2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

修二会

2012-03-18 | 奈良が好き!

まだカンボジア旅行記の掲載途中ですが、季節感を重視して、こちらを優先させていただきます

「不退の行法」として一度も絶えることなく今年で1261回目を迎えた修二会は、練行衆に選ばれた11名の僧侶が2月20日から28日(閏年は29日)までの別火と言う前行の後、3月1日から14日まで二月堂において修二会の本行を勤めます
もとは旧暦の2月1日からだったので二月に修する法会と言うことで「修二会」と呼ばれるようになりました(参考:東大寺公式ホームページ)
修二会の詳しい説明は、こちらの お水取りについて をご覧ください

3月11日から最終日の14日まで夜はどっぷりと修二会三昧でした





法要の雑用役の処世界を除く10人の練行衆、ひとりひとりの足元を照らして先導した童子が役目を終えて
二月堂の舞台の欄干からお松明を突き出して豪快に回転させながら走り抜けて行きます

お松明が終わってから撮影したので、ちょっと暗いですが、11日の午後に新たに榊が飾られた閼伽井屋です

お水取り本番の12日は根付きの竹の先端に杉の葉やヘギ、杉の薄板で籠状に仕上げた大きな籠松明が出ます
また、先に上堂して準備をしている処世界も12日だけは準備をして一旦下堂し、11人の連行衆が上堂するため
籠松明も11本となり、見応えがあります  「がんばれ東北」と書かれた竹もありました
しかし、その籠松明には、いつも以上に大勢の観衆が集まるので交代で正面まで進んで見たら、次にまた交代
この日は吊燈籠も点かないので、やっと数枚撮った籠松明も暗闇に炎だけが浮かび上がっている感じ・・


さて、11本の籠松明を見ようと参集した人もぞろぞろと、その場を去り、やがて日付が変わって13日午前1時
お松明ほどではないものの、奈良の夜中には考えられない人数が回廊とは反対側にある階段を今か今かと
見つめています
1時をだいぶ回った頃、蓮松明と篝火に照らされながら咒師シュシと北二以下5人の連行衆が粛々と降りてきました
咒師と堂童子が閼伽井屋にある井戸の水を汲むのですが、閼伽井屋の中は真っ暗で何も見えないそうです

13日はお松明の後、食事をして再び10時過ぎに(混んでいましたが何とか)二月堂々内の外回りにある局に
入り、練行衆の走りの行法を麻の帳に映る影と音で感じ、前夜汲み上げられた閼伽水を行法の最後に礼堂と
局を隔てる格子の隙間から手を伸ばして柄杓から一滴いただけた幸せ、二月堂内陣の中で「だったん帽」を
かぶった連行衆が火天と水天に扮し須弥壇の周りを回り、法螺や錫杖の音に合わせて跳ねながら、国宝の
木造建築を舞台に火天は松明を何度も礼堂に突き出す所作をし、最後には松明を投げ倒してしまいます
燃えさかる火を目の当たりに見る圧巻の達陀ダッタンの妙法・・ そこはもう神秘の世界へと誘う異空間のようです



14日は10本のお松明と共に連行衆も次々上堂し、お尻に火が付きそうなので「尻付け松明」と呼ばれています

お松明が終わって童子が階段を下りてきます 近くにいる人は杉の葉や薄板を欲しいと手を伸ばします

※ 分からない言葉は東大寺の 用語説明 をご覧ください

※ お松明の撮影はフラッシュをたかないようにと注意されても、あちこち同じ場所からピカッピカッ
  局では許可証のある人以外は撮影厳禁なのに、フラッシュこそたかないけれど無断撮影する人
  スマートフォンで動画を撮る人、あまりのマナーの悪さに同じ日本人として恥ずかしく思います
  静寂の中で聞き逃すまい、見逃すまいとしているのにシャッター音やモニターの光は邪魔です

12.03奈良旅行・修二会・NIGHT BIRD

あれから一年

2012-03-11 | もしかして雑記帳?


