2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

なかむら @ 祇園

2012-05-30 | 食べてばっかしやん

花見客でにぎわう祇園で暴走車にはねられ18人が死傷した、おぞましい事故はまだ記憶に新しいですが
惨憺たる事故現場となった四条縄手通交差点から加害者の車が走ったと同じ経路で大和大路通を北上して
その軽自動車が激突した電柱の、まさに斜向かいのビルの2階に なかむら はあります
事故直後は脳裏にちらつく映像を振り払えず、すでにとっていた予約をキャンセルしようかと迷いましたが 
「お店と事故は全くの無関係なんだから、行こうよ」と言う夫の一言で思いとどまって・・  正解!でした

鶏皮と野菜
特製パンと焼フルーツトマトとソース(バジル風味?)トマトを潰してソースと混ぜてパンにつける 美味
天草大王(鶏)三種鶏のレバーペーストとパン
アスパラ・そら豆・長いも・新じゃが・名残の筍隣の女性の「お変わりしたいくらい美味しい!」に納得
宮崎尾崎牛 美味しい牛肉です土鍋ご飯と鶏のスープとご飯の友


食べてばっかしやんっ・・ と仰る、そこの「か」で始まるお方
滋味あふれるほんまもんの京野菜と厳選された食材
なんで、これを食さずにむざむざ帰られましょうか

ご飯の友にも出てきた「塩」、これがまた素晴らしいのです
お肉にもしっかり塩気を感じるのに塩辛くなく旨みがあります
奥能登の手作りの塩だそうです  この かな?
経験はありませんが・・ この塩だけで日本酒が飲めそう


最後に・・
全くの偶然ですが
仏教では、今日は事故で命を落とされた方々の七七忌にあたります
皆さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます


'12京都旅行・うまいもん

花背から美山へ

2012-05-28 | 桜まつり

峰定寺以降の、その日のスケジュールは夜の食事が決まっているだけ
まだ時間はたっぷりあるので久しぶりに美山のかやぶきの里に行きました
その途中、今年はもうおしまいと思っていた桜が・・ いたる所で満開でした
山々に囲まれ、寒暖の差が大きい花背は5月に桜が満開になるのだとか



花背の地名は「花の美しい、北の山の背中」から来ているそうですが、なんだか分かるような気がしませんか
佐々里峠を越えると南丹市美山町です かやぶきの里に着いた頃にはポツリポツリと雨粒が落ちてきました
花背では青空が見えていたのに山ひとつ越えるとお天気も変わるのでしょうか、ついには雷雨になりました


傘をさしながらの撮影は、ちょっと大変でしたが、むしろ雨が降って、いい雰囲気になったような・・

'12京都旅行・桜

花背の大悲山 峰定寺

2012-05-27 | はんなり京都

飛び入りでボストン美術館展が入ってしまいましたが、また京都の話に戻ります
家にあったガイドブックに5月は峰定寺ぶじょうじのシャクナゲが見事だと紹介されていたので
お寺に花の咲き具合を問い合わせると・・ 少しだけれど今日はまだ見られますよ
という返事 とりあえず、他に予定はないので、市街からちょっと足を伸ばすことに


峰定寺は鞍馬山のさらに北方、花背地区の一番奥の花背原地町にある山寺です
桂川の源流のひとつ 寺谷川沿いに仁王門があり、更に山道を15分登った先に清水寺と同じく
断崖に迫り出した、日本最古の舞台造の本堂があります
本堂はトップの写真の仁王門と共に国の重要文化財に指定されていますが
何ゆえ、仁王門の写真だけで舞台造の本堂の写真が無いかと言いますと・・
仁王門をくぐる前に寺務所に、お財布やハンカチ等以外の持ち物は全て預けるのです
もちろん、仁王門から先の撮影はです(と言うか、その前にカメラが無い
8年前に峰定寺参道にある美山荘を訪れた時、ついでに()立ち寄っているのですが
このことをすっかり忘れていました
しかし、写したいと思っていたシャクナゲの群生も本堂の裏山に僅かしかありませんでした
後で、シャクナゲが見事とガイドブックに・・ と言ったら「ずい分古いガイドブックでしょう」と
寺務所の女性に笑われてしまいました
以前は山一面がシャクナゲでピンクに染まるほどだったそうですが、もう20年以上前、鹿に食べられて無くなってしまったのだそうです
古いと言っても5年前のガイドブックなのに、現地に確認もとらないで同じ内容を繰り返し載せるなんて、ひどいと思いませんか
でも、でも、でも、峰定寺に行ったことは決して無駄足だったわけではありません
峰定寺は鳥羽上皇の勅願により創建され、本堂や仁王門の造営には信西と平清盛が当たったというのですから、大河ドラマをを見ている私たちにはタイムリーな場所と言えるでしょう

