先ほどの運炭鉄道の拠点、春採駅です。
写真の奥の建物にホッパーがあり、そこで石炭を貨車に載せます。


春採駅停車中の運炭列車。
この運炭鉄道では、ディーゼル機関車を貨車の前後につけて、プッシュ・プル運行しているそうです。私はこれまで写真でしか運炭列車を見たことがなかったのですが、黒々とした貨車と鮮やかな朱色の機関車のコントラストに萌えてしまいました。


春採駅前のコープ。ここで少し買い物しました。営業時間が実に中途半端です・・。


釧路市滞在を終え、ひとまず札幌方面への帰路につきました。
釧路市の国道沿いのマクドナルドの屋上に、ドナルドのバルーンがあったのですが、ライトアップされていて益々恐く感じました・・。親御さんから苦情が来るレベルかと・・。

釧路から占冠までは私が運転しました。結構眠かったですが、3人の命を預かっているので、気合で200km強を走りぬけました。
占冠からは別の人に運転を変わってもらい、一路札幌へ・・といかないところが我らが鉄道研究会・・。


夕張で少し寄り道して、大夕張ダムのダム湖である、シューパロ湖にやってきました。
ここには、世にも珍しい鉄道遺産があるのです。
それが、上の写真に写るトラス橋、「三弦橋」です。


ぱっと見、何が珍しいのかよく分からないかもしれません。しかし、よく見ると橋のトラスの上弦材が1本しかなく、断面が三角になっていることが分かります。


ちなみに通常のトラス橋(九州自動車道の筑後川橋梁)。上弦材は2本で、断面は四角です。

三弦で構成される鉄道橋は国内唯一で、世界的にも稀です。有名どころではこことドイツの「De:Dreigurtbrücke Düren」くらいしかありません。しかも、この夕張の三弦橋は、大夕張ダム建設によって沈んだ森林鉄道の代替路線として建設されたのですが、橋の規模は森林鉄道としては破格のものであり、長さが382mもあります。
1958年に完成したものの、林道の整備が進んだことで森林鉄道が衰退し、わずか6年後の1963年には廃線となってしまった勿体無い遺産だったりもします。


そんな世界的にも貴重な鉄道遺産ですが、実は消失の危機に瀕しています。現在、大夕張ダムのすぐ下流に、夕張シューパロダムという巨大ダムが建設中で、堤頂高がおよそ2倍にもなるため、シューパロ湖の湖面が一気に上昇し、三弦橋が水没してしまうのです。
既にダム建設は佳境に入り、2013年には完成予定。あと3年もしない内に三弦橋は見えなくなることでしょう。(しかも、水没後の水路の安全を図るため、トラスも一部撤去される予定です)
鉄道研究会のおかげで、こんな貴重な鉄道遺産が北海道にあることを知り、現存する間に見られて幸せでした。

その後、夕張から下道で札幌まで戻ってきました。
一晩の間に釧路の現役炭鉱施設、夕張の三弦橋など、北大の鉄道研究会ならではのスポットを見学して、「炭鉱萌え」の感覚がちょっと理解できました。
釧路の運炭鉄道は是非昼間に走行している様子を見てみたいですね。


密かに盛り上がってまいりました。

2010年11月16日 23時30分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは。
今年一番の寒気が北海道上空に入り、外に出るのが億劫な今日この頃です。家に帰ったら布団にまっしぐらです。

ところで、今日の昼休みに近所へ出掛けたときのこと、理学部本館(総合博物館)に横断幕が掛かっているのを見かけました。普段は博物館の企画展示を案内する内容が書かれるのですが、今回は鈴木章北大名誉教授のノーベル化学賞受賞を祝う言葉が書かれていました。多分、最近掲げられたばかりで、ようやく祝賀ムードが盛り上がってきた様子が感じられます。


ちなみに、北大キャンパスの北端に位置する創成研究機構・触媒化学研究センターの建物には、先週末の時点で既に垂れ幕が設置されていました。

鈴木名誉教授の現所属先である工学部では、結構前から受賞を祝う立て看板が設置されていましたから、学部によって微妙な温度差があるようです・・。
鈴木名誉教授は理学研究科(理学院の前身)を半世紀前に修了されており、実は私の先輩にも当たります。その割には理学部・理学院に目立った動きがなかったので、今回の横断幕掲示を見てちょっと安心しました。


