2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

ぐるっと本島 4

2014-02-28 | 瀬戸内国際芸術祭

本島最後の朝、泊海水浴場で日の出を待つ

午前6時23分

午前6時40分

浜辺では猫と烏が戯れているように見えました 猫の足元から伸びる影(分かるかな?)朝陽を浴びてすご~く長い


朝食を終えて昨日回れなかった島の西側へ
夫婦倉めおとぐら
夫婦倉 (丸亀市指定文化財)
木造本瓦葺2階建、二連式の土蔵で間口18.7m、奥行12.9m、腰の部分をなまこ壁とし、内部は二室。
江戸時代に、薪廻船業を営んでいた「新屋」長尾茂平治が嘉永5年(1852)に建てたもの。
塩飽の廻船に関する貴重な建物。二連式の珍しい形から「夫婦倉」と呼ばれている。
夫婦倉の正面に見えるのは、本島の西側にある広島です
塩飽諸島の中では最大の面積の島ですが、広島の人は
「本島や粟島は都会」と言っています



如意輪観音を浮き彫りにした磨崖仏で、頬に手をあてた姿から、歯痛を直す仏様として信仰されてきました
上に乗った岩が動いたことから「ゆるぎ観音」と呼ばれています

森 節子 【崩壊と再生の中で】




1941年生まれ(72歳)の作者は2011年3月から本島に通い始め、月に3度ほどこの家で制作活動を続けてきました
築70年の古民家の内外に、色とりどりの絵画が展示されているほか、あらためて整備された庭にも注目です
ここは塩飽家別館から一軒おいて隣・・ 毎日 この前を通って出かけるのですが、いつでも行ける安心感からか
結局は一番最後の日になってしまいましたが、そこらじゅうカラフルなので撮影にはお天気が好くてよかったです

本間 純 【耳鳴り】
寺の一室に彫刻を設置する 目を凝らすと、風景と一緒にたち現れてくる彫刻
それは、私たちが立っている場所と、海を繋ぐ「見えない海図」となる

イ・シュンヤーア(李淑雅 / 香港) 【仏教の味わい】
最後に、笠島集落の「やかた船」の別館にアイスクリームを食べに行きました
蓮の葉の上に蓮の花を象ったアイスクリーム
落ち着いた感じの、いい香りはビャクダンです
夏は豊島で、そして秋は、この本島の笠島集落だけで一日100食限定販売なので
前日、昼食の後に行った時は食べそびれてしまい、再チャレンジでゲットしました
この後、急いで本島港に戻って高速船で高見島に向かいます



・瀬戸内国際芸術祭2013 秋・本島・泊集落・笠島集落・MAGIC HOUR

晴耕雨読?

2014-02-27 | ちょっとお出かけ

昨日は 国立西洋美術館モネ を観に行きました モネ と付いてはいるものの、正確なタイトルは
国立西洋美術館×ポーラ美術館 モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新 です
タイトル通り、展示作品は国立西洋美術館とポーラ美術館所蔵の作品のみなので、全96作品中
モネは35点、そのうち 睡蓮 は大作とはいうものの2点だけと言うのは、モネの、然も睡蓮を一番の
目的に行った私にはちょっと淋しかったけれど・・ パブロ・ピカソ 『海辺の母子像』(写真右上)、
カミーユ・ピサロ 『立ち話』(同・右中)、フィンセント・ファン・ゴッホ 『ばら』(同・右下)など新たな
お気に入りも増えました
モネの『睡蓮』を観て、ふと思ったのですが
自然光で観る『睡蓮』こそ、「光の画家」と呼ばれるモネには相応しいのではないだろうか・・
直島の地中美術館で観る『睡蓮』は、季節や天候はもとより、一日のうちにも微妙に印象が変わっていきます
5点の『睡蓮』は晩年の白内障を患って視力がかなり落ちてからの作品で、抽象に近づいてはいますが、それでも刻々と変わる自然光によって、まるでジヴェルニーのモネの庭に佇んでいるかのように睡蓮池がイキイキとして見えます
国立西洋美術館でも、ル・コルビュジエによる本館の設計に自然光を取り入れる試みがなされていましたが、残念ながら紫外線は絵画の大敵でもあり、現在は人工の光です

