長い夏休みをとってしまいました。
正直、「土地家屋調査士の制度と業務」に関することについて、書くべき、と思えることがあまりなくなってきています。もうこのブログを終わりにしてもいいのかな、とも思ったりもするのですが、そうすると書いておかなければいけないな、と思わされることが出てくるもので、やっぱりこのくらいのペースでボチボチ続けていくことになるのかな、と思っているところです。
日調連の会報「土地家屋調査士」の8月号に、6月の総会で新たに選出された会長・副会長の挨拶が掲載されています。
その中で、伊藤直樹副会長が次のように言っています。
さて、この「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」することが、これまでも求めるべきものとしてきた「既定方針」であるかのように言われていますが、そんな事実はないでしょう。とても大事なことを、するっと紛れ込ませるような詐欺的手法をとってはいけません。
たしかに、この「隣地地権者の境界立会確認」の「義務」化する、ということについては、そのような意見があったのは確かなことです。
そしてそれを受けて、2015~2017年に、研究所の一テーマとして「筆界立会の代理権・立会要請権・筆界調査権・筆界認証権に関する研究」というテーマが与えられ、私を含むメンバーで検討をしましたし、その結果の報告を上げもしました。
その結論としては、「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」すること、は、追求すべき課題ではない、ということです。これは、検討を始めた初期の段階で出した「結論」であり、その上で他に何が求められているのか、ということの検討を行いました。
これは、一検討部門における「結論」に過ぎず、組織全体での結論を出すまでに至ったことではありませんが、少なくとも理論的なことでの検討過程というのは継承されるべきものであるはずです。そうでないと、何回も何回も同じことを繰り返して「議論」する、ということになっていまい、非生産的なことになってしまいます(現にそのようなことがよくあるのですが・・・i.
そのような「結論」に至る理由は、まず(と言っても私はこれはあまり重要なものではないと思うのですが)、その不可能性です。どの法律に、どんな条文をつくるのか?ということを具体的に考えてみると、現実性のある適当なものを考えることができません。これは、多くの「学者」の方々に頭をひねっていただいての上でのことでもあります。
そしてそれよりも大事だと私の思う理由は次のことです。このような「隣地地権者の境界立会い確認義務」というのは、現在の社会的現実に適合するものではなく、社会的問題の解決に資するものではない、ということです。
所有者不明土地問題が大きな社会的問題になっていますが、この問題は、「土地」の側から見るとその所有者が誰でどこにいるのかがわからない、という問題ですが、それを「所有者」の側からすると、自分の所有している土地がどこにあるのかさえ分からない、という問題でもあります。土地がどこにあるのかわからないわけですから、その境界がどこなのか、わかるはずもありません。そういうケースが多くなっている、というのが社会的な現実であり、それが問題になっているわけです。
そのような「所有者」に「境界立会確認」を「義務」化して問題が解決しうるとは思えません。
むしろ問題は、「境界」というものは「所有者の立会確認」によって(のみ)確認される、という考え方なのだと思います。この考え方は、少なくとも理論的には公言されるものではないのですが、「現実」としては「実務上の常識」になってしまっています。理論的な裏付けも持たないようなこの「現状」を克服することこそが求められている、ということを私たちはもっとしっかりとみる必要があるのだと思います。
それは、「客観的に明らかにしうるものとしての筆界」ということを現実の問題としても明らかにすることによってなしうるのだと思います。もはや、かつてのように所有者が正しい境界(筆界)認識を持つものだという前提が成り立たなくなっている現在の社会的事実を踏まえて、「所有者間の立会確認」(のみ)に拠っているのでは強欲なもの、声の大きなものだけが得をする不公正な結果を招いてしまう、ということを考えるべきで、そんなことよりかは「客観的な筆界」に基づいた判断の方がどれだけましか、ということを「実務者からの観点」で明らかにし訴えていくべきなのだと思います。
それこそが、土地家屋調査士法の改正によって「土地の筆界を明らかにする専門家」であることを明らかにされた土地家屋調査士が強く打ち出すべきことだと思います。
「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」しようとする、というのは、これと全く逆方向を向いたものだと思えます。「立会確認」をしなければ「筆界確認」ができない、とされている「実務」の「現状」をまったく無批判に前提にしてしまって、そのレベルでの業務が円滑に進むことだけを願い(「業界エゴ」)、そのために国民(土地所有者)に無理難題的な「義務」を課そうというもののように思えるからです。
「土地の筆界を明らかにする専門家」であることを法律に謳われるようになった者としては、これはあまりにも情けないことのように思えてしまうわけです。「土地の筆界を明らかにする専門家」が、測量業者や役所の職員などの誰でもできる「立会確認」によってしか「筆界を明らかにする」ことができない、というのではあまりにも情けないではないですか。
新しい日調連の執行部が、「法改正」などの制度的な問題に積極的(前向き)であるのは、とても望ましいことだと思うのですが、基本的な方向性が後ろ向きのまま進んでしまうと、どんどん後ろに行ってしまってより悪い事態になりかねません。是非、しっかりとした議論の上で、本当に前に進めるようにしていただきたいものです。
