五島美術館の特別展 存星-漆芸の彩り- の最終日が迫っているので 久しぶりに雲ひとつない青空ということもあり、世田谷まで行って来ました 「存星」に関する説明は私には難しいので、リンク先でご覧いただくとして ここでは、元は五島家の庭であった美術館庭園の紅葉をご覧ください |
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五島美術館の特別展 存星-漆芸の彩り- の最終日が迫っているので 久しぶりに雲ひとつない青空ということもあり、世田谷まで行って来ました 「存星」に関する説明は私には難しいので、リンク先でご覧いただくとして ここでは、元は五島家の庭であった美術館庭園の紅葉をご覧ください |
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さて、今年の紅葉狩もこれが最後 トリは鹿ケ谷の法然院と安楽寺です |
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法然が弟子の住蓮・安楽と共に、阿弥陀仏を昼夜に6回拝む六時礼賛を修した旧跡と伝えられています |
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安楽寺は、山号を住蓮山といいます 法然院の説明に書いた住蓮と安楽がそのまま山号と寺号になったのですが その由来を書いていると長くなりますので、興味を持たれた方は 安楽寺の由来 をご覧ください |
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式年遷宮が行われた伊勢神宮を京都から遥拝しようと、紅葉の穴場日向大神宮にお参りしました |
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一の鳥居をくぐり少し歩くと、琵琶湖疏水のほとりに旧御所水道ポンプ室(九条山浄水場ポンプ室)が見えます かつて御所に防火用水を送るためのポンプ室だったそうで、奈良国立博物館、京都国立博物館や赤坂離宮を 手掛けた片山 東熊の設計による重厚な建物です |
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参道とも言えないような細い山道を15分ほども歩いたでしょうか、ようやく神社らしき様相を呈してきました 階段を上って鳥居をくぐると、拝殿の向こうに天津彦火瓊々杵尊と天之御中主神を祀った外宮が その奥の橋を渡った階段の上に天照大御神を祀った内宮があります |
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食事の予約時刻までまだ少し余裕があるので、大徳寺塔頭寺院の 秋の特別拝観 に行ってみました 紅葉がきれいなお庭は撮影禁止だったり、撮影OKのお庭ではすでに陽が傾きかけていたり・・ ![]() |
織田信長が父・信秀の追善供養のために創建し「黄梅庵」と名付けました その後、豊臣秀吉、小早川隆景によって本堂(重文)、庫裏(重文)、唐門(重文)、等諸堂の改築がなされ 「黄梅院」と改め、大徳寺の塔頭となりました 因みにもみじの奥にある門が重文の唐門です 千利休作庭の直中庭は、苔一面の枯山水庭園で、秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し 加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられています とてもきれいなお庭ですが、撮影は出来ません |
さて、ここからは 日本酒とワインと炭火焼 なかむら でのこと 野菜はどれも炭火で焼いています え、ホウレン草も焼いちゃうの ![]() それがヾ(@⌒¬⌒@)ノオイヒィ~!! のです |
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私たちはいつも通り、6人掛けのカウンター席に座って・・ いつものように隣の人とおしゃべり 初対面の人だけど、お店の料理が目的でここに来ていることは一緒だから、話題には困りません で、今回のお隣さんは大阪の大学で食物文化を教えている先生と生徒さん お友だち同士と見紛う若い先生の、以前の職場は我が家の近くと判明して、盛り上がり ![]() ![]() ついには、その向こうのご夫婦も巻き込んで、カウンターの上を、座席の後ろを会話が飛び交い・・ と、ここまではそれほど珍しくもないのですが、我が家の最寄駅の話題から 「その駅、私の学校の最寄駅です ![]() ![]() なんと、私の後輩 ![]() 驚きと興奮の楽しい一夜でした |
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さて、いよいよ京都入りです ・・と言っても、奈良からの方が便利な当尾 この「当尾」の読みですが、私も含め、多くの人は「とうの」とよんでいます でも、木津川市の 観光ガイド では「とおの」となっています そして京都府のホームページには・・ |
境内は浄土式庭園(特別名勝)で、中心にある大きな池の東岸には薬師如来を安置する和様の三重塔(国宝)が 西岸には九体の阿弥陀像(国宝)を横一列に安置した本堂(国宝)があります 薬師如来は東方浄瑠璃世界に住み、現世の苦しみを除く仏であり、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主 東に薬師如来を、西に阿弥陀如来を安置することはこのような意味を持ち、東は此岸(現世)、西は彼岸とも言えます |
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国宝・重要文化財に指定されている、屋外の木造五重塔では室生寺に次いで 日本で二番目に小さく、初層の屋根の下に裳階と呼ぶ庇があります |
寺伝では・・ 平城京の鬼門にあたる現・海住山寺の地に伽藍を建立すれば、東大寺大仏の造立が無事成就するであろう と夢告を受けた聖武天皇が天平7年(735)、瓶原を一望におさめる海住山の中腹に建立させたとあります |
海住山寺から瓶原盆地に下りてくると恭仁宮跡(山城国分寺跡)があります 恭仁京は疫病や戦乱にたびたび見舞われて世情不安の中、こうした事態を打開するため、天平12年(740) 聖武天皇によって造られた都ですが、4年後には廃都され、その後 宮域は大極殿を中心に山城国分寺として 再利用されることになりました 山城国分寺跡は、恭仁京の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北3町(約330m)、東西2町半(約275m) の広大な寺域をもつ寺で、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています |
明治6年(1873)創立の恭仁小学校は恭仁京の国指定史跡に建っています 当初の校舎は昭和9年(1934)の室戸台風で倒壊し、同11年(1936)に建て替えられました 地域住民の恭仁小学校への思い入れは強く、建て替え工事の費用の4割は寄付でまかなわれたそうです 良質な桧や杉が使われたことで、「柱を補強する筋交いを増やす程度で震度6強に耐えられる」と判断され 木造校舎が減少し続けるなか、恭仁小学校は木の香る学舎として存続しています |
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ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平 嵐ふく 三室の山の もみじ葉は たつ田の川の 錦なりけり 能因法師 |
と詠われた、紅葉の名所 竜田川沿いにある奈良県立竜田公園です |
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3ヶ月半ぶりの奈良・・ 今回は朝から夕方まで のんびりと奈良公園一帯を散策しました 奈良公園の範囲に関してはいろいろな解釈があるようですが、ここでは広義に捉えています |
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鷺池と言えば、水面に写る姿が美しい檜皮葺き八角堂形式の浮見堂 お日柄もよろしいようで新郎新婦の記念撮影が行われていました |
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池の庭・杉苔の庭・茶花の庭があり、茅葺きの茶室から眺める杉苔の庭は 秋にはもみじの紅色の絨毯で覆われ、なんとも美しい景色となります |
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大阪のお店に夕食の予約を入れたので、それまでどう過ごそう・・ 紅葉を見るなら、どこ? 調べてみました![]()
蛍池から阪急宝塚本線に乗り換えて、石橋駅で阪急箕面線に乗り継いだら、無事に箕面駅に着きました ![]() |
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前に京都の高雄でモミジの天ぷらをお土産に買いましたが、モミジの天ぷらは箕面が有名だと、言われました 箕面のモミジの天ぷらはかりんとうのような味の軽い衣で小腹を満たすにはうってつけ、ついつい食べ過ぎます |
一の橋たもとの 橋本亭 を背景に |
箕面大滝 |
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広徳寺の秋を彩るのは黄金色の大銀杏ばかりではありません |
そろそろ、昼食を・・ と山を下りかけて、ふと振り返ると広徳寺の山が錦に輝いていました |
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