今日は皆既月食でした。
欠けていくお月さまを
見ていたら、あ~私たちは
刻々を生きているんだ
留まっているものはないん
だな~と、思いました。
諸行無常なんだなと…
森羅万象すべてが、変化し
続けているんだなと、
月食の月を見て思いました。
最近、思いは現実化する
ということを耳にします。
山川紘矢さんが「世界中の
人が、平和を想えば平和に
なるんですよ」と、言われて
ました。
ダライ・ラマも平和は
ひとり一人の心の平安から
と、言われてました。
何を思い描くかが大事
なんだ~
明るく愉快に家庭生活を
送っていると
まわりの人たちにも
楽しさが伝染します。
世界中の人々がみんな
仲よく平和に暮らす
それは小さな家族の和
から始まっているのです。
佐藤 初女
昨日の夜、突然スマホの
電源が入らなくなり
いくら充電しても開けなく
なってしまいました。
今や連絡はスマホの時代
スマホが使えなくなると
ポツンととり残された感じさえ
しました。
と、同時にこんなにもスマホに
依存している生活になって
いたのかと驚きました。
スマホは無事復活しましたが
スマホが使えなくなると、
連絡手段がなくなってしまう
現実にショックを受けました。
地に足がついた生活は、
こんなことでは無い筈…
若い人たちは、リアル友達と
ネット上の友達がいるそうで
ネット上の友達の方が、
本当のことを言えると言って
ました。
子育ても、相談するとAIが
答えてくれるアプリがある
そうです。
公園デビューママ友という
言葉も死語になっているかも
しれません。
小さい子がおもちゃ代わりに
スマホで遊んでる姿を、電車の
中でも良く見かけます。
気がつかないうちに、私たちは
便利さを求めて大変な世界を
つくってしまったのかも…
初女さんは、体験ほど確かな
ものはないと、よく言って
ました。
私たちは、実体験ではなく
バーチャルで体験した気に
なっています。
東日本大震災の後、初女さんの
講演会には若い人が大勢
来るようになりました。
それは、地に足がついた
初女さんの生き方を学びたい
という思いからだったように
思います。
私たちは、どこへ向かって
進もうとしているのでしょうか
ことばだけ考えているうちは
本物ではないんですね。
とかくことばを主にすると
行いはあとまわしになって
しまいがちです。
気づきがあったら動きます。
あなたのそばの大事な人に
伝えてください。
心の奥にはことばを超えた
いのちの筋があります。
ことばを越えなければね。
佐藤 初女
昨日と打って変わって
今日は晴れやかな気持ちでした
昨日のブログに書きましたが、
「初女さん、どうしたら
いい?」」と聞いたら
ぴったりの言葉が示されました
「区切りや見切りをつけるの
でなく、すべて呑み込みながら、
もう一歩開いていきたいと
思います。」
凄い言葉です。
初女さんの体験から生まれた
言葉だと思います。
私も、自分を全否定される
くらい言われなかったら
この言葉が響かなかったかも
しれません。
”全てを呑み込みながら
もう一歩開く”
あのことは、これを体験する為
だったんだと思ったら
起こること全て必然なんだと
と思えました。
初女さんは凄いです!
「初女さん、どうしたら
いいの?」と、問いかえれば
ぴったりの答えが返って
来るのですから…
初女さんは、宇宙の母に
なられたから、誰が
問うてもきっと答えが
返ってくると思います。
そうですよね!初女さん!
初女さんありがとう!
天国は、はるか彼方に
あるのでなく
今ここに始まっているように
思えてなりません。
私にとっては、
苦しみがあっても、
”今 ここ”が天国です。
佐藤 初女
昨日は、10分ぐらいの間に
私自身を全否定されるような
ことを言われてしまいました。
相手は、私のことを思って
言ってくれているのだと
思います。
でも、受けたショックはかなり
大きくて、朝の坐りの後で
祭壇に向かったら、涙が溢れて
しまいました。
「イスキアに行きたい」と
呟いている自分がいました。
初女さん私どうしたらいいの?
と、言って初女さんの本を
開いたら『すべてを呑み込み
ながら、もう一歩開いて
いきたいと思います。』
と、書いてありました。
これが初女さんからの
メッセージだなと思いました。
ああででないかこうでないかと
いろいろ勘ぐったりすると
物ごとがややこしくなって
しまいます。
複雑に考えないで、とにかく
手を動かすこと。
私は大好きな料理や裁縫を
するの。
それも普段できないような
手数のかかることをあえて
します。
手のことに夢中になって
いるうちにいつのまにか
もやもやが晴れて心穏やかに
なっています。
区切りや見切りを
つけるのでなく
すべてを呑み込みながら、
もう一歩開いていきたいと
思います。
佐藤 初女
初女さんが亡くなって
森のイスキアに行った時
お湯の入ってないお風呂を
見た時、物凄く悲しく
なりました。
イスキアには温泉がひかれて
いて、行くと初女さんが
お風呂に入ってと必ず声を
かけてくれたので…
空っぽの寒々しいお風呂を
見た時、涙が止まらなく
なりました。
そのことをランディさんに
話したら、ランディさんも
「あれは悲しかった~」と
言ってました。
初女さんは私の中で生きて
いるけれど、イスキアの
お風呂に入りたい、初女さんの
黒豆ご飯が食べたいと思うと
初女さんのいない現実が
突き付けられて、急に悲しく
なります。
でも、初女さんのおむすびを
結ぶと、初女さんと一体になる
そんな気持ちになります。
宇宙の母となった初女さんは
いつも見守っていてくれる
あの圧倒的な母性で…
初女さん、ありがとう
天国は、はるか彼方に
あるものではなく
今ここに始まっているように
思えてなりません。
私にとっては、
苦しみがあっても、
”今、ここ”が天国です。
佐藤 初女