うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

戦車日和3

2010年05月31日 02時29分14秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
ブログに戦車ばかり出てきて、暑苦しいとお思いの人もおられたことでしょう。
というわけで、その3では、戦車関連以外の東千歳駐屯地での出来事をご紹介します。


ふれあい広場。
戦車パレードや訓練展示は午前中に終わったので、午後はふれあい広場(平時はヘリポートの場所)での模擬店や遊具、音楽隊の演奏などで楽しみました。
模擬店のテントが軍用品のカーキ色のものなので、そこに人々が列を成す様子は、さながら難民キャンプのように見えたり、見えなかったり・・。


いや、やっぱり難民キャンプに見えますね・・。こういったイベントでの模擬店は、炊き出し訓練の一環でもあるのかも。


模擬店群の一角に、こんなコーナーが・・。的当て・・ですね。
先生、突っ込みどころが満載です!\(^o^)/
飲酒運転撲滅の意気込みだけはひしひしと伝わってきます。


突っ込みどころといえば、遊具の中にこのようなものがありました。
一昔前は、ミニSLと言われていた乗り物ですね。私も幼き日にはよく乗ったものです。
最近は、ミニSLにも電化・高速化の波がやってきたようです。
根本的な何かがおかしい気がしますが・・。


上の写真を撮った直後、車両故障により鉄橋上で立ち往生していました・・。


ふれあい広場には、自衛隊以外に、地元の名産品店も出店していました。その中で、目に付いたのがこちら。
圧力で米を膨らまして出来るポップコーンのようなお菓子、「どん」です。私の地元(奈良県)では「ポン菓子」と呼ばれていて、時折駅前などに売りにきていたのを買って食べたものです。最近は全国的に同好会が作られていて、こんな感じでイベントに出店しているようですね。「どん」という呼び名は初めて目にしたので、新鮮に感じました。


午後1時から音楽隊の演奏会が行われました。
私は首尾よく茣蓙の最前列に陣取り、すぐ近くで演奏を楽しめました。
ロッキーのテーマ、ゴセイジャーのOP、酒とバラの日々のテーマ、また君に恋してる、テキーラ、行進曲メドレーの6曲の演奏でした。総じて、自衛隊の音楽隊は演奏レベルが高いのですが、東千歳駐屯地の音楽隊は特に個人技に力を入れているようで、サックスやトランペット、フルートのソロ・パートを所々に入れていました。また、「また君に恋してる」では、坂本冬実そっくりの歌声で女性隊員の方が歌っていました。音楽隊の演奏でカラオケって、ちょっと珍しい気がします。

ちなみに、YouTubeで各地の駐屯地の音楽隊演奏が見られるのですが、今年の流行は「ハートキャッチプリキュア」のOPだそうです。自衛隊と最も縁遠そうな曲を、隊員が真面目に演奏している様子を見ていると、笑いがこみ上げてきます。東千歳駐屯地でもちょっと聞いてみたかったです。

Alright! Heart Catch Pretty Cure ハートキャッチプリキュアOP by 自衛隊音楽隊

参照URL
http://www.youtube.com/watch?v=UkGH_zDnlNw&feature=related
下志津駐屯地の音楽隊演奏だそうです。


和太鼓演奏。
音楽隊による演奏の後は、有志による和太鼓演奏が行われました。
東千歳駐屯地は機甲師団の拠点なので、戦車のエンジン音をイメージした曲、「鉄騎兵」を筆頭に、力強い演奏を披露していました。
この演奏の途中で、私は帰りのバスの集合時間になってしまったので、後ろ髪を引かれつつ、ふれあい広場を離れました。

駐屯地を離れて、ものの1時間ほどで札幌駅に帰着。時間はまだ午後3時過ぎで、札駅周辺は平和な日曜日の風景そのもの。つい先ほどまで戦車の砲音が轟く場所にいたのが嘘みたいでした。
沖縄でもそうでしたが、北海道も、基地や自然が都会のすぐ近くにあるので、非日常的体験がすぐ近くで味わえるのが面白いところですね。
今後も、非日常的な場所に、積極的に首を突っ込んでいきたいと思います。

戦車日和2

2010年05月31日 00時49分59秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
戦車パレード終了後、音楽隊によるドリル演奏を挟んで、訓練展示が行われました。
今日の訓練展示は、敵戦車部隊によって占拠された地域を、ヘリを含めた陸自の戦力で奪回するという内容でした。空砲でも戦車砲の音は半端なく、地を揺るがし耳をつんざく大音響が数百メートル離れた私達のところまで容赦なく伝わってきました。