横断幕の拡大写真。
この横断幕は、工学部応用化学科、理学部化学科、総合化学院(理学院化学専攻等の後身)などの共同で設置されたようです。

-追記-
その後学内を見まわしてみると、至る所で垂れ幕が設置されていました。


鈴木名誉教授の現在の所属学部、工学部の玄関。


高等教育推進機構(旧々教養部、旧高機能センター)の玄関。


高等教育推進機構の玄関には今回の受賞業績である鈴木カップリングを解説したポスターも貼られていました。

【101023】日本最長普通列車2429D乗車の旅 その3

2010年11月13日 13時25分00秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
さて、週末です。
どこかへ出掛けても良いのですが、寒いので遠出するのが面倒です。先週中島みゆきのコンサートに行ったことだし、珍しく研究の用事も入っていないので、今日ぐらいは家で寝て過ごすのも悪くないかも・・という感じで昼下がりを布団の中で過ごしています。

日本最長普通列車の旅、その2までで前フリは語りつくしたので、いよいよ今回は滝川から釧路までの乗車記を紹介します。実に長ーい乗車時間でしたよ・・。


午前9時37分、定刻に滝川を出発。「釧路行き普通列車です」の車内放送にちょっと感動・・。


滝川から富良野への線路は、大規模な炭田を有する夕張山地を横切っています。この根室本線も、以前は運炭列車が活発に行き来していたようです。沿線の車窓風景には、今も昔の炭鉱街の名残を垣間見ることができます。写真は茂尻駅近くの旧炭鉱住宅と思しき住宅群です。


芦別駅付近から見えた大観音像。芦別市には、自称テーマパーク(関西基準で言えばパラダイス)の「北の京・芦別」という施設があります。駅の観光名所板にも書かれる由緒正しい施設なのですが、五重塔型や三十三間堂型のホテルを有し、回る聖徳太子像、新薬師寺の北の礼拝所等々、仏教をテーマにした(と思われる)展示が並んでいるそうです。そしてその「北の京」の目玉施設が、写真の「北海道大観音」。高さ88mもあり、内部には多数の仏像が並んでいるのだとか・・。ちなみに宗教法人ではなく、元は健康ランドからスタートした施設だそうなので、一般の人も安心して入れるようです。一回行ってみたいな・・。


滝川を出て約1時間、富良野駅に到着しました。2429Dはここで20分も停車します。滝川で乗車した乗客の半分以上はこの駅で降りていきました。今年7月に富良野駅までは来ましたが、実は列車で来たのは今回が初めてでした。


富良野までは単輌での運行でしたが、この駅でもう1輌増結し、以降は2輌で釧路まで走ります。増結車輛も朱色の国鉄塗装です。
ホームで写真を撮っていると、何やらハエみたいな虫がいっぱい飛んでいるのを見かけました。同行したもう一人の鉄道研究会の部員によれば、いわゆる雪虫とのこと。雪の季節が近付いているんですねぇ。(実際、列車乗車の翌週に初雪が降りました)


富良野を再出発後、列車は大雪山系と日高山脈の間を縫うように山間の空知川沿いを進みました。金山駅を過ぎてしばらくすると、左の車窓に大きな湖が見えてきました。実はこの湖はダムによって出来た人造湖で、「かなやま湖」と言うそうです。根室本線沿線の主要景勝地の一つで、紅葉の盛りには多くの観光客が訪れます。


かなやま湖が車窓から過ぎ去ってしばらくすると、このような駅に停車しました。多くの人にとっては、どこかで見たことがある駅だと思います。かの映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台である「幌舞駅」です。本当の名前は幾寅駅で、元々あった木造駅舎を映画撮影のために増築・改修し、より古そうに見えるようにしたという面白い経緯があります。

ちょっと分かりにくいですが、駅舎の入口には「ようこそ幌舞駅へ」という看板が掛かっています。さらに、駅前に展示されている保存車輛「キハ12-23」(映画撮影に使われた車輛で、実はキハ40の改造車)の一部も見えていますね。
以前から一度来てみたかった駅でしたが、停車時間が1分も無いため、今回は車窓見学で我慢・・。


