うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

実家到着

2009年02月22日 22時22分22秒 | うちなー日記(沖縄編)
朝8時50分ちょうど、定刻にフェリーは泉大津港に入港しました。
車でスロープを下り、下船した後、旅客ターミナル前で親戚のクラウンと合流、早速奈良方面に向かって出発しました。
阪神高速4号湾岸線泉大津北側出入口から高速にのり、助松JCTで堺泉北道路、堺JCTで阪和道、松原JCTで西名阪道(天理ICから東は名阪国道)へと、先導してもらいながら次々乗り換えて(親戚はETC装着車で、私は着けていなかったので料金所後の合流が大変でしたが)、無事に天理東ICまで至りました。
ここで親戚の車と別れ、事前の父との打ち合わせ通り天理市内の父の勤務先に向かったのですが、不意にトイレに行きたくなり、行き慣れたトイレ(ウォッシュレット付き)のある、イオン天理SCに寄ることにしました。
ショッピングセンターの駐車場に着き、さて空きスペースに車をバックで入れようと思ったら、すぐ隣になんだか見覚えのある車(三菱ミラージュ・ディンゴ)が停まっているではないですか。まさかと思いナンバーを見たら、やはり実家の車でした。恐らく父を勤務先に送ってきた母がジャスコで買い物でもしているのでしょう・・。母の携帯に電話をかけてみると、案の定でした。聞けば母もトイレ休憩だったようです。
実家に帰ってきて、久しぶりに会う親子の邂逅がジャスコ(しかもトイレ休憩目的)というのも我が家らしいかも・・。

その後は、母と合流し、早速祖父の車を母が運転して市内を周り、父、弟の順番に合流することができました。
夜には名阪国道を通って三重県伊賀市の実家に帰宅、ようやく落ち着きました。

福岡・太宰府からの走行距離は意外に短く、200kmほど。ホンダ・ロゴは実に軽快な走りで、快適に運転できました。つい先日、oldな軽四の愛車で一日400km走った私にとっては、エンジン振動の感じられないスムーズなドライブは極楽のようでした。


船内にて

2009年02月21日 20時50分42秒 | うちなー日記(沖縄編)
↑阪九フェリー名物、パイシュー

阪九フェリー「フェリーすおう」は現在、順調に周防灘を航行中です。

乗船後、エントランスで船室(二等指定A:一人用個室)の鍵を受け取り、階段を昇ったところで、見覚えのある顔に出会いました。なんと熊本の親戚でした。そういえば車で乗船待ちしていた際に、隣に熊本ナンバーのクラウンが止まっていたのですが、それに乗っていたのです。
なんたる偶然、事情を話したところ、目的地も同じ方向なので、泉大津港到着後、奈良まで高速道路を先導してもらえることになりました。初めて運転する道なので、実に有り難いです。

福岡にて

2009年02月21日 19時35分52秒 | うちなー日記(沖縄編)
今、福岡県北九州市の新門司港でフェリーの乗船待ちをしています。

実は、福岡の母方の祖父が母のために車を譲ってくれることになり、私が帰省のついでに三重まで乗って帰ることになったのです。
車は、ホンダのロゴ(平成10年式)の赤色です。比較的マイナーな車種ですが、フィットの先祖に当たり、シビックの足回りを持つため、1300ccの小型車ながら、かなり走行性能は良いです。

今朝、8時50分発のANA482便(JA8579:B767-300)で沖縄を発ち、小一時間のフライトで福岡に到着、祖父母の出迎えを受けて、一路太宰府市の祖父の家に向かいました。
空港から祖父の家までも、この車で走ったのですが、途中から私が運転させられました。余談ですが、祖父は元運送会社経営者で、運転にはとてもうるさいのです。およそ10kmの道中、ホントにどきどきしました。

その後、祖父の家でご飯をいただき、昨晩一時間しか寝ておらず眠かったので、三時間ほど昼寝しました。
その間に保険屋の方が来られ、自動車保険に加入しました。

午後4時に祖父の家を出発し、途中近くのイオンモールに寄って、その巨大さに圧倒されつつ、福岡インターから九州自動車道を小一時間走って新門司港に到着して今に至ります。

