2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

セーヌに架かる橋と魚介盛り合わせ「海の宝物」

2015-02-08 | フランス

もう一回だけパリの話題を・・
パリと言えばセーヌ川、これまでにもセーヌに架かる橋をいくつかアップしましたが
気になる橋はまだいっぱいあり、その一部をピックアップして最後にしたいと思います

【サン・ミッシェル橋】
シテ島とセーヌ左岸をつなぐ3連アーチ橋の橋脚に見えるNは・・
ノートルダム大聖堂ではなく、ナポレオンの頭文字だそうです

【アレクサンドル3世橋】
時のフランス大統領 サディ・カルノーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に締結された同盟の証として
1900年のパリ万国博覧会にあわせてロシアより寄贈されたアレクサンドル3世橋はパリで一番豪華です

【イエナ橋】
エッフェル塔の足下にある石造5連アーチ橋、4本の橋脚には皇帝ナポレオンの鷲の紋章で装飾が施され
橋の四方には、ガリアの戦士・ローマの戦士・アラブの戦士・ギリシャの戦士の彫刻が据えられています

【ドゥビリ橋】
1900年のパリ万国博覧会の際に訪問者の円滑なアクセスを計って建設された仮設橋でしたが
1906年にわずかな位置変更が行われ、パリ市所有の常設橋となりました
石造の重厚な橋が多いセーヌ川では単一アーチの鋼製のシンプルな歩行者橋が目を引きます

【レオポール・セダール・サンゴール橋】
オルセー美術館とテュイルリー庭園を結ぶ鋼製のアーチ式歩道橋は、セーヌ河岸と地上の両方に
アクセスできる二重構造になっています
上面は木材で覆われ、木製のベンチが設けられており、途中で休めるようになっています
ドゥビリ橋と同様、セーヌ川では目を引く橋です


                                       


Le Grand Cafe Capucines

オペラ・ガルニエ近くのル・グラン・カフェ・カプシーヌは24時間営業の上に日本語メニューがあります

牡蠣は、左上のブロン平牡蠣の他に、サン・ヴァースト産スペシャル、ブルターニュ産窪み牡蠣、
ジラルドーの3種類があったのに、どれがどれだかわからない上に1種類は撮り忘れていました


'14France・パリ・フランスの橋・うまいもん





サン・マルタン運河とセーヌ川

2015-01-25 | フランス

いよいよ、最後の日となりました
あれも見せたい、これも見せたいと張り切る夫が、いっぱい盛り込んで、連日よく歩き回りました
私の目的は、李禹煥 ヴェルサイユ展と付録で王妃の村里、今回アップのサン・マルタン運河
そして、カフェ・デ・ドゥ・ムーラン のクレーム・ブリュレのつもりだったのですが・・

【サン・マルタン運河沿い】
パリ最大の人口池ラ・ヴィレット貯水池はパリの北東部に位置し、ウルク運河とサン・マルタン運河を結んでいます

ラ・ヴィレット地区南側のバタイユ・ド・スターリングラード広場には、18世紀、パリに入って来る貨物の検査に
使われたロトンド・ド・ラ・ヴィレットがあり、現在はレストランやコンサートなど文化的スペースとなっています

ラ・ヴィレット貯水池はバタイユ・ド・スターリングラード広場で水門によりサン・マルタン運河に通じています

サン・マルタン運河クルーズには、Paris CanalとCanauxramaの二社が運行しています
乗船客が所在なげにこちらを見ているのは・・ ラ・ヴィレット貯水池に向かう上りの船は水門と水門の間に入ると
閉じている前方水門の穴から水が流れこみ、水位が前方と同じになって、水門が開くまで前に進めないからです
どちらからともなく手を振っているうちに、ようやく門が開きましたが、すぐに次の水門が待っています Oh No!
運河沿いにはお洒落なブティックやカフェ、映画で有名な 北ホテル など見所もたくさん有り、楽しそうですが
運行本数がわずかで、次のクルーズは午後2時半頃ということなので諦めました