幾寅の次の落合駅で12分間停車。この駅は狩勝峠のすぐ西側にあり、ここから先はいくつかのトンネルと巨大ヘアピンカーブで狩勝峠を越え、新得駅まで下っていきます。
2429Dの走行写真を撮影するために車で列車を追いかけている鉄道研究会の残り2人とも、この駅で会えました。お互い無事でなにより。(と言ってもこちらはただ列車に乗っていただけですけど・・)


落合駅を出ると、すぐにトンネルに入りました。いよいよ狩勝峠越えです。

日本最長普通列車の車窓から 狩勝峠

落合から次の新得までの所要時間は25分、この2429D列車の駅間所要時間で最も長くなっています。線路は右へ左へ曲がり、まさに峠越えの風情です。ちなみに、「狩勝峠」という峠名は、根室本線建設のための事前踏査の際に付けられたものだそうです。


日高山脈の山塊を抜けると、線路は大きく南へ迂回して高度を下げていきます。写真の奥に新得の市街地が見えていますが、真っ直ぐ降りれば近そうなものの、ここからでも標高差が100m以上あり、勾配を緩めるために線路はジグザグになっています。


狩勝峠を越えから1時間半ほどで十勝地方の中心都市、帯広に到着しました。2429Dはこの駅で32分間もの長時間停車をします。全線乗車目的の鉄道ファン以外は、ほとんどがここで列車を降りて行きます。(というのも、停車時間の間に帯広発の他の普通列車が先発するため)


私も、せっかくなので途中下車して駅の外に出ました。さすがに大都市だけあって、駅舎は立派な高架駅です。駅前も栄えており、そこいらの下手な地方県庁所在地以上かもしれません。


そして、帯広といえばこれ、豚丼です!駅の構内に専門店が入っており、持ち帰りもできます。私も持ち帰りで頼み、2429Dの車内で食べました。これを駅弁の範疇とするならば、全国でも屈指の美味なる駅弁だと私は思います。とろける肉に、絶妙な風味のタレが絡み、本当に美味しいです。


帯広を14時22分に再出発し、列車はしばらく十勝平野を走り続けます。途中、十勝川水系のいくつかの河川を跨ぎますが、いずれも結構な大河で、ここが平野であることを実感します。


ちょうど秋の収穫期なので、沿線のそこかしこで重機を使った作業をしている様子が見えました。


畑で餌をついばんでいたカラスが、列車の接近に驚いて一斉に飛び立った様子。まるでヒッチコックの映画みたい・・。(余談ですが、先日ニット帽を被って北大の構内を走っていたら、カラスに襲われました。多分小動物と間違われたのでしょう・・。)


厚内駅を過ぎると、列車は太平洋岸に出ました。日本海側から太平洋側まで駆け抜けてきたことを実感しました。

日本最長普通列車の車窓から 音別海岸から馬主来沼

海岸ぎりぎりの線路から見える景色は、まるで高速船にのって海を走っているかのようにも見えます。さすがに日本最長普通列車だけあって、車窓風景も山あり谷あり平野あり海ありで、変化に富みますねぇ。


時間は16時過ぎ。だいぶ空も暗くなってきました。東の山からは月も上ってきて、一層旅愁を誘います。


釧路に近付くと、国道と線路がすぐ隣接しているため、車と並走状態になります。列車の速度と車の速度がほぼ一緒だと、こんな感じの流し撮りが簡単に撮れて面白いです。


大楽毛で最後の長時間停車(12分間)。月もだいぶ高くなってきました。
この辺は既に釧路市内なので、乗客も通学客などの短距離利用が目立ちます。この列車がはるばる滝川からやって来ていることを知っている利用客は果たしてどくれくらいいるのでしょうか。


17時39分、定刻に終点の釧路に到着しました。実に8時間もの長旅でした。普通列車ゆえに座席はけして座り心地が良いものではなく、結構腰が痛くなってしまいました。しかし、これまで特急でしか来たことのない場所に鈍行列車で来たことで、これまで気付かなかったような車窓風景にたくさん出会えたので、より深く列車の旅を味わえた気がします。


