2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

なんと一年ぶりです

2014-11-20 | 奈良が好き!

カテゴリーに『奈良が好き!』を掲げているのに、最後に奈良を訪れたのは 一年近く前
今年は色々な地を旅したけれど、「奈良」の名は一向に夫の旅のリストに上らない
先週、souuさんの『大古事記展』を拝見して、その禁断症状もピークに達した頃
「日帰りでもいらっしゃれませんか?」と、souuさんに背中を押していただきました
留守が多いと(=・ェ・=)(=^・^=)も心細そうにしているけれど、夫が家にいる日なら行ける!
思い立ったら吉日とばかり、深夜にインターネットで東京⇔奈良日帰りチケットをとって
昨日、奈良県立美術館に『大古事記展』を観に行って来ました

【奈良市総合観光案内所(旧JR奈良駅舎)】

当然のことながら、展示品は一部を除いて撮影禁止なので、写真は一切ありませんが
国宝・石上神宮イソノカミ   伝世品の 七支刀、偶然が重なって大発見となった 太安萬侶 の墓誌など
その場所を訪れて以来、ずっと見たかったものを目の当たりにして、感動も一入でした
souuさん、思い切って奈良に行ってよかったです
リフレッシュして来ました ありがとうございます

展示品の代わりに、奈良の紅葉をどうぞ
【旧東大寺境内 西大門址】




【大仏池】


【講堂跡礎石】


【大仏殿 西回廊】


【戒壇院 戒壇石】
たいていの人は気づかずに通り過ぎますが、戒壇院の境内には石標がいくつかあります
これは、門に至る石段の下にある戒壇石「大界外相」です
門の脇には「大界内相」、戒壇堂前には「戒壇外相」と刻まれた戒壇石があります
戒壇石は、お寺や清浄な場所の境界にある結界石の一つで「ここからは聖域」と伝えるものです

【勧進所 戒壇石】


14.11奈良日帰り旅行・紅葉狩

東大寺 万灯供養会 & Nino

2013-10-16 | 奈良が好き!

なら燈花会 が終わった翌日の8月15日は、東大寺万灯供養会 です
この日と元旦だけ、大仏殿正面の観相窓が開かれ
その窓から大仏様のお顔を参拝することができますが
たくさんの灯籠が置かれる万灯供養会は一段と幻想的です

参拝後は近鉄奈良駅前の Nino でイタリアンと言うか、久々の洋食
気取らず親しみやすいオーナー、西野さんの人柄そのものの美味しいお料理でした


13.08奈良旅行・うまいもん・NIGHT BIRD


平城京どうぶつえんと室生寺

2013-10-14 | 奈良が好き!

京都国立博物館の 百獣の楽園、静嘉堂文庫美術館の せいかどう動物園 など
生き物を主題にした企画展は可能な限り行きたいと思う私・・
平城宮跡資料館で 平城京どうぶつえん という展示があるので行ってみました
現代でも遜色ない観察力ですね~

室生寺

奈良に行くと、時間が許す限り必ず訪れる葛きりの やまが、やまがに行けば、もちろん室生寺にも・・ 本末転倒(笑
最近、堂内のライトをLEDに替えたので、国宝や重文の仏像 がとてもよく見えるようになりました
奈良にいらしたら、ぜひ室生寺まで足を延ばして新しくなった照明の下で仏像を拝観してください

※ マウスオンで画像の説明が出ます


13.08奈良旅行・博物館めぐり・平城宮跡資料館

唐招提寺の呵梨勒守

2013-10-01 | 奈良が好き!

