2アウト満塁!

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nikiniki

2012-01-28 | 食べてばっかしやん

聖護院八ッ橋を使ったスイーツを販売する専門店「nikiniki(ニキニキ)1689」が3月26日、オープンした。
「聖護院八ッ橋」の看板では商品化しにくい商品もあるのに加え、同社の主力である土産用商品は「作りたてのおいしさ」は伝えることが難しく、消費者の声も届きにくい。そのためあえてブランド名を前面に出さない店作りを行った。
店名の「ニキニキ」は、店のコンセプト「新しい八ッ橋の提案をする場所」を意味する Neo Yatsuhashi Quarter の頭文字から付けた。
昨年、烏丸経済新聞 で、このような記事を目にして、行ってみたいと思っていました


まだ年が明けて4日目だったので、ショーウィンドウに並ぶ季節の生菓子は初夢、鏡餅、梅、干支でした
従来の生八ッ橋と違い、カラフルで遊び心もあるのでお土産にと思ったのですが賞味期限は当日中
お味見に買っても、これから食事をしたら、きっと当日中には食べられない、どうしよう・・ と、迷っていたら
それなら、お好みの生八ッ橋と餡をそれぞれ選んで、こちらで召し上がるのはいかがですか、と店員さん


カレ・ド・カネール
夫はシナモンの生八ッ橋に粒あん、私はアズールと言うブルーの生八ッ橋に栗あん
店員さんがイッタラ・オリゴのカップに生八ッ橋を花のように折りたたんで入れて真ん中に餡を置いてくれました
これで70円~ ですから、一箱2個入りで400円の生菓子に比べ、かなりリーズナブルなお味見でした

この他、上用饅頭のバル、野菜を細かく刻んでお砂糖をまぶしたキューブ、薄くのばした八ッ橋をスティック状に丸めたカネールなど珍しいスイーツがありました
詳しい情報をご希望の方は nikiniki を開いて のボタンをクリックしてご覧ください


12.01京都旅行・うまいもん



京都御苑内の厳島神社の鳥居

2012-01-27 | はんなり京都

「京都三鳥居」の最後は京都御苑内の厳島神社にありました

島木と笠木が唐破風カラハフの形をしており、唐破風鳥居と呼ばれ重要美術品に認定されています

日本の伝統的建築様式に於いて切妻や入母屋などにできる妻側の三角形部分の造形を破風と言い
唐破風は中央部が弓形で、左右両端が反りかえった曲線状の破風で門・玄関・神社の向拝の屋根や
軒先などに用いられます 旧歌舞伎座 や浅草の 曙湯 も唐破風です


厳島神社の駒札
当社は往昔 平相国清盛公 安芸の国佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の國菟原郡ウバラコホリ兵庫築島(神戸市兵庫区永沢町) に一社を設けて この大神を勧請し給い鎮祭されたのであり 後 故あって側らに清盛公の母儀 祇園女御 をも合祀されました 後世年を経てこの九條家邸内拾翠池の嶋中に移転遷座されたのであります(濫觴ランショウ年代等は天明八年、京都大火の砌 旧地コトゴトく焼亡して詳ではありません) 以下略 ※ 濫觴


京都御苑に着いた時は本降りの雪でしたが、撮影を終えたころには、ほぼ止んでいました


12.01京都旅行



北野天満宮にも珍しい鳥居が・・

2012-01-26 | はんなり京都

事前に三柱鳥居をネットで調べていたら「京都三鳥居」または「京都三珍鳥居」という言葉が出てきました
他にも珍しい鳥居があるのなら、どんなものか全部見よう と、一日バス乗車券を駆使して回りました

京都三鳥居の2つ目は北野天満宮内、菅原道真公の母を祀る伴氏社の石鳥居(重要美術品、鎌倉時代後期)です
北野天満宮内、伴氏トモウジ
柱を支える台座の部分に蓮弁が
刻まれている
額束が島木を貫通して笠木まで
届いている

ふだん、神社にお参りをしても鳥居の形まで克明に観察をしていないので
鳥居の前に立っても何が珍しいのか、とっさには分かりませんでしたが・・
言われてみれば、台座に蓮弁がある鳥居なんて見たことないですね~

北野天満宮
楼門にかかる干支の描かれた大きな絵馬重要文化財の三光門と国宝の社殿(拝殿)

三光門の前にいる狛犬ですが
右の「阿」の狛犬は大口を開けて
笑っているように、左の「吽」の狛犬は意地でも笑うものかと笑いをグッとかみ殺しているように、私には見えるのですが・・
皆さんはどのように見えるでしょう

三光門と社殿の吊り燈籠社殿(本殿)

12.01京都旅行

三本足の鳥居?