長い長い一年だったのか・・
あっという間の一年だったのか・・
人それぞれに違うと思いますが
押しつぶされた家、主を失ったペットや家畜
畑や道路をじわじわと飲み込んでいく海水
人が、車が、家が流される光景は
脳裏に焼きついたまま、色褪せません
被災者の皆さまが元の生活に戻るのは
簡単なことではないと思いますが
少しでもそれに近づけますことを
心から願っております


今日は早朝から旅に出ます
(=・ェ・=)(=^・^=) たちを置いていくのは気がかりですが
娘が顔を出してくれると言うので心丈夫です


'12.02カンボジア旅行


東バライ周辺の遺跡群 東洋のモナリザ

2012-03-10 | カンボジア

【タ・ソム】

内側から見た西塔門
ソムおじいさんと言う名の小さな仏教寺院は12世紀末、ジャヤヴァルマン7世が建立しました
塔門の上に四面仏があることから分かるようにアンコール・トムのバイヨンと同じ建築様式です

東門と守門神ドヴァラパーラ
デヴァター(カンボジア語で女神)東塔門裏側の観音像


リエップという木の気根に覆い尽くされている東塔門
こちらが正門ですが、ここで引き返します(道が無い)


【バンテアイ・スレイ】

バンテアイ・スレイは967年、ラージェンドラヴァルマン2世~息子のジャヤーヴァルマン5世の時代に
建立された、女の砦という意味のヒンズー教寺院
クメール族が、この地を支配し始めた頃に造営された寺院なので小ぶりなのだとか・・
建物がラテライトと紅色砂岩で築かれているのと壁面のレリーフの彫りが深く細緻なためでしょうか
これまで見た遺跡に比べ、明るくゴージャスかつ可憐な感じに思えます


神社の石灯籠のような感じに、リンガが両脇に立っている参道

北の経蔵の東面破風は雨を降らすインドラ神と滋雨を喜ぶ人々や動物たち

中央祠堂(前面)と前殿(奥)

三つ並んだ中央祠堂の中央堂には門神のドヴァラパーラの像、両脇の堂には東洋のモナリザと評される
デヴァター(カンボジア語で女神)の像が彫られています
ド・ゴール政権で文化相を務めた政治家であり、小説家でもあったフランスのアンドレ・マルローが若い頃、
レリーフを盗むほど、このデヴァターに魅了されたことは彼の著書『王道』にもありますが
それもなるほどと頷けるほどにエキゾチックで美しいデヴァターたちです



太陽が西に傾いて、ますます赤みを増して美しいバンテアイ・スレイですが、見学はもうおしまいです

さっきまで絵葉書を買ってと熱心に商売をしていた子供たちも普通の子供に戻って遊びに夢中です

幼いおねえさんも弟(妹?)を抱いて家に帰ります

'12.02カンボジア旅行

東バライ周辺の遺跡群 プリア・カン

2012-03-09 | カンボジア
※ マウスオンで説明が出ます

昼食後はホテルに戻って、暑気バテしないよう約1時間半休憩して再び遺跡観光へ

プリア・カンの入口でバナナやマンゴーと一緒に日本では見たことのないフルーツを売っていたので
食べたいと言うと、ガイドのお兄さんは「フルーツの中に虫がいるかもしれない」と気が進まない様子 
結局、虫がいないかチェックをしてもらって、その紫色の果物を食べてみると、さっぱりとした甘みで
けっこう美味しい~  白い果汁が出るので ミルクフルーツ という名だそうです(3個で1ドル)

好奇心も小腹も満たされて、いよいよプリア・カンを見学です
【プリア・カン】


「聖なる剣の僧院」という名の広大な仏教寺院はジャヤヴァルマン7世が父王の霊を慰めるために建立しました
環濠と三重の周壁に囲まれたプリア・カンには往時 97,840人の僧侶、召使、舞姫、役夫がいたとか










※ ガルーダ: 体は人間で頭部が鷲、黄金の羽を持つ ヴィシュヌ神の乗り物

'12.02カンボジア旅行

アンコール・トム 象のテラス、他

2012-03-08 | カンボジア

バイヨンを出て西に行くと、11世紀中頃にウダヤディティヤヴァルマン1世が建立したヒンズー教寺院があります

【パプーオン】
昔、アンコールとシャムの王は兄弟でしたが、シャム王が自分の息子をアンコール王に預けると申し出ると
アンコール朝の臣下は、シャム王の策略だと王子を殺してしまいました シャム王が激怒してアンコールに
攻め入ったので、我が子が殺されることを恐れたアンコール王妃は王子をパプーオンに隠したという言い伝え
から「隠し子寺院」の異名を持っています
かつてはバイヨンよりも高かったと言われるパプーオンは3層からなるピラミッド型寺院です

