帯に「復興という名の災害が被災者を追い詰める」、とあります。ちょっと言い過ぎなんじゃないのかな?という思いも持ちながら読みはじめました。
というのが、著者の主張です。なるほど、「言い過ぎ」ではないのですね。
本書を読んで、いろいろと教えられたことがあるのですが、その中の一つとして「理念の重要性」と「理念の現実化のむずかしさ」ということがあります。そのことについて書きます。
「復興事業が被災者の役に立たない」、という問題では、「流用問題」がまず問題になります。「森林整備加速化・林業再生基金」の1400億円、「新卒者就職実現プロジェクト」への235億円、「重点分野雇用創造事業」の2007億円等々、被災地の復興に直接関係のない事業に「復興予算」の多くが使われている、と言われています。
このことは、個別的・具体的に見てみるとそれぞれに多くの根深い問題があるのだと思います。その検証は、それぞれの分野でしっかりとなされなければならないでしょう。その上で、問題になることとして「基本理念」の問題があります。
復興基本法では、その目的を「東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする」と謳われています。この「目的」は、ごく当たり前のことのように思えもします。しかし、この「基本理念」にもとづいて、あらゆる「活力ある日本の再生」を目指す事業について「復興事業」なのだ、と理由づけられる、ということが起きてしまう、ということがあるわけなのですね。
本書では、「被災者の生活再建と住宅復興・街づくりの間のギャップ」ということが強調されています。2013年度中に確保された予算7兆5089億円のうち、「町の復旧・復興」に42.6%(3兆2000億円)が投じられながら、「被災者支援」には3%(2328億円)しか向けられていない、という現実がその姿を端的にしめしているようです。(その他は「原子力災害からの復興・再生」に16.5%、「産業振興・雇用確保」に8.3%などだそうです。)
大災害により、インフラが根底的に破壊されてしまったわけですから、その「復旧」に巨額の費用が掛かり、さらに災害前より安全なまちを作ろうと思えばさらに巨額になる、というのは、当然のことで避けられないことなのかもしれません。しかし、それらはあくまでも被災した人々が生活を再建し、普通の暮らしをして行けるようにすることの基礎になるべきことであるはずです。最初の目的がどんどん忘れられていってしまう、ということがここでも起きてしまっているのか、と思わされます。大きな事業を行っていく際の「理念」の大事さ、ということを考えさせられます。
また、大震災後の混乱状態において、事前に考えていたことを実行していくことの難しさ、ということについても教えられました。さまざまな教訓や反省点を得て真剣な検討がなされながら、その経験が実際に有効に機能しない、という問題です。
たとえば、東日本大震災の前年2010年5月の厚生労働省が全国の災害救助実務担当者を集め手行う会議で配布された「災害救助事務取扱要領」では、仮設住宅について、次のように言われていたそうですが、その1年後の東日本大震災に活かされない事例が多くあった、ということです。
これは、阪神大震災におけるその後の「孤独死」に最も鋭く表れる仮設住宅の問題点、その教訓を踏まえて言われていたことです。その意味では十分にわかっていたわけです。でも、東日本大震災後の仮設住宅には、ごく一部の例外を除いて活かされなかったそうです。たしかに、大きな災害の後、というのは仮設住宅を作る側も被災していて大変なわけですが、だからこそ、あらかじめ備えておくことの重要性が大きい、ということを肝に銘じなければならない、ということなのでしょう。「理念の現実化」の難しさの一つの現れであるように思えました。
「筆者が『復興災害』という言葉を初めて使ったのは、阪神・淡路大震災から10年が過ぎた2006年のことである。大震災の被災状況調査や避難所、仮設住宅、復興公営住宅、区画整理や再開発といった復興まちづくりに関わる中で、いつまでも孤独死がなくならず、まちづくりで苦闘する人たちを見て、これは災害の後の復興政策や事業が間違っているからではないか、と思うようになった。震災で一命をとりとめたにもかかわらず、復興途上で亡くなったり、健康を害して苦しんだりする人々が大勢いる。・・この復興による災厄は『復興災害』と呼ぶ以外にあるまい。これは自然の猛威でなく、社会の仕組みによってひきおこされる人災であり、本来防ぐことが可能な災害である。」
