2月21日の小リサイタルで
言い忘れたことの筆頭。
なぜ無調音楽(12音技法)の
新ウィーン楽派(シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン)を弾くのか。
理由はさまざまだけど
その一つとして以下のことがある。
20世紀から21世紀に生きる者として
同時代の音楽、つまり現代音楽に関心を持たないではいられない。
その元祖としての、新ウィーン楽派。
(これはもちろん
私の先生=井上直幸+ピヒト・アクセンフェルト両先生の影響も大だが。)
ベルクのピアノソナタは、
そういう意味で
立派な「古典」だろう。
彼らが結局無調の音楽を書いたのは
(初期には、後期ロマン派ばりばりの超ロマンティックな作品あり)
奇を衒ったものでは決してなく、
ロマン派が行き着くところまで行ってしまって
調が崩れるしかなかった、
ということは
弾いているとよくわかる。
リストなどにも
無調っぽい曲があるのは有名だけど、
たとえばモーツァルトやベートーヴェンなどでも
その生涯の最後の方の作品になると
なぜかみんな
1つの曲の中で
なるべく、より多くの調に転調したがる。
シューベルトなんか
最後の遺作のソナタ(D.960 変ロ長調)の第1楽章で
なんと
20調以上に転調してるんですよ!!
(むかし勘定しました。)
モーツァルトの後期のオペラ「コジファントゥッテ」の
各曲の調について
誰だったか外国の学者さんが
12音技法に類えて書いたはるの
読んだことあるけど。
いろんな調に転調して転調して
それがだんだん「調」を超越することになる
というのは
よ~くわかる。
シェーンベルクは、1874年生まれ、1951年没。
歌人でいうと、
斎藤茂吉が、1882年生まれ、1953年没だから
まったくの同時代人。
(ウィーンというのも重なる!)
ピアニストとしての私が
シェーンベルクを見る視線というのは、
それ単独では
ちょっと拠り所をどこに取ったらいいのか
見失いそうになるけど
現代短歌実作者としての私が
茂吉を見る視線と比べて考えてみたとき、
その位置がちょっとわかりやすくなるかな。
言い忘れたことの筆頭。
なぜ無調音楽(12音技法)の
新ウィーン楽派(シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン)を弾くのか。
理由はさまざまだけど
その一つとして以下のことがある。
20世紀から21世紀に生きる者として
同時代の音楽、つまり現代音楽に関心を持たないではいられない。
その元祖としての、新ウィーン楽派。
(これはもちろん
私の先生=井上直幸+ピヒト・アクセンフェルト両先生の影響も大だが。)
ベルクのピアノソナタは、
そういう意味で
立派な「古典」だろう。
彼らが結局無調の音楽を書いたのは
(初期には、後期ロマン派ばりばりの超ロマンティックな作品あり)
奇を衒ったものでは決してなく、
ロマン派が行き着くところまで行ってしまって
調が崩れるしかなかった、
ということは
弾いているとよくわかる。
リストなどにも
無調っぽい曲があるのは有名だけど、
たとえばモーツァルトやベートーヴェンなどでも
その生涯の最後の方の作品になると
なぜかみんな
1つの曲の中で
なるべく、より多くの調に転調したがる。
シューベルトなんか
最後の遺作のソナタ(D.960 変ロ長調)の第1楽章で
なんと
20調以上に転調してるんですよ!!
(むかし勘定しました。)
モーツァルトの後期のオペラ「コジファントゥッテ」の
各曲の調について
誰だったか外国の学者さんが
12音技法に類えて書いたはるの
読んだことあるけど。
いろんな調に転調して転調して
それがだんだん「調」を超越することになる
というのは
よ~くわかる。
シェーンベルクは、1874年生まれ、1951年没。
歌人でいうと、
斎藤茂吉が、1882年生まれ、1953年没だから
まったくの同時代人。
(ウィーンというのも重なる!)
ピアニストとしての私が
シェーンベルクを見る視線というのは、
それ単独では
ちょっと拠り所をどこに取ったらいいのか
見失いそうになるけど
現代短歌実作者としての私が
茂吉を見る視線と比べて考えてみたとき、
その位置がちょっとわかりやすくなるかな。
ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーくらいまでしかついていけないや、なんて思っていましたが、それはマズイな、と思いました!
(いつも楽しみに拝見しています。河野さんのリサイタル、いつか是非行きたいと願っています)
そうなんです、茂吉とシェーンベルク。
まだちゃんと調べてないけど、
茂吉がウィーンに留学中、グラーベンあたりで(?)シェーンベルクとすれ違ってる可能性あり。
シェーンベルクでは、おススメは「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」(歌みたいなもの+室内楽)。
むかし弾いたことありますが、音楽に感動しました。