大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「政治」への関わり方

2015-09-22 05:50:21 | 日記
先週、「安保法案」が参議院で採決を強行され、可決・成立しました。
どの世論調査でも「反対」が「賛成」を大幅に上回る中でのこの強行採決は、「国民は来年までには忘れてしまっているだろう」という見通しのもとになされているのでしょう。
そして、その見通しというのは、残念ながら「外れるだろう」と言い切れるものではない、という現実があるようにも思わされます。

そもそも、この「違憲」の指摘がなされる法案を成立させたのは衆議院における与党の絶対的な多数であり、それをもたらしたのは昨年末の総選挙です。
昨年末の総選挙は、「消費税10%の見送り」を理由に解散し、「アベノミクス、この道しかない」を「争点」としたものでした。既に昨年7月の時点で「集団的自衛権容認の閣議決定」がなされ、近いうちにその法制化作業が進む、ということが明らかであったにもかかわらず、戦後の日本のあり方を根本的に変えてしまうような「安保法制」は「争点」にならず、「景気回復」に主な関心が向けられ、それによって多数の議席が与えられたのでした。

この「アベノミクス選挙」における選択というのは、「目先の株価」に目が向く「目先感」あふれるものではありますが、それでも全体としての「景気」-「経済」を問題にしているのであれば「政治」のあり方ありうることです。
しかし、現実の「政治的選択」が、「全体」を考えてなされているのか(たとえ「目先」的なものであるにしても)、と言うとそうではない現実があるように思えます。「政治」を全体的なものではなく、自分たちの個別的な利益の追求という観点=「自分の所属する社会集団の利益を実現するための道具」として考える、ということが広くなされている、という現実です。
それは、ある企業が自分たちに都合のいい「口利き」をしてくれる政治家を選ぶ、というような犯罪にも抵触するるようなこととしてもあるでしょうし、そこまではいかなくても「業界利益の追求」のための圧力団体ということは広く行われています。
このようなあり方を、私は好ましくないものだと思いますが、百歩譲って考えても、あくまでも「平時」にだけ通用する考え方であって、国のあり方そのものが変わっていこうとする「危機の時代」に通用するものではなく、このような考え方を続けていると、個別的な利益どころか、それらの前提としてある社会制度そのもののあり方がとんでもない方向に向けて変わっていってしまうおそれがある、ということがこの間の「安保法制」をめぐる事態の中で明らかになっています。

「法的安定性」ということが大きな問題になりました。法的な制度が正しく運用されるという信頼が広く社会的にあることが、私たち土地家屋調査士にとっても、その資格者としての存在の前提としてあります。狭い「業界利益」から「政治」を見るのではなく、社会的な使命というところから見直していくことが必要だと思っています。