東塔門を入ると寺院まで高さ2メートル、長さ200メートルの空中参道があります
この空中参道は地上と天界をつなぐ、虹の架け橋の意味を持っています
東塔門の、この窓内の左角辺りから伸びているのが空中参道です

次はパプーオンの北側にあるピミアナカス宮殿に行きます

【ピミアナカス宮殿】
正しくはピミヤン・アーカスといい「空中の楼園」「天空の宮殿」を意味します
10世紀末から11世紀前半にかけて何代かの王によって建てられました
アンコール朝では、このように前王の建造物を引き継ぐことは珍しいそうです


ピミアナカス宮殿から象のテラスへ向かう途中、観光客が捨てたペットボトルで遊んでいる兄妹がいました
今はまだ、おもちゃに過ぎないペットボトルも、数年後には暮らしの足しにするため必死に集めるのでしょう

【象のテラス、ライ王のテラス】
王宮前広場に面する このテラスはジャヤヴァルマン7世によって造られました
テラスの壁一面に象の彫刻が施されているので「象のテラス」と称されました
また、その奥いちだんと高いのは癩王のテラス、6メートルの高さの壁は数段に
別けられ須弥山に住む神々や神獣、動物の浮彫りが施されています
テラスの壁面を写しましたが、サイズが大きくても彫刻がはっきりしないので
様子だけ分かればと小さいサイズでアップしました

12世紀末、ジャヤヴァルマン7世によって建造されたプラサット・スゥル・プラットは
象のテラスの向かい側に35メートル間隔に一列に並んでいます
カンボジアの正月、塔から塔へと綱を張って、踊り子たちが綱渡りをするのを
王が眺めたということから「綱渡り踊り子の塔」ともいわれています
手前の象のテラスにはナーガ(蛇神)の欄干があります


南大門にもあった3つの頭を持つ象、アイラーヴァダが 鼻で蓮の花を掴んでいる姿


癩王のテラスの壁面 下段中央にはナーガもいます


癩王のテラスにある閻魔大王像(本物はプノンペンの国立博物館蔵)
毒蛇を殺し、その血を浴びてライ病になったという王の像と言われていましたが
像の中から碑文が出てきて、実は「閻魔大王」だと判明したそうです
それじゃ癩王のテラスは本当は閻魔大王のテラスということかしら
それとも、或る本に記載されていたように単に「王のテラス」の方がいい?


癩王のテラス近くの土産物屋、瞬時にどこの国の人間か見極めて巧みに言葉を使い分けます
オネエサン、スカーフ2マイ10ドロ~ いらない!いらない! 3マイ10ドロ~・・ だんだん安くなる

さ、これからレストランで昼食です

'12.02カンボジア旅行

アンコール・トム バイヨン寺院

2012-03-07 | カンボジア

幅113メートルの外濠と高い城壁にぐるりと囲まれたアンコール・トムは3キロ四方の方形です
その城域を東西南北に走る二本の参道が交差した中心に、須弥山しゅみせんをイメージして造られたのが

バイヨン寺院 です


【第一回廊の浮彫りの壁画】

アンコール軍と戦うチャンパ軍、櫂の周辺に浮いているのはチャンパ軍兵士の死体


トレンサップ湖の湖上戦で水中に転落した兵士に食らいつくワニ


魚を売りに来た人、右は魚が売れずにがっかりしている親子 このように庶民の生活も色々描かれてます

【四面仏尊顔】
54の塔に四面仏尊顔の、微笑を浮かべた観世音菩薩が刻まれているのがバイヨンの特徴です







バイヨンの数多くの観世音菩薩の中で最も美しい クメールの微笑 と呼ばれる観世音菩薩


ここで、エキゾチックな微笑みに別れを告げてパプーオンへ

カンボジアの写真の整理もまだ終わらない状態の中、次の旅行が目前に迫っているものですから
少々気忙しく、いただいたコメントのお返事もできずにいます ごめんなさい
ところで、かっちゃんから旅行の全コースを地図で辿ってみたいとのコメントをいただきました
ZenTech さんの「旅行のとも」というHPでカンボジア全体から、アンコール遺跡群、アンコール・トム、
アンコール・ワットの地図まで載っている アンコール遺跡地図 を見つけました
遺跡群の位置関係やアンコール・トムやアンコール・ワット内の配置など、とても分かり易いので
参照していただけたらと思います



'12.02カンボジア旅行

肉球好きッ!