【バトビュスでセーヌクルーズ気分】
ジャルダン・デ・プラント停留所からバトビュス乗船ノートルダム大聖堂の南塔頂上に観光客が見えます
バトビュスは、ルーブル美術館やエッフェル塔などパリの主要な観光地にアクセスしやすい水上バスです
乗り降り自由なので移動とクルーズを同時に楽しめると、人気があります

ミュゼ・ドルセーで一旦下船して・・

【オルセー美術館】
ロココ調の内装が素晴らしいクラシックレストランパンも美味しい♪
本日のランチセット
最近は、日本の美術館も美味しいところが増えましたが、こちらも
オルセー美術館の建物は、もともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて
オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルでした
現在は、19世紀美術専門の美術館となり、原則として2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が
勃発した1914年までの作品を展示しています  多少の例外はあるものの、それ以前はルーヴル美術館、
以降はポンピドゥー・センターというように、各美術館の展示作品には時代の分担があります
絵画、彫刻、そして写真、グラフィック・アート、家具、工芸品など19世紀の幅広い視覚芸術作品も
オルセー美術館の収集・展示対象です
再びバトビュスに乗ってノートルダム停留所へバトビュスからオルセー美術館を見上げる

【諸聖人の祝日のノートルダム大聖堂】
フランスでは、カトリック教会の祝日のひとつ「諸聖人の日」を全ての聖人を記念する日として11月1日に祝います
その翌日は「死者の日」で、亡くなった全ての信者を記念する日とされています
「死者の日」は一般の人々も亡くなった近親者を祭る日となり、11月1日、2日を前後する期間は
日本のお彼岸やお盆のように亡くなった親族や近しい人のために墓地の手入れをし花を捧げます

  
本に挟んだまま忘れていたバトビュスの乗船券
よく見ると、エッフェル塔や凱旋門にルーブル美術館、ノートルダム大聖堂などパリの名所がズラリと並んだ可愛いチケットでしたので、ちょっと追加しました


ブログの更新を「今年こそは頑張りたい」と前頁のコメント欄に書き込みましたら・・
出来ない約束はしないように。v( ^ ^;  と、
年始の抱負で実現した験しがないKさんに見透かされ、一気に肩の力が抜けました(笑
初めから出来もしないと分かりきっているのに、何を今更でしたよね~ (; ^_^ Aフキフキ


'14France・美術館めぐり・オルセー美術館・フランスの橋・バトビュス・うまいもん

ヴェルサイユ宮殿 王妃の村里

2015-01-15 | フランス

年始のご挨拶を頂いたまま、失礼しておりました
たいへん遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします
ウェブメールでメールのチェックを2,3度しただけで
自分のPCに向かうのは新年になって、今日が初めてです

王妃の村里
マリー・アントワネットは湖の周りに11軒の家を建て、ノルマンディー地方の本当の村よろしく村里を形成し
田園生活の魅力と、親しい宮廷の女性たちに囲まれてのひと時を求めて、この村里を訪れました
村里は、農夫が管理する 実際の農家として機能し、そこからの収穫物は宮殿の厨房に運ばれました
王妃の家、ビリヤードの家、私室のあった家、水車小屋、酪農小屋、農場とその別館、納屋、鳩舎等があり
当時、村から離れた農場では8頭の雌牛と1頭の雄牛、10頭の山羊、鳩といった家畜が飼われていました

【マルボローの塔と湖】


湖畔にそびえるマルボローの塔は、ボート遊びや釣り遊びに出かける時の出発点となっていました

【私室】
「ブドワール」(私室)と呼ばれた王妃の小さい家は、広間と衣装部屋から構成され
葦葺きの屋根、屋根窓、庇、石階段などが特徴的です

【王妃の家】
王妃の家は、この村里で最も大きな建造物ですが、厳密には地上階に食堂と遊戯の間、
二階には大広間、小広間、中国様式小部屋を擁す右側の建物が王妃の家で
地上階にビリヤード室、二階に小居室がある左側のビリヤードの家と回廊で繋がっています