張 莉 著の「五感で読む漢字」  souuさんがブログで紹介 していらした内容に興味が湧き
図書館で借りましたが、第一章の「目に宿る霊力」を読んだところで、Amazonに注文しました
「みる」という字だけでも多種多様なことに目を見張ったり、「日本は古い用法が現在にまで伝わっているのであろう」という説に、中国のレストランでお酢を頼むのに英語が通じなくてメモ用紙に『酢』と書いてみたけれど、これも全然通じない
それじゃすっぱいから『酸』?、あ~だこ~だと問答している時に日本語を分かる人がやって来て
中国語では『醋』と書くと教えてくれたことを思い出したり・・
10月に訪れた長崎の聖福寺でみた惜字亭(文字が書かれた不要紙を供養し焼却する為の炉)の
存在理由も納得でき、読んでみて ますます面白くなって手放せなくなったからです
きょうは      



美術館めぐり・国立西洋美術館

ぐるっと本島 3

2014-02-25 | 瀬戸内国際芸術祭

● 屋釜集落 ●
屋釜集落は泊集落から本島をほぼ半周です それでも、どこにも寄らずにひたすら歩けば1時間ぐらいでしょうか

平良亜弥と西岡万里子 【ここにいるために】
作者の実家の別荘が完成するはずだった、建設中断の打ちっぱなしコンクリートを活用し展開した作品です
突き当りの壁面の模様は約8万本のねこじゃらしです 屋上に絡む朝顔や周辺のシロツメクサ、雑草も作品です
完成していれば、楽しい時間を家族と過ごしたであろう作者の気持ちが込められているような印象深い作品でした

一日に数便しか走っていないバスが、タイミングよく来たので作品の説明もそこそこにバスに飛び乗り、本島港方面に戻ってきました

● 泊集落 ●
石井 章 【Vertrek「出航」】
日本で初めて太平洋を往復した咸臨丸には塩飽出身の船員が多く乗船していたことに因んで
咸臨丸の彫刻を制作し、塩飽水軍の本拠地であった本島の咸臨丸渡米150周年記念碑のそばに設置

岩田草平×プロマイノリティ 【New Port -青い香辛料-】

インドの先住民族サンタルの人たちが本島に滞在し、海を初めて見る彼らが島の生活にふれながら倉庫をつくる
地域で集めた素材をもとに、サンタルの建築工法と島に残る伝統的な技術を融合させた建築物です
また、倉庫の土壁には滞在のプロセスを描き記しています

カリン&パット/(植栽協力)川口豊・内藤香織 【シーボルトガーデン】
長崎のオランダ商館医として来日していたドイツ人シーボルトが、商館長の江戸参府に随行して
瀬戸内海を航行した折、その美しさに感動し、著書「日本」の中に、紀行文を残しています
瀬戸内の美しさをヨーロッパに伝えたシーボルトは、日本の植物を持ち帰りヨーロッパに広めました
その植物を瀬戸内の自然の中で育てる庭を、環境彫刻や映像インスタレーションと共に展開しています

丘の上のシーボルトガーデンから海岸に下りると、ヒマワリの種のオブジェがあります




・瀬戸内国際芸術祭2013 秋・本島・屋釜集落・泊集落

ぐるっと本島 2

2014-02-23 | もしかして雑記帳?