2429D列車を滝川から釧路まで通しで乗った人には、もれなくこの乗車証明書がプレゼントされます。改札で滝川からの切符(根室本線経由)を示す必要があり、青春18きっぷなどのフリー切符を使った場合の扱いは不明です。私を含めて6,7人が証明書を貰っていました。
今や8時間もあれば青森から博多まで(1800kmくらい)新幹線で移動できる時代に、同じ時間をかけて308kmを移動するという行為は、一つの場所の風景をよりゆっくりと楽しめるという意味で、とても贅沢なことなのかもしれません。

釧路到着後しばらくして、私たちは車で追いかけて来ていた残り2人の鉄研部員と合流し、釧路市内でご飯を食べたり運炭列車(現役唯一)を見学したりした後、車で夜通し走って札幌に戻りました。(釧路から占冠までは私の運転)
翌日曜日はほぼ一日寝て疲れを癒しましたとさ・・。

【101023】日本最長普通列車2429D乗車の旅 その2

2010年11月10日 23時26分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
週の半ば、水曜日の夜でございます。
今日から学部2年生向けの学生実験の本実験が始まり、益々もって忙しい毎日を過ごしています。並行して、私の本筋の研究である抗菌蛋白質の活性検討についても、実験に必要な変異蛋白質の1種類目が既に発現(先週1週間かけて酵母培養で得ました)されているので、今後本精製していかねばなりません。そんでもって、来週には2種類目の変異蛋白質の培養発現が控えています・・。しかも、毎週金曜日は授業TA(ティーチングアシスタント)が入っており、さらにはSTAとしての学科公式動画の製作も進めなければならないので、間違いなく今が大学院進学以来最も忙しい時期だと思います。この峠を越えれば、徐々に道も緩やかになってくると思うので、踏ん張りどころですね。
そんなわけで、冒頭からブログ更新をサボっている言い訳を書き連ねたわけですが、恐ろしいことに今年もあと1カ月と20日で終わってしまうので、そろそろ夏休みから書き残している記事の補完速度を上げていかないといけませんです、はい。

と言いつつ、今夜はまず直近の未補完記事、「日本普通列車2429D乗車の旅」の続きを書きます。(これが終わればねぶたの記事が書けるはず・・)


10月23日土曜日の早朝、相変わらずの睡眠不足(この日は1時間半・・)の中、私は鉄道研究会のメンバー3人とともにレンタカーで滝川駅へ向かいました。
計4人のメンバーのうち、私ともう1人が実際に列車に乗車、残り2人が沿線の数々の撮影ポイントから走行写真を撮るという役割分担になっていました。写真撮影班も車で終点の釧路まで追っかけます。これはなかなかのハードワークですぞ・・。


札幌を出て1時間半、滝川市街に至りました。休日の午前9時前だからか、シャッター通りだからか、人通りが少ない気が・・。郊外の国道沿いの量販店に客をとられている様子がひしひしと伝わってきました。


そして本日の始発駅、滝川駅に到着。
以前に普通列車から特急に乗り換える際にホームに降りたことはありますが、外から駅舎を見たのは初めてでした。
基本的にオーソドックスな国鉄中規模駅らしい佇まいの建物ですね。


滝川駅の列車案内表示LEDです。旭川方面への列車が並ぶ中、ポツンと「普通 釧路行き」の文字があります。
今でこそ札幌から釧路へのメインルートは石勝線経由ですが、そもそもはこちらの滝川から釧路へ向かうルートの方が先に完成し、約70年に渡って主要幹線の地位を保っていました。ですから、未だに「根室本線(開業当初は釧路本線)」の始発駅は滝川駅となっています。つまり、今回乗る2429D滝川発釧路行きは、旧釧路本線全線を走破する由緒正しき列車なのです。(但し、狩勝峠越えのルートは若干開業当時と異なっています)


9時24分、滝川駅1番線ホームに2429Dに使われるキハ40が入線してきました。塗装に注目してください。なんだか懐かしい朱色です。正確には朱色5号という色で、国鉄が1970年代に塗装費用の削減を狙って首都圏の気動車向けに導入し、その後全国の一般気動車向け標準塗色となった色です。いわゆる一つのリバイバルです。

ちなみに、この写真の左の車両の色が、現在のJR北海道のキハ40の標準塗色です。今年の3月のダイヤ改正を機に、3輌のキハ40が朱色5号に塗り替えられて運用されています。実は、わざわざ土曜日に2429D釧路行きに乗った理由は、土曜日のみこの朱色のキハ40がこの列車に投入されるからだったりします。(私は正直知りませんでしたが・・)