【鳩舎】【料理保温室】

【水車小屋】
湖畔の水車小屋は、その分流の川岸に位置し、水車によって穀物が挽かれました
小屋には共同洗濯場もあり、村里での生活に利用されました

湖から泳いできた、この小動物はなにッ
大きなネズミかと思ったのですが、体長が (=・ェ・=)(=^・^=)くらいのものもいるので ????(-"-)????
マロンさんから、ヌートリアと教えていただきました おかげさまでスッキリしました ありがとうございます


【農場】

ブドウ畑と農場

王妃の村里はここまで

                    

【岩山と見晴台】
岩山は裏にある貯水池から水が急流となって池に流れ込むようになっており
見晴台には、その池を見下ろす八角形の音楽堂(ベルヴェデール亭)があります
内部はアラベスク文様の化粧漆喰壁と
床はモザイク状の大理石が敷き詰められています
各入口の両サイドには、女性の頭部を持った
小さなスフィンクスのような像が置かれています

【フランス式庭園とあずまや 】【愛の殿堂】
当時流行し始めていたイギリス式庭園に対して
左右対称の庭園は「フランス式」と呼ばれるようになりました
マリー・アントワネットが愛人と密会したとされる場所

【ヴェルサイユのアーチ】

18:30・・ 広大な庭園内を9時間余 歩き続けたので、疲労もピークでした


'14France・ヴェルサイユ宮殿

大トリアノン・小トリアノン

2014-12-22 | フランス


李禹煥の「ヴェルサイユのアーチ」をくぐった先は、果てしなく続く庭園
これが前方だけでなく両サイドにも広がるのですから
宮殿を含む敷地面積が、「TDLとTDSを合わせた10倍」にも納得です

上の景色の手前にも、大きな「ラトナの泉水」がありますが、現在このように修復工事中です


【アポロンの泉水】

これから「アポロンの泉水」の先を右に曲がって、大トリアノン・小トリアノンへと歩いていきます

【大トリアノン】
「薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿と快適な庭園」
ルイ14世時代には義妹の パラティーヌ王女、娘婿のシャルトル公爵、娘のブルボン公爵夫人が居住
ルイ15世の妃 マリー・レクザンスカもこの宮殿を好み、気候が良い時期に滞在していました
家具調度品は革命時に散逸してしまい、現在の調度品は、いくつかの例外を除いて第一帝政期のもので
フランス皇帝ナポレオン1世は家具調度品を入れ替え、皇后マリー・ルイーズと共にしばしば訪れました

2つの翼棟からなる城館の片側の見学を終えて、翼棟を繋ぐ回廊に出ると・・
菊の大作りと、その周辺に新宿御苑の法被を着た人や和服をまとった女性等々
次に向かう翼棟では日仏入り混じってのパーティーで、立ち入り禁止・・ 
何が何だか事態が呑み込めなかったので、帰国後 調べた結果は、こちらを クリック
環境省報道発表資料 によると、ちょうど開会式典が執り行われた日だったようです

大トリアノン(門と翼棟と回廊)

午後1時過ぎ・・

昼食はサンドイッチ

【小トリアノン】
ルイ15世の公妾、ポンパドゥール夫人のために建てられた小トリアノンですが、
宮殿が完成した時には、ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっており
その後、ルイ16世から王妃マリー・アントワネットに贈られました
王妃にとっては宮廷の礼儀作法から逃れる親密な隠れ家であり
招待されていない人は、誰もこの場所に足を踏み入れることはできませんでした
そのわりにはそっけない写真で 、心はすでに次の場所へと飛んでおりました

【イギリス式庭園】
当時の流行は、「自然」の風景のイギリス式庭園で、マリー・アントワネットはフランス式庭園のような
花壇に閉じ込められた庭園ではなく、生きた自然を夢見ていました
左はイギリス式庭園にある「愛の殿堂」、ここでマリー・アントワネットは恋人と会っていたとか
パリでは、飾りつけもほとんど無かったハロウィンですが、こんなところで仮装集団と出会いました



マリー・アントワネットじゃないけれど、私も自然の風景の方が好きッ

次回のパリ旅行記では、ヴェルサイユ宮殿の中で一番興味があった「王妃の村里」をご案内します

※ 今回は庭園入園料なし! 前回、庭園入園料を徴収された理由は ここ をクリックしてご覧ください


La Vie en Rose - ZAZ


'14France・ヴェルサイユ宮殿・うまいもん・みうじっく

李禹煥 ヴェルサイユ展

2014-12-14 | フランス

先日はあいにくの天候だった ヴェルサイユ宮殿 ですが
今回は、テレビの天気予報で を確認して出かけました
どうですか、この雲ひとつない青空!