笠島集落かさしま   
【東小路】
海と丘陵に囲まれた笠島集落は狭い道路が複雑に入り組んで見通しが効きにくくちょっとした迷路です
格子構えに虫籠窓むしこまどを設けた町並みは落ち着いた佇まいで国の伝統的建造物群にも選定されています

町並みを見学する前に、まず昼食の予約を入れている やかた船 で腹ごしらえです
ここに3泊する予定だったのが、島スープや本島港から遠いのを理由に塩飽家に決めたことをちょっと後悔しました
でも、愛想のよい女将と料理上手な幼友達の商売っ気たっぷりの話ぶりに・・ やっぱり塩飽家のほうが気楽~

【マッチョ通り】
笠島のメインストリートで、「町通り」の呼び名が訛ってマッチョ通りだそうです

エアコンの室外機は目立たないように格子で囲っています

真木邸さなぎ  笠島まち並み保存センター】

マッチョ通りと東小路が交差する場所にある元廻船問屋の真木家邸をまち並み保存センターとして活用

なまこ壁の土蔵や虫籠窓のある町屋

・本島・笠島集落・うまいもん

ぐるっと本島  猫編

2014-02-22 | よそ猫さん (*・ェ・*)

20日の 岩合光昭の世界ネコ歩き「沖縄」編、個人的にはシリーズの中で一番好かったと思います
そのすぐ後で気おくれしますが、今日は2月22日 猫の日なので本島で出会った猫をアップします
前回アップした「善根湯」からもう少し歩いた 笠島地区 で出会った猫たち

夕方、民宿の近くで出会った猫たち



同じく民宿近くで、早朝に出会った猫たち

瀬戸内の猫・本島


ぐるっと本島 1

2014-02-21 | 瀬戸内国際芸術祭

ここまで粟島、丸亀、本島をアップしてきましたが
初日も2日目も、3日目にやっと青空です
作品観賞しながら本島一周を歩くことができました

村尾 かずこ 【本島 泊 漆喰・鏝絵こてえ看板プロジェクト】
島の人々から昔話や言い伝え、島に活気があった時代のエピソードなどを聞き取り、その様子を図案化し
漆喰・鏝絵看板にして、店や民家の軒先に設置  泊地区を散策しながら8ヶ所に設置されている看板を巡る

塩飽家さんの漆喰・鏝絵看板は私たちが泊まった別館の門の所にありました
酒田商店
以前はなんでも売っていて、島の百貨店のようでした
特に海水浴シーズンは食事をする暇もない程忙しく、ジュースは冷える間もない程売れたそうです
マイペースマラソン
参加者と島の人々のふれあいの場として開催されるマラソン大会は毎年、小学生からお年寄りまで、島内外から約600人の参加がある島の一大イベント
塩飽
この辺りは潮の流れが複雑で「塩が湧く」ように見えることから「塩飽」とよばれるようになりました この海域の人々は「塩飽水軍」とよばれ、中世から江戸中期にかけて海運業で活躍し繁栄しました
虫送り
五穀豊穣と無病息災を祈る行事で、旧暦6月1日に行われます 念仏を唱えながら大数珠を繰り、地区をまわってお札を立て、藁舟に虫を乗せて海に流します 本島では泊地区だけで行われている伝統行事です
太子堂
法隆寺を建てた聖徳太子を大工の祖神として祀っているお堂 仕事の無事成就と身の安全を願う太子信仰の拠り所として、島の5人の大工たちが建てました
泊 秋祭り
ちょうさは太鼓台のことです 泊地区の秋祭りは
昭和30年頃まで ちょうさ、神輿、だんじりも出て
とても賑やかだったそうです

力五山(加藤力、渡辺五大、山崎真一) 【つなぐ】

天平元年(729)に建立され、近年は檀家が離れ、人々の手が入らない状態となった惣光寺を蘇らせ
山門から本堂まで草が生い茂った境内に橋をかけ、アルミ箔で本堂を覆って銀色に輝かせる
※ 絵馬は一枚一枚手描きのようです 作品名と同じくもつながっていますね かわいい~