2429D列車の側面には、「釧路」のサボが掲示されています。こちらも、この列車専用に用意されたもので、「日本一長い距離を走る定期普通列車(2429D)」との文字が下部に記されており、今年8月から新たに使われ始めました。専用サボがある普通列車って凄いですね。


今日は滝川から富良野までキハ40-777単両で、富良野からはキハ40-1758を増結した2輌編成での運行でした。キハ40-777は昭和57年製造と、バリバリの国鉄時代生まれです。


車内の扇風機には懐かしい「JNR」ロゴが・・!今となっては貴重な国鉄の名残です。扇風機自体も結構レトロな形ですよね。

さらに座席はボックスシートが並び、窓も開閉可能。国鉄らしさをよく残したこの車両で、滝川を9時37分に出発し、遥かな旅路が始まりました。
この時点での乗客数は、予想以上に多く、ほぼ満席でした。(半分くらいが鉄道ファンっぽかったです)

///その3へ続く///




中島みゆきのコンサートに行きました!

2010年11月06日 21時46分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今夜、ニトリ文化ホール(旧北海道厚生年金会館)にて開催された、中島みゆきのコンサートを観てきました!
私は中学時代からの中島みゆきファンですが、生でコンサートを観たのは今日が初めてでした。

私が中島みゆきの曲と出会ったのは、ちょうど10年前の冬のことでした。その年の春から放送が始まった、NHKの「プロジェクトX」の主題歌、「地上の星」のCD(正確にはアルバムの「中島みゆき短篇集」)を買ったのが始まりでした。それまで、CDをレンタルすることはあっても、買うことはなかったのですが、この歌には特別な何かを感じていたのでしょう。(ちなみに、初めて買ったカセットテープは「加山雄三ベスト」・・)
出会いから10年、その間に古今の中島みゆきの楽曲を聴き、どんどんその世界に嵌るとともに、幾多の人生の難関で彼女の曲に慰めてもらいました。特に、「時代」と「ファイト!」は数えきれないほど聴いたものです。
初めて買ったアルバムCD、「中島みゆき短篇集」は、2001年の祖母との初めての北海道旅行の計画を立てるときに聴いていたこともあって、私の頭の中では北海道の景色と中島みゆきの曲がリンクしています。当時祖母と行った場所に行く度に、脳内で「粉雪は忘れ薬」や「天使の階段」がエンドレスで流れます。
また、カラオケでは加山雄三の「海 その愛」と並んで、中島みゆきの「旅人のうた」が私の十八番になっています。
それくらい中島みゆきのことを慕っているのですが、これまで資金的・地理的都合でコンサートを観にいく機会には恵まれませんでした。

今回、3年ぶりにコンサートツアーが行われ、11月には札幌で公演が予定されていることを9月末に知り、これは是非観にいかねばと決意しました。
10月初旬の前売券店頭発売日にローソンへチケットを買いに行ったものの、既に完売・・。若干数用意されているという、当日券に賭けることしました。(ネットオークションでもチケットは出回っていましたが、主催者側から禁止されており、正々堂々と歌を聴きたかったので、手を出しませんでした)

そして今日の本番当日がやってきました。
(昨日(5日)も公演はあったのですが、蛋白質精製作業が忙しく、とても長時間抜け出せる状況ではなかったため、会場偵察程度であえなく撤退。当日券希望者は130人程度で、抽選となっていました。)
今日の公演は午後5時半開場で、6時開演。当日券の販売は開場30分前からで、私は午後4時40分過ぎにニトリ文化ホール前に着きました。既に購入希望者の列が出来ており、今日も抽選になることは確実な様子。間もなく整理券が配られたのですが、私は177番目でした。
列の隣にいた女性(長年のファンらしい方)に、当日券の枚数について尋ねたところ、これまでの公演だと、大体2階席の最後列分があてがわれるとのことでした。ニトリ文化ホールの場合、約50席というところでしょうか。倍率は3倍強・・、なんとか当ててみせる!と我がくじ運の全てを賭ける意志を固めました。・・が、抽選開始から15分、私の10人ほど前のところまで列が進んだところで、「本日の販売分は完売いたしました。抽選を終了いたします。」という無情な宣言が・・orz。ああ、もう中島みゆきの生声は聴けないのか・・と絶望しかけたそのとき、追加の案内があり、開演直前にキャンセル分チケットの販売が行われる旨が伝えられました。おお、これは予想外の展開です!