今年は鑑真和上の1250回忌にあたる50年に一度の大法要の年です
まほろば館 の「唐招提寺法話会」を受講した際に頂いた引換券で
鑑真和上1250年御諱ぎょきに配られた記念品を唐招提寺で頂いてきました
唐代を代表する名医でもあった鑑真和上推賞の呵梨勒丸かりろく  は帝釈天の処方薬で
配合剤の呵梨勒は仏典の植物として知られ、最勝王経では薬中の王と称えられております。
正倉院には和上がもたらしたといわれる千個のうち一個だけ伝わっていますが、
入手困難のため果実を模した細工品を邪気除けの縁起物とする風習が知られています。
当山では災厄消除と健康を祈念して呵梨勒一個を、和上将来の裂地「方円彩糸花網」を
織り込んだ御守袋に納めて記念品といたしました。

唐招提寺 金堂


金堂の軒下四隅に配された隅鬼すみおに
隅鬼は魔除けの意味もある邪鬼のことですが
「金堂を1200年以上守ってくれたのに、悪い意味を持つ邪鬼では申し訳ない」と
唐招提寺では、これからは「隅鬼」とよぶことにするということです
尚、3体の隅鬼は創建当初の作と判明し、残る1体は江戸時代のものです
西南の隅鬼
江戸時代・17世紀
東南の隅鬼
奈良時代・8世紀
東北の隅鬼
奈良時代・8世紀
西北の隅鬼
奈良時代・8世紀

国宝鑑真和上坐像の お身代わり像 が安置された開山堂の門と塀の瓦

開山御廟
同時期の高僧の中で墓所がはっきりしているのは数少ないそうです


13.08奈良旅行

卑弥呼が眠る?

2012-09-06 | 奈良が好き!

纏向マキムク遺跡を歩きました
孝霊コウレイ天皇皇女倭迹迹日百襲姫命ヤマトトトヒモモソヒメノミコト大市墓として宮内庁が管理する箸墓古墳(全長約280mの前方後円墳)
古墳時代の始まりは3世紀末とされていたのが、最近では年輪年代法による測定で3世紀中頃という見方が
大勢となり、箸墓古墳は248年頃に亡くなった卑弥呼の墓ではないかという説が一気に現実味を帯びてきました

北口塚古墳小川古墳

茅原大墓チハラオオハカ古墳(箸中古墳群の中ではこれだけ4世紀末)
箸墓古墳から500mに位置する茅原大墓古墳は全長86mで、後円部は72m、前方部はわずか14mと短く
ホタテ貝のような形から帆立貝式古墳と呼ばれています
このアンバランスな形は、大王クラスが葬られた前方後円墳よりランクが下とされていますが、邪馬台国の
末路にかかわるカギを握るとして、近年の発掘で脚光を浴びています


※ 箸墓古墳の被葬者は倭迹迹日百襲姫命とされていますが、生没は紀元前92年以前~紀元前88年以降で
  古墳が出現する以前の人物です
  また崇神紀十年の条に記されている箸墓伝説では倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが
  大物主の本体が蛇であることを知り驚いて倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだとありますが
  その時代、箸はまだ無かったとされています


12.08奈良旅行

やっと・・ part 3

2012-09-02 | 奈良が好き!

ここ、平城京左京三条二坊宮跡庭園の前は車でよく通っているのですが、中に入るのは初めてです
平城京の左京三条二坊六坪と呼ばれる 場所 にあった庭園だからでしょうが、長い名前ですねぇ
園池は玉石を敷き詰め、要所に片麻岩や花崗岩などの景石を配する技巧的なもので
東の山並みを背景に池を鑑賞できるよう、池の西側には建物が建ち並んでいました
出土した木簡や瓦等から、公的な園遊施設であったと推察されます

古代の庭園文化史上極めて重要な遺跡であることから、昭和53年に国の特別史跡に指定されました

鮑、牛乳、山口県から塩、夏には氷室から氷を取り寄せるなど、当時の貴族の贅沢な暮らしぶりが
出土した木簡から判明して、世間を驚かせた長屋王の屋敷跡は、この庭園の向かい側です
長屋王邸はデパート建設のために、その遺構のほとんどが破壊されてしまい、非常に残念です

そして、今・・ 長屋王邸跡(現イトーヨーカドー)の北西に隣接する平城宮跡ですが
駐車場のコンクリート下に眠る木簡も、環境の変化による劣化が危惧されています
原状回復せず、古代を読み解く大事な宝庫がみすみす、その価値を失うことになれば

平城宮跡の世界遺産登録は取り消されてしまうかも知れません


12.08奈良旅行

きたまち散策

2012-08-30 | 奈良が好き!