これも【つなぐ】の作品の一環なのかどうか・・
惣光寺手前の本島小学校脇に、写真を元にして描かれたと思われる絵がありました

齊藤 正×続・塩飽大工衆 【善根湯×版築プロジェクト
かつて塩飽諸島は優秀な船大工に恵まれていた
彼らは江戸中期以降宮大工や家大工となったが、今では忘れ去られようとしている
その復活を願い、続・塩飽大工衆として活動を開始する
● 版築の説明を現地で聞いたのですが、再度 wikiで調べました ●
版築は土壁や建築の基礎部分を堅固に構築するために古代から用いられてきた工法である。
版築を作る部分を決め、両側を板などで囲み枠を作る。
板で挟まれた間に土を入れる。より頑丈にするために土に小石や砂利、藁や粘土を混ぜることもある。
たたき棒や"たこ"と呼ばれる道具で、入れた土を硬く突き固める。

建物は目に見える地上部分だけでなく、同じ工法の基礎が地中深くまでしっかり作られています
たたき棒で土をコンクリートの様にしっかり固めては、また土を入れ固めるので壁が縞模様です
このように手間がかかるので作業はなかなか進みませんが過程を見てもらうのも目的の一つとか
右の写真の壁に立てかけてあるのがたたき棒です     

善根湯は、このきれいな海に面しています ここもまた「海の上の診療所」の第一話のロケ地となったところです


・瀬戸内国際芸術祭2013 秋・本島・瀬戸内の橋


島スープ 秋は本島で

2014-02-19 | 瀬戸内国際芸術祭

春の沙弥しゃみ千年スープ、夏の伊吹島 副産物スープ と続いたEAT & ART TAROさんの島スープ
最後の秋会期は本島ほんじまで「結びのスープ」です
本島の家庭の多くは、何故か香川県ではなく 岡山県倉敷の塩屋味噌 を使っているそうです
香川と岡山 両県の中間点に位置する本島には、塩屋味噌のように それぞれの文化がごく自然に
入り混じっていることから、2つの文化を結ぶというイメージで作られた味噌仕立ての島スープです
蓮根饅頭には 鯛や牛蒡など、本島でとれた食材がたっぷりと入っています
地元のお母さんたちが作った本島の家庭の味「たこ飯」といっしょに美味しく頂きました

え~、「結びのスープ」で最後となりましたが、中には3島全部に来てくださった方も・・
ハ~イ、私たちも皆勤賞です 
島スープが提供されたとまり自治会集会所の隣、木烏神社こがらす    は泊地区一円の産土神うぶすながみ
日本武尊が瀬戸内海を巡行の際、濃霧のために迷っておられたところ、一羽の烏が現れ
水先案内をした後、島に帰ったのでここに祠を建てて祀ったのが始まりと伝えられています
因みに、同じ頃にオンエアのフジテレビ「海の上の診療所」の第一話は、本島が舞台で
この木烏神社も出てきたそうです  観ていないのでストーリーは分からないのですが・・

島スープがオープンするまでの間、近くをちょっと歩いてみました
「見にきてね」の看板に誘われて行ってみると、子供たちが大切に育てたキバナコスモスが朝露に輝いていました

本州と四国が最も接近する海域は潮の流れが複雑で塩が湧くように見えることから「塩飽しわく」と呼ばれるようになり
この辺りの大小28からなる島々を塩飽諸島といいます  また、本島は塩飽水軍の本拠地でもありました
そして、ここは元鯛漁の網元だった、築100年以上の古民家民宿です
ほんの100食の島スープを食べるために春・夏の2回は高松のホテルを早朝出て電車やバス、船を乗り継いで
なんとか一時間余前にたどり着いていたのですが・・ 今回は歩いて数分の塩飽家に泊まって、皆が乗ってくる
船が着く直前に並ベばいいのですから、朝の散歩も出来るほどの余裕でした

