うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

新日本海フェリー 「フェリーしらかば」

2017年04月16日 01時00分10秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
新日本海フェリー「フェリーしらかば」は先日の記事でも書いたように、日本最大トン数のカーフェリーです。
国内総トンで20,500トンあり、国際総トンに換算すると約40000トンと、そこいらの外洋航海可能なクルーズ客船顔負けの大きさを誇ります。旅客900人以上と車両300台近く(トラック186台、乗用車80台)を一度に積載可能で、近年は同型姉妹船の「フェリーあざれあ」とともに敦賀~新潟~秋田~苫小牧の現代版北前船航路に就き、日本海の物流の担い手として重要な役割を果たしてきました。
しかしながらこのフェリーしらかば、1994年就航で既に23年を経過しており、新日本海フェリーでは最古参となっていました。今年、新日本海フェリーは新潟~小樽航路に新造船2隻を投入し、これまで新潟~小樽航路に就航していた「らいらっく」「ゆうかり」が敦賀~新潟~秋田~苫小牧航路に移動してくるため、入れ替わりにフェリーあざれあとフェリーしらかばは引退する運びとなりました。
先月(3月)9日には新造船「らべんだあ」が就航してフェリーあざれあが引退、新造船2番船「(新)あざれあ」が6月末に就航予定のため、フェリーしらかばもあと2ヶ月ほどで引退の予定となっています。
間もなく引退予定の船とはいえ、新日本海フェリーの船は毎年のドック点検時に丁寧に手が加えられており、フェリーしらかばの内装も綺麗に保たれています。
省エネ化、高速化の進む昨今の日本のカーフェリー業界を見る限り、恐らく今後しばらくは2万トン超の巨大カーフェリーは現れないと思われます。今回、引退が間近に迫ったフェリーしらかばの船内を記憶に留めるため、苫小牧~秋田間に乗船してきました。



フェリーしらかば船内入口付近。
フェリーしらかばの乗下船口は3階にあります。
新日本海フェリーの船はいずれも客室部は3層構造になっていますが、「フェリーしらかば」と「らいらっく」、「ゆうかり」は1,2階が車両甲板、3,4,5階が客室と表示される一方、「はまなす」,「あかしあ」,「すずらん」,「すいせん」,「らべんだあ」は2,3階が車両甲板、4,5,6階が客室と表示されています。表示は異なるものの、前者の3階は後者の4階と同じ階のことを指しています。階数表示の違いは恐らく機関室エリアを1階とするかB階とするかの違いによるもので、元を辿れば前者の3船は石川島播磨重工(現ジャパンマリンユナイテッド)製、後者5船は三菱重工製という造船会社の差異によるものと思われます。


船内に入ると、3層吹き抜けの螺旋階段が出迎えてくれます。
省スペースながら豪華にも見えることから、一昔前のフェリーでは螺旋階段がよく見かけられましたが、最近の船だとあまり見ませんね。


5階から階段を見下ろすとこんな具合に見えます。ちょっとアナ雪っぽいです。
木材の傷みや絨毯の剥がれなどもなく、綺麗に船内が保たれていることも分かります。


3階の船首側から見た階段付近の様子です。
階段付近にはホテルのような設えの案内所カウンターがあります。
フェリーしらかばは1994年製の船ですが、設計はバブル崩壊直後の頃であり、最近の船と比べても重厚感のある少しバブリーな内装となっています。


3階ロビーの様子です。売店やゲームコーナー、ビデオルームなどの施設が周囲に集まっています。
ロビーの天井の上は吹き抜けになっており、昼間は自然光が天窓から入ります。
この吹き抜けは本船の画期的な点で、吹き抜けのおかげで4階の内側個室にも窓が設置され、外の光が差すようになっています。この船以降の現役の新日本海フェリーの船は同様の設計を取り入れています。


売店です。広さは恐らく新日本海フェリーの現役船の中で最も広いです。複数の港に寄港するため、お土産の種類も豊富です。


3階客室区画の廊下です。
内装は綺麗ですが、最近の船に比べるとやや天井が低く、通路幅も狭く感じます。


今回はツーリストB(2等寝台)を利用しました。
いわゆる二段ベッドが並んだ部屋で、上段に上るには梯子を使う必要があります。近年の船では階段で上段に上れるように工夫されており、新日本海フェリーでも「らいらっく」「ゆうかり」以降の船では改修を経て階段式に切り替えられつつあります。
なお、フェリーしらかばではツーリストJ(いわゆる雑魚寝部屋)も提供されていますが、最近の新日本海フェリーの船では雑魚寝部屋は設置されなくなっています。
なお、今回利用した寝台には充電用コンセントが設置されておらず、少々苦労しました。(最近の船だと枕もとの読書灯付近に設置されています)