偵察?のため降下する隊員。結構高さがあるので、命懸けですな。


敵戦車役の74式戦車の大砲が火を噴きます。音は90式戦車よりも74式戦車の方が迫力があった気がします。
-追記-
90式戦車は空砲の発射が出来ない仕様だそうで、主砲と同軸上に据え付けられた、74式車載7.62mm機関銃を代わりに撃っていたようです。道理で音が小さかったわけです。ちなみに、夏に行われる富士総合演習では実弾を用いるため、90式戦車の本来の発射音が聞けるそうです。(行って見たいですな・・)


対戦車ヘリやりゅう弾砲の援助を借りながら、味方戦車部隊は敵陣地の攻略を進めていきます。写真の下に見えているのは、91式戦車橋と言う、自走式の仮設橋です。


最終制圧のため、敵陣地へ近付く90式戦車。やばい、男心がくすぐられまくりだ・・。


敵戦車の攻撃に応戦する90式戦車。(確かに主砲の脇から火が出ていますね)

この後、ついに敵戦車の無力化に成功し、陣地を奪回しました。
これまでミリタリー雑誌で何度か訓練の様子を見たことはありましたが、やはり実際に見てみると、迫力が桁違いでした。

戦車日和

2010年05月30日 20時56分02秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
昼の記事にも書きましたが、今日は陸上自衛隊東千歳駐屯地へ、戦車パレードの観覧に行ってきました。
例年、この時期は雨が降ることが多いらしいのですが、この週末の北海道は高気圧の影響下で快晴となりました。そんなわけで、今日は絶好の戦車日和でした。

今日私が行った、陸上自衛隊東千歳駐屯地は、陸上自衛隊で最大の敷地面積を誇る巨大駐屯地です。その広さは590haで、北大札幌キャンパスや先日のモエレ沼公園の3倍強にもなります。近所に新千歳空港・航空自衛隊千歳基地がありますが、この駐屯地内にも滑走路が整備されており、戦車パレードはそこで行われました。
また、東千歳駐屯地は面積で陸自一なだけではなく、この駐屯地を拠点とする第7師団は、陸自唯一の機甲師団(戦車主体の機械化師団)となっていて、日本最強の重戦車である90式戦車が多数配備されています。
この東千歳駐屯地が何故これほど重点的に整備されたかと言えば、ソ連時代の北方防御体制に起因します。ソビエト連邦が南侵してきた場合、太平洋側へ戦力を移動させる際に、冬季凍結するオホーツク海ルートを避け、石狩平野を通って小樽方面から苫小牧方面に陸上を通過するルートが想定されていたのです。東千歳駐屯地は、その想定ルートの通過を防ぐための役割を担っていたわけです。

ちょっとお硬い話が続いたのですが、そんな前置きは参考程度に置いておいて、この東千歳駐屯地では、毎年この時期に日本最大の観閲行進と訓練展示が開催されていて、マニア垂涎のイベントとなっています。
私は、趣味で読んでいる旅行パンフレットでこのイベントの情報を見つけ、1ヶ月ほど前に日帰りバスツアーへの参加を申し込んでいました。


札幌駅から観光バスに乗り、1時間強で駐屯地に着きました。上の写真は入口の様子です。地元住民の観覧も広く認められていて、自家用車が列を成していました。
沖縄にいた頃も、嘉手納基地や普天間基地のフェスティバルへ幾度か潜入しましたが、ゲート通過はやはりちょっとドキドキしますね。


広ーい基地内。
イベント会場近くの駐車場にバスは停まり、以降自由行動となりました。
下車してすぐに貰った、案内リーフレットに「戦車試乗会」の文字を見つけ、とりあえずそちらに向かいました。

試乗会って、てっきり停止している戦車に体験搭乗するのかと思ったのですが、実際は↓こんな感じでした。

戦車の後尾に仮設の座席を設置して、そこに5~7人程度の試乗者を乗せて走る(約1分)のです。何より驚いたのは、試乗する戦車が90式戦車であったことで、まさか世界でも屈指の性能を誇る戦車に乗れるとは思いませんでした。
今日の目玉イベントはもちろん戦車パレードですが、この戦車試乗会にも結構人気が集っているようで、50分ほど並んでようやく乗車することができました。(1人参加だったので、家族連れの人よりかはだいぶ早かったですが)


というわけで、90式戦車乗車中の様子。
兵器ですので、乗り心地という概念は存在しないらしく、もの凄い振動で全身の色々な筋肉のコリが治りそうでした。
車重50トン以上の90式戦車を走らせるため、エンジンは1500馬力もの強力仕様となっています。(74式戦車の2倍以上の馬力です)そのパワフルさを、今日の試乗で十分に体感できました。