さて、そろそろ自動車の乗船の時間です・・。

中間発表成功。

2009年02月19日 23時04分07秒 | うちなー日記(沖縄編)
終わりました・・、中間発表。

ええ、自分でも信じられないくらい良い出来でしたよ。

前日の予行練習では、噛み噛みで35分(通常制限時間は8分)も掛ってしまいましたが、パワーポイント自体は指導教官も良い出来だと褒めてくださったので、本番には自信を持って臨めました。

平成20年度卒業研究中間発表会本番は、昨日の昼1時から理学部本館の528号室で行われました。いつも講義で使われる部屋で、私としては共通教育棟にある我がフロアのゼミ室よりも緊張感無く発表できる部屋でした。

予想外に多くの教授陣が来てくださり、教室はいっぱいになりました。
もう一人の発表者であるS袋君の発表時間は20分(発表12分、質疑応答8分)の制限時間となっていましたが、私はどう頑張っても容量的に30分は必要と訴え、制限を30分に伸ばしてもらいました。

先に、進化・生態学大講座のS袋君が外来植物である、アメリカハマグルマの生態についての研究発表をしました。75年の沖縄海洋博覧会の際に人間が沖縄へ導入した植物なのですが、現在では沖縄本島全域に繁殖しており、既存の自生種を脅かしているそうなのです。その侵略性の原因を生態学的に検討してみようという内容でした。
S袋君の発表の内容も、通常の中間発表に比べたら、かなり深い内容だったと思います。彼は5つくらいの繁殖要因に関する実験を行っていましたが、下手をしたら、5つを別々の学生が実験して、卒論にするなんてこともありえますから・・。
彼の発表は順調に10分程度で終わり、その後10分ほど質疑応答がありました。

そして、いよいよ私の発表の番となりました。
パワーポイントの枚数で32枚。一般の生物学生には馴染みの薄い、タンパク質の構造に関する研究ですから、研究の前提、意義、既存の研究との位置関係、手法、結果、応用例、今後の展望を可能な限り丁寧に詰め込んだため、通常の中間発表のパワポの4倍近い大作となってしまいました。
しかし、発表をいざ始めてみると、とても舌のまわりが良く、珍しく一度も噛まないで堂々と発表し続けることができました。聴衆の反応も上々で、しっかりとメモを取ってくださる教授方も見受けられました。
途中、解析に使ったデータファイルを実際に開いて説明したり、作った膨大なデータベースのエクセルファイルを示したり、試作品の構造予測ソフトを使ったりして、なるべく理解しやすいように具体例を示しながら発表しました。
結局、少し早口で喋ったこともあり、練習よりも10分早い、25分で発表を終えることができました。
質疑応答では、さすがに進化・生態学の先生方からの質問はありませんでしたが、我が研究室の隣の研究室のI先生(かの「細胞学」の担当の准教授です)が良い質問をして下さりました。曰く、「解析対象の代表的な蛋白質1644鎖を選んだといいましたが、どうやって選んだのでしょうか?」とのことで、実はこれについては当初パワーポイントに織り込んでいたものの、時間を削減するために、質問されたときのみ説明することにしていたところでした。解説の図表も事前に用意していたので、きちんと選定条件、使用したネットサービスなども答えられました。
その他にも、I先生は熱心に聴いて下さっていたようで、いくつも質問していただいたのですが、全て応えきることができました。
また、無脊椎動物の研究をされているH瀬先生も質問して下さり、それは「タンパク質の構造によってアミノ酸組成が異なることを説明するのなら、やはり各構造間で検定を行うのが望ましいのではないか」とのことでした。私もその必要性は感じており、今後検定を行いたいと回答しました。まあ、簡単な検定ならエクセルでほぼ一発でできますので・・。
また、我が研究室の指導教官、O先生も最後に質問してくださり、正直これが一番答えにくかったのですが、「発表を聴いていて思ったことだが、β-sheetを構成するβ-strandは、それぞれの位置関係が平行であったり逆行であったりするとのことだが、その違いによって組成的な違いは出てくるのか否か」との内容でした。私は、恐らく大きな違いはないと思うのですが、平行か逆行かで区分して統計を取った例を知らないので、やってみるのも意義はあるかもしれないと答えました。
3人の質問に答え終わると同時に、30分の制限時間終了の合図の鐘がなりました。