2012-01-25 | はんなり京都

お友だちの C ちゃんから、京都に珍しい鳥居があると聞いたのは昨年末のこと
さっそく教えてもらった いとど家笑六 さんのブログを覗きに行ってみると
そこには、何とも不思議な三本足の鳥居があるではないですか・・

百聞は一見にしかず

京都に行ったからには、その鳥居をこの目で確かめずに帰るわけにはいきません

こんな鳥居 見たことありますか
私は、その存在さえ知りませんでした

木島神社コノシマジンジャ三柱ミハシラ鳥居

蚕の社駅と嵐電木島神社 本殿

木島神社は京福電鉄嵐山線「蚕の社カイコノヤシロ」(或いは市バス「蚕ノ社」)で下車して徒歩5分程度
本殿左手に生い茂る木々の中、以前は清水が湧き出ていたと言う元糺の池モトタダスノイケがあります
その神池の上段に、珍しい三柱鳥居はありました
三本の八角柱をそれぞれ隣り合う鳥居と共有しており、俯瞰すると正三角形になるのです
どういう理由で、このような三本足の鳥居があるのでしょう?
いとど家笑六さんの 京の話題(平安京その12)不思議な三本足の鳥居 に興味深い諸説が載っています



12.01京都旅行

伏見・深草・清水

2012-01-22 | はんなり京都

奈良では、昨年10月にオープンした 東大寺ミュージアム にも行きました
ミュージアム第2室はお堂のような造りになっていてガラス越しですが、須弥壇を修理中の法華堂のご本尊、不空羂索観音菩薩立像と日光・月光両菩薩立像を間近で拝観することができました
当然のことながら、飛鳥大仏のように撮影することはできませんでしたので、そろそろ京都の話へと移ります

京都での初詣は恒例の伏見稲荷大社


伏見稲荷参拝が済んだら、ちょっと歩いて 石峰寺宝塔寺
石峰寺本堂裏の竹林には伊藤若冲が下絵を描いて石工に彫らせた釈迦の誕生から涅槃までの場面構成となる石峰寺五百羅漢石仏がありますが、今回行ったら五百羅漢の撮影は禁止の看板が立っていました
左上の写真をクリックすると撮影禁止になる前に訪れた記事にリンクします
右の写真は石峰寺からほど近い宝塔寺の総門で、室町時代中期建立の四脚門(重要文化財)です

宝塔寺本堂は江戸初期(1608)創建 重要文化財多宝塔は永享十(1438)年以前建立 重要文化財
宝塔寺は9世紀半ばに藤原基経(836~91)によって創建され、当初は極楽寺と称する真言宗寺院で平安時代には広大な寺領に堂塔伽藍が甍を連ねたと言い、今もこの辺りには往時を偲ばせる極楽寺町と言う地名が残っています
また『源氏物語』の「藤浦葉」の帖には極楽寺が登場し、頭中将はここで母、大宮の一周忌を盛大に行いました 光源氏の息子、夕霧が頭中将の娘、雲居雁との結婚を許されたのはその法要の後 霞が朧にたち込め桜が散り乱れる、風情あるこの境内でのことでした

最後は清水寺ですが・・ このお堂をご存知の方はいらっしゃいますか?
清水寺仁王門の左手にある地蔵院善光寺堂


お堂右手にある首振地蔵は願い事のある方向に首を回して拝めば願いが叶えられるといわれ江戸時代以来、衆庶の深甚な信仰を伝統しています

※ 首振地蔵・・江戸中期、借金で首が回らなくなった、祇園の鳥羽八と言う太鼓持ちの死を悼んで芸妓たちが
借金で苦しまないように、鳥羽八の首が回るようにと供養の思いを込めて奉納したとされます
お地蔵さんとは書いてありますが、頭巾を取るとちょんまげがあり、よだれかけに隠れた手には
扇子を持ち、羽織のような着物も着ています
初代の首振地蔵は首を支えている軸の部分がすり減り、頭が落ちることもあったために
現在の首振地蔵は二十数年前に作られた二代目で、初代は背後の格子戸の中にあります

12.01京都旅行

最近のお気に入り

2012-01-21 | もしかして雑記帳?