戦車試乗を終えると、既に戦車パレードの開始時間が間近に迫っていました。
会場の第2滑走路へと急ぎましたが、如何せん広大な駐屯地なため、思ったより時間がかかってしまい、開始には間に合えませんでした。でも、第7師団の戦車連隊の行進には間に合ったようなので、まあ良しとしましょう。(来年以降も見に来るチャンスはあるわけだし・・)


観覧席は築堤上に設けられており、既に一般席は観覧客でいっぱいになっていたので、北端まで歩き、どうにか撮影ポジションを確保し、撮影を始めました。
おお、この装甲車の列、どこまで続いているんだ!?軍用車にはあまり詳しくないのですが、防衛省のHPの装備情報によれば、89式装甲戦闘車や73式装甲車、そして87式偵察警戒車の姿が確認できます。


87式自走高射機関砲の車列。ゴジラの映画に出てきそうな形状ですね。


90式戦車の車列。これまた凄い数がやって来ました。機甲師団の中核の車両です。


90式戦車をちょっと拡大。うーんマンダム、もとい実に厳ついですなぁ。

基地の中心でそばを食べる。

2010年05月30日 12時27分31秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は、日本最大の戦車パレードを見に、陸上自衛隊東千歳駐屯地に来ています。

午前中に、戦車試乗やパレード、ドリル演奏、訓練展示が行われました。中でもパレードは、重戦車や装甲車が計400両も参加する大規模なもので、凄まじい迫力を感じるとともに、日本の軍事大国としての一面を見せつけられました。
訓練展示も、74式戦車や90式戦車が多数参加し、戦車砲や迫撃砲のオンパレード、四方から聞こえる大音響と振動に、あらゆる感覚が麻痺してしまいました。

今は、昼ご飯の時間帯で、難民キャンプ、もとい出店の焼きそばを食しています。

モエレ沼公園遠征記4

2010年05月29日 23時21分44秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
プレイマウンテン山頂から秘密の発射台に向け、一気に駆け下りた私。
林の中に入ると、広場に巨大な穴がありました。ますますもって何か出てきそうですぞ。
手塚治虫の漫画に出てきた、地底都市に続く巨大な穴のような雰囲気です。


と思ったら、何か始まりましたよ。時間は午後6時30分、いよいよ秘密メカの打ち上げか!?


おお、ついに出てきた!・・と思ったら、なんだ噴水ですか。


しばらく眺めていたら、見る見るうちに噴水は高くなり、高さ25mほどにも達しました。
高い!


向かい風だったので、飛沫が容赦なくこちらに飛んできました。ご覧の通り、地面もびしょ濡れ。もう少し左にずれていたら悲惨な目に遭うところでした。
ちなみに写真の自転車は現愛車。サドルが破れてフレームが出ていることは気にしない・・。


噴水ショーは15分ほど続きました。近くにあった解説板によれば、「海の噴水」という名称だそうで、その名の通り、一日数回、海を表現した大規模な噴水ショーが展開されます。今回観たのは、15分間のミニショーでしたが、正式版では40分間も続くそうです。その際には、波も表現されるのだとか。これも今度また見てみたいですな。

さて、噴水を見終わりましたし、日も暮れそうなので、そろそろ帰路に就くことにしましょうかね。できれば残照がある内に近所まで帰っておきたいですから・・。


丘珠の地に沈む夕日。

この後、1時間で自宅に帰還しました。

休日に、公園を散策するのはなかなか良いものですね。
札幌は大都市だけあって、市内には他にも公園がいくつもありますし、また色々周ってみたいです。
(でも折り畳み自転車でのサイクリングはやっぱり疲れました・・)

モエレ沼公園遠征記3

2010年05月29日 22時07分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
というわけで、モエレ山の山頂から眺めて気になったNERV本部、もといガラスのピラミッド「HIDAMARI」にやってきました。


近くで見ても近未来的な建物です。南側からはピラミッド型に見えますが、結構複雑な形状の建築となっており、モエレ山やプレイマウンテンと同様に、見る方向によって表情を変えます。


中に入ってみました。
この施設はモエレ沼公園のレストスポットとなっており、案内所やイサム・ノグチ作品ギャラリー、売店、レストラン、カフェなどが入居しています。ただ、建物の大半は吹き抜けで、「HIDAMARI」という名称の通り、陽だまりの中で思い思いに寛げるようになっています。


2階のフロア中央には逆ピラミッド型の窪みがあり、宗教施設のような、不思議な雰囲気を醸し出しています。もしかしたら、下に聖杯が眠っているのかも・・。


4階テラスから見下ろした風景。複雑かつ豊かな空間デザインで、私の好みです。


館内の一角には、イサム・ノグチがデザインした照明が置かれていました。左から2番目のデザインが、もやしもんの菌に見えるのは私だけではないと信じたい・・。(2次元ネタ連発申し訳ない)