4階前方フォワードサロン入口です。
フェリーしらかばでは、3階、4階の客室前方にスモーキングルームとフォワードサロンが設置されています。
残念ながら、今回の乗船時は夜間航行中で中に入ることは出来ませんでした。


新日本海フェリーHPに掲載されているフォワードサロン内の様子です。
幅、奥行きともに最近の船よりも広く、居心地の良さそうな内装ですね。さすがは2万トン超の巨大船です。


続いて4階の後方に移りまして、右舷側プロムナードの様子です。
どっしりとしたソファーが並んでいて、すわり心地は最近の船よりも快適です。通路沿いの壁には絵が飾られていて、ホテルの館内のようです。


カフェラウンジ。
4階の右舷側後方にあります。結構奥まった位置にあるため、存在に気付かない人も多いかもしれません。
昼間は喫茶や軽食をこのコーナーで提供しており、夜間も休憩スペースとして開放されています。


カフェラウンジにはステージも設けられていて、ミニコンサートなども開けるようになっています。
フェリーしらかばよりも前のバブル最盛期に造られた船では、最上階に現在の太平洋フェリーのような立派なラウンジが設けられていたのですが、フェリーしらかばではカフェコーナーと統合されて縮小されています。


続いて、4階左舷側の様子です。
この船は幅が大きく、船内に余裕があるため、左舷側にも立派なプロムナードが設けられています。
この通路沿いにはレストランとグリルが面しています。


レストラン入口です。


レストランの中はこんな感じ。
バイキング方式ではなく、レーンに並んだ惣菜から好きなものを選んで購入する方式です。
新日本海フェリーのレストランは他の船会社と比べてリーズナブルで、数百円でちゃんとした定食を食べられます。


左舷側プロムナード後方の曲がり角付近の様子です。
この辺の造りは、フェリーの中とは思えない重厚さです。古き良き・・という言葉が出てきそうです。


左舷後方には大浴場があります。この辺りの船内施設の配置は2012年に引退した(就航は1996年でフェリーしらかばより後でしたが)先代「すずらん」、「すいせん」とよく似ています。


お風呂上がりには卓球・・というわけで、風呂に隣接してスポーツルーム(卓球場)があります。フルサイズの卓球台が2卓並んでおり本格的です。なお、このエリアの窓側区画にはサウナルームがあります。バブルの名残なのか、浴室内ではなく、独立したスポーツサウナという位置付けのため水着着用の必要がありました。現在は故障中で使われていません。


スポーツルームとカフェラウンジからは後部デッキに出られます。
大きな船なので、後部デッキも広々としています。


デッキの後方にはジャグジーがあります。夏季限定で提供されていましたが、今年6月の引退までに稼動することはもう無いと思われます。この船よりも前の船では船尾にプールがあったのですが、その名残とも言える設備です。
北海道航路の夏は短く、どれくらいの人が使ったのかは分かりません。最近の船では代わりに露天風呂が浴室に導入されています。


4階後部デッキから階段を上がると、5階スポーツデッキに出ます。非常に広々としていて、フットサルくらいなら余裕で出来そうです。
フェリーしらかばより後に就航した船では後方デッキから上の甲板へは上がれないようになっており、スポーツデッキの存在も間もなく過去のものとなります。


再び船内に戻りまして、5階のシアタールーム入口の様子です。
こちらも夜間航海だったため閉鎖されていて、今回は中を見ることは出来ませんでした。


これまた新日本海フェリーHPで紹介されているシアタールームの写真です。
上述の通り、バブル時代の船では立派なラウンジが設置されていたのですが、この船ではその機能を映画上映とカフェに分け、簡素化されました。その後、フェリーの高速化で所要時間が減ったこともあり、ラウンジは設けられなくなっています。
また、高速化によるサービス効率化の一環なのか、今年就航した新造船ではシアタールームも設置されておりません。