2012-03-06 | 食べてばっかしやん

もうすぐホワイトデーですねぇ~
肉球好きのあの方には、こんなんいかがでしょう


この、本物のぷにゅぷにゅ感に迫る肉球はマシュマロでできています
作っているのは長野県のマシュマロ専門店・やわはだ
東京では4月1日までの期間限定でカフェ@渋谷道玄坂 もあります
とっても気持ちよくて、いつまでもぷにゅぷにゅ触っていたいほどですが
賞味期限 冷暗所で約2週間。
日に日に乾燥して固くなっていきますので出来るだけ早くお召し上がりください。
とのことです
私にはちょっと甘めなので、一日1個ずつ食べることにしましょう


※ マシュマロ専門店・やわはだ のURLを入れると「不正な書式」があると出て、gooブログでは投稿できませんので
  マシュマロが気になる方は、恐れ入りますがご自身で検索をしてください
  詳しくは分かりませんが、どうやら gooブログでは「おちゃのこネット」のドメインに規制がかかるようです



・うまいもん

アンコール・トム 南大門

2012-03-05 | カンボジア

マウスオンで説明が出ます
【アンコール・トム 南大門】

アンコール・トムとは「大きな都城」を意味する巨大な都市のことでアンコール・トムという寺院はありません
一般にカンボジア人はアンコール・ワットを小アンコール、この城壁内を大アンコールと呼んでいるそうです
12世紀後半、アンコール朝は隣国チャンパの侵攻によりアンコールを奪取され滅亡の危機に瀕していましたが
知勇を兼ね備えたジャヤヴァルマン7世はチャンパ軍に徹底抗戦し、アンコールを奪還して王に即位しました
そして、ジャヤヴァルマン7世は外敵からの守りを意図すると共に「神の世界」を象徴するというクメール宇宙観に
基づいてアンコール・トムを建造しました
南大門の開口部は車1台が通られる程度の幅で、
城門の両脇には3つの頭をもつ象、アイラーヴァダが
鼻で蓮の花を掴んでいる姿が彫刻されています
こちらの象は観光客を乗せてアンコール・トム内まで行った帰りです アンコール・トムの5つの城門は全て王が象に乗って通られるよう高さが8メートルあります


南大門に至る濠にかかる橋にはヒンズー教の天地創造神話 乳海攪拌 をモチーフとした、ナーガ(大蛇)を抱えるデーパという神々(左)と同じく悪魔アスラ(阿修羅)の石像の欄干があります
乳海攪拌を簡単明瞭に説明するのは難しいので、リンク先のウィキペディアでご覧ください

こちらが乳海攪拌で神様や悪魔に抱えられているナーガ
  地底に住む頭が7つもある大蛇ですが
  ヒンズー教が始まる以前から神として信仰されてきました
カンボジアでの移動手段として・・
  バイクの後ろに2~6人用の座席をつけて走る
  「トゥクトゥク」という乗り物がたくさん走っています
  その他、バイクに2人乗りするバイタクもあります



'12.02カンボジア旅行

梵天の古老 タ・プロム

2012-03-05 | カンボジア

【タ・プロム】

「梵天の古老」の意のタ・プロムは母の冥福を祈るために、スラ・スランやバンテアイ・クディと同じ
ジャヤヴァルマン7世によって建立された仏教寺院です
タ・プロムの回廊にあった仏教関系の浮彫りは、後にヒンズー教寺院にかわった時、削り取られました


この寺院は発見された当時のままの姿で保存されているので、
スプアン(榕樹ようじゅ)が遺跡に絡みつく異様な景観に圧倒されます
破壊されつつある僧院と自然の猛威を目の当たりにする、人気の高い場所です

