大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「人為的原因」

2012-09-14 06:00:54 | インポート

オスプレイの配備に対して反対する沖縄での大規模集会がありました。

私は、この4月に沖縄で九州ブロックの会長会議があった際に普天間飛行場を見学させていただきましたが、市街地に隣接する基地のあり方というのは、とても異様なものでした。この状態の中で、安全性に不安のある(と言うことは、自分たちの住むところに墜落する危険性がある、ということです)オスプレイが配備され、上空を飛ぶことに沖縄の人々が反対する、というのは、ごく自然なことだと思います。

しかし、日米政府は、オスプレイ配備へ向けての動きを着々と進めています。

その一環として、日本政府は、「調査」の結果、アメリカのこれまでの発表通り、モロッコ等での墜落事故は、「機体の構造的問題ではなく、人為的ミスが原因」という「調査結果」をまとめたそうです。「だから配備しても心配ない」とされる、ということなのでしょう。

しかし、危険性というのは、「機械のあり方」だけで決まるものではありません。人間が操縦するものである以上、「人為的」な要素というのも、「危険性」として当然に考えられなければならないものです。

これは、福島の原発事故でも同じです。「三重の防護体制」がとられている、とされていたわけですが、それをきちんと運用する「人為的」な営みがしっかりとなされていないと、「技術的」にいくらしっかりしていても、それが台無しにされてしまうわけです。

この「人為的」なことには、「経済性」なども含まれます。原発についても、使用済み核燃料の処理の問題など、未だに人類が解決していない問題があって、そもそも「技術的」にも無理があるのではないか、という問題はあるにしろ、おそらく「安全性」を確保するための万全の(これは文字通りの「万全」です)措置をとるのであれば、人類は今の原発を当面運用していけるくらいの「技術力」を持っているのでしょう(まったくの素人の考えで根拠があるわけではありませんが・・・)。

たとえば、福島だって、津波に対する対策をとるべき、という東京電力内での検討が「経済性」への判断を抜きに実施されていたら、事故は防げたのかもしれません。

問題は、技術的な問題もさることながら、それを「人間」が、人間界の様々な事情の中で動かしている、と言うところになるのだと思います。

これは、私たちの業務をめぐる問題についても同じです。

私たちの、土地家屋調査士の業務を行っていく中で、一定程度の水準(品質)を保っていこう、とする場合においても、「技術的にしっかりしている」というだけでは足りないのだと思います。土地家屋調査士という人間が仕事をしていく、ということのなかで、その「人為的」な行為が正しい結果を生み出すよう出なければならないのであり、そのための枠組みということを考えなければならないのではないか、ということです。

それは資格制度のあり方を含む「制度論」として考えられていかなければならないのであり、「技術論」はその中に位置づけられ、考え直されなければならないのではないか、と思うのです。

・・・以上、先日の飲み会の中で、酔った頭で議論して、話がどんどん外れて行って思うようにならなかったところの話を、オスプレイ配備へ向けた動きを見る中で思い出したので書きました。