発表、質疑応答ともに、これまでのゼミ発表などが信じられないくらい上手くいき、自分でも驚きました。
今回は、いつものゼミとは違い、きちんと前日までにパワポを仕上げ、よく睡眠を取ったのが勝因だと思います。
終わった後の講評でも、指導教官のO先生は「下手な修士や博士論文の発表よりも良かったよ」とべた褒めで、天にも昇る思いでした。

無事に発表も終了したので、昨晩は祝勝会に那覇新都心の食べ放題に研究室の皆で行きました。3時間半に渡って飲み食いした後、帰りに近所の電器屋でマッサージ機に座って15分間の極楽を味わったのですが、ただただ、「無事に終わって本当に良かった」という思いしか湧いてきませんでした。
いやはや、本当に良かったです。




バレンタインデー

2009年02月14日 12時22分40秒 | うちなー日記(沖縄編)
本日はバレンタインデーです。
毎年恒例の母からのチョコレートが先程正午に届きました。
この十年以上、本命チョコなどは疎遠です。幼い頃はガールフレンドやら母の仕事場のお姉様方からいっぱいチョコレートを貰って、鼻血を出すほどだったのが懐かしいです・・。(去年はバイト先のコールセンターのお姉様方から結構貰えましたが・・)

今年は研究室に女の子がたくさん入ったので、午後からに期待しようかな・・。

テスト週間終了。

2009年02月13日 23時03分01秒 | うちなー日記(沖縄編)
ようやく辛かったテスト週間が終了しました。
最終日の今日は二時間目に「比較内分泌学」のテストがありました。

松果体から分泌されるホルモンは?・・・答え「メラトニン」

というような問題がメインで、基本的に最後の講義で配られたプリントの内容さえ暗記すれば単位は貰えるという、我が学科の中では比較的優しい試験でした。

対して、先週の金曜日に行われた「細胞学」の試験は、講義自体の内容も濃く、ノートなどの持ち込み不可なため、ノート50ページ(裏表)分に及ぶ内容を覚えなければならず、かなり大変でした。(どうにかやり遂げましたが)

さてさて、今期の講義はこれで終わったのですが、私にとっては一大イベントが来週の水曜日に控えています。
「中間発表」です。
進化・生態学講座の研究室の学生と私の二人だけの発表会ですが、恐らくあちらの教授陣と我が熱帯生命機能学講座の教授陣が入り混じって、通常の中間発表会(単独の講座のみで行われる)よりも緊張感は高くなると思われます。
私は、「蛋白質二次構造解析」と題して、これまでの経過を発表する予定ですが、ほぼ研究自体は完了(卒論執筆段階のレベル)しているものの、今回の発表でどこらへんまでの内容を語れば良いかで悩んでいます。
通常の中間発表会は、人数も多いため、一人当たり15分間の縛りがあります。しかし、今回は二人だけなので、特に時間は定められておらず、たっぷりあるのです。少なすぎても困りますが、たっぷりあるのもまた困りものです。それだけ突っ込まれる可能性も高くなるわけですから・・。
熱帯生命機能学講座だけなら、蛋白質についての説明は省けるのですが、進化・生態学講座と合同となると、蛋白質の定義から始まり、セントラルドグマ、各次の構造、既存の研究の経過と問題点も説明する必要があります。
そして、解析手法の説明、経過、結果と発表を続けるのですが、結果だけでも結構な量があります。単純に、蛋白質の全体と各構造別のアミノ酸組成割合だけでも良いのかもしれませんが、私の研究の醍醐味は各アミノ酸同士の連結に関する傾向の解析でして、それに関するデータも既に仕上がっています。図表も作成し、あとは纏めて文章にして、論文誌に投稿するだけの状態になっていますから、やろうと思えば論文誌に発表予定の内容全てを中間発表で発表することもできるのです。
しかし、それだとあまりにも中間発表のレベルを逸脱してしまいます。きちんと発表すれば、時間も何時間もかかかるでしょう。
という感じで、発表量をどれくらいにするかで悩んでいるわけです。
普通の学生は、中間発表時点では文字通り「中間」での発表ですから、このような悩みはあり得ないのでしょうけども・・。考えてみたら贅沢な悩みですね。