1時間ほどガラスのピラミッドに滞在した後、再び園内散策に出ました。


なんと、モエレ沼公園にはビーチもあります。といっても、水深40cmくらいの水溜りみたいなものですが・・。6月にオープンする旨が、今月の札幌市広報でも宣伝されていました。(実は、今回モエレ沼へ来たきっかけはこの広報記事でした)
現状ではどんな“海辺”が現れるのかちょっと想像がつかないので、また夏に見に来たいですね。


続いて、プレイマウンテンに登ってみました。北側から見ると階段ピラミッド型の山に見えますが、南側はご覧のようになだらかな斜面となっています。
イサム・ノグチの執念の山だけあって、なんとも絵になる景観です。


山頂には、小さな階段ピラミッドが設置されており、その頂上から園内が一望できます。


これが頂上からの展望(園内の北側半分)。公園の地形自体が“大地の彫刻”を形成していることが分かります。なんとも規模がデカい話です。


山頂から南側を眺めると、円形の林が目につきました。
奥には例のNERV本部、これは秘密メカの発射台に違いない・・!と思い、お次はあそこに行って見ることにしました。

その4に続く。




モエレ沼公園遠征記2

2010年05月29日 19時52分47秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
モエレ沼公園に着いた私は、まずモエレ山に登りました。



こちらがモエレ山。公園のシンボルの人工山です。冬場は斜面でスノースポーツも行えます。1枚目の写真は北側、2枚目の写真は東側から見た山容ですが、見る方向によって古墳ぽくも見えます。
公園内が広いので、写真では大きさが分かりにくいのですが、実は高さが62mもあり、札幌市内各地の展望台からもよく見えます。


札幌テレビ塔からも、

大倉山ジャンプ競技場からも見えます。ちなみに、撮影した当時はこの山の正体を知らず、除雪車の雪捨て場かと思っていました。


このモエレ山は、3方向5つの登山ルートが整備されているのですが、今回は北側の階段から登ってみました。山頂まで階段が延々と続いている様子は、中国の秦始皇帝陵を彷彿とさせます。山頂までの段数はちょうど240段、さすがに息が切れるので、途中で休憩しながら、5分くらいで登りきりました。


山頂から今来た道を見下ろすと・・、なかなかの恐怖感。


山頂は直径20mほどの円形になっています。このとき、山頂ではとんでもない強風が吹き荒れていました。周囲数キロに渡って遮る物はありませんから、もろに風が吹き付けるようで、体が飛ばされそうな感覚を何度も味わいました。


残念ながら遠望は霞んであまりよく見えませんでした。写真は札幌駅から大通のあたりのビル群です。右に札幌駅タワー、左にテレビ塔が薄っすらと写っています。


反対方向には、公園内の景観が広がっていました。幾何学模様の通路が美しいですね。
中央の山は、プレイマウンテンと呼ばれる、園内もう一つの人工山です。イサム・ノグチは1930年代に既にこのプレイマウンテンの構想を描いていたそうですが、半世紀後にようやく実現したわけです。ただイサム・ノグチはこの公園のマスタープランを作成した直後の1988年に亡くなっており、完成した姿を見ることはできませんでした。


山頂から西側を眺めていたら、どこかで見たような建物が見えました。
ん?これは、エヴァンゲリオンに出てくるNERVの本部ではないですか!芦ノ湖畔の地下にあると思っていたら、なんと札幌市内にあったんですね。
次はこの施設に行ってみましょう。

-その3に続く-

月明かり落ちてくる夜は・・

2010年05月29日 02時20分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
先ほど、そろそろ寝ようと思い、部屋の電気を消したら、窓の外がやけに明るいことに気付きました。




我が部屋の窓は、寒冷地仕様の二重窓で、内窓がすりガラスになっているので、カーテンは付けていません。その窓を通して、外から光が漏れてきていたのです。
最近近所に建ったマンションの灯りかと思って窓を開けてみたら・・・、


あらまあ、エラく明るいお月様が出ていました。どうやら今日は満月で、天気も良いのでLEDライトばりに月が輝いているようです。


せっかくなので、望遠レンズで拡大してみました。
おお、クレーターまでよく見える。(レンズの解像感がいまいちですが・・)

寝る前のひととき、思わず観月ができてちょっと得した気分です。
良い夢が見れますように・・。

残照

2010年05月28日 20時18分01秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
理学部高層棟から見た、札幌西方の残照。
午後7時を過ぎても、空がとても明るくて驚きました。
4月の初めは、まだまだ冬のように早く日が沈んでいたように思うのですが、今ではかなり遅い時間まで日が出ています。
気付けば、もうすぐ夏至なんですね。
北海道では、この時期、午前3時過ぎには空が明るくなります。私の就寝時刻がちょうどそのくらいなので、いつも窓の外がほの明るくなっているのを見ながら寝床につきます。