さて、ここからはこの旅一番の目的である李 禹煥リ・ウファン ヴェルサイユ展です
ヴェルサイユ宮殿は国際的に活躍する韓国人現代アーティストの李禹煥をゲストアーティストに迎え
2014年7月17日~11月2日、その作品をヴェルサイユ宮殿内や庭園の随所で特別展示しました

【ヴェルサイユのアーチ】
二十数年前に日本の田舎で、虹のかかったまっすぐ長い道を歩いている時
こういう作品を作りたいと思った
ここに立った時、それを思い出し、虹をかけるようなアーチを作ろうと決めた
2度も訪れたのは、この「ヴェルサイユのアーチ」を青空の下で観たかったから・・
左の青空の下でのアーチは右と比べ、圧倒的なインパクトだと思いませんか

【関係項 タイタンの杖】
ギリシャ神話の神タイタンや伝説上の巨人の休息をイメージ

【関係項 ダイアログX】
自然のものの象徴である石と人工的なものの象徴である鉄、そして世界がここで対話している
どちらかと言うと、ピーカンよりも上のような薄曇りの撮影が好きなのですが
これらの作品の場合、「作品が作り出す影も重要な要素」ではないでしょうか

【関係項 風の羽根】
全長335メートルの王の散歩道(別名 緑の絨毯)に一瞬、風が吹いて草が波のように
なびいているように見え、「風による波、風の羽根」のイメージが浮かんだ

【関係項 Four Sides of Messengers】


子供たちが石の上にのっただけで、小難しそうに見えるアートも一気に距離が縮まりませんか?

【関係項 ダイアログZ】

石と鉄板と木々がひそやかな会話を交わしている 木漏れ日が鉄板の上でゆらぎ、風の歌が聴こえる
光と影・・ 曇り空の日には下のような構図で撮っても、こうはなりませんでした

【関係項 星々の影】

「星の樹木庭園」に、廃墟の一角のような場を作り、石を星座のように並べて
それぞれの思いを抱えながら、石たちが語り合っている広場を演出した
これも「ヴェルサイユのアーチ」同様、青空の下でなければ、その意味が半減するでしょう
と言うのも、本物の影とは別に、作者はグレーの塗料で砂利に影を描いているからです
本物の影と描いた影が重なる時もあれば、隣り合う石の影と連結したり・・ 変化する面白さ

【関係項 墓、アンドレ・ル・ノートルへのオマージュ】
李禹煥がヴェルサイユ宮殿のゲストアーチストに決まったのは2013年
ヴェルサイユ宮殿の造園をしたアンドレ・ル・ノートル生誕400年の年でした
今回の展示はル・ノートルに対するオマージュ、そのオマージュの象徴です

関係項 橋の大地関係項 綿の壁

李禹煥は1938年、韓国で生まれ20歳の時に来日し、大学で西洋哲学を学び、
その後 半世紀に渡って日本の現代美術を牽引してきました
大学卒業後は絵を描いたり、南北統一運動に関わったりしながら、行くべき道を模索していた
ソウルの高校に通っていた頃、ソウルは朝鮮戦争で、建物は壊れ、壁だけが残っていたり、
足元には何か分からないものの上に壊れたものが載っていたり・・ たいへん印象深かった
廃墟のイメージがずうっと脳裏にあり、それが凝縮、整理され、やがて産業が作り出した鉄や
自然の石を置くことによって、過去や未来を思い起こすヒントを提示したいと思った