以上、フェリーしらかばの船内を一巡りご紹介しました。
まだまだ現役で使えそうな綺麗な船内の様子がお分かりいただけたかと思います。
エンジンの震動も特に大きく感じるようなこともなく、恐らく引退後も海外のどこかで第二の人生を過ごすことと思います。(追記:インドネシアへの売船が決まっているそうです)
フェリーしらかばの今後の船歴が平穏であることを一船好きとして祈っています。

秋田弾丸旅行

2017年04月03日 20時02分35秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
3月の春分の日三連休にふと思い立ち、カーフェリーと新幹線、夜行バスを組み合わせた0泊3日の弾丸旅行に行ってきました。


3月18日夜の苫小牧発の新日本海フェリー「しらかば」に乗り、19日の朝7時半に秋田港に到着しました。
実は、今回の旅行の主な目的はこの船に乗ることだったので、既にこの時点で旅の半分は終わったようなものでしたが、帰りはフェリーが使えない(この船は苫小牧~秋田~新潟~敦賀航路に就航していて、秋田港入港の直前に入れ違いで苫小牧行きのフェリーが出航しているため、数日後の折り返し便まで船は来ません)ので、陸路で札幌まで戻らなければなりません。
今回の旅行もとりあえず船に乗ろうという感じで事前に計画を立てていなかったのですが、船の中で時刻表と睨めっこしながら考えた結果、秋田新幹線、東北新幹線、北海道新幹線を乗り継いで新函館北斗まで戻り、そこから夜行バスで札幌に戻るのが楽しそうだと思い、実行に移しました。




とりあえず、乗ってきた船の出航を見送った後、・・


フェリーターミナルの目の前にある道の駅 ポートタワー・セリオンに立ち寄りました。


なんと、ここの展望台(地上100m)は入場無料です。高いところ好きとしては登るしかありません。
こちらは展望台から南側の景色。秋田港は秋田市の中心部から北西に少し離れた土崎地区にあり、写真の奥側が秋田の中心市街方面です。


こちらは東側の展望。秋田港周辺には秋田臨海鉄道という貨物路線が走っているのですが、その留置線が一望できます。
是非ゆっくりと走行風景を撮ってみたいところですが、休日で列車は動いていなかったので、今回はパスしました。


地上に下りてきたのは9時半頃。予定通りの経路で札幌に戻るためには、10時半の電車で土崎を出る必要があります。
とはいえ小腹が空いてきたので、道の駅の名物、うどん・そばの自動販売機で朝ごはんとします。(実は船の中でも朝食を食べていましたが)


このうどんの自動販売機、NHKのドキュメンタリー番組で話題になりました。数年前の放送当時は道の駅から150mほど離れた商店の店先にあったのですが、その店の閉店を機に移設されて、現在は道の駅の館内で午前10時から午後5時まで限定で稼動しています。
この日は少し早めの、9時過ぎから稼動していました。
自動販売機のうどんと聞いてインスタント麺の様なものを想像していたのですが、なかなかに本格的なうどんで驚きました。
麺は地元の製麺所のものを使っており、注文ボタンを押してから僅か25秒で出てくるにもかかわらず、程よく茹で上がっていました。


秋田港エリアから歩いて30分ほどで土崎駅に到着。ここから電車で一駅、7km離れた秋田駅に向かいました。


秋田駅のみどりの窓口で今日の切符を手配し、秋田新幹線こまち18号に乗車。


約50分乗車の後、角館で途中下車。次のこまちが来るまでの1時間で適当に観光することにします。


タクシーで2kmほど離れた旧市街に移動しました。ここは一度訪ねてみたかった、江戸時代の武家屋敷が多く残るエリアです。


タクシー降車場所の目の前が角館で最も古く、現在も子孫の方が住まわれているという「石黒家」のお屋敷でした。
手短に見学できるという看板が出ていたので、早速入ってみました。


中はこんな感じです。玄関は3ヶ所に分かれていて、これは正面右手にある玄関から入ったところです。この玄関は主に家の主人が使ったそうで、お殿様が来られる際には正面玄関が使われ、女性陣は勝手口から出入りしていたとのこと。
障子で閉め切られた奥側の部屋は、現在も住まいとして使われているそうです。