というのが、著者の主張です。なるほど、「言い過ぎ」ではないのですね。
本書を読んで、いろいろと教えられたことがあるのですが、その中の一つとして「理念の重要性」と「理念の現実化のむずかしさ」ということがあります。そのことについて書きます。
「復興事業が被災者の役に立たない」、という問題では、「流用問題」がまず問題になります。「森林整備加速化・林業再生基金」の1400億円、「新卒者就職実現プロジェクト」への235億円、「重点分野雇用創造事業」の2007億円等々、被災地の復興に直接関係のない事業に「復興予算」の多くが使われている、と言われています。
このことは、個別的・具体的に見てみるとそれぞれに多くの根深い問題があるのだと思います。その検証は、それぞれの分野でしっかりとなされなければならないでしょう。その上で、問題になることとして「基本理念」の問題があります。
復興基本法では、その目的を「東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする」と謳われています。この「目的」は、ごく当たり前のことのように思えもします。しかし、この「基本理念」にもとづいて、あらゆる「活力ある日本の再生」を目指す事業について「復興事業」なのだ、と理由づけられる、ということが起きてしまう、ということがあるわけなのですね。
本書では、「被災者の生活再建と住宅復興・街づくりの間のギャップ」ということが強調されています。2013年度中に確保された予算7兆5089億円のうち、「町の復旧・復興」に42.6%(3兆2000億円)が投じられながら、「被災者支援」には3%(2328億円)しか向けられていない、という現実がその姿を端的にしめしているようです。(その他は「原子力災害からの復興・再生」に16.5%、「産業振興・雇用確保」に8.3%などだそうです。)
大災害により、インフラが根底的に破壊されてしまったわけですから、その「復旧」に巨額の費用が掛かり、さらに災害前より安全なまちを作ろうと思えばさらに巨額になる、というのは、当然のことで避けられないことなのかもしれません。しかし、それらはあくまでも被災した人々が生活を再建し、普通の暮らしをして行けるようにすることの基礎になるべきことであるはずです。最初の目的がどんどん忘れられていってしまう、ということがここでも起きてしまっているのか、と思わされます。大きな事業を行っていく際の「理念」の大事さ、ということを考えさせられます。
また、大震災後の混乱状態において、事前に考えていたことを実行していくことの難しさ、ということについても教えられました。さまざまな教訓や反省点を得て真剣な検討がなされながら、その経験が実際に有効に機能しない、という問題です。
たとえば、東日本大震災の前年2010年5月の厚生労働省が全国の災害救助実務担当者を集め手行う会議で配布された「災害救助事務取扱要領」では、仮設住宅について、次のように言われていたそうですが、その1年後の東日本大震災に活かされない事例が多くあった、ということです。
「個々の応急仮設住宅の建設にあたっては、一戸建てまたは共同住宅形式のもの、共同生活の可能なものなど、多様なタイプのものを供与して差し支えない」「被災者の家族構成、心身の状況、立地条件等を勘案し、広さ、間取り及び仕様の異なるものを設置することも差し支えない」「画一的なものの整備に陥りやすいが、・・・」「同一規格のものを機械的に設置しがちであるが、長期化も想定されるので、できる限り設置後の街並みや地域社会づくりにも配慮し・・・」
これは、阪神大震災におけるその後の「孤独死」に最も鋭く表れる仮設住宅の問題点、その教訓を踏まえて言われていたことです。その意味では十分にわかっていたわけです。でも、東日本大震災後の仮設住宅には、ごく一部の例外を除いて活かされなかったそうです。たしかに、大きな災害の後、というのは仮設住宅を作る側も被災していて大変なわけですが、だからこそ、あらかじめ備えておくことの重要性が大きい、ということを肝に銘じなければならない、ということなのでしょう。「理念の現実化」の難しさの一つの現れであるように思えました。
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