※ 今回は庭園入園料なし! 前回、庭園入園料を徴収された理由は ここ をクリックしてご覧ください


'14France・美術館めぐり・ヴェルサイユ宮殿

モンマルトル界隈

2014-12-08 | フランス

さて、前回の続きです
アメリのクレーム・ブリュレを食べて、再びメトロに乗ってサクレ・クール寺院へ
参道(と、フランスでも言うのかな?)は原宿の竹下通りくらいの道幅と人混み
「見るからにベタな」パリ土産を売っているお店がずらっと並んでいました(笑
※ マウスオンあります

【サクレ・クール寺院】
サクレ・クール寺院は普仏戦争(1870-71)の戦没者を慰霊するためにカトリック教徒たちの献金によって
造られた寺院ですが、モンマルトルの丘の地盤は古代ローマ時代からの採石場だったため地盤が悪く
完成は、建設が決定した1873年から実に41年後の1914年でした(献堂は1919年)
「○○と煙は高いところにのぼる」とばかり、ここでも234段の螺旋階段を上ってドームまで行きました

ドームを下りて、次はパリで最も絵描きさんの多いテルトル広場へと向かいます

【シュバリエ・ド・ラ・バール通りにて】

【テルトル広場】
似顔絵の画風も画家によってずい分と違いますね
すぐ上の彼女、私がレンズを向けたら一瞬にして耳まで紅潮してしまいました
とてもシャイでチャーミングなお嬢さん、絵から受ける印象とはちと違うかな?
なんて可愛いのでしょう、思わず

【モンマルトル美術館】

その隣は・・
【エリック・サティ旧居】
・・と言っても住んでいたのは、このアパルトマンの屋根裏部屋
中はかなり狭く、ピアノとベッドだけでいっぱいだったとか

モンマルトル美術館の裏手の道に回ると・・
【ル・クロ・モンマルトル】
ソール通りとサン・ヴァンソン通りに囲まれて広がるブドウ畑があります
そこで収穫されるのが、知る人ぞ知るパリ産ワイン、Le Clos Montmartre
約1550平米のブドウ畑で栽培されている品種はガメイ、ピノ・ノワールなど
生産量は、フルボトル500ml(50ユーロ)で1000本、希少価値のワインです

ル・クロ・モンマルトルのブドウ畑とサン・ヴァンソン通りを隔てて・・
【オ・ラパン・アジル】
無名だったピカソやユトリロ、マティスなどが通っていたことで有名なAu Lapin Agil(オ・ラパン・アジル)
ユトリロが繰り返し描いたラパン・アジル(右)、外壁の色は違うものの今も当時の面影を残していました

GuiloGuiloに向かって歩く途中で・・
【その他】
フランス人は映画好き? ホテルの近くや行く先々で映画館が目に留まります
ここも普通の建物のように見えるけれど入口にCINE 13 THEATRE とありました
そして右側の風車のある建物はレストラン ムーラン・ド・ラ・ギャレット
かつて田園風景が広がっていた頃、ルピック通りには小麦をひく風車小屋がありました
その風車が現在でも2つ残っており、ひとつはこのようなレストランになったのだそうです
下のカフェ、Le Prohibido は大きくひびの入ったガラスを取り替えもせず、このような絵を
描いています いや、この絵のために、わざと入れたひびなのかもしれませんね
実際に見ると、店内の灯りでひびの部分が煌めいて、とてもきれいです


Gnossiennes No. 5

あえて5番!


'14France・パリ・モンマルトル・サクレ・クール寺院・みうじっく

ルーブル美術館

2014-11-30 | フランス

【ルーブル・ピラミッド】
この日は、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔、ルーブル美術館と、3ヶ所も回りました
それぞれをじっくり見ようと思うと、けっこう疲れます
ルーブル美術館に至っては、体力的にどう頑張ってもじっくり鑑賞できるのは僅か数点です

そこで、私が選んだのは・・
【サモトラケのニケ】
1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発掘されたギリシア神話に登場する勝利の女神ニケの彫像です
優美で力強い大きな翼と、風に向かい立つ女神の体に張りつくような薄衣は躍動感そのものです
ミロのヴィーナスよりも、ダ・ヴィンチのモナ・リザよりも、最も感動したのはサモトラケのニケでした