今年になってフジテレビのドラマ2本、 ラッキーセブン最後から二番目の恋 を観ています
民放のドラマはほとんど観ない私ですが「ラッキーセブン」は北品川商店街、「最後から二番目の恋」は鎌倉
どちらもよく知る土地が舞台という、ただそれだけの理由で、実はストーリーは二の次、三の次です
理由は単純ですが、その中にはちょっとした探し・・ パズルのような楽しみが潜んでいるのです

 たとえば、小泉今日子と中井貴一が極楽寺駅から 御霊神社前の踏切 を渡って家に帰るシーン
『極楽寺駅から歩いたら、神社を背にして踏切を渡るなんてありえな~い』 なんて感じで探し
皆さんにはちんぷんかんぷんと思いますが、あの辺りはよく歩く道だから余計なことが気になっちゃう

もう10年近く前、戸越銀座を舞台にしたドラマの中で ちょっと、そこの公園 のはずが同じ品川区内には違いないけれど、電車や車で移動するほどの距離がある我が家の近所の公園だったこともあります
テレビや映画に登場する場所ってほとんど点で存在し、線や面では繋がっていないということなんですよね

\(・_\)そんな重箱の隅をつつくような話しは (/_・)/置いといて

「最後から二番目の恋」の挿入歌、ヤエル・ナイムの Go To The River にハマっています

Yael Naim - Go To The River


ライブもあります
Yael Naim - Go To The River


1978年、チュニジア系ユダヤ人の両親のもとにパリで生まれた後、思春期から青年期をイスラエルで過ごしたヤエル・ナイムの歌は仏語、英語、ヘブライ語を駆使した言葉の響きとクラシック、フォーク、ジャズが融合したアコースティック・サウンドが軽快でどこかエキゾチックな雰囲気です

・みうじっく

食の円居 なず菜

2012-01-20 | 食べてばっかしやん

うれしいことに、秋篠の森 なず菜清澄の里 粟イ・ルンガ と共に2012年のミシュラン一つ星に選ばれました

結崎ねぶかと菊芋の葛餅おやき 実山椒玉味噌添え海老と銀杏の海老芋包み葛粉揚げ
蟹と干し柿の土佐酢ジュレ数の子と芽キャベツの葛うどんパスタ カルボナーラ風
あわび茸とクレソンのお浸しのひと口寿司太刀魚のソテー 蕪と大根のサラダ添え
大和牛のソテー じゃが芋とセロリの実山椒ソテー甘酒の自家製シャーベット
ご飯 自家製じゃこ煮添え 味噌汁 香の物苺の淡雪

お料理はもちろんですが、盛り付け、食器使い、そしてインテリアに至るまで毎回 勉強になります


12.01奈良旅行・うまいもん

大安寺と八幡神社

2012-01-17 | 奈良が好き!

南都七大寺をご存知ですか?
大安寺・薬師寺・興福寺・東大寺・西大寺・元興寺・唐招提寺(法隆寺)のことですが
奈良の寺院をあちこち訪れる人でも大安寺に行ったことのある人は多くないようです
また、奈良に住んでいても路線バスの停留所で、その名を知っているだけだったり
古刹としてではなく、がん封じのお寺としてお参りされている人も少なくないとか
かく言う私も、30年前に初めて訪れて以来、今回でまだ3回目なんですが・・


しかし、奈良時代の大安寺は 大官大寺 と言って、東大寺・薬師寺・興福寺と言った南都の寺院の諸学派を統合する位置にあったお寺で、東大寺盧舎那仏像の開眼供養の大導師を務めたインド出身の菩提僊那ボダイセンナをはじめ海外からの渡来僧も居住し、多くの経典を有する学術交流研究センターでもあった重要な寺院でした
1枚目の写真は大安寺の南門ですが、当時の南大門は平城京の 朱雀門 と同じ規模、造りだったことが発掘調査で確認されています 南門には少々立派すぎる石段はかつての南大門の基壇を復元したものです

