うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

麻疹流行、気になりますね

2007年05月29日 21時36分53秒 | うちなー日記(沖縄編)
近頃、若者の間で麻疹が大流行していて、全国的に大学が休講になったりと、かなり影響が出ていますね。
今日から、鹿児島大学でも二つの学部が休講になったそうで、いよいよ琉球大学も秒読みかもしれません。(私のまわりにも体調を崩している人が何人かいますし・・)
沖縄では、数年前に麻疹が大流行して以来、対策を強化していますが、果たして今回はどうなるのでしょうか?
気になりますねぇ。私もちょうど該当年齢だし・・・。( ̄Λ ̄)

全日空でシステム障害

2007年05月28日 22時41分03秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日、ANA国内線の旅客や貨物を処理するコンピュータでシステム障害が発生し、羽田空港を中心に130便が欠航、306便が1時間以上遅れ、約6万9千人に影響があったそうです。

実は私、昨日は久々の快晴だったので、昼から那覇空港に飛行機の撮影に出掛けていたのですが、そのようなことが起きているとはつゆしらず、あとからニュースを見てびっくりしました。
そういえば、旅客ターミナルビルをうろうろしているときに、ANA便の到着遅れをしきりにアナウンスしていましたし、撮影中も、若干飛行機が少ない気はしましたが、まさかそんなことがあったとは思いませんでしたねぇ・・。
那覇空港でも多少の混乱はあったと思いますが、出発ロビーには行かなかったので、直接目にすることはありませんでした。

ANAはよく利用していますから、今回は安全に直接関わるようなミスではなかったものの、これからは気の緩みがないようにお願いしたいですね。

地震速報!!?

2007年05月25日 06時05分21秒 | うちなー日記(沖縄編)
先程午前5時53分頃、沖縄地方でやや強い地震がありました!
久米島と中南部で震度3を観測しています。結構大きな揺れで、また跳び起きてしまいました。

地震速報によると、震源は沖縄本島近海、マグニチュードは4.7です。琉球大学のもよりの西原町嘉手苅で震度2を観測しました。

って、震度2・・!?あの揺れは震度3はあったでしょう・・。本棚の本が音を立てて揺れていましたし・・。どうも、私の住む、学生寮の地盤が悪いのか、五階建ての五階だからなのか、毎回体感震度は観測震度よりも大きく感じますねぇ。
なんか最近沖縄地方は地震が多いように思います。震度2を観測するような地震って、せいぜい半年に一度くらいだったのに、この一ヶ月間に三回も発生しています。しかもみんな朝方だし・・。活動期なのでしょうか?少々睡眠不足のもとすけでした。
( -o-)=з

休み!?

2007年05月22日 17時00分00秒 | うちなー日記(沖縄編)
今、5限目の講義を受けに大学に行ったら(火曜日は5限のみ)、何故か校舎に人の気配がありません。教室も閉鎖されていて、まるでホラー映画のような雰囲気です。
駐車場もがら空きだし、まさか最近首都圏で流行っている、はしか休講がついに琉球大学でも・・・!?と思いました
その割には、学生課にも何の掲示もないし・・。
仕方がないので、ネットでもするかと、情報処理センターに行ったところ、玄関に次のような立て看板が・・。
「5月22、23日は開学記念日、体育祭のため、休館です」

・・・・、知りませんでしたよ。っていうか、誰か教えてよ・・。

梅雨の晴れ間?

2007年05月20日 11時43分08秒 | うちなー日記(沖縄編)
先週梅雨入りした沖縄ですが、天気はぐずつくものの、まだまとまった雨は降っていません。
やはり予想通り、前半は空梅雨のようです。

今日は梅雨の晴れ間だそうで、沖縄地方は久々に快晴となっています。気持ちが良いですね。
私は先程集中講義の実験が終わったので、今からご飯でも食べに行こうかと、出かけているところでして、現在電気屋に寄り道中です。
思いの外実験が早く終わったので、午後は晴天を楽しめそうです。

沖縄梅雨入り

2007年05月16日 20時23分37秒 | うちなー日記(沖縄編)
いよいよ本日、沖縄地方が梅雨入りしました。
昨年より二日、平年より八日遅く、ようやくという感じです。