【ミロのヴィーナス】

ちょうど50年前、日本に来たミロのヴィーナスを国立西洋美術館に観に行ってきたと
ふだん穏やかな口調の慶大生の家庭教師が、いつもとは明らかに違うテンションで
その様子を語ったのを思い出しました  私はこんなにゆったりと鑑賞しているのに
彼女はどれだけの群衆に揉まれながらヴィーナスを垣間見たのでしょう

※ ルーブル美術館から海外へ渡ったのは、1964年の国立西洋美術館と
  京都市美術館で行われた特別展示のみだそうです

【モナ・リザ】
世界で最も有名な肖像画とも言われるレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザ
モデルは、フィレンツェの商人の妻リザ・デル・ジョコンドとする説が最も有力ですが
未だにモデルの正体や、絵に隠された謎などに関してさまざまな議論が絶えません
夜間の鑑賞でしたので、さほど人も多くなく一番前で思う存分撮影できましたが・・
どう頑張ってみても、モナ・リザと私たちを隔てる厚いガラスへの映り込みを完璧に
排除することは出来ませんでした
そんなモナ・リザより、口元に笑みを湛え、モナ・リザとのツーショットを自撮りする
女性と、その彼女を見つめる青年に焦点を合わせてみました(笑

【眠るヘルマフロディトス】
ニンフ(ギリシャ神話の妖精)、サルマキスの誘惑を拒んだヘルメスとアフロディーテの息子、ヘルマフロディトス
サルマキスは全能の神ゼウスに、2人の体を永遠にひとつにし、両性具有の体にしてほしいと頼みました
その、気怠い姿態が何とも官能的な女性像の反対側に回ると・・  なんと豊満な乳房をもった青年なのです!

【皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠】
1804年、パリのノートルダム大聖堂にて行われたナポレオン・ボナパルトの「戴冠式」の様子を描いた歴史画
ナポレオンはローマ教皇ピウス7世をパリまで呼び寄せたうえ、教皇から冠を奪いとり、自らの頭に置きました
この絵では、冠を授けているのがナポレオンで、授けられているのは妻ジョセフィーヌになっていますが
画家のジャック・ルイ・ダヴィッドは、下絵では自分で冠をかぶるナポレオン像を描いたことが判明しています
しかし、あまりにも挑戦的、独裁的で、後世に残す絵画としてふさわしくないという判断のもとに修正しました
修正後の絵では、ナポレオンが皇后となる妻ジョセフィーヌに冠を授けようとしており、背後に描かれている
ローマ教皇ピウス7世は、人指し指と中指をかざしています
ヴェルサイユ宮殿の戴冠式の間にあった絵は、ダヴィッド自身によるレプリカです

【ルーブル・ピラミッドの内部】
1989年に完成したガラスと金属のピラミッドは、ルーヴル美術館のメイン・エントランスとして使用されています



Satie - Je te veux



'14France・パリ・美術館めぐり・ルーブル美術館・NIGHT BIRD・みうじっく

エッフェル塔

2014-11-28 | フランス

さて、RERに乗って行った先は・・ エッフェル塔でした
やはり、夫はここでも上に行きたかったようですが
これまで以上の待ち時間を考えるとパスせざるを得ません
エッフェル塔の前に、まず・・ ビル・アケム橋
二層構造のビル・アケム橋は、一階が歩行者、自動車用で二階部分をメトロ6号線が通っています
橋の中央の階段(写真左端)から、下流のグルネル橋まで続くセーヌ川の中州「白鳥の小径」に降り
グルネル橋の方まで歩くと、バルトルディによるオリジナル鋳造の 自由の女神像 もあるそうです