かつての大安寺伽藍ですが、残念ながら現在の大安寺に栄華の面影はありません

上の大安寺境内の図にあるように八幡神社は大安寺のもと鎮守神でした
参道に入り2つ目の鳥居をくぐると神門があります本殿には安産祈願の鳩がたくさん並んでいます
古来より鳩は八幡神の使いとして 崇められてきました


八幡神社中門
神門を入ると、その先には中門・拝殿・本殿とあります 奈良市指定文化財の中門は室町時代に建立された瓦葺の四脚門ですが、左右に翼廊が連なるため割拝殿のようにも見えます

中門前の狛犬

嘉永六年癸丑四月吉日建立



12.01奈良旅行

飛鳥大仏と甘樫丘

2012-01-13 | 奈良が好き!

飛鳥寺は、百済から仏舎利を献じられたことで蘇我馬子が寺院建立を発願し596年に創建された日本最初の本格的寺院ですが、平城京への遷都に伴って平城京外京ゲキョウに移転して元興寺ガンゴウジ と改称されました
現在、明日香にある飛鳥寺は近世に建てられた安居院アンゴインという寺院です
飛鳥大仏は推古天皇が、百済から渡来して馬具製作に携わっていた鞍作止利クラツクリノトリに造らせた釈迦如来像です
制作年代のわかる現存する仏像では日本最古のものと言われています(606年完成)
以来1400年余、飛鳥大仏は2度も落雷で火災に遭い満身創痍になりながら、ずっとこの位置に端座して日本の歴史を見守り続けてきました


聖徳太子孝養像飛鳥大仏阿弥陀如来像


蘇我入鹿首塚

蘇我蝦夷エミシ・入鹿親子は権勢を誇示するかのように飛鳥板蓋宮を見下ろす甘樫丘に砦のような邸宅を築き、入鹿は実質最高権力者としての地位を固めましたが、中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足らによって暗殺されました 飛鳥板蓋宮で切られた入鹿の首がここまで飛んできたと言われています(飛鳥寺西門すぐ)

最後に甘樫丘に上って蝦夷・入鹿親子が見たように飛鳥の景色を見下ろしてきました





12.01奈良旅行・MAGIC HOUR

明日香 (石造物めぐり)

2012-01-12 | 奈良が好き!

歩くだけでも肩にひびくほどのひどい五十肩で歩かなくなったせいか体脂肪が、ここ2,3年で増えてしまいました
そこで、一年の計は元旦にあり! と、元日早々から約30000歩 明日香を歩き回りました

亀石

いつ何の目的で作られたかは明らかではないが、川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石と言う説があります
昔、奈良盆地一帯が湖だった頃、対岸の当麻たいまと川原の間で争いが起こり 長い争いの末、当麻に水を取られ
湖に棲んでいたいたたくさんの亀は死に、哀れに思った村人たちは亀の形を石に刻んで亀の供養をしたといいます
今、南西を向いている亀石が西に向いて当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は泥沼になると伝えられています


江戸時代に欽明天皇陵近くの水田から掘り出された人面石像4体(マウスオン)
猿石と呼ばれていますが猿ではなく渡来人を象ったものといわれています

この2つの石は墳丘土が失くなった古墳の石室で
石室は底石・蓋石・扉石の3つから出来ており、雪隠は底石である鬼の俎(まないた)から横転して落ちた蓋石です(左の蓋の絵は分かりやすく断面にしています)

霧ヶ峰と呼ばれるこの周辺には、鬼が通行人に霧を降らせ、道に迷ったところを捕らえて俎の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説があります



聖徳太子生誕の地とされる橘寺の境内には一つの石に善と悪の二つの顔を持つ二面石があります(マウスオン)


酒船石さかふねいしは石の上面に円や楕円の浅いくぼみを造って、これを細い溝で結んでいます
酒を搾る槽とも油や薬を作るための道具とも言われていますが定かではありません
この石よりやや上に、ここへ水をひくための土管や石樋が見つかっていることから庭園の施設だという説もあります
平成12年(2000)、大規模な発掘が行われ、砂岩でできた湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が
発見され、周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになりました


12.01奈良旅行

たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます
年末年始をのんびりと遊んだ分、今頃そのしわ寄せが来ています
お返事にはもう少し時間がかかりそうです ごめんなさい