以前、札幌と奈良と那覇の日の出・日の入り時刻を比べたことがあったので、以下に記します。

札幌
6.21(夏至) 3:55-19:18 日の出ている時間15時間23分
12.21(冬至) 7:03-16:03 9時間00分

奈良
6.21 4:44-19:13 14時間29分
12.21 7:00-16:50 9時間50分

那覇
6.21 5:38-19:25 13時間47分 
12.21 7:12-17:42 10時間30分
 (左が日の出で右が日の入りの時間)

これを見ると、実は夏至に最も日の出ている時間が長いのは、札幌なのです。なんと夜の時間は9時間もありません。トワイライトのことを考えると、実際にはさらに昼間が長く感じることでしょう。
しかも、日没時間が意外に那覇と変わらなくて驚きました。
この結果を指して教授曰く、「軽く白夜だね」と一言。うん、納得です・・。

モエレ沼公園遠征記

2010年05月25日 23時00分13秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
この前の日曜日、モエレ沼公園へサイクリングしてきました。

萌えれ・・、失礼、モエレ沼公園は、札幌市の北東の郊外にある治水公園です。モエレ沼は昭和末期から平成初期にかけてゴミ処理場として使われた場所で、10年間で270万トンものゴミが廃棄されました。1990年の処理場閉鎖後、跡地を大規模な公園(広さ189ha)として整備したのが、モエレ沼公園です。東京の夢の島みたいなものですね。
しかしこのモエレ沼公園、単なる処理場跡地と侮るなかれ、公園のマスタープランはかの彫刻家イサム・ノグチの手によるもので、巨大な公園の中には特徴的な形の施設が点在し、山あり谷ありで、全体で一つの芸術的景観を形成しているのです。2002年度のグッドデザイン大賞を受賞しており、今では札幌有数の観光名所となっています。
私の家からは10キロほど離れているので、これまでなかなか行く機会がなかったのですが、この週末は天気も良かったので、ちょっと自転車で出掛けてきました。

日曜日の午後2時半に自宅を出発。

東西幹線の北15条通りを東へひた走り、東19丁目交差点で左折、あとは苗穂丘珠通りを真っ直ぐ走れば、モエレ沼公園へと至ります。約10キロ、途中は信号が結構多いので、自転車で1時間強ほどの道のりでした。


苗穂丘珠通りの沿線には、丘珠空港があります。周辺は緑地公園になっており、飛行機の利発着の様子が間近で見られるようになっています。空港のすぐ南側は市街地が迫っているのですが、北側はご覧のように、広々とした風景が広がっています。休憩にちょっと立ち寄ってみました。


緑地内には小高い丘があり、そこからは空港内がよく見渡せました。全日空と北海道エアシステム(以下HAC)の飛行機が駐機場で羽を休めていました。現在丘珠空港にはこの2社が旅客便を運航しており、他に自衛隊や事業用飛行機などが空港施設を利用しています。しかし、全日空は新千歳に旅客便を統合するため、6月いっぱいでの丘珠撤退が決まっており、HACも、経営再建中の日本航空の傘下企業であるため存続は微妙なところで、丘珠空港から旅客運用が無くなってしまう可能性が囁かれています。丘珠は道内各地から道都への空の玄関として親しまれた空港ですから、ちょっと寂しい話です。


しばらく様子を眺めていると、HACのサーブ340Bが離陸していきました。時間的に、2877便函館行きのようです。この日は風が強く、離陸滑走もほどほどに、あっという間に飛び立ちました。


その後、丘珠空港緑地を出発して10分程度で、モエレ沼の近くまで来ました。
「燃えれ」って・・。考えることは皆一緒ですね。残念ながら、この店はお潰れになっていました・・。


自宅を出発して約2時間(吉野家で牛丼食べたり、丘珠空港に寄ったりしたので)、ついにモエレ沼公園北口に到着しました。
写真は、モエレ沼に架かる橋です。モエレ沼は、三日月湖になっており、その内側に公園が広がっているのです。
長くなるので、この辺で一旦区切ります。

週間報告 もとすけ 100517-22 No.001

2010年05月22日 23時50分51秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今回は、研究室の週報書式に倣って、今週一週間の私の様子を報告します。

<今週の流れ>
今週は、月曜に雑誌会での発表を行い、火曜日以降酵母Pichia pastoris高密度培養によるタンパク質大量発現、並びに回収物の精製作業を行いました。(通常の週報では「った」や「・・だ」で書きますが、ブログではいつもの「ですます調」で書くことにします)

