≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク
植田から菅井へ。美しい里をめぐる。河井寛次郎の足あと
精華町役場⇒釈迦の池⇒来迎寺⇒豊川稲荷⇒天王神社:菅井の井戸⇒畑の前公園遺跡の杜⇒稲植神社⇒蓮台寺⇒精華町役場
釈迦の池
植田地区の中にある池。
河井寛次郎が足しげく通った精華町一帯のなかでも、お気に入りの場所であったことが日誌からうかがえる。
河井寛次郎(1890-1966)について
陶芸家。大正9(1920)年、京都市五条坂に住居と窯を持ち独立。生涯にわたり作品を発表している。大正末期より「民藝運動」の中心メンバーとしても活躍。昭和19(1944)年7月発表の機関紙「民藝」の中で、精華町植田にある釈迦の池の美しさを紹介。また、著書の『火の誓い』では、菅井や新祝園駅まで歩いたことを書いている。
こうなると、河井寛次郎さんの記念館に行ってみたい気がしました。
鳥さんたちゴキゲンさん
マガモの番(つがい)がほっこり日向ぼっこ
潜ったり出たり
カワウ
傍の田んぼの畦道ではタネツケバナが
民家の塀の外にロウバイ(ソシンロウバイ)
思わずニッコリのわんちゃん。
植田区の中を歩いて来迎寺に移動です
来迎時
天平勝宝元年(749)行基が開いたと伝わる。
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家の近松門左衛門が書いた『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』で有名な、お千代と半兵衛の墓がある
主人公、お千代が、地元の植田村(作品では上田村)の大百姓、嶋田平右衛門の二女であったことから、墓石が置かれている。
お墓は3人一緒に一つにされてます。
通月融心信士:つうげつゆうしんしんし(半兵衛)
離身童子:りしんどうじ (五ヶ月の嬰児)
声応貞現信女:せいおうていげんしんにょ(お千代)
『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』のあらすじこちら
来迎寺の梵鐘
梵鐘は、女性的で響きも良いことから、お千代鐘といわれる。ちょうど近松門左衛門が活躍した江戸中期のもの。鐘楼は平成9年に新築。
梵鐘 - 貞享元年(1684)の銘がある。大晦日にこの鐘の響きを聞くと、借金取りも引き上げたという伝承がある。太平洋戦争中の金属類回収令によって一度回収されたが、材料として溶かされる事なく終戦を迎え、当地に戻された事から、延命鐘との別称がある。
寺にある大クスノキは幹回りが4.6m
精華大通りに出ました、菅井区を通り抜けて・・・
左向うの方に堀池川堤の桜並木が見えます、
田んぼや畑の中に赤い鳥居が見えました
豊川稲荷こちら
田園風景の中に奉納された赤い鳥居が立ち並ぶ光景は、鮮やかな色彩がひときわ目を引く。社殿の手前には、牛頭天王(ごずてんのう)神社御塚跡と彫られた石標がある。
鳥居の数を数えてみた二十基と一基
田んぼの中の道を西へ歩き菅井を抜けて踏み切り二ヶ所と府道を渡り天王神社へ
天王神社:菅井の井戸
阿
吽
本殿
菅井の井戸
昔、コンコンと清水が湧き、清々井戸と大切にされたが、時が経ち菅ノ井に名が転じたという説。もうひとつは、菅原道真が京都に上る道すがら、清ノ井の水を愛飲したので、菅ノ井になったとも言われる。
ちなみにそぉ~~っと竹で編んだ蓋をずらすと、鉄板の蓋がありました。
神社の裏手から薮を拓いた道を歩き精華大道りに出ました。
畑ノ前公園遺跡の杜こちら
弥生、古墳、奈良の3時代にわたる複合遺跡。弥生時代の竪穴式住居跡、古墳時代後期の横穴式石室をもつ円墳7基、奈良時代の23棟分の掘立柱建造物群などが見つかっている。
わんちゃん
精華町畑の前公園に居ました、今日撮った鳥です。
「そよ風のなかで」のマイフォト:鳥⇒こちらで「イソヒヨドリ:オス」に似てるような気がしますが、違うような気もします。教えてください。
そよかぜさんより
イソヒヨドリのオスにまちがいありません。
磯の岩場の鳥でしたが、最近はビルなどの凸凹した人工物を岩場にみたてて営巣場所にし、どんどん海から離れた場所にも進出しています。
わんちゃん
ありがとーございます。
畑の前公園から精華台1丁目の住宅街を抜けてすぐの
稲植神社
稲植神社は、南稲八妻・植田両地区を氏子として建立された神社で、御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
口伝承によると、元祇園(京都八坂神社の元)といわれるほど、古い歴史を持っています。
最初は、牛頭天王社(ごうづてんのうやしろ)として祀られ、のちに祇園社として祀られたという記録も残っており、記紀神話のなかでは特別に豊かな性格づけがなされています。
源平の戦いや応仁の乱などで焼失し、一時期衰微していましたが、再建され、両地区の氏神として祀られています。
なお、末社として、
八幡宮,天満宮、熊野宮、八王子社、
四ノ宮があります。
精華町HP稲植神社より。
南稲区で電信柱に注目
民家の庭に「冬の薔薇」
蓮台寺
裏山から向こうに精華町役場が・・・
文禄2年(1593)寺号を青蓮奄から蓮台寺に変えた伝わる。境内の薬師堂には町指定文化財の薬師如来立像が、本堂には四宮神社ゆかりの延命地蔵菩薩立像が安置されている。
寛次郎の日誌にも登場「ここで、弁当を食べた」とある。
蓮台寺の山門前階段下でフウセントウワタに出会いました。
フウセントウワタこちら
フウセントウワタ(風船唐綿) ガガイモ科
↑1月17日 1月25日↓
精華町役場北駐車場で解散でした
「ランチやけど、マンションの1階でカフェがあってみんなが噂してはんねん、いっぺん行ってみたい」っとMちゃんが言う「『ここらく』やね、行こ行こ」
Mちゃん、Uさん、わんちゃんと3人で同じメニュー「今週のランチ」いただきました。
『ここらく』でのサラダの出方
逆さまにサラダボウルに移します
ふかしたさつまいも、キュウリ、リンゴ、ヤマイモ、赤・黄パプリカ等々の賽の目といろいろな豆がトッピングになるという仕掛けです。
歩数計は16816歩カウントしてました。
各史跡の解説文は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットからの一部分引用させていただきました。
その日のコース地図
お寺は精華台小学校に向いています。
精華町には三体の役行者像があります。
桜が丘1丁目の公園墓地と嶽山の頂上、もう一体がこの精華台小学校の一角です。小学校の行者さんは まだよう見つけておりません。
奈良の都の圏内なんかナット思えば、京の都の空気も感じる、ホンマにエエトコやなぁ。