大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「自然災害等による倒壊等建物の職権滅失登記の実施基準」

2016-03-07 08:39:25 | 日記
今週は5回目の「3.11」を迎える週です。

そんなときに、法務省が「自然災害等による倒壊等建物の職権滅失登記の実施基準」を定めて、自然災害等での建物滅失登記の職権での実施についての基本方針を定めた、とのことで、各調査士会からの連絡がありました(平成28年2月25日法務省民二第117号、平成28年2月29日。日調連発第317号等)

それによると、「東日本大震災においては,巨大地震や大津波などにより,膨大な数の建物が被害を受けたこと」を受けて、さらに「我が国においては,東日本大震災のような大規模災害ではないものの,地球環境の変化等により集中豪雨等の自然災害が多発しており,これにより建物が倒壊,流失等するといった事案も発生してい」ることに対して、、「被災者支援の一環」「地域の復旧・復興に貢献する」ものとして登記手続きの場においてもできることを積極的に行っていくことを示しているもので、意義の大きいものだと言えるでしょう。

その意義を確認しつつ、「通知」を見ていて気になるところがあったので、その部分について少し考えてみます。
「通知」では、
「当事者の申請によることを原則とする不動産登記制度においては,登記官の職権発動は,飽くまでも補充的な取扱いとして位置付けられることから,職権滅失登記を行うに当たっては,そのような制度上の位置付けと被災者支援という社会的要請との調和を図る必要があります。」
とされています。
この「職権発動はあくまでも補充的な取り扱い」とすることが「制度上の位置づけ」だ、とされていることについて、あたりまえの前提のように言われていますが、そういうものなのだろうか?と思う面があります。この機会にもう一度考え直してみたいと思います。

不動産登記法では、「登記は、法令に別段の定めがある場合を除き、当事者の申請または官公署の嘱託がなければすることができない」(16条1項)としています。そしてそのうえで、表示に関する登記についての規定として「表示に関する登記は、登記官が、職権ですることができる」(28条)とされています。
「表示に関する登記」というのは、昭和35年以降の「一元化」によって確立したいわば新しい領域になりますので、それまでの「申請がなければできない」というのが原則で、「職権でできる」というのは例外なのだ、というように理解することが自然にでてくるのかもしれません。これは、「表示に関する登記」という領域に関する、ごく本質的な問題として考え直す必要のあることのようにも思えます。

有馬厚彦著「詳論不動産表示登記」(金融財政事情研究会:2002)によると、最高裁は「旧建物が取り壊され、その同一敷地上に新建物が建築されたのに、旧建物の登記が残存していたため、新建物の所有者から旧建物の所有者に対して旧建物の滅失登記を訴求した事案」について、「建物の滅失登記は登記官が職権をもってすべき登記であるから」という理由で新建物の所有者の請求を退けた、そうです(最一判昭和45.7.16)。これを、有馬氏は「いわゆる『職権主義』を『登記官の職権登記が原則』と理解する思想が根底にあるように思われる」と「評価」しています。
そしてそれに対して有馬氏は
、「そのような理解に立つとしても、登記官が登記申請を待たずに、あらゆる不動産について、積極的にその現況を把握して登記するということは、現実的に不可能であり、その不可能をもともと法は要求しているものとは解されない」として、「表示に関する登記についても、『当事者の申請』が原則であり、いわゆる職権主義は第二義的なものと考えるべきであろう」
としています。
これはさらに
「表示に関する登記は権利に関する登記につながる不動産取引の出発点(かつての台帳とは性格を異にする)と捉えて、目的的に不登法の解釈をすれば、やはり、不動産の表示に関する登記も、その権利に関する登記と同様、申請主義こそ原則であり、いわゆる職権主義は補充的に働くに過ぎないと考えざるを得ない」
とも言います。

この点について、私には肯定的に受け止める部分と批判的に考える部分があります。
まず、肯定的に受け止めるのは、「表示に関する登記」の課題を「国家としての課題」という面からではなく「国民の権利を守る」という面から考える、という基本姿勢です。「台帳事務」が徴税という「国家課題」の遂行のために行われるものであったのに対して、それが不動産登記制度に組み入れられることによって、「国民の権利を守る」ための制度としての性格を明らかにしたことは、積極的な意義を持つのであり、「表示に関する登記」に携わる民間資格者としての私たちにとって基本的な視点、姿勢として大事なポイントだと思うのです。
そのうえで、批判的に考えるのは、そうであることと「申請主義」「職権主義」の問題は直接結びつく問題ではないのではないか、ということです。そもそも、台帳制度という、登記制度とは目的の異なるものを組み込んだ時点において、制度の在り方としても性格の異なるものを組み入れることになってしまうのは当然のことなのであり、そのようなことを行ったうえで、「やっぱり何も変わらない」とするのには無理があるように思えます。
現に昭和35年の「登記一元化」の際には、そのような考え方ではなかったようです。当時の国会での法務省民事局長答弁を見てみると
「従来は、御承知の通り不動産の登記というのは申請主義を建前としておるのでございますが、不動産の表示に関する登記につきましては、これは現行の台帳制度のもとにおけると同じように、登記官吏が職権をもってこれをする必要がございますので、新たにこの規定を設けたのでございます。」
「土地建物の現況を把握して、権利の客体を明確にする、その他国の政策上、土地建物を特定して、これを明確に把握しておくという必要上、この台帳制度というものがあるわけでございますが、ただ本人の申告あるいは申請に待っておりましただけでは正確を期することができません関係で、この職権調査ということが建前になっておるのでございまして、これは台帳におけると同じように、台帳の機能を果たしますところの新しい案のもとにおける登記簿の表題部においてもこの職権主義の建前をとった次第でございます。」(第034回国会参議院法務委員会昭和35年3月10日法務省民事局長答弁)
というように、「台帳制度と同じものとしての表示に関する登記制度」が強調されています。「表示に関する登記」のありかたについての考え方は、それがつくられたときと今日とではだいぶ違うものになっているように思えるのです。

いずれにしろ、3.11大震災を受けて、これまでの制度のありかたそのものを問い直すことが必要でしょうし、「建物滅失登記」という一領域においてもその作業が進んで現実のものになってきている、ということの意義は大きいのだと思います。さらに考えていかなければならないことでしょう。