2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

アンコール・ワットではない遺跡

2012-03-02 | カンボジア

日本人にとってカンボジアの遺跡と言えばアンコール・ワットではないでしょうか・・
あるニュースを目にするまでは、私もそうでしたが、アンコール・ワットはアンコール遺跡群のひとつなのです

先ず訪れたのは、1113~1145年建設のアンコール・ワットより遡ること200年前後のプラサットクラヴァン
プラサットクラヴァンはハルシャルヴァルマン1世によって921年にヒンズー教の寺院として建設されました
接着剤を使わずにレンガを組み合わせだけの5つの祠堂が基壇の上に東向きで横一列に並ぶ寺院です
中央祠堂以外は崩壊しており、修復工事用のシートがかかっていたりしたものですから、目障りな部分を
避けるよう撮影しましたが、ありのままを撮るべきだったと反省しています

マウスオンで説明が出ます
【プラサット・クラヴァン】


中央祠堂内部の壁3面にはヒンズー教の、宇宙の維持を司るビシュヌ神が浮き彫りにされています
また、北端の祠堂内部にあるラクシュミー(ビシュヌ神の妻 日本では吉祥天)の美しい立像浮彫りは
傑作だと言われていますが、祠堂を修復中で残念ながら見ることができませんでした
【中央祠堂内部のビシュヌ神像】


次に訪れたのは、王や高僧の沐浴のためにジャヤヴァルマン7世が12世紀後半に建設した人工池、スラ・スラン
東西700メートル、南北350メートルの巨大な池は西側にはテラスがあり、池底には石が敷き詰められています
【スラ・スラン】


シェムリアップでは、猫をほとんど見かけないのに犬がやたらと多いのでガイドさんに質問しました
猫は役に立たないけれど、犬はいろいろ役に立つし 食べることもできる       ショックでした
しかし、内戦で全てを失ったカンボジア人にはトイレもなく、池や川の水を飲み、料理をし、体を洗い、洗濯もする 子供たちのおやつは森の中の木の実や虫など
日本人の生活を基準にして彼らの暮らしをとやかく言うことはできません

次はスラ・スランとは目と鼻の先にあるバンテアイ・クディ、「僧房の砦」という意味の寺院です
前王時代にヒンズー教様式であった寺院を12世紀末ジャヤヴァルマン7世が仏教寺院に改修した建物です
約10年前、バンテアイ・クディで上智大学の遺跡調査団が274体の仏像を発掘したというニュースによって
私はアンコール・ワットがアンコール遺跡群のひとつに過ぎないとはっきり認識したのでした

【バンテアイ・クディ】




【地雷で手足や目を失った人たちの楽団】

1991年、20年に及ぶカンボジア内戦が終結しましたが、まだ地雷や不発弾の事故が無くなったわけではありません
今日も、こんな記事を目にしました
毎日中国経済 3月2日(金)18時12分配信
【新華社プノンペン3月1日=王其氷】カンボジアのプレアヴィヒア州の小学校で1日、不発弾が爆発し、児童11人が
負傷した。爆発が発生した小学校は、プノンペンの北西500キロに位置。同州警察によると、同日午前7時40分、
児童の1人が校外から拾ってきた弾丸(長さ60ミリ)で同級生と遊んでいたところ、弾丸が机とぶつかって爆発。
女子6人を含む児童11人が負傷し、うち3人は重傷だった。
カンボジアは世界で地雷・不発弾が最も多い国の一つで、同州は地雷が最も多い地域の一つ。同国では1979年から
2011年末までに、地雷の爆発に6万4000人以上が巻き込まれ、うち約2万人が死亡した。


'12.02カンボジア旅行


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-03-03 21:07:29
修復工事中だったのは 残念でしたね。
でも神秘的な遺跡を見ることができて yoccoさんが羨ましいです。

地雷・不発弾の処理を日本からボランティアで行ったとかTVで見たことがあります。
どのくらい埋まっているのでしょうね。
簡単に処理できないから恐いですね。
返信する
(◎_◎) あっ、 (midori)
2012-03-03 21:09:29
すみません。
名前を入れたつもりでしたのに
無記名でした
返信する
政情不安 (かっちゃん)
2012-03-04 14:22:55
少ない情報ですが、カンボジアの政情不安は今も無くなっていないと思っています。特に未処理の地雷の多さや怪我をする子供らの多さに腹立たしくてやり切れません。
南国特有の感染症も貰わず無事に帰れたことをまずは喜ばせてもらいます。
返信する
追伸 (かっちゃん)
2012-03-04 14:27:24
写真がちっちゃいやん。もっともっと大きい写真やと迫力があるのにさ。
枚数は少なくても大きい写真が観たいわぁ~ 
返信する
永い歴史 (酉三1112の日記)
2012-03-06 21:09:15
こんばんは、永い宇宙のほんの少しの営みが我々の世界ほんの一かけら。
まるで何億光年の世界を眺めてるようですね。
日本にもそんな昔があったのかと思う、この写真がクヨクヨすることなく生きて行けよと言っているようです。

返信する

コメントを投稿