峰定寺の参拝を終えると、ちょうどお昼時・・ 以前も立ち寄った 桂雅堂 で冷たい山菜そばを食べました
お蕎麦の美味しさは言うまでもありませんが、特筆すべきは採れたての山菜・・ 瑞々しくて美味しいのです


桂雅堂の目の前の山にシャクナゲの群生がありました(肉眼で見るともっともっといっぱいです)

'12京都旅行・うまいもん

ボストン美術館 日本美術の至宝

2012-05-25 | ちょっとお出かけ

遅ればせながら、漸く東京国立博物館の特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝 に行ってきました
世界中から多様な時代・ジャンル作品収集が続けられ、収蔵昨品は45万点以上に及ぶボストン美術館
中でも欧米に於いて質・量ともに最高を誇るのが日本美術コレクションで収蔵品は十万点を超えます
その膨大な収蔵品から、今回日本が厳選した作品、要望がほぼ受け入れられて92点が里帰りしました

東京国立博物館 平成館内 撮影はここまで図録

入場規制の待ち時間が少し減るまでと、旧東京音楽学校(現・藝大)奏楽堂藝大美術館 へ行きました

日本初の本格的西洋式音楽ホールは中央部天井をヴォールト状にするなど音響への配慮
壁面・床下に藁・大鋸屑を詰めた層を設けるなど遮音への配慮がなされています
また、日本最古級のコンサート用パイプオルガンは現存日本唯一の空気式アクション機構

右上の写真を含め、天井にはこのように装飾が施されたものがありますが、その用途が何かは確認できませんでした

芸術の森を意識して? 上野公園の施設案内も凝っています


明治初期の日本では廃仏毀釈によって仏像や仏画など貴重な文化財が破壊され、多くの寺院が困窮を極め、現在国宝となっている奈良・興福寺の五重塔が売りに出され、薪にされそうになったなど、大寺院ですら伝統の寺宝が叩き売られる状況にありました
日本の美術に深い関心を寄せ、その収集と研究に傾倒していたフェノロサは、明治維新後の盲目的な西洋崇拝の風潮で日本の古美術品が軽視され、見捨てられている中、単に趣味としてコレクションするだけでなく、国家による保護が必要であると強く感じました
フェノロサは文化財行政に関わって古社寺の仏画や大名の旧蔵品などを手に入れる機会を得たことにより、他のコレクションには不可能なほどの優品が集まりましたが、そのコレクションはボストン美術館に寄託するという条件で明治18年(1888)、ボストンの外科医ウェルドに譲渡されました
一方、フェノロサによる古美術品の散逸と流出防止の提言は実現への道を歩んでいましたが、これは提唱者であるフェノロサに、散逸の防止としての収集活動が海外流出を生むという矛盾を自覚させるものでした
それはフェノロサの弟子で文化財行政の推進役であり、帝国博物館設立時には美術部長を務め、後にボストン美術館の中国・日本部長となった岡倉天心にとっても同じ問題となって行きます

日本にあれば、国宝・重文級のものばかりですから、どれも見応えがあり圧倒されます
それをひとつひとつ見落とすまいとじっくり鑑賞したら・・ どっと疲れが出てしまいました
でも... 機会があれば、もう一度(否、何度でも)観に行きたいッ
とくに『吉備大臣入唐絵巻きびだいじんにっとうえまき』と『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』の 二大絵巻
曽我蕭白そがしょうはくの『雲竜図』との出会いはこの上ない感動の瞬間でした


博物館めぐり

修学院離宮

2012-05-23 | はんなり京都

修学院離宮は後水尾ごみずのお上皇の指示によって修学院の地に広大な山荘を造営したことに始まります
上離宮・上の茶屋、中離宮・中の茶屋、下離宮・下の茶屋に分けられて、周辺景色に、田園風景や
そこで働く人々 そして山々をもとり込んだ作庭がなされている池泉回遊式の広大な庭園です
数寄屋造の代表事例の 桂離宮 とならんで、江戸初期の代表的山荘とされています
現在、周囲の農地は修学院離宮の景観を保全する為に宮内庁が買い上げ、一般の農家に耕作して
もらっています ここで収穫されるお米や野菜はそれだけでブランドですね

田植前の草ぼうぼうの田んぼの向こうに見える三段の生垣の上に下離宮があります
下離宮 寿月観 「虎渓三笑」の襖絵 何かに夢中になって他のことを忘れてしまうという意味で
話に夢中になって、怖い虎の出る場所を気付かずに通り過ぎてしまい、三人で笑っている絵