5月17日(月曜日)
午後6時より、雑誌会が行われました。この雑誌会とは、研究室全員参加の論文購読会で、1回当たり2名程度が発表者となり、1時間から1時間半程度で任意の論文を紹介するという内容のものです。今回は、Oさん(前半1時間)と私(後半1時間)が発表を担当しました。


↑今回発表した論文。メソッドの下りの文字が半端なく細かく、翻訳に心が折れそうになりました・・。

先週末から泊り込みで発表準備を進めて論文の内容把握は出来たものの、発表資料の作成に手間取り、月曜日夕方時点でもまだ資料は未完成でした。実は、図表の解説や論文末尾のディスカッションのスライドが夕方5時時点で半分程度しか出来ておらず、到底発表に間に合いそうになかったため、発表の延期を本気で考えました。しかし、教授の「まあとにかくやってみいや」という諭しもあり、諦めずに編集を続けた結果、午後6時40分頃にスライド資料がなんとか完成しました。人数分(約30人)のレジュメ(スライド資料の印刷版)印刷に20分ほどかかり、7時過ぎに準備が完了、すぐさま発表会場の教室へと向かいました。
部屋に入ると、ちょうどOさんの発表の終盤で、最後の質疑応答が行われていましたが、数分程度で質疑応答も終了し、私の発表の番となりました。資料完成から時間が無く、全体を通した発表練習などはしませんでしたが、ここで泣き言を言う訳にもいかないので、気合を入れ直して教壇に登りました。
私が今回発表した論文は、広く溶菌タンパク質として知られるリゾチームの、ある不思議な活性に関する内容でした。図は全部で8つ。ただし、この論文では複数の異なる実験結果を纏めて一つの図としているため、並みの論文よりも読解には苦労しました。
さて、いざ発表を始めてみると、予想外に滑らかに発表を進めることができました。先日の研究報告会の発表開始直後はかなり詰まり気味でしたが、今回は比較的スムーズに研究背景や実験手法を説明できました。また、図表の説明も、つい先ほどまで編集していたからか、要点をかいつまんで的確に進められました。発表後の質疑応答も満足できる出来でしたし、終わってみると、準備不足が嘘のように、成功裏に雑誌会の発表をこなすことができていました。
終了後、「諦めないで本当に良かった・・」と思いました。もしも、発表延期などしていたら、今後1週間悶々とした日々を送るだけではなく、教授陣の信頼を大きく損なってしまうところでした。発表がうまくいったことで、なんとか面目を保つことができたわけです。
今回の勝因は、発表の際に余計な緊張をせずに済んだことだと思います。準備不足であることは分かっているわけですから、駄目で元々と、過去の発表をあまり意識せずに発表に臨んだことで、口元に変な力が掛からなかったのでしょう。
今後は、準備はもう少し早目に取り掛かるべきではありますが、人前で肩の力を抜いて発表できるようにトレーニングしていこうと思います。

5月18(火)~21日(金)
目的タンパク質の発現遺伝子を組み込んだ酵母の高密度培養による、タンパク質大量発現作業を行いました。この作業は3人のチームで行っており、私以外の2人の手によって、前々培養などの作業が先週金曜日から始まっていましたが、私は雑誌会明けの火曜日から合流したわけです。月曜日に培養槽への植菌が行われており、火曜日以降は溶存酸素濃度を観察しながら、栄養入りの培養液を徐々に添加していき、培養を進めました。20日(木曜日)に培養槽内の溶液を回収し、タンパク質の精製作業に入りました。作業に使うpH緩衝液の調製から遠心やカラム処理を用いた精製、そしてタンパク質の溶出確認などを一通り自分の手で行ってみましたが、なかなかに大変な作業でした。大量発現させているので、かなり多量の溶液(15L)を一度に処理しなければならなかったからです。
連日日付が変わるまで研究室に残って作業し、なんとか週末までで精製は一段落しました。
私の研究では、このタンパク質の変異体をさらに複数作る必要があるので、この手間のかかる作業をあと数回は行うことになります。気が遠くなりますが、しっかりやらねば・・。

5月22日(土曜日)
今日のことです。
今日は、我が研究室のジンギスカンパーティー(以下、ジンパ)がありました。正午開始予定でしたが、準備を手伝うため、11時半には研究室に登校しました。ジンパ会場(理学部南側の杜)に行ってみると、ちょうど男性陣が火起こし作業を行っているところだったので、私も手伝いました。団扇で一生懸命炭火を扇ぐこと30分、コンロや七輪の火がようやく安定して、ジンパの準備が整いました。(ちなみに、ジンパセットは生協からの貸し出しです)
少し予定から遅れた正午過ぎに研究室関係者全員が集合し、ジンパ開始。久々の野外でのバーベキュー(去年の9月の沖縄でのビーチパーティー以来)に舌鼓を打ちつつ、これまでに無く学生や先生方と喋り尽くしました。また、久々に三線も日の目を浴びて(二つの意味で)、弾き語りもしました。北大の構内に三線の音色が響く様子は、非常にミスマッチでしたが、感慨深くもありました。