塩飽家は島で獲れた魚料理が自慢と言うことで・・ 初日の夕食はこれ
写真の他に玉ねぎのおみおつけも有ります
姫路から来た写真同好会の男女十数人のグループは鯛の尾頭付きに大喜び
薄めの味付けやお酢の利いた酢の物に、もちろん私たちも大満足
食事も一段落、のんびりしていると・・ お客さんが多いので別館に泊ってくださいと案内されたのがここ↓
えぇ~~、古民家じゃないの~? 食事もいちいちさっきの所に行くの~?と最初はがっかりだったのですが・・
新築とは言わないまでも、まだそれほど年数が経っていない3DKと広い浴室の家まるごと一軒をなんと2人で
好きに使っていいとのこと・・ 古民家は昔の造作で廊下が無いのでトイレや浴室に行くために一部屋を通路
として空けておかなくてはならないみたいだし、テレビも一台しか無いからニュースや天気予報も見たい時に
見られない・・ 考えてみたら、実際はものすご~く優遇されちゃったみたいです

2日目、丸亀から帰って、古民家に夕食をしに行ったら、食事を置いた4つの長机が寺子屋の様に同じ向きに
並べられ、3組のお客さんが会話もなく静かに食べていましたが、それじゃ何だかつまらないので目が合った
一人旅の若い女性と机をくっつけて瀬戸芸や全国の美術館のことなどおしゃべりをしながら食事をしました
その流れで、彼女は、部屋が余っている私たちの別館に一泊することになり、誰にも遠慮することなく楽しい
話題で盛り上がり、夜は更けていきました
朝は毎日こんな感じで生卵が卵焼きになったりです
まあ、朝食はワンパターンでも構わないのですが・・
問題は夕食  上の写真がそっくりそのままの毎日
どうやら、連泊をする人はいないらしく金太郎飴的な献立です(笑
それでも、3日も同じじゃ申し訳ないから、最後の晩は考えると言われたので、昼食のメニューにある鯛カツ丼を食べてみたいとリクエストしました
キャベツの千切りを敷いたご飯に鯛のフライを載せた丼ですが、目先が変わって美味しかったですよ

食事がワンパターンなどと書き連ねましたが、総合的には居心地の良い民宿でした
民宿のご主人は、次回も別館をとっておくと言ってくれたし、また行ってみようかな
別館には、私たちの前に渡辺 謙・南 果歩 夫妻が泊まっていたとか


・瀬戸内国際芸術祭2013 秋・本島・島スープ

雪の被害

2014-02-15 | もしかして雑記帳?

先週末に続き、今週も大雪、しかも今回はかなり湿っぽい雪でした
泰山木の、直径4~5センチはある枝が葉に積もった雪の重みで折れてしまいました
葉に積もった雪を掃うには丈が高すぎて、いつも手をこまねいて見ているだけです
同じ常緑高木のモッコクも枝が折れ、整っていた樹形が大きく乱れてしまいました
どちらも厚革質でよく茂る葉なので、枝が折れるほどの雪が積もってしまったのです


ソチ五輪では、羽生結弦選手が男子フィギュアで日本初の金メダルを獲得しましたね
おめでとうございます
気になって起きてはいたのですが、競技の模様をリアルタイムで観ることはしませんでした
高度な技術を決められるのは素晴らしいことですが、そこに至るまでの並々ならぬ努力と
将来、無理がたたって選手の身体をどれほどの苦痛が襲うのかを考えると
渾身の演技を見せる選手たちに対して、気楽に日本だけを応援することができないから・・



丸亀城

2014-02-11 | もしかして雑記帳?