すぐ傍では明らかなダフ屋が営業しており、「余りある?無ければあるよー。」なんて誘惑の声を我々に掛けてきました(会場スタッフの目の前でやってましたが、特に取り締まる様子はなかったです)が、ここで負けるわけにはいきません。どう考えても吹っかけられますし、ぐっと我慢を続けました。

そして開演10分前、私は無事にキャンセル分のチケットを手に入れました!もちろん定価で、しかも当日券の座席(多分2階席最後列)より遥かに良い位置の席でした。半ば諦めかけていたので、チケットを手にしたときには頭が真っ白になるほど嬉しかったです。


こちらが今日の座席の位置(写真はニトリ文化ホールのサイトより借用)。1階席前方ですよ!最後列でも致し方ないと思っていたのに、十分肉眼でみゆき姉様の顔を拝める位置に座れました。周囲の人の様子を見ると、どうやらファンクラブの人達が集まっているらしく、恐らくここはファンクラブ向け先行抽選販売分に相当するエリアのようでした。なんたるラッキー・・。

午後6時、予定通り開演。
会場が真っ暗闇になると、一瞬にして2300席の大空間は静寂に包まれました。
次の瞬間、幕が開き、古代神殿の遺跡のような大規模なステージが姿を現しました。しばらくすると、袖からドレスを着た女性が登場。まさしく、中島みゆき、その人でした。言葉に言い表せない感動を味わったのも束の間、彼女が第一声を発しました。
「(もの凄く甲高い声で)お会いできてうれしゅうございますぅ。中島みゆきでございますぅ。」
会場からは歓声と笑いが湧き起こりました。まさに、オールナイトニッポンの頃のノリで、軽妙なトークが続きます。
「暗ーい歌と、パッパラパーな喋りでお馴染みの、中島です。」
ああ、これが中島みゆきなんだと、一瞬で理解できました。本当に、ものすごい落差です。
(ちなみに、「パッパラパー」は我が研究室の教授の口癖でもあります)

そして、いよいよ曲が始まりました。今日の曲目は、最近のアルバム「真夜中の動物園」や「DRAMA!」の曲をベースに、有名な曲も織り交ぜるという構成でした。
参考までに、今日の曲目の一部を挙げておきます(当初、全曲挙げていましたが、曲目の構成は基本的に全公演一緒だそうで、ネタばれになってしまうので一部公開に変えました)。
「今日以来」
「二隻の舟」
「時刻表」
「夜曲」
「真夜中の動物園」
「しあわせ芝居」
「銀の龍の背に乗って」
「顔のない街の中で」
「時代」
「悪女」
など、全17曲でした。
特に「時代」については、まさか今回生で聴けるとは思わなかったので、本当に感動しました。冒頭はアカペラで、一言一言が直接体に入ってくるかのように感じました。最近忙しく走りまわる日々が続いているので、いつか安穏とした生活を送れるようになったときに、今を思い出している自分を想像しましたよ。

MCのトークも終始快調でした。おたよりコーナーはまさしくラジオのそれで、当日の来場者が書いた内から5通が紹介されましたが、もっと聴きたくなる内容でした。
他にも、CDジャケットやコンサート公式パンフレットの写真撮影中の秘話や、ツアー名の「2010」への突っ込みなど、面白い話がいっぱい・・。
それにしても、本当にトークと曲との落差が凄く、よくぞあそこまで素早く切り替えられるものだと感心しきりでした。

それともう一つ、今回のコンサートでは衣装を何度か着替えていて、様々なファッションを楽しめました。純白のドレスを着ていたかと思うと、第2部の冒頭では本人曰く「コンサートでは着たことがない」ほど派手な衣装を着たり、終盤ではみゆき姉様らしいジーンズとシャツという軽装で自らギターで弾き語るなど、年齢を感じさせないスタイルの良さも楽しめました。(うちの母も大概若々しいですが、それ以上ですな・・)