寿月観はこけら葺き数寄屋造りで雨どいは竹を半分に割って中の節をとったもの


階段の土留めの木は擬木のように見えて、実は本物の木です その証拠に草が生えていたりします

漁業の網を岸辺に干している様子を表す網干の欄干中離宮 客殿のかすみ棚は天下の三棚のひとつ


上離宮 隣雲亭から浴龍池を見る


茶室・窮𨗉きゅうすい亭のある中島と万松塢ばんしょううと呼ぶ中島を繋いで架けられた千歳橋


浴龍池の楓橋辺りは楓の紅葉が見事だそうです 橋を渡ると茶室窮𨗉亭があります


土橋は栗の手斧削りの欄干を持ち、ゆるく反りがある橋です


浴龍池から上離宮の隣雲亭を見る

前回は夏、今回は初夏、次回は是非とも紅葉を見たい修学院離宮です
旅行前に決まっていたスケジュールは、富本憲吉記念館と修学院離宮と食事だけ・・ と、前に書きましたが
今回の旅は、そのスケジュールと宿泊地が全くかみ合いませんでした
京都で食事をして奈良に泊まるのも変則的でしたが、修学院離宮の参観も申し込みの返信はがきに印刷されていた時間は、京都のホテルに移動する日の午前9時、朝一番の組です
ホテルに荷物を預けてから行ける時間が当たると(勝手に)思っていましたが... そんな余裕はありません
いろいろ考えた末、一日だけレンタカーを借りることにして、早朝 奈良から修学院離宮へ直行することに
今回の宿泊は京都だけにしてもよかったみたい   世相を反映して、この旅行もねじれ現象でした


'12京都旅行・京都の橋

和 やまむら (今朝の金環日食も)

2012-05-21 | 食べてばっかしやん

奈良は東京や京都(大阪は何分にも未体験ゾーンなので・・ )に比べ、飲食店が少ないこともあって
これまでにミシュランに選ばれたお店25店のうち★、★★を合わせると7店行っています
でも、★★★に唯一選ばれた和 やまむら には行ったことが無かったので、今回行ってみることに・・

その前に、興福寺の 北円堂(国宝)が特別公開だったので・・

弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏されたお姿の、北円堂の本尊像・弥勒如来坐像(国宝)と
5世紀頃に法相ほっそう教学を確立した 無著世親むちゃく せしん兄弟の立像(国宝)に会いに行きました


和 やまむら胡麻豆腐・バイ貝・海老・他
卵豆腐と海老しんじょう鮪・鯛・烏賊
鰆の幽庵焼賀茂茄子の揚げ浸
七種類の中から三品を選んで・・
ポテトサラダ・セロリ酢の物・和牛肉ワイン煮おから・つぶ貝酒煮・地鶏塩焼
二種類のご飯から選んで・・
筍ご飯・香の物・味噌汁山椒ちりめんご飯・香の物・味噌汁
菊水楼の元料理長が満を持して出した「和やまむら」
日本料理の基本に則ったお料理はとても美味

ごちそうさまでした
苺のゼリー寄せ


今朝、金環日食を見ることが出来ました
太平洋地域各地の広い範囲で観測できたのはなんと平安時代以来932年ぶりだとか
見えるかどうか分からないのに ND100000 を買うのはためらわれ、けっきょく買わなかったのですが、ひとつの日食グラスを夫と交互に使っているうち、ふと見上げたお隣のマンションの窓ガラスに映る丸い輪の太陽を発見! 慌ててカメラを持ってきて写してみました
間接撮影の金環日食はダブってますが備忘録として


'12奈良旅行・うまいもん

富本憲吉記念館が今月いっぱいで閉館してしまう!

2012-05-19 | 奈良が好き!

今から57年前、第1回の重要無形文化財保持者(平たく言えば人間国宝)に認定された富本憲吉は
明治19年(1886)、奈良県生駒郡安堵村(現 安堵町)の、旧家の長男として生まれました
東京美術学校で建築図案を学び、イギリス留学中 ウィリアム・モリスの工芸思想 に影響を受け帰国
バーナード・リーチと交友を深めて行く中で、陶芸に興味を持つようになり、独学で作陶を始めました
「模様から模様を作るべからず」を信条として、作家自身の個性的な形・模様を打ち出すことを主張し
作品には身近な風景や植物などを図案化したものが多く、常に独創的な意匠・造形を追求し続けて、
晩年には色絵磁器に金銀彩を加えた華麗な作風を大成しました
代表的な常用模様には「大和川急雨」「竹林月夜」「四弁花」「羊歯」などがあります


富本憲吉記念館入口は安永年間築の、生家の長屋門です

同じ像が対になって廟の道の両側に並んでいたであろう朝鮮半島の石像


井戸の向こうの樫の木に絡むテイカカズラの花は意匠として常用された
石像ばかりの所になぜヤカン?この羊も向かい合って対になっています

大和民家様式の本館(1974年竣工)