今日は曇りで、雲が低く垂れ込めてはいるものの、時折晴れ間が覗くこともあり、まだ雨は降っていません。ただ今夜遅くからは前線が近づき雨になるそうです。

私が沖縄に来てからでは、一昨年は梅雨期間は長かったものの、前半は空梅雨で、六月中旬に百数十年ぶりの豪雨が降り、至る所で道が冠水しましたし、昨年は長雨で、梅雨の降水量が観測史上最多となり、中城村や首里で大規模な崖崩れが発生したのは記憶に新しいところです。
今年は予想によれば前半が空梅雨、後半に豪雨になるそうで、ちょうど一昨年の梅雨のようになるようです。なるべく災害にならないよう願うばかりです。

梅雨が明ければいよいよ沖縄の夏本番です。待ち遠しいですねぇ。

5月15日 沖縄の日本復帰から35年

2007年05月15日 19時00分12秒 | うちなー日記(沖縄編)
宮古島の海岸に現在も残る「琉球政府」の石碑

1972年の今日、沖縄県は日本に復帰(返還)しました。
アメリカによる統治が27年間でしたから、すでに復帰後の年数の方が長くなっています。
今日の県内メディアでは、復帰後の沖縄を振り返る特集が多く報道されていました。
各メディアの復帰に対する見かたが如実に表れていて、興味深く見ました。
現在、一般の沖縄県民にとっては、沖縄は日本に復帰して良かったという考えが主流です。まあ、当たり前のことなのですが・・・。
しかし、沖縄の復帰前後は、積極的に復帰を歓迎する人々がいる一方、米軍基地が存続することに対する不満をもつ人々が過激なデモを行なったり、なかなか緊張した状況にあったようです。
そんな空気を表す、気になる報道が今日の特集でもありました。
QAB(琉球朝日放送)の夕方のニュースで放送された、「復帰35年企画 あの復帰メダルは今」という特集なのですが、曰く、復帰の日に日本国政府が県内の全小中学生に記念メダル(20万個)を配布しようとしたのですが、沖縄教組の反発にあい、ほぼ半分の学校で、やむなく生徒の手に渡る前に回収したという内容でした。当時の教組の関係者が語るには、「沖縄復帰の中身は県民の意思を全く無視していて不満であり、それを祝うことを生徒に押し付けたくなかった」から回収させたというのです。今の視点からいえば、それって「祝わないことを押し付ける」ことになる気もするのですが、当時はそのようなこともあったのですね。結局、先島(宮古・八重山)と本島の島尻、北部の学校では回収が間に合わず、10万枚ほどが予定通り配布され、中部と那覇の学校では回収されて配布されなかったそうです。
で、大量の記念メダルが県の教育庁に溜まってしまったのですが、その後教育関連施設に譲渡され、現在でも「少年自然の家」などの景品として使われているそうです。
そんなことがあった一方で、復帰当日に結婚式を挙げたり、街頭で日の丸を掲げて祝ったりと、歓迎する人たちも多くいたわけで、なかなか複雑な情勢だったんだなと思います。

復帰から35年が経った現在でも、沖縄には米軍関連の施設が多く残っていますが、それでも復帰当時と比べるとずいぶん減少したようです。昔の写真を見ると、現在の嘉手納基地や普天間基地以外にも、補助飛行場や各種通信施設、補助施設などが点在しており、どこに民間人が住んでいたのだろうと思うほどです。現在の那覇新都心や、小禄金城地区、北谷などのエンターテイメントゾーンも、当時は米軍関連施設が広がっていたのです。
今後も、予定通りに進めば、普天間基地や牧港補給地区などの広大な土地が米軍から返還されます。それをいかに活用するか、現在議論が始まっています。

そして復帰前にはほぼ0だった沖縄観光客は年々増加しており、今では年間600万近い人々が沖縄を訪れます。それに関わるサービス産業は、基地産業に匹敵する収益を生み出す県内の主要産業になりました。今後も順調に増加していけば、まもなく来訪客数が年間1000万人に達すると言われていて、逼迫する需要に対応するために那覇空港の滑走路の増設が計画されています。

その他、今後5年間ほどの間に計画されているプロジェクトには、沖縄科学技術大学院大学の開学やゆいレールの延伸、那覇港トンネルの開通、空港自動車道の全線開通、宮古伊良部大橋の建設など、地図が大きく描きかわるようなものが目白押しです。政府が積極的に支援していることもあり、全国的に見ても、最も活発に開発が進んでいる地域ですから、今後も話題にはこと欠かないでしょうね。
全国メディアを見ていると、基地問題や経済問題などが多く取り上げられるため、どうしても立ち遅れている地域というイメージをもたれてしまいますが、実は沖縄は想像以上にホットな地域なのです。(意外に県民自身も気付いてないのですが・・)

