大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「アホノミクス 完全崩壊に備えよ」(浜矩子著:角川新書)

2016-07-08 10:03:31 | 日記
参議院選挙の街頭演説で、麻生財務相が次のように言ったそうです。 
「アベノミクスの宴は終わった」。これ岡田(克也・民進党代表)とかいう人がしゃべってる。ぜひ、頭に入れといてもらいたいんだけども、どうして「終わった」というのに円が高くなるんですか。円が高くなるということは、皆が円を買っているということです。悪けりゃ円は売られるんです。どうして日本の国債がマイナスの金利でこんなに売れるんだい。どんどん買われてるんだよ。アベノミクスの宴が終わった、という話がいかにいい加減か如実に表現してますね。(名古屋市での街頭演説で)
「円安(→株高)」誘導を主内容とする「アベノミクス」の成否が問われるのに対して「円高だから終わってない」というのはすごい理屈です。こういう「デマ」ともいうべき理屈にもならないような話で「この道を、力強く、前へ」行ってしまっていいのですかね。

私自身は、「アベノミクス」というのは、サラ金で金借りてパチンコやったら儲かったので調子に乗って続けようとしている、というくらいのもののように思っています。たしかに大きな危機の時に「異次元」の対応が必要なこともあるのでしょうが、3年以上もやっててまだ「道半ば」というのは明らかにおかしなことです。少なくとも所期の目標は達成できない、という意味での「失敗」を認めながら次の方策へ移行すべきなのだと思いますが、その可能性は限りなく低いようで、今後どうなることか考えなければなりません。

さて、本書は、その「アベノミクス」に対する批判の書です。活字が大きくて薄い本なので、さほどの内容があるわけではなく、ただ悪し様にこき下ろしている、という感じも受けてしまう(「アホノミクス」と言いたい気持ちもわからないではないけれど、そういっちゃうと冷静な批判の部分が見えにくいですよね・・・)のですが、その中で二つ「なるほど」と感じた事について書きます。

一つは、ごく基本的で当たり前のことです。
「こうした人間の絶妙なバランス感覚が、経済活動を常に近郊に立ち戻らせようとする。経済政策は、こうした経済活動の均衡模索過程を手助けするために存在する。何らかの要因で均衡化の力学が上手く働かなくなった時、その要因を除去して近郊に向かう道を開通させる。それが経済政策の仕事だ。」
アベノミクスというのは、全く逆に「経済政策そのものが均衡は期的に働いて」しまっている、そこが問題だ、というわけです。「経済活動」そのものの「バランス感覚」とそれを補完するものとしての「経済政策」というのは、楽天的すぎる捉え方のようにも思えますが、「政策」的な対応を求められる時に、何をどこまでできるのか、ということをめぐっては、あらためて確認すべきことのように思いました。

もう一つは、個別的な問題です。これまで私は、安倍首相が「同一労働同一賃金を目指す」という方針を打ち出したことの意味がよくわかりませんでした。格差の拡大が問題になる中で「同一労働同一賃金」というのは、困難ではあるが重要な課題としてあります。それがストレートに目指されるなら、それはそれでいいのだけど、はたして?・・・というところです。
著者の紹介しているところによると、経団連が2008年に発表した「経営労働政策委員会報告」では、「同一価値労働とは、将来にわたる期待の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらす労働である」とされている、ということです。
「同一」とか「労働」とか「価値」とかいう言葉が並んでいますが、このような考え方は「同一労働同一賃金」とはまったく正反対の意味をもつものです。
しかし、だからと言って全く関係ないのか?というと、「法の支配を唱えながら立憲主義を踏みにじる」ということが実際に行われてきているわけで、油断しているうちに「似て非なるもの」にすり替えられてしまう、ということがあるのかもしれません。注意してみておくべきことかと思いました。


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