正直、「土地家屋調査士の制度と業務」に関することについて、書くべき、と思えることがあまりなくなってきています。もうこのブログを終わりにしてもいいのかな、とも思ったりもするのですが、そうすると書いておかなければいけないな、と思わされることが出てくるもので、やっぱりこのくらいのペースでボチボチ続けていくことになるのかな、と思っているところです。
日調連の会報「土地家屋調査士」の8月号に、6月の総会で新たに選出された会長・副会長の挨拶が掲載されています。
その中で、伊藤直樹副会長が次のように言っています。
「来秋の民法、不動産登記法等の改正に、実務者からの観点で有益な提言を重ね、なんとか境界確定協議請求権(仮称)を創設させて、隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化できるように、会長交代のあった事実を踏まえて間断なく訴え続けていかねばなりません。」
さて、この「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」することが、これまでも求めるべきものとしてきた「既定方針」であるかのように言われていますが、そんな事実はないでしょう。とても大事なことを、するっと紛れ込ませるような詐欺的手法をとってはいけません。
たしかに、この「隣地地権者の境界立会確認」の「義務」化する、ということについては、そのような意見があったのは確かなことです。
そしてそれを受けて、2015~2017年に、研究所の一テーマとして「筆界立会の代理権・立会要請権・筆界調査権・筆界認証権に関する研究」というテーマが与えられ、私を含むメンバーで検討をしましたし、その結果の報告を上げもしました。
その結論としては、「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」すること、は、追求すべき課題ではない、ということです。これは、検討を始めた初期の段階で出した「結論」であり、その上で他に何が求められているのか、ということの検討を行いました。
これは、一検討部門における「結論」に過ぎず、組織全体での結論を出すまでに至ったことではありませんが、少なくとも理論的なことでの検討過程というのは継承されるべきものであるはずです。そうでないと、何回も何回も同じことを繰り返して「議論」する、ということになっていまい、非生産的なことになってしまいます(現にそのようなことがよくあるのですが・・・i.
そのような「結論」に至る理由は、まず(と言っても私はこれはあまり重要なものではないと思うのですが)、その不可能性です。どの法律に、どんな条文をつくるのか?ということを具体的に考えてみると、現実性のある適当なものを考えることができません。これは、多くの「学者」の方々に頭をひねっていただいての上でのことでもあります。
そしてそれよりも大事だと私の思う理由は次のことです。このような「隣地地権者の境界立会い確認義務」というのは、現在の社会的現実に適合するものではなく、社会的問題の解決に資するものではない、ということです。
所有者不明土地問題が大きな社会的問題になっていますが、この問題は、「土地」の側から見るとその所有者が誰でどこにいるのかがわからない、という問題ですが、それを「所有者」の側からすると、自分の所有している土地がどこにあるのかさえ分からない、という問題でもあります。土地がどこにあるのかわからないわけですから、その境界がどこなのか、わかるはずもありません。そういうケースが多くなっている、というのが社会的な現実であり、それが問題になっているわけです。
そのような「所有者」に「境界立会確認」を「義務」化して問題が解決しうるとは思えません。
むしろ問題は、「境界」というものは「所有者の立会確認」によって(のみ)確認される、という考え方なのだと思います。この考え方は、少なくとも理論的には公言されるものではないのですが、「現実」としては「実務上の常識」になってしまっています。理論的な裏付けも持たないようなこの「現状」を克服することこそが求められている、ということを私たちはもっとしっかりとみる必要があるのだと思います。
それは、「客観的に明らかにしうるものとしての筆界」ということを現実の問題としても明らかにすることによってなしうるのだと思います。もはや、かつてのように所有者が正しい境界(筆界)認識を持つものだという前提が成り立たなくなっている現在の社会的事実を踏まえて、「所有者間の立会確認」(のみ)に拠っているのでは強欲なもの、声の大きなものだけが得をする不公正な結果を招いてしまう、ということを考えるべきで、そんなことよりかは「客観的な筆界」に基づいた判断の方がどれだけましか、ということを「実務者からの観点」で明らかにし訴えていくべきなのだと思います。
それこそが、土地家屋調査士法の改正によって「土地の筆界を明らかにする専門家」であることを明らかにされた土地家屋調査士が強く打ち出すべきことだと思います。
「隣地地権者の境界立会い確認義務を条文化」しようとする、というのは、これと全く逆方向を向いたものだと思えます。「立会確認」をしなければ「筆界確認」ができない、とされている「実務」の「現状」をまったく無批判に前提にしてしまって、そのレベルでの業務が円滑に進むことだけを願い(「業界エゴ」)、そのために国民(土地所有者)に無理難題的な「義務」を課そうというもののように思えるからです。
「土地の筆界を明らかにする専門家」であることを法律に謳われるようになった者としては、これはあまりにも情けないことのように思えてしまうわけです。「土地の筆界を明らかにする専門家」が、測量業者や役所の職員などの誰でもできる「立会確認」によってしか「筆界を明らかにする」ことができない、というのではあまりにも情けないではないですか。
新しい日調連の執行部が、「法改正」などの制度的な問題に積極的(前向き)であるのは、とても望ましいことだと思うのですが、基本的な方向性が後ろ向きのまま進んでしまうと、どんどん後ろに行ってしまってより悪い事態になりかねません。是非、しっかりとした議論の上で、本当に前に進めるようにしていただきたいものです。