私は、とりあえず卒業の2009年3月まではこの沖縄に住むことになります(もしかしたらその後も住むことになるかもしれませんけど)から、こっちにいる間は変わりゆく沖縄をしっかりと目に焼き付けていこうと思います。
そんな思いを新たにした、復帰35年の日でした。

もとすけto沖縄

2007年05月13日 22時59分32秒 | うちなー日記(沖縄編)
帰省も三日目、さていつもならそろそろどこかに遊びに行ったり、食べにいったりする頃ですが、今回は強行日程のため、もう沖縄に帰らなければなりません。
朝10時半に起床。
パソコンを起動して、ANAの空席と奈良交通リムジンバスの時刻表を確認したところ、14時5分に関空を出発する飛行機に乗るのがベストで、それに乗るためには12時20分に櫟本(天理)バス停からリムジンバスに乗らなければならないことが分かりました。
すぐさま荷物をまとめ始めました。といっても今回の帰省の荷物はリュックサック1つとカメラバッグだけなので、とても身軽で、あっというまに出来てしまいました。
12時に父の車で実家を出ました。私史上最短の帰省で、まだ帰ってから38時間しか経っていません。
少し早めにバス停に着いてしまったので、父と世間話をして過ごしました。
12時20分過ぎ、少し遅れてリムジンバスがバス停に入ってきました。今度の帰省は多分9月になりますから、しばらくはこの街ともお別れです。父と街に手をふりつつバスに乗り込みました。
高速道路(西名阪自動車道)に乗ると、実家のマンションが左手に見えるのですが、毎度のことながら、それが見えなくなると、実家を離れるのだという感覚が強くなります。

道も空いており、13時25分には予定通り関西国際空港に到着しました。
チェックインカウンターでチケットを購入すると、主翼の後端の右側窓際席(34K)をとれました。
しばらく空港内を探検し、丸善書店で「月刊エアライン」6月号を買うなどした後、保安検査場を抜けて搭乗口に向いました。
今日の搭乗機はNH(ANA)1735便、B777-200(JA705A)です。この1735便は、昨年最も多く乗った便で、去年は15時台発だったのですが、少し出発が早くなったようです。
来たときとは違って、乗客も少なく、搭乗も数分で終了。定刻にゲートを離れました。
ランウェイ24(北側)から14時20分に離陸しました。離陸するとすぐに、今年8月2日に供用開始が決まっている、二期空港島の全景が見えました。すでに滑走路も完成しており、すぐにでも使用できそうに見えました。
しばらく上昇をつづけると、右に旋回して、関西空港の全景が広がりました。海岸から5キロも離れた海上に巨大な人工島が浮いている様は、あいかわらずほれぼれします。(私は関空ファンです)
さらに上昇し、しばらくすると淡路島上空を通過、右手に明石海峡大橋が見えました。こちらも世界最長の吊り橋で、巨大人工物を続けざまに目にできるこの航路は、なかなか気持ちの良いものです。
離陸から30分もすると、四国を縦断して太平洋上に出ました。しかし、このあたりから気流が悪くなり、機体が揺れ始めました。
機長からのアナウンスが入り、この先トカラ列島のあたりまで揺れが続くことが予想されるということで、機内サービスを早々に中止して、シートベルトサインを点灯し、乗務員も全員着席させるということでした。久々に揺れを伴うフライトです。あまり気持ちの良いものではありませんが、考えてみれば、全長60m程度の飛行機であの広い大空を飛ぶわけですから、多少の気流の乱れはむしろ当たり前なのかもしれません。
さらに30分ほど揺れが続きましたが、予想通りトカラ列島を越えたあたりで揺れはほぼ収まりました。しかし、いつもなら眼下に見える南西諸島の島々も、今日は厚い雲に覆われて見えず、フライトの楽しみは半減・・・。少し残念でした。

降下して、雲の下に出ると、すでに本島の中城湾上空を飛行中でした。本島南端で右旋回し、那覇空港ランウェイ36への最終進入コースに入りました。
糸満市、豊見城市の海岸が眼下に流れ、瀬長島へ続く道路をまたぐと、まもなく無事にランウェイ36に着陸しました。
ほぼ定刻にゲートに入り、2時間10分のフライトは終わりました。揺れはあったものの、まあ青空も拝めたし、快適な方だったと思います。昨年2月から、ほぼ毎月(17回)飛行機に乗ってきましたが、次の帰省は9月で、しばらくは乗る機会はなさそうです。

空港から出ると、まもなく梅雨入りの、むあっとした空気に包まれ、ついさきほどまで居た関西との気候の違いを感じました。
たまたま那覇まで来ていた友人の車に乗せてもらって寮まで帰り、二泊三日の帰省は無事に終わりました。
ハードな日程でしたが、思っていたよりは疲れはなく、スムーズにこなせました。
明日からはまた大学で忙しい日々が待っています。
気合をいれていきまーっしょい!(古い?)