奈良でお気に入りのお蕎麦屋さんがいくつかありますが
東向北商店街から一本西の中筋町にある そば切り百夜月 もその一つです
ちょっと固めの蕎麦は、その時々の一番美味しい産地のそば粉を選んでいます

百夜月は以前アップした そば切り川名 とは兄弟弟子にあたります

今回はおろし蕎麦と夏限定の水茄子の冷やしそばのぶっかけを選びました
ところで、「百夜月ももよづき」って洒落た店名と思いませんか? 実は店主のおじいさんが住んでいる三重県の地名で
奈良・三重・和歌山の県境にあるそうです  地名の由来に興味を持たれた方はこちらから 百夜月
その百夜月に置いてあった雑誌から情報を仕入れて、いつも素通りだった「きたまち」を散策をすることに・・

鳥居はあるけれど・・ でも入られない・・ 神社じゃないの? と思っていたら、由緒ある初宮神社でした
由緒は古く、奈良に都があったとき、宮中で神祇官じんぎかんの祀っていた八神殿である。
崇徳天皇長承元年 春日若宮創立の頃、九月一日この八神の外に伊勢・春日・住吉の大神を併せお祀り
したもので若宮おん祭には田楽法師は必ずここにお参りして芸能を奉納、当日の事始めをする古例である。
これがため、初度の宮ともショウす。 現在でも祭礼当日 ここで田楽を行う。
旧鍋屋交番 きたまち案内所は明治41年に「鍋屋の交番」として設置された建物でしたが、数年前に
その役目を終え、今年7月1日より「奈良市きたまち鍋屋観光案内所」として新たなスタートを切りました
そして、きたまち案内所の向かい側には奈良女子大があります  ちょっと見学させていただきました

守衛室(重要文化財)

旧本館は大学本部と講堂として使用されていましたが、現在は記念館となっています(重要文化財)
奈良女子大は江戸時代、大和一円を統治した奈良奉行所があった場所でした
堀で囲まれた奈良奉行所の敷地は約29,000平方メートル、奉行所として日本一の規模だったとか
奉行所の向かい側にあった寺川道具店には、奉行所の中を覗けないよう、2階に窓はありません
寺川道具店を撮影していたら、突如、鹿が前を駆け抜けていきました

旧鍋屋交番 きたまち案内所と同じ7月1日、築200年の元造り酒屋さんが ワインの王子様 に生まれ変わりました


12.08奈良旅行・うまいもん


やっと・・ part 2

2012-08-25 | 奈良が好き!

観光客で賑わう近鉄奈良駅前の東向通アーケードの中ほどに、純和風建築の教会堂があります
教会が出来たのは1930年ですが、間近に興福寺南円堂や三重塔、北円堂があることから
洋風建築は風致を損なうと言う理由で許可が下りず、奈良ホテルに準ずる純和風教会堂となりました
設計・建築は以前アップした 桃山基督教会 と同じく、又この教会の信者でもあった大木吉太郎です



信者さんに混じって日曜礼拝に参加させていただきました
他の教会では見られない七宝焼きの十字架と壷は当時の奈良帝室博物館館長・久保田カナエのアイデアで
シルクロードの終着地であった古代大和や正倉院宝物を意識して作られたそうです
教会のために特別に設計されたドイツのボッシュ社製パイプオルガンは1228本のパイプからなるといいます
また、中心につけられた模様はパイプオルガンを設計した人が十字架の模様を見て真似たのだそうです

一般に教会は誰でも入られる場所ですが、ここ奈良基督教会はいつ行っても門が閉められており
今回ようやく中を見せていただくことが出来ました
礼拝の後、丁寧に説明をしてくださった小野さんによると、大阪教育大学附属池田小学校の事件が
起きて以来、付属幼稚園があることから門はいつも閉じているそうで、インターホンでその旨を伝えれば
いつでも見学させていただけるとのことでした
小野さん、その節は大変お世話になりました ありがとうございます


12.08奈良旅行

富本憲吉記念館が今月いっぱいで閉館してしまう!