※ 榕樹
ガジュマルの一種で水分を求めて石の隙間から中へと根を伸ばし石を押し上げる




【プレ・ループ】

シェムリアップ1日目の締めくくり  プレ・ループから夕陽を眺める
961年、ラージェンドラヴァルマン2世によってヒンズー教の寺院として建立されたプレ・ループ
プレは「変える」、ループは「身体」を意味する寺院には、死者をダビに付したという石槽が置かれ、火葬の儀式が行われたと伝えられています
石槽の向こうには三層の基段が重なって、その四方にある祠堂に囲まれて二層の基段が重なり、最上層に中央の祠堂がそびえています (分かりづらくてスミマセン 書いている私もこんがらがってしまいそう
第一層の中央テラスから最上層の祠堂まで急勾配の階段を登ると、目の前が開けはるか遠くまで見渡せます
そこからの日没が見たいという日本人観光客の要望が多く、いつの間にか日本人以外の観光客も夕日スポットとして集まるようになったそうです でも、日没の瞬間に拍手をするのは日本人だけ
下左は最上層から東側を見た写真 レンガ造りの塔を夕日が紅く染てきれいでした 右は日没後、石槽など火葬の儀式を行った場所を見たかったのですが、車が待っていたので諦めることに。。


'12.02カンボジア旅行・MAGIC HOUR

アンコール・ワットではない遺跡

2012-03-02 | カンボジア

日本人にとってカンボジアの遺跡と言えばアンコール・ワットではないでしょうか・・
あるニュースを目にするまでは、私もそうでしたが、アンコール・ワットはアンコール遺跡群のひとつなのです

先ず訪れたのは、1113~1145年建設のアンコール・ワットより遡ること200年前後のプラサットクラヴァン
プラサットクラヴァンはハルシャルヴァルマン1世によって921年にヒンズー教の寺院として建設されました
接着剤を使わずにレンガを組み合わせだけの5つの祠堂が基壇の上に東向きで横一列に並ぶ寺院です
中央祠堂以外は崩壊しており、修復工事用のシートがかかっていたりしたものですから、目障りな部分を
避けるよう撮影しましたが、ありのままを撮るべきだったと反省しています

マウスオンで説明が出ます
【プラサット・クラヴァン】


中央祠堂内部の壁3面にはヒンズー教の、宇宙の維持を司るビシュヌ神が浮き彫りにされています
また、北端の祠堂内部にあるラクシュミー(ビシュヌ神の妻 日本では吉祥天)の美しい立像浮彫りは
傑作だと言われていますが、祠堂を修復中で残念ながら見ることができませんでした
【中央祠堂内部のビシュヌ神像】


次に訪れたのは、王や高僧の沐浴のためにジャヤヴァルマン7世が12世紀後半に建設した人工池、スラ・スラン
東西700メートル、南北350メートルの巨大な池は西側にはテラスがあり、池底には石が敷き詰められています
【スラ・スラン】


シェムリアップでは、猫をほとんど見かけないのに犬がやたらと多いのでガイドさんに質問しました
猫は役に立たないけれど、犬はいろいろ役に立つし 食べることもできる       ショックでした
しかし、内戦で全てを失ったカンボジア人にはトイレもなく、池や川の水を飲み、料理をし、体を洗い、洗濯もする 子供たちのおやつは森の中の木の実や虫など
日本人の生活を基準にして彼らの暮らしをとやかく言うことはできません

次はスラ・スランとは目と鼻の先にあるバンテアイ・クディ、「僧房の砦」という意味の寺院です
前王時代にヒンズー教様式であった寺院を12世紀末ジャヤヴァルマン7世が仏教寺院に改修した建物です
約10年前、バンテアイ・クディで上智大学の遺跡調査団が274体の仏像を発掘したというニュースによって
私はアンコール・ワットがアンコール遺跡群のひとつに過ぎないとはっきり認識したのでした

【バンテアイ・クディ】




【地雷で手足や目を失った人たちの楽団】

1991年、20年に及ぶカンボジア内戦が終結しましたが、まだ地雷や不発弾の事故が無くなったわけではありません
今日も、こんな記事を目にしました
毎日中国経済 3月2日(金)18時12分配信
【新華社プノンペン3月1日=王其氷】カンボジアのプレアヴィヒア州の小学校で1日、不発弾が爆発し、児童11人が
負傷した。爆発が発生した小学校は、プノンペンの北西500キロに位置。同州警察によると、同日午前7時40分、
児童の1人が校外から拾ってきた弾丸(長さ60ミリ)で同級生と遊んでいたところ、弾丸が机とぶつかって爆発。
女子6人を含む児童11人が負傷し、うち3人は重傷だった。
カンボジアは世界で地雷・不発弾が最も多い国の一つで、同州は地雷が最も多い地域の一つ。同国では1979年から
2011年末までに、地雷の爆発に6万4000人以上が巻き込まれ、うち約2万人が死亡した。


'12.02カンボジア旅行