【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

朝日歌壇 戦争を詠む PART8

2022-09-02 | 日記
朝日新聞朝刊 朝日歌壇 2022年8月分  
<永田和宏選>
「終戦はどちらでしたか」親父(おやじ)らが普通に言ってた昭和の八月(大和郡山市)四方  護
「次はウクライナ情勢です」天気予報のごとラジオが告げる(倉敷市)三村 直子
網膜に何を焼き付け逝くのだろうウクライナ兵もロシアの兵も(つくば市)小林 浦波
   ★ウクライナを注視し続けたい。

「南方で死んでんあの子」祖母言ひきその「南方」の何処かを知らず(神戸市)松本 淳一
キャンパスに沖縄の友ひとりゐて留学生と呼ばれし時代(とき)あり(徳島市)上田由美子
あれほどの火傷なりせば欲(ほ)りし水あげてもよかったといま医師は言う(アメリカ)大竹幾久子
  ★八月、今年も戦争の歌が多かった。
松本さん、子の死んだ場所さえ特定できぬ不条理が戦争。
上田さん、最大の被害を被った沖縄の不条理は本土復帰の後も今に。
大竹さんは原爆の悲惨を。

<佐佐木幸綱選>
ウクライナ画面の端に鳩ほどの鳥が現われ瓦礫に挑む(横浜市)吉川米子
七十歳でウクライナ去り来日す胸痛みつつ日本語授業す(坂東市)内田ちひろ
最新の兵器を称えコメンテイター武器を捨てよと誰も言わざり(宮城県)中松 伴子

<高野公彦選>
生活費の赤字が続き穏やかな妻がプーチンの蛮行を詰(なじ)る(いわき市)守岡和之
目的ができたと白寿の祖母の言うプーチンの死を見るまで生きると(神戸市)米谷茂
   ★共にプーチンは困った人だ、という怒り。
逃げもせず声上げもせず銃撃の現場スマホに撮りいる人々(観音寺市)篠原俊則
地に戦終わらず墓標また墓標悲しみだけを足してゆく夏(福島市)美原凍子
ゼレンスキー氏がユニクロのCMに出るようなそんな日が早く来てほしい(前橋市)西村晃

<馬場あき子選>
この塩はもと沖縄の海だつた胡瓜を揉めば涙の味す(羽咋市)北野みや子
マリトッツォ作る手立ても銃作る手立ても検索できる「便利さ」(観音寺市)篠原俊則
「抑留」を訊けど多くを語らずに父は白寿を生きて逝きたり(南丹市)中川文和
五歳にて空襲により気絶せしわれただ祈る戦争の終結(入間市)有賀政夫
  ★空襲時の幼子の衝撃の深さに驚く。
七十歳でウクライナ去り来日す胸痛みつつ日本語授業す(坂東市)内田ちひろ
  ★第二首は来日のウクライナ難民に日本語を教えている。七十歳の年齢が心を打つ。
父遥か父の日遥か二眼レフもちて被爆地に佇(た)つ父の陽炎(東京都)鈴木 淑枝
  ★父は被爆地に佇つ幻。今も見つめ合う。
かさぶたに代はりて樹皮は傷口を厚く覆へり被爆のアオギリ(神戸市)鈴木みゑ子

 若い世代が詠む「ウクライナ」 今野寿美「うたをよむ」こちら:朝日新聞デジタル (asahi.com)朝日新聞朝刊2022-8-07

 浮浪児に ならへんだけでも ましやった
 (岩川貞夫〈さだじい〉)
     ◇
 共同通信記者の岩川洋成(ひろしげ)の父親は1932年生まれ。母を3歳で、復員後間もない父を18歳で亡くした。戦中は「欠食児童」といわれ、戦後は誰が浮浪児になってもおかしくない酷(ひど)い食糧難を経験した。子供らの戦争は戦争が終わってから始まったといわれるが、その戦争に、今日も多くの子供が巻き込まれている。父親の語りを基にした洋成の『さだじいの戦争かるた』から。折々のことば:2475 鷲田清一 2022年8月22日 朝日新聞朝刊
時代を映す、あの言葉たち
「学童疎開」⇒こちら
「教育勅語」⇒こちら
「空襲警報」⇒こちら
「赤紙」⇒こちら
「奉安殿」⇒こちら
「焼夷弾」⇒こちら……
戦中・戦後の日常用語を44枚の〈かるた〉で紹介。 戦時下に少年時代を過ごした、さだじいの語りとともに、親しみやすいイラストと平易な解説で当時の暮らしを語り継ぐ。

山添親子こちら
アゲハチョウのよう虫が鳥に食べられたむしゃむしゃ太郎とよんでいたのに(奈良市)山添 聡介
一学きのお楽しみ会 教室に大きなピタゴラスイッチ作る(奈良市)山添 聡介
編集者さんに初めて会いました一緒に「ひみつきち」に入った(奈良市)山添 葵
16の倍数になるページ数自分の本棚確かめにいく(奈良市)山添 葵
 ★本の頁数は16の倍数になっていると聞いて、さっそく。

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2 コメント

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「さだじい」はだれ!!おまえだけではない戦争体験(W2-85) (里山の風)
2022-09-03 18:27:55
「さだじい」は何者と思っていましたが。「さだじいの戦争かるた」(論創社発行1800円)の図書の作者 岩川洋成(いわかわ ひろしげ)さんの実父 岩川貞夫さんのことであった。貞夫さんは昭和7年1932年生まれで、その戦中・戦後の戦争体験を作者がいろはカルタの44枚にイラストと分かりやすい言葉でとりまとめた図書で、最近(8月12日)発刊された。この内容の一部を折々のことばで鷲田清一さんが投稿しているのである。鷲田さんのコメントは、私のとっては、起承転結がはっきりせず、いつもその文書を読むときはイライラするのである。
図書には教育勅語や焼夷弾などの勇ましい字句もあるが・・・(ひ)は広島・長崎の原爆は検閲で知らされず・・(そ)はソビエトに抑留されたおとうさん。など庶民の日常などの父親(さだじい)の体験物語をわかりやすく伝えているようです。
私事ですが、私の姉2人(故人)は「さだじい」より年上で、大阪の軍需工場で毎日、女子学生動員されていたが、食事だけは与えられたのでありがたく、助かったと言っていたのが印象に残っています。戦争を詠むPARTシリーズは今後も続くようです。
里山の風さん こんばんわ~~ (わんちゃん)
2022-09-05 18:41:30
わんちゃんの大先輩が
「戦時中、女学校の時、風船爆弾の糊付けをしたことがあったのよ」と、お話しされたこと思い出しました。

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