2012-05-19 | 奈良が好き!

今から57年前、第1回の重要無形文化財保持者(平たく言えば人間国宝)に認定された富本憲吉は
明治19年(1886)、奈良県生駒郡安堵村(現 安堵町)の、旧家の長男として生まれました
東京美術学校で建築図案を学び、イギリス留学中 ウィリアム・モリスの工芸思想 に影響を受け帰国
バーナード・リーチと交友を深めて行く中で、陶芸に興味を持つようになり、独学で作陶を始めました
「模様から模様を作るべからず」を信条として、作家自身の個性的な形・模様を打ち出すことを主張し
作品には身近な風景や植物などを図案化したものが多く、常に独創的な意匠・造形を追求し続けて、
晩年には色絵磁器に金銀彩を加えた華麗な作風を大成しました
代表的な常用模様には「大和川急雨」「竹林月夜」「四弁花」「羊歯」などがあります


富本憲吉記念館入口は安永年間築の、生家の長屋門です

同じ像が対になって廟の道の両側に並んでいたであろう朝鮮半島の石像


井戸の向こうの樫の木に絡むテイカカズラの花は意匠として常用された
石像ばかりの所になぜヤカン?この羊も向かい合って対になっています

大和民家様式の本館(1974年竣工)

安永年間築の、生家の土蔵を展示室にして大和時代と呼ばれている初期の作品が展示されている
土蔵の展示室一階

土蔵の展示室二階

90年も前に作られたとは思えぬ砥部焼のモダンな白磁八角コーヒーセット
1914年築の土蔵を大阪から移築し第二展示室とする
一階は東京時代、二階は京都時代の作品を展示
第二展示室前の用水桶と甕

色絵金彩四弁花模様陶筥(四弁花はテイカカズラを図案化したもの) 東京時代(1927~1945)の作品
安堵村の生家付近の大和川の風景を描いた壷を陶板の図柄としている 東京時代(1927~1945)
第二展示室二階、ここには京都時代(1946~1963)の作品が展示されている
磁器色絵 大和川風景と四弁花角瓶 1949年頃の京都時代の作品


本館の奥にある富本憲吉が晩年愛用した離れ屋、生家の建物で安永年間築

外遊後、大和安堵村の自宅でくつろぐ憲吉 ↑ の写真の部屋です

安堵の町の花でもあるテイカカズラは富本憲吉の作品に意匠として常用されています


富本憲吉記念館 は富本憲吉没後11年の1974年、安堵村出身の前館長・辻本勇氏が私費を投じて
富本家から生家を購入・改修した後、開館した個人美術館で、辻本氏自身のコレクションを展示し、
富本ファンや研究者のために貢献してきました
3年前に辻本館長が亡くなられ、遺族から奈良県や安堵町に移管されるよう申し出があったようですが
どこも受け入れることはなかったのか・・ 結局、館蔵品の1/4が兵庫県陶芸美術館へ、あと1/4が
大阪市立美術館へ寄贈されて、記念館に残ったのは半分になってしまいました
近代陶芸の父にして人間国宝の富本憲吉氏の記念館が不況下とは言え、こんな扱いでいいのでしょうか
非常にさみしい現実です

※ 富本憲吉記念館は平成24年10月より富本憲吉文化資料館として毎週土・日曜の週2日だけ開館されることが決定したようです



'12奈良旅行