もとすけin関西 二日目

2007年05月12日 20時47分03秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日はJR奈良駅まで迎えにきてくれた家族と一緒に久々の回転寿司を食しました。
やはりこちらの回転寿司は旨くて安いです。沖縄の回転寿司は「高い」か「不味い」の選択になってしまいますので・・・。本土資本の100円寿司が出来てくれることを願います。

閑話休題、今日は祖母の一年祭当日、朝から多忙な一日でした。
神饌を載せる三方(さんぼう)と皿が足りないことに気づき、商店街の神具店へ買い物に行き、続いて神饌の買出し、帰ってからは神棚に神饌を上げて・・・と、準備だけでもへとへと・・・。

午後3時からの祭典には久々に親族一同(祖母の弟妹)が集まり、なかなか賑やかに行うことができました。
祭典後、一同で祖母の納骨堂(祖母のお骨は天理市内の納骨堂と熊本の墓とに分骨されている)に参拝し、その後直会(なおらい)となりました。

直会は市内のホテルのレストランで行われ、親族一同で世間話に花が咲きました。
おもしろかったのは、先日私と弟がリニアモーターカーの試乗に参加したときの話をしていたのですが、最近JR東海が東京名古屋間のみの建設を決めたことについて、「なんで大阪まで作らへんのや!」と一様に怒っていたことでした。「トヨタのせいやろ」とか、「JR西日本があんな(尼崎の)事故を起こさんかったらもっと強う言えたのに・・」という愚痴も出てきて・・。いやはや、面白かったです。
しかし、私の親族もなかなか濃い人ばかりです。ビデオ撮影にはまっている方、パソコンにはまって自作PCまで作ってしまった方など、ITも使いこなしてらっしゃるし、若者顔負けで、とても平均年齢が70歳を超えているとは思えません。老人パワー恐るべしです・・。
直会は、和やかな雰囲気のうちにお開きとなり、みなそれぞれ帰路についたのですが、ひとつ心残りだったのが、直会の会場にカメラを持ってくるのを忘れてしまい、集合写真を撮ることができなかったことです。せっかくキスデジを沖縄から持って帰ってきていたのに・・。次に全員が集まるのは、祖母の五年祭(神道式では三年目の法事はない)で、果たしてそれまで全員が元気でいるかが心配なところ・・。私が結婚でもすれば別でしょうけどね。
直会の席で、沖縄に行ってみたいという人が結構いたので、一度親族一同を沖縄に招待するのも良いかもしれませんね。

とりあえず、祖母の一年祭は滞りなく終わり、ホッとしました。
疲れを回復させるため、晩御飯は天理名物彩華ラーメンでスタミナラーメンのスペシャル(卵・チャーシュー入り)を食べました。

もとすけin関西

2007年05月11日 17時46分12秒 | うちなー日記(沖縄編)
先日書きましたように、祖母の一年祭(一周忌)に参拝するため、今日から奈良に帰省します。

先程、ANA106便(B777-300:JA751A)にて大阪伊丹空港に到着し、現在リムジンバスで奈良に向かっているところです。

当初、午後5時那覇発の飛行機で関西空港に飛ぶ予定で、ゆっくりと出発できるはずだったのですが、昨夜空席照会をしたところ、いつのまにか満席になっていました。しかも、午後3時以降はANA、JALともに関西方面は全便満席でした。多分この時期、修学旅行生が多いのでしょう。
仕方がないので、午前の講義だけ出席し、昼休みに身支度を整え、那覇空港に直行しました。
空港到着後、航空券代(スカイメイト利用のため、当日購入する)を引き出すため、ATMに行ったら、なんと残高がありません!毎月11日、つまり今日には奨学金が入ってるはずなのに・・。
すぐに実家に電話をかけて、送金してもらいました。
母から送金完了の報せが来たのが13時45分、なんと飛行機出発まで15分です。
すぐさまお金を引き出して、チケットカウンターへ。ついたときには出発10分前を過ぎていました。本来は20分前でチケット販売は締め切られるのですが、ダメもとで係員の方に伊丹行きのチケットを手配できないかと聞いたところ、搭乗口の係員に連絡をとり、承諾が下り、販売してくれたのです!
この便に乗れなければ、今日中に飛べるかどうかさえ危ういところでしたから、本当に助かりました。
残り4席しか空いておらず、もちろん通路側ですが、無事にチケットを手に入れられました。
急いで搭乗口に向かうと、ちょうど搭乗が始まったところでしたが、修学旅行生が三百人近くおり、それを優先搭乗させているところでした。見たところ、一般の乗客の方が少なく見受けられました。