七輪でのジンギスカン。今回は七輪4つとバーベキューコンロ2つを使った大パーティーでした。


ジンパ会場脇にあったしだれ桜。背後の理学部本館と共に、どれくらい昔からここに立っているのでしょうか。

結局、ジンパが終わったのは午後4時過ぎ。梅酒(泡盛割)と缶チューハイですっかり酔っ払ってしまい、後片付けが終わってすぐに寝込んでしまいました。飲みすぎた・・。でも、今日は良いコミュニケーションが出来たので、後悔はありません。
配属から半年経って、ようやく打ち解けた実感が沸いてきました。

<特記事項>
・18日には遺伝子組換え実験従事者講習会、19日には液体窒素取り扱い講習会が行われ、参加しました。コンピュータ上のドライな実験だと、命に関るようなことは滅多にありませんが、ウェットな実験だと命にすぐさま関るような事柄に多々出くわします。こういった講習会に参加していると、「ああ、ウェットな実験をしているんだなぁ・・」と改めて実感が沸いてきます。

液体窒素講習会の終了証。なんか格好良いです。

・先週月曜日に申請した、件のSTA(スーパーティーチングアシスタント)プログラムの採用者が21日に発表され、なんと私も採用されていました!申請するか否かで結構悩みましたが、結果的には申請して大正解でした。勧めていただいたA先生には本当に感謝です。今後は、その名に恥じないように、積極的に活動に参加していくつもりです。

<今後の計画>
研究報告会、雑誌会が終わったので、今後はしばらく実験に集中できると思います。これから夏までを一つの区切りとして、研究の一層の進展を図りたいと思います。
いつのまにやら5月も末となり、札幌も日に日に緑が増えてきました。周りに聞くところでは、これからが一番良い季節だそうなので、研究以外でも、積極的に北海道の自然を満喫したいなぁ・・と思います。(お金の掛からない範囲で)

最近の北大構内。桜がほとんど散り、一気に夏らしくなってきました。

というわけで、以上、今週の報告でした。

大通公園のとうきび

2010年05月16日 16時51分44秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今、大通公園でのんびり過ごしています。

実は、冬場以外に大通公園に来るのは今日が初めてです。
ここは西3丁目、雪まつりのときには高さ25メートルの仮設ジャンプ台が設置されていましたが、今は青々とした芝生の広場となっています。噴水も4月末から復活し、公園らしい風景の中、茣蓙を広げてお茶したり、寝転がって本を読んだりして、みな思い思いに休日を堪能しているようです。


広場の脇には、大通公園名物のとうきび屋台が出ています。そういえば札幌に来てからまだ屋台のとうきびを食べてなかったことを思い出し、一つ買ってみました。


ハーフとうきびとじゃがバターのセットで、お値段300円也。意外とお手頃ですね。とうきびは焼きと茹でを選べます。ちなみに、何故か「とうもろこしセット」という名前で売られておりました。(観光ガイドブックでは、あれほど「とうきび」で押してるのに・・)

香ばしい薫りとほど良い甘味、さすがは名物だけあるな・・と噛み締めながらいただきました。
休日万歳!

(明日は雑誌会・・)



こちらは西に2ブロック離れた、西5丁目。人通りが比較的少なく、今は曲芸競技用自転車やストリートダンスの練習場所となっているようですが、3ヶ月前にはここに氷の宮殿が建っていました。


というわけで、3ヶ月前、さっぽろ雪まつり2日目のこの場所の様子です。ハワイのイオラニ宮殿を象った氷像が建っていますが、猛吹雪で視界が悪くなっています。時間は午後3時ちょうど。雪のせいもありますが、既にかなり薄暗いです。今日の写真は午後5時に撮影したものですから、ずいぶんと日が長くなったことが実感できます。


同じ日の夜の様子。このときには吹雪も治まり、背景のビルも見えるようになっていました。今日の写真と同じビル達がちゃんと写り込んでいますね。


大通公園から大学へ向かう途中に、北海道庁に立ち寄りました。ここも久しぶりに来ましたが、ちょうど桜が咲いており、赤レンガの旧庁舎と良い組み合わせの風景が眺められました。


手稲の河桜

2010年05月15日 21時22分07秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日は昼間に手稲区の方までサイクリングしてきたのですが、途中で綺麗な桜の風景を見つけました。