さあ、ここからは、私の独断でエッフェル塔三昧です
※ マウスオンで場所の説明など出ます





おまけ
手持ちで撮影ですので、不安定なアニメ画像となりましたが、ご容赦ください

'14France・パリ・エッフェル塔・フランスの橋・MAGIC HOUR・NIGHT BIRD


サン・ルイ島~マレ地区散策

2014-11-26 | フランス

※ マウスオンあります
前頁、ノートルダム大聖堂のフライング・バットレスを撮るために行った、聖堂の裏手には
恋人たちが永遠の愛を誓って付ける錠で埋め尽くされたアルシュヴェシェ橋がありました
シテ島とセーヌ左岸を結ぶアルシュヴェシェ橋は渡らずに、サン・ルイ橋を渡ってサン・ルイ島へ
サン・ルイ島には、気になるお店がいくつかありましたが、小物雑貨の、このお店もそのひとつ
カラフルな鳥も可愛かったけれど、その後ろにちょこっと写っている2羽のニワトリが欲しかった(笑
dents de lait乳歯入れらしいですが、「ねずみ」コレクターと言えど、抜歯は御免なのでパスです
アイスクリームが無性に食べたくなり、何となく立ち寄ったお店は有名な ベルティヨンでした
さて、前日リニューアルオープンしたばかりのピカソ美術館があるマレ地区に渡りましょう

シテ島から歩いて歩いて、やっとたどり着いたピカソ美術館でしたが、大勢の人が並んでいました
ミュージアムパスがあるから、私たちは並ばずに入られる・・ と思っていたら、チケットを買え!と
えッ? ガイドブックにピカソ美術館も含まれていると書いてあったのに・・ と、ミュージアムパスを
確認すると、ピカソ美術館はリストから消えていました
どうやらリニューアルオープンと共にミュージアムパスは利用できなくなったようです
ここでの待ち時間を考えると、その後の予定が大幅に変わりそうなのでピカソ美術館は諦めました

ピカソ美術館

再び、ノートルダム大聖堂まで戻って、セーヌ左岸のサン・ミッシェルノートルダム駅から
RER(高速郊外鉄道)に乗って、次の目的地へと向かいました
RERはイタズラ書きも殆ど見かけないし、座席も、途中から3本になる支柱も、洗練されてますね

'14France・パリ・うまいもん・フランスの橋




ノートルダム大聖堂

2014-11-24 | フランス

パッとしないお天気は、ヴェルサイユに行った一日だけで、翌日からは再び汗ばむほどの陽気です
この日はパリの名所めぐり・・ メトロでオペラからシャトレまで行き、ノートルダム橋を渡ってシテ島へ
※ マウスオンあります

橋を渡ると、右側は花・鳥市場、その先にはパリ警視庁
建物は、1863年から1867年に建築されたもので、1871年以来、警視庁の枢要部が使用している

そして・・ 道路を挟んだ向かい側に、ノートルダム大聖堂が突如? 現れました

「最後の審判」のポルタイユ

ン十年前の仏和辞典を引っ張り出して「ポルタイユ」を調べたら・・ portail → (教会など大建築物の)正面玄関

ノートルダム大聖堂の前まで来て、夫がまたしても塔に上ろうと言いだしました えぇ~ッ、またぁ~
開館前も含め約一時間ほど並んで、狭~い螺旋階段をぐるグルぐるグル387段上ったら
パリ市街の眺望と、時間を忘れるほど撮影に夢中になったガーゴイルたちが待っていました



ガーゴイル : 語源はラテン語で水が流れるときのゴボゴボというような音を表す gar であり
主として西洋建築の屋根に設置され、雨樋から流れてくる水の排出口としての機能を持つ、
怪物などをかたどった彫刻のことで、彫刻のない雨樋はガーゴイルとは言いません

次は聖堂内部です
上は、一段と美しいバラ窓 中央には聖母子像が配置されています

3時間余かけて塔の上と聖堂内を心行くまで見学した後は、外で気になるものを・・
0キロメートル地点
パリから各地への距離を表すときの起点は
ノートルダム大聖堂の前が起点となっています
フライング・バットレス
空中にアーチを架けた飛梁のことで、これによって
身廊の天井をそれまでより高くすることができました

この続きは、ただ今 編集中です

パリ雑学
ガリア戦記によると、紀元前1世紀にはガリア人のパリシイ族と呼ばれる民族が住んでいたというシテ島
パリの名はこのパリシイ族が由来となっており、シテ島のシテは英語で言うところのシティに由来している


'14France・パリ・ノートルダム大聖堂・フランスの橋