こちらはお殿様用のお座敷です。石黒家は代々佐竹北家に仕え、家老に準ずる家柄で財用役や勘定役を務めていたとのこと。


座敷の欄間には透かし彫りが施されており、隣室の灯りに照らされて影絵が壁や天井に映し出されて楽しめるようになっています。


3月ということで、昔のお雛様が展示されていました。


屋敷の奥にある蔵も公開されていました。石黒家は江戸時代後半には私塾を開いていたそうで、貴重な書物が保管されていた文庫蔵は立派な構えです。



こちらはレプリカですが、石黒家の蔵には「解体新書」の初版本も保管されていたそうです。
石黒家は角館の財政を取り仕切っていましたが、医学にも秀でており、解体新書や各種医学書を揃えて学び、教えていたとのこと。
ちなみに、解体新書の挿絵を描いた小田野直武は角館出身の武士です。


展示に見入っている間に時間は過ぎ、次の電車まで残り20分ほどとなってしまいました。
帰りもタクシーで駅に向かうつもりが、なかなかタクシーが来ず、結局徒歩で角館駅まで急ぎました。
次の列車にしようかと考えながらも2kmの道のりを小走りで駆け抜け、なんとかこまち20号に間に合いました。


再び50分ほどの乗車を経て、東北新幹線との結節点、盛岡駅に着きました。


盛岡では2時間弱の乗り換え時間を確保し、昼ごはんを食べに駅前のお店に入りました。


ここで人生初のわんこそばを食べました。
高校時代にわんこそばを食べに盛岡に鉄道旅行する計画を立てたものの、結局叶わなかったとき以来の念願でした。
「はいドンドン」、「はいジャンジャン」といった掛け声とともに店員さんが蕎麦を注いでくれるのですが、一人で入店した場合は付きっ切きりになるので、団体で食べるときよりも一層慌しく食べることになります。
15杯で盛り蕎麦1枚分とのことでしたが、100杯以上完食で貰える記念手形のため、気合を入れて食べ続け、なんとか101杯食べきりました。


膨らんだお腹を抱えながら、盛岡から東北新幹線はやぶさ21号に乗って青森に移動しました。


こちらも以前から行ってみたかった、青森駅前にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学。
18時までの営業でしたが、17時過ぎに着いて十分鑑賞できました。


やっぱりねぶたは良いですねぇ。また祭りの時期に見にきたいものです。

その後、青森市内の銭湯で旅の疲れを癒し、再び新幹線に乗りました。


この旅のクライマックス、北海道新幹線です。
去年3月の営業開始以来乗りたいと思っていましたが、やっと叶いました。


運良くJR北海道のH5系編成に乗れました。北海道と隼を組み合わせたロゴマークが格好良いです。


車内はほぼJR東日本のE5系と同様の造りです。


窓の日除けにアクセントとしてアイヌ紋様が描かれており、北海道らしいです。

新青森出発から僅か10分少々で青函トンネルに入りました。
青函トンネル内のレールは50km以上にわたって継ぎ目が無く、新幹線の優れたサスペンションと相まって、非常に乗り心地が良かったです。


これだけ乗り心地が良いのなら、ひょっとしてコインが立つのでは?と思い、試してみたら、本当に立ったので心底驚きました。
今回はこの状態で数分間は立っていましたが、青函トンネルの入り口からもし試していたら、もっと長い記録が出たかもしれません。


新青森から1時間ほどで新函館北斗駅に到着。本当に速いですね。


格好良いH5系とE5系の並びも撮れました。
北海道新幹線が札幌まで延伸開業されれば、ここからさらに1時間弱で札幌に帰れるようになります。


新函館北斗の駅舎です。駅前広場に隣接してホテルが建っています。


しかし、駅の正面にはレンタカーの営業所が数店並んでいるだけで、コンビニすらありません・・(最寄のセイコーマートは1km先)。
新函館北斗駅は函館市街から離れており、駅周辺の開発はまだまだこれからという感じです。
札幌行き夜行バスが来るまで、2時間以上もここで待たなければなりませんでした。


午前0時半に夜行バスが来ました。やっと落ち着けます。


5時間の走行を経て、三連休最終日(月曜)の朝に札幌に帰着しました。
夜行バスは中山峠経由かと思っていましたが、ずっと道央道を走っていました。

土曜の夜に札幌を出発して約36時間、なかなかに濃密な弾丸旅行となりました。