「猪熊弦一郎常設展」と「大竹伸朗展 ニューニュー」をひと通り観て
雨も小降りになってきたので、丸亀城に行ってみることにしました

【丸亀城】
城跡の全域は国の史跡に指定されており、亀山公園となっています
天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されています
慶長2年(1597)豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く
慶長7年(1602)ほぼ現在の城郭が完成、元和1年(1615)一国一城令により破却の危機にさらされますが
時の藩主・生駒正俊は城を破却から守りました
寛永17年(1640)生駒氏は出羽国矢島に国替となり、寛永18年(1641)山崎家治が入封し丸亀藩が立藩
寛永20年(1643)幕府から丸亀藩に銀300貫が与えられ、城の改修に着手する
万治元年(1658)山崎氏、3代で無嗣断絶し改易となり京極高和が入封  万治3年(1660)天守完成
以後、明治時代まで京極氏の居城となる
天守は三層三階で日本一小さい。 一般には妻側より平側が大きいのが常識だが、この天守は妻側が大きい。
すなわち内部構造でいえば、桁行より梁行のほうが大きいのである。
これは、大手側である正面から城を見上げた時に天守を大きく見せる工夫だ。
日本一小さい天守が石垣上に上がることで、高石垣が実際より高く見えてしまう。
現存する木造天守は12 だけだそうです
「扇の勾配」と呼ばれる石垣の、高さ・美しい曲線から(財)日本城郭協会の 日本の100名城 に選ばれています
この石垣は藩主・山崎家治によって築かれたと言われています


美しい内堀に魅かれました
大手一の門及び二の門は寛文十年(1670)の再建
一の門(右・奥)は楼上に太鼓を置き、城下に刻を告げたことから太鼓門とも呼ばれます
二の門(左・手前)は高麗門形式で、両脇塀が附属しています

時折、雨脚が強まるので、ゆっくり見学という感じではありませんでした 次回は薄曇りか青天の時に行きたいですね


・丸亀・丸亀城

瀬戸内国際芸術祭2013 秋 丸亀猪熊弦一郎現代美術館

2014-02-09 | 瀬戸内国際芸術祭

山頂から360度の多島美が見られるという 城ノ山展望台 も小雨そぼ降る粟島では、その眺望も期待できず
出足の遅れも、展望台をスルーしたことで結局は予定した船で、約束の時刻に本島の民宿へと移動できました
さて、翌日は前日以上に雨・雨・雨・・ 交通手段は徒歩か自転車か数少ないバスしか無い島内観光は諦めて
雨でも濡れることを心配せずに見学できる丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へフェリーで行くことにしました

【京極大橋】
丸亀港に着く直前にフェリーから写した京極大橋
丸亀藩主 京極氏に因んでつけられた名なのでしょうね

● 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 ●
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館は春にも載せていますが、あの時とこの写真ではちょっと違うところがあります
角度が違うとか人物が違うとかではありません ↑の写真をクリックして春の写真と見比べてみますか?

【猪熊弦一郎】
ダボとカガシ(1993)顔 20C(1989)色体の原点(1985)
隈取を重ねた思わぬ形体(1983)明るい集落(1986)ピンク・丸・角(1977)
Two Shores(Yellow)(1970)Agaru(1961)Teen Agers(1962)


【大竹伸朗展 ニューニュー】




5年に一度、ドイツ・カッセルで行なわれる現代美術の国際展「ドクメンタ(13)」で発表し話題をよんだ
「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」を、舞台を丸亀に移して展示するほか
美術館の建築や展示空間を最大限に活かして制作された最新作など、タイトルの「ニューニュー」どおり
新作及び国内未発表の作品を中心に構成した、大竹伸朗 久々の大規模な新作展です

ところで、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館春と秋の違い見つかりましたか?
  JR丸亀駅前にある美術館屋上に「宇和島駅」のネオンサインが取り付けられています
  丸亀なのに何故? ですよね~ 
  実はこれ、これは大竹伸朗の1997年の作品なんです
  そして宇和島は、東京出身の大竹伸朗が四半世紀前から暮らし、作品を制作している場所です

【ミュージアムカフェ・カフェレストMIMOCA】

大竹伸郎展開催中の限定スイーツ(2013年7月13日~11月4日)
「モンシェリー」
スペイン風揚げ菓子 好みで、黒蜜、抹茶クリームをかける
醤油瓶に黒蜜、生わさびのチューブに抹茶クリームが入っています
お味の方は・・ よく分からないうちに食べ終わっちゃいました


※ 今夜NHK Eテレで 眼で見たカタチがアートに変わる! 猪熊弦一郎 の再放送があります(20:00~20:45)


・瀬戸内国際芸術祭2013 秋・丸亀・美術館めぐり・丸亀の橋