まあ、とにかく、無事に発表を乗り切られるように頑張ります。

近所で手りゅう弾発見!

2009年02月12日 16時41分19秒 | うちなー日記(沖縄編)
先ほど、沖縄タイムスの夕刊を見ていたら衝撃のニュースが・・!

『路上 手りゅう弾拾う 西原で男性/信管付き 交番へ

 十日午後六時ごろ、宜野湾市の野嵩交番に男性(70)が「手りゅう弾を見つけた」とスープ缶に入った旧日本軍の手りゅう弾を持ち込んだ。

 宜野湾署によると、手りゅう弾は信管付きで爆発の危険性もあったため、陸上自衛隊に連絡、不発弾処理隊が緊急回収した。

 男性は同日午後四時ごろ、西原町森川の道路沿いで発見したという。同署の波照間英基生活安全課長は「不発弾などを見つけたときは、決して触れないで警察に通報してほしい」と呼び掛けた。』

何を隠そう、私、西原町森川在住なのです。本当にびっくりです。
一昨日の午後4時ごろといえば、ちょうど車で近所を走っていた頃でした。
それにしても、スープ缶に入れて持ち運ぶというのがなんとも・・。
西原町森川は、琉球大学の所在地である西原町千原の隣の区域で、宜野湾市や浦添市に隣接する交通至便な場所でありながら、まだまだ自然が多く残る閑静な土地です。逆に言うと、まだ市街地ほど開発が進んでいないので、不発弾やらがいっぱい残っているのかもしれませんね・・。沖縄戦ではあの近辺は激戦地だったそうですし・・。

学報の表紙を飾りました。

2009年02月06日 22時05分34秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、琉球大学学報の最新号を手に入れました。(初めて大学の事務局に足を踏み入れて貰ってきました)
この第449号の表紙の写真は、実はすべて私が撮影したものです。
ここ最近、琉球大学学報の表紙は「21世紀COEプログラムの研究現場から」と題して、各研究室の研究関連の写真と解説文が飾っているのですが、今号で、我が研究室の教官がその担当にあたっていたので、昨年末に教官の依頼で蝶やらパソコン作業やらを私が撮影したのです。
この学報は琉球大学のホームページからもご覧になれます。
http://www.u-ryukyu.ac.jp/univ_info/kouhou/gakuhou/data/449/index.htm

一番左の写真は、後輩が蝶の翅模様を観察している風景、真ん中上は研究対象の蝶であるヤマトシジミの異常型、真ん中下はもう一つの研究対象であるアオタテハモドキの鱗粉のマクロ撮影写真、そして右が私の研究であるタンパク質の二次構造解析作業の風景です。右の写真に写っている手は私の手です。あと、密かにPCモニターの前にANAのキャビンアテンダントのフィギュアも写りこんでいます。(撮影するときに撤去し忘れてました・・)
教官のコラムの最後に、ちゃんと私の名前も連名で書かれています。

この学報は先々保存されますから、私が琉球大学にいたという証拠がずっと残ることになります。
今回、我が研究室が担当にあたったのは全くの偶然でしたが、大学生活最後の年で、かつ21世紀COEプログラムの期限切れも迫っているため(今後は学報の表紙を理系研究室が飾ることは少なくなるはず)、非常にグッドなタイミングでした。