手稲区の稲積公園近くを流れる、中の川の堤防の河桜並木です。
本数は少ないですが、背景に雪を頂いた手稲山が聳えていて、春らしい風景となっております。
あいにくデジタル一眼を持参してなかったので、ケータイで撮ったのですが、明るさをMAXにして撮ってしまったため、手稲山が白飛びしてしまっているのが残念・・。


近くに寄ってからもう一枚・・。

久々に長い距離を自転車で走りましたが、こういう風景に出会えるのもサイクリングの魅力ですね。

最近の私

2010年05月13日 23時21分07秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
なんだか最近、研究室の教授陣が優しいです。

実は、4月末の研究報告会終了以降、まだまだ今の研究室に馴染めていないことや、先の見通せない不安感から、ちょっと気分が落ち込み気味でした。
ゴールデンウイークの道南ドライブは、その憂さ晴らしが主目的で、実際、お蔭でかなり気分は楽になりました。

そんな中、先週末にA准教授(直接研究の指導を賜っている)から、学内支援プログラムの一つである「STA(スーパーティーチングアシスタント)」プログラムに参加しないかとの打診を受けました。なにかやたら格好良いプログラム名ですが、ようは博士課程進学を希望する院生の総合的研究能力向上のため、より積極的なTA活動に従事させるという内容のものです。経済支援も兼ねており、採用された学生には半年間当たり30万円の給与が支給されます。私は当初から博士課程進学希望ですし、慢性金欠なので、まさに渡りに船なプログラムではあります。
しかし、そもそも私はウェットな実験についてはまだ修行し始めたばかりですし、通常のTAとしての活動も未経験です。ましてや「スーパー」が頭に付くような仕事はできるはずがないと、申請書類だけは受け取りましたが、断るつもりで考えていました。

今週の月曜日がSTAの申請締切日でした。申請書類には現在の研究内容や意気込みなどを記入する項目がありましたが、まだ月曜の午前の時点で白紙・・。昼休みに、A先生から申請の意思を確認されましたが、「今回は見送りたいと思います・・。」と答えました。すると、その直後、A先生に准教授室へと呼び出されたのです。
「博士を目指す者として、もっと積極的になるべき!」と怒られるかと思い、内心びくびくして部屋に入ったのですが、その後予想外の展開になりました。この半年間の私の研究姿勢を褒められたのです。要約すれば、「研究開始前は、君がウェットな実験をどれくらいできるかは未知数だったけれども、この半年間できちんと実験を進展させてくれて、実験の技能は着実に身についていることが分かったし、先日の研究報告会の発表内容も良かったと思う。博士課程への進学も、出来る限り応援したいと思っている。」というお言葉でした。A先生は、私がこれまで出会った研究者の中でもかなりパワフルな一人で、年間10件もの論文を投稿するほどの優秀な方です。正直、そのA先生に研究の事でこれだけ褒められるとは思っていなかったので、これにはかなり元気付けられました。
もちろんその上で、「ただし、やはり研究者として独立してやっていくには、積極的なスキル向上も必要だよ」とも諭されましたけどね。

生来、人から褒められることを生き甲斐にしてきた私にとって、この一幕は本当に勇気付けられる出来事でした。あれほど後ろ向きだったSTAの申請も、俄然やる気になり、すぐに申請書類を書き上げて提出したほどです。(採用されるかどうかは分かりませんが、出さないで後悔するよりかはマシですものね)
「認められている」ということがこれほど嬉しく感じたのは、やはり最近自信を失っていたことの裏返しだと思います。

それにしても、我が研究室の教授陣は皆お優しい。
学部時代の伸び伸びした研究生活とは打って変わって、北大では結構厳しい研究生活を送っていますが、その中で教授陣の存在は心の支えになっています。これまでにも、要所要所で先生方に相談に乗っていただきましたし、きっと今後もそういう機会が多々あるでしょう。
将来、ちゃんと一端の研究者になって、恩を返したいと思います。

そもそも思い返してみれば、北大に来た第一の理由は、今の研究室のK教授が書かれた構造生物学の教科書を学部の卒業研究中に読んで、できればこの著者の下で蛋白質科学の研究を本格的にしてみたいと思ったからでした。今、その願いは実現し、こうやって毎日忙しくしているわけです。改めて考えると、これって実に幸せなことなんですよね。

今は、来週の雑誌会で発表する論文を読んでいます。私の今後の研究と深く関る内容なので、一言漏らさず読解するため、奮闘を続けています。正直文字数が多くて大変ですが、今の私なら何となくイケる気がしてしまうから不思議です。このまま、やる気をキープして発表に臨みたいと思います。