勝手な先入観で、みゆき姉様は生での演奏は苦手だと思い込んでいたのですが、今日の演奏では歌を間違えたり、音程を外すようなことは一切なく、素晴らしい歌声を堪能できました。最近は、ヘッドフォンもサラウンド技術が進歩し、映画などは家で観た方が良かったりしますが、殊中島みゆきの歌については、生で観る価値を十分に感じました。

公演の終盤になるに連れ、ステージと会場との一体感が強まり、アンコール1曲目では観客がほぼ総立ちして手を叩き、続く最終曲では一転全員座って静かに歌声に聴き入っていました。この辺が、コンサートならではの魅力なのでしょうね。とても心地よい感覚でした。

こうして、私にとって初めての中島みゆきコンサートは大きな感動の内に幕を閉じました。月並みな言葉ですが、本当に夢を見ていたかのようなひとときでした。

確かみゆき姉様も還暦間近(私の父と1歳1日違い)、これだけの声量をいつまで維持できるか分かりませんが、また必ず中島みゆきのコンサートツアーや「夜会」(舞台)を観たいです。
歳をとることについては、今日のMCで本人も触れていましたが、物凄く前向きな姿勢でした。考えてみれば、今の時点でさえ、化粧品のCMに出演できるほどの美貌や、多くの人々に影響を与え得る作曲力・歌唱力を維持していることが既に凄いことですよね。
中島みゆきは70年代、80年代、90年代、00年代の4世代に渡ってオリコン週間ヒットチャート1位を記録した唯一の歌手ですが、きっとその記録を10年代まで伸ばしてくれると、私は信じています。


最後に、参考までに過去のコンサートツアーの様子のYouTube動画をどうぞ。

中島みゆき 重き荷を負いて

(一般には)知られざる名曲だと思います。

宙船 ツアーバージョン(宮下&中島)

サブ・ボーカルの人達の歌唱力も凄いものです。この男の方(宮下さん)は今日も大活躍でした。(赤い服を着ていたので、みゆきさんから「赤い金魚」と呼ばれてた・・)







「変わる風景」(又は「消え行くものたち」)

2010年11月03日 16時32分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
なにやら重々しいタイトルとなっておりますが、お話的にはそれほど重い話でもないので、ご安心ください。

まず最初の「消え行ったもの」について。先日、北13条門付近を通りかかったところ、今年2月の「散髪」の記事で、私が「常連になりたい」と書いた理髪店がお潰れになっているのを目撃してしまいました。閉店の比喩ではなく、店舗ごと解体しており、文字通り潰れてしまったのです。


ブルーシートの手前に理髪店がありました。店主曰く、父親の代から60年以上営業していたそうなので、この界隈では最も古い店舗だったはずです。
私は5月にもこの理髪店を再訪していたのですが、その後すぐに休業がちになり、7月以降はずっと「本日休業」の札が店頭に出ていました。店主は結構ご高齢の様子だったので、長期休業は健康上の理由ではないかと心配していたのですが、まさか店舗が解体されることになるとは思ってもみませんでした。
あの古き良き床屋の雰囲気をもう味わえないと思うと、とても残念です。


そして続いての「消え行ったもの」は、先日の記事でご紹介した、理学部前電話ボックスです。


あの記事を書いた後、予定通り10月26日には電話機が取り外され、


30日の昼過ぎに撤去されました。トラックの荷台に電話ボックスが載っている光景は、旅立つ子牛を彷彿とさせます。


跡に残ったのは仮舗装のアスファルトのみ・・。夕方には、新たな自転車の前輪留めが設置されていました。


何年かしたら、ここに電話ボックスがあったことなど忘れ去られるんだろうなぁ・・。まあ、このブログが存続する限りは「記録」に残るわけですけれども。

実は、理髪店の写真は、まだ営業中の頃から「いつか撮ろう」と思っていたのですが、結局撮る前に解体されてしまいました。つまり、営業していた頃の理髪店は、少なくとも私の中では「記憶」の中の存在になってしまったわけです。もし、写真を撮っていれば、「記録」として何時でもはっきりと思い出すことが出来たんですけどね・・。今回この記事を書いて、今後はしっかりと「記録」を取って(撮って)いこうと強く思いました。