安永年間築の、生家の土蔵を展示室にして大和時代と呼ばれている初期の作品が展示されている
土蔵の展示室一階

土蔵の展示室二階

90年も前に作られたとは思えぬ砥部焼のモダンな白磁八角コーヒーセット
1914年築の土蔵を大阪から移築し第二展示室とする
一階は東京時代、二階は京都時代の作品を展示
第二展示室前の用水桶と甕

色絵金彩四弁花模様陶筥(四弁花はテイカカズラを図案化したもの) 東京時代(1927~1945)の作品
安堵村の生家付近の大和川の風景を描いた壷を陶板の図柄としている 東京時代(1927~1945)
第二展示室二階、ここには京都時代(1946~1963)の作品が展示されている
磁器色絵 大和川風景と四弁花角瓶 1949年頃の京都時代の作品


本館の奥にある富本憲吉が晩年愛用した離れ屋、生家の建物で安永年間築

外遊後、大和安堵村の自宅でくつろぐ憲吉 ↑ の写真の部屋です

安堵の町の花でもあるテイカカズラは富本憲吉の作品に意匠として常用されています


富本憲吉記念館 は富本憲吉没後11年の1974年、安堵村出身の前館長・辻本勇氏が私費を投じて
富本家から生家を購入・改修した後、開館した個人美術館で、辻本氏自身のコレクションを展示し、
富本ファンや研究者のために貢献してきました
3年前に辻本館長が亡くなられ、遺族から奈良県や安堵町に移管されるよう申し出があったようですが
どこも受け入れることはなかったのか・・ 結局、館蔵品の1/4が兵庫県陶芸美術館へ、あと1/4が
大阪市立美術館へ寄贈されて、記念館に残ったのは半分になってしまいました
近代陶芸の父にして人間国宝の富本憲吉氏の記念館が不況下とは言え、こんな扱いでいいのでしょうか
非常にさみしい現実です

※ 富本憲吉記念館は平成24年10月より富本憲吉文化資料館として毎週土・日曜の週2日だけ開館されることが決定したようです



'12奈良旅行

上賀茂 秋山

2012-05-15 | 食べてばっかしやん

上賀茂 秋山 は京都市内と言っても喧噪の市街から少し離れた上賀茂の山の際にあります
古い民家を改修した店は日本の原風景に通じる、どこか懐かしさを覚える佇まいです
もともと取れにくかった予約が、ミシュラン☆に選ばれてからはますます難しくなってしまい
予約受付の日に電話がつながるか・・ つながったら限られた日程の中で予約が取れるか・・
そんなこんなで旅行者にはきわめて予約困難なお店ですので、この日の宿泊は奈良でしたが
やっととれた秋山の予約をみすみす諦めるわけにはいきません
終日 京都をさまよって、奈良にたどり着いたのは午前0時近くでした (/0 ̄)ふぁ~ねむい
鱸と大根づくし(大根の花や実)アイナメと筍
ミル貝、明石のハリイカ、明石の鯛、他明日から連休のため、ウニはオマケだそうです
間人(たいざ)の鯖 松輪の鯖と甲乙つけがたい!黒米を一晩水に浸けてミキサーにかけたお粥
筍、他は失念 明石の蛸
新玉ねぎとトリ貝麩麺なのか、ふーめんなのか・・
鶏すき鍋とご飯鶏すきをお好みで卵でとじて、ご飯と頂きます
朝摘み苺とマンゴー別室で手作りの柏餅と秋山さん自らが点てるお抹茶

HANA吉兆で修業をされた秋山さんは、大阪池田の出身とか・・
ところどころに笑いを交えた話術は、やっぱり大阪人


12.05京都旅行・うまいもん

梅宮大社の神苑とRISTORANTE Azekura

2012-05-14 | はんなり京都

長岡天満宮と乙訓神社に行っても、まだ時間はたっぷりあるので 梅宮大社うめのみやたいしゃ の神苑に行ってみました

【梅宮大社】


梅宮大社の次は目的の地、上賀茂へ・・ でも、まだまだ時間があるので寄り道です

RISTORANTE Azekura



RISTORANTE Azekura は 結婚式場の愛染倉あぜくら にあるイタリアンレストランですが、とてもよい雰囲気のお店でした

※ この日の目的の場所は次回アップ予定です


'12京都旅行

乙訓寺の牡丹

2012-05-12 | はんなり京都

乙訓寺おとくにでら





ところで、時間はたっぷりあるので長岡天満宮からシャトルバスを利用しないで乙訓寺までブラブラと歩いていたら
お店自慢の美味しい焼豚やコロッケを売っているお肉屋さんがありました そろそろ、お腹も空いてきたことだし・・


焼豚もコロッケも、それから長岡天満宮前の林直売所で買った 完熟かじとまと も美味しかったぁ

※ 長岡天満宮のキリシマツツジは前頁です

'12京都旅行・うまいもん