「わんちゃん、ミツバツツジが満開やったわ、キレイかった」っとの情報で新殿神社に行ってきました
御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
御神徳:無病息災 学業成就 雨乞
由緒
由緒不詳。当社は、木津川の支流山田川の北方で、相楽郡西部のなだらかな丘陵地の東端に位置し、古くから「山田の宮さん」と呼ばれ近隣の人々に親しまれている、旧山田村の産土神である。
遷宮(せんぐう)が応長元年(1311)に行われたことが分かっており、その頃は「植木神社」と称されていたと『山城誌』に記されている。本殿は二柱(ふたはしら:二神の意)を祀(まつ)れるように身舎の正面のみを二間とし、木鼻の渦絵様や、斗(と)きょうの高さ、垂木や桁の反り方など、鎌倉時代から室町時代にかけての建造で、簡素で正統的手法をふまえている。「天文16年(1547)11月13日…」の棟札が発見されている
舞殿の向こうに石段があり拝殿へと続く
割り拝殿となっており、石段を上り、本殿の手前で草鞋に履き替え参拝します。
舞殿
室町時代に建立された能舞台。金春流の能や狂言が奉納されている。当社では鎌倉時代から能の奉納が始まったと伝えられ、氏子も古くから「翁講」をつくり、能を舞っていたなど「翁」と深いかかわりを持ち、現在でも2年に1度、能舞「翁(おきな)」などが奉納される伝統行事が行われている。
五穀豊穣祈願能舞「翁」奉納
五穀豊穣(ほうじょう)や世の安泰を祈願し、能舞「翁(おきな)」などを奉納する2年に1度の伝統行事が4月に催される。当社では、鎌倉時代から能の奉納が始まったと伝えられ、氏子も古くから「翁講」をつくり、能を舞っていたなど「翁」と深いかかわりを持つ。
先の大戦以来、能の奉納は長らく途絶えていたが、平成9年(1997)に金春流能楽師の黒嵜章次宮司が隔年の開催として復活させ、伝統を守り続けている。
能舞「翁」では、黒嵜宮司の孫で金春流能楽師でもある同神社神職の黒嵜博文氏が翁の装束をまとい、面をかぶって舞う。伝統を引き継いだ華麗な舞い姿は、地元の方や観光客らも無料で見学することが出来る。
(日時など要確認TEL(0774)72-1853(8時~16時迄)
本殿
本殿は一間社流造(いっけんやしろながれづくり)で天文16年(1547)に大工藤原国次によって建てられたとの棟札が残されている。正面のみ二間に分かれ、向かって右側に素盞鳴命(すさのおのみこと)、左側に天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られています。室町時代、天文16(1547)年の建立です。
十三重石塔
シイやカシ等からなる豊かな鎮守の杜の中に、高さおよそ4メートル、国の重要文化財に指定されている十三重石塔がたたずむ。この建立は延徳3年(1491)と刻銘されており、建立の時期が明らかになっている塔は、極めて珍しい重要文化財の一つである。室町時代の延徳3年、百万遍念仏供養のために建てられた。
大正14(1925)年、現精華町域第一号の重要文化財に指定されました。
薬師堂
薬師如来坐像(薬師堂本尊):1躯
江戸時代の作。神社に隣接して建っていた医王寺という寺の本尊で、現在は薬師堂として残されています。堂内には他に弘法大師坐像、観音像(厨子入り)が安置されており、付近には鐘楼跡があります。
鐘楼跡
ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)ツツジ科
御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
御神徳:無病息災 学業成就 雨乞
由緒
由緒不詳。当社は、木津川の支流山田川の北方で、相楽郡西部のなだらかな丘陵地の東端に位置し、古くから「山田の宮さん」と呼ばれ近隣の人々に親しまれている、旧山田村の産土神である。
遷宮(せんぐう)が応長元年(1311)に行われたことが分かっており、その頃は「植木神社」と称されていたと『山城誌』に記されている。本殿は二柱(ふたはしら:二神の意)を祀(まつ)れるように身舎の正面のみを二間とし、木鼻の渦絵様や、斗(と)きょうの高さ、垂木や桁の反り方など、鎌倉時代から室町時代にかけての建造で、簡素で正統的手法をふまえている。「天文16年(1547)11月13日…」の棟札が発見されている
舞殿の向こうに石段があり拝殿へと続く
割り拝殿となっており、石段を上り、本殿の手前で草鞋に履き替え参拝します。
舞殿
室町時代に建立された能舞台。金春流の能や狂言が奉納されている。当社では鎌倉時代から能の奉納が始まったと伝えられ、氏子も古くから「翁講」をつくり、能を舞っていたなど「翁」と深いかかわりを持ち、現在でも2年に1度、能舞「翁(おきな)」などが奉納される伝統行事が行われている。
五穀豊穣祈願能舞「翁」奉納
五穀豊穣(ほうじょう)や世の安泰を祈願し、能舞「翁(おきな)」などを奉納する2年に1度の伝統行事が4月に催される。当社では、鎌倉時代から能の奉納が始まったと伝えられ、氏子も古くから「翁講」をつくり、能を舞っていたなど「翁」と深いかかわりを持つ。
先の大戦以来、能の奉納は長らく途絶えていたが、平成9年(1997)に金春流能楽師の黒嵜章次宮司が隔年の開催として復活させ、伝統を守り続けている。
能舞「翁」では、黒嵜宮司の孫で金春流能楽師でもある同神社神職の黒嵜博文氏が翁の装束をまとい、面をかぶって舞う。伝統を引き継いだ華麗な舞い姿は、地元の方や観光客らも無料で見学することが出来る。
(日時など要確認TEL(0774)72-1853(8時~16時迄)
本殿
本殿は一間社流造(いっけんやしろながれづくり)で天文16年(1547)に大工藤原国次によって建てられたとの棟札が残されている。正面のみ二間に分かれ、向かって右側に素盞鳴命(すさのおのみこと)、左側に天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られています。室町時代、天文16(1547)年の建立です。
十三重石塔
シイやカシ等からなる豊かな鎮守の杜の中に、高さおよそ4メートル、国の重要文化財に指定されている十三重石塔がたたずむ。この建立は延徳3年(1491)と刻銘されており、建立の時期が明らかになっている塔は、極めて珍しい重要文化財の一つである。室町時代の延徳3年、百万遍念仏供養のために建てられた。
大正14(1925)年、現精華町域第一号の重要文化財に指定されました。
薬師堂
薬師如来坐像(薬師堂本尊):1躯
江戸時代の作。神社に隣接して建っていた医王寺という寺の本尊で、現在は薬師堂として残されています。堂内には他に弘法大師坐像、観音像(厨子入り)が安置されており、付近には鐘楼跡があります。
鐘楼跡
ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)ツツジ科