機内に入り、指定された27G席に座ったのですが、搭乗が終わっても、通路を挟んで向こう側の窓側席(27K)が空いているではないですか!手前に座っているビジネスマン風の人に確認して、席を移りました。
これには驚きました。おかげで今回も機窓風景を楽しめました。

天候も良く、眼下を過ぎていく南西諸島の島影を眺めていたら、日常の喧騒が嘘のように思えました。(月並みな表現ですが・・)

伊丹到着は定刻より20分遅い、午後4時10分でしたが、荷物を預けなかったので、スムーズに到着口を出て、4時30分のリムジンバスに乗ることができました。

と、ここまで打っていたら、もうまもなく奈良に着くところまで来てしまいました。
たそがれの奈良はなかなか雰囲気がありますねぇ・・・。

暑いですねぇ・・

2007年05月09日 17時52分20秒 | うちなー日記(沖縄編)
ハイサイ!
今日は静岡や京都で気温が30度を超えたとか・・・。
沖縄でさえ26度程度ですから、さぞかし暑かったのでしょうね。
こちら沖縄も、今年は梅雨入りが遅く、まだしばらくは晴天が続きそうです。
一昨年は5月2日に梅雨入りし、ゴールデンウィークも雨模様、去年は5月5日から帰省して、この時期沖縄にいなかったのですが、今年は「わかなつおきなわ」を目一杯楽しんでおります。
先週の金曜日と昨日、恩納村の真栄田岬でスキンダイビングをしてきたのですが、Tシャツと海パンで泳いだら、腕や脚がこんがりと焼けてしましました。ふくらはぎがひりひりしています。
この時期の沖縄は、太陽がほぼ真上から照りつけていて、あっというまに日焼けしてしまうのです。今日、学科の友人(うちなーんちゅ)と比べてみたのですが、私の方が焼けていました。(汗)そういえば近頃うちなーんちゅによく間違われます。濃顔+髭+日焼けですからね・・・。
実は今週末、土曜日に祖母の一年祭があるため、金土日と帰省する予定なのですが、このまま晴天が続けば、快適な行程になりそうです。
ひょっとしたら、実家で30度超えを体験できるかもしれませんねぇ・・・。

台湾のテレビが映ってます。

2007年05月03日 08時23分06秒 | うちなー日記(沖縄編)
先程午前3時過ぎに出先から帰って来て、テレビを点けたところ、民放のチャンネルである、8チャンネルや10チャンネルで、何やら漢字だらけの放送が流れているではないですか・・。ノイズが多いですが、よく見ると「台視」、「中視」のマークが・・。調べたら、これってそれぞれ「台湾電視公司」と「中国電視公司」の略だそうです。ちなみにこの場合の中国は台湾の正式名称である中華民国のことです。
放送内容は、日本の民放にそっくりですが、ニュース番組でアメリカの世界最大の豪華客船、「フリーダム・オブ・ザ・シーズ」の就航について報じる際の字幕が、「超級豪華郵輪海洋自由号首航」と書かれていたり、「スパイダーマン3」のCMのタイトルが「蜘蛛人3」と表現されていて、いかにも中国らしいです。
キリンビールのCMでは、「一番搾り」の文字が日本語のまま使われていましたし、北海道産の材料を使った「六角米焼」のCMがあったり、SMAPのメンバーがポカリスウェットのCMに出ていたり、桃太郎の曲のピンキーCMがあったりと、かなり日本に親しみのある国であることも伺えます。

昼間は沖縄テレビ(フジ系)と琉球放送(TBS系)が放送されているチャンネルで、台湾の放送が見られるとは、驚きです。恐らく今日はものすごく電波の状態が良いのでしょう。また明日も見られたら良いな・・。

地域柄、米軍放送が鮮明に映るので、よく見ているのですが、さらに台湾の放送まで入るとは、沖縄とアジアの近さを改めて実感しました。