河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/7(土)15時 京都府民ホール・アルティ シューマン「ピアノ三重奏曲第2番ヘ長調」Op.80 

なぜシェーンベルクを弾くか

2008-02-24 20:20:27 | シェーンベルク
2月21日の小リサイタルで
言い忘れたことの筆頭。

なぜ無調音楽(12音技法)の
新ウィーン楽派(シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン)を弾くのか。

理由はさまざまだけど
その一つとして以下のことがある。

20世紀から21世紀に生きる者として
同時代の音楽、つまり現代音楽に関心を持たないではいられない。

その元祖としての、新ウィーン楽派。

(これはもちろん
私の先生=井上直幸+ピヒト・アクセンフェルト両先生の影響も大だが。)

ベルクのピアノソナタは、
そういう意味で
立派な「古典」だろう。

彼らが結局無調の音楽を書いたのは
(初期には、後期ロマン派ばりばりの超ロマンティックな作品あり)
奇を衒ったものでは決してなく、

ロマン派が行き着くところまで行ってしまって
調が崩れるしかなかった、
ということは
弾いているとよくわかる。

リストなどにも
無調っぽい曲があるのは有名だけど、

たとえばモーツァルトやベートーヴェンなどでも
その生涯の最後の方の作品になると
なぜかみんな
1つの曲の中で
なるべく、より多くの調に転調したがる。

シューベルトなんか
最後の遺作のソナタ(D.960 変ロ長調)の第1楽章で
なんと
20調以上に転調してるんですよ!!
(むかし勘定しました。)

モーツァルトの後期のオペラ「コジファントゥッテ」の
各曲の調について
誰だったか外国の学者さんが
12音技法に類えて書いたはるの
読んだことあるけど。

いろんな調に転調して転調して
それがだんだん「調」を超越することになる
というのは
よ~くわかる。

シェーンベルクは、1874年生まれ、1951年没。

歌人でいうと、
斎藤茂吉が、1882年生まれ、1953年没だから
まったくの同時代人。
(ウィーンというのも重なる!)

ピアニストとしての私が
シェーンベルクを見る視線というのは、
それ単独では
ちょっと拠り所をどこに取ったらいいのか
見失いそうになるけど

現代短歌実作者としての私が
茂吉を見る視線と比べて考えてみたとき、
その位置がちょっとわかりやすくなるかな。

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2 コメント

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おお!発見です (まつむらゆりこ)
2008-02-25 14:22:04
シェーンベルクと茂吉が同時代人、というご指摘はとっても新鮮です。
ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーくらいまでしかついていけないや、なんて思っていましたが、それはマズイな、と思いました!

(いつも楽しみに拝見しています。河野さんのリサイタル、いつか是非行きたいと願っています)

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同時代 (河野美砂子)
2008-02-28 00:08:33
これはこれは!松村さん、ようこそです。
そうなんです、茂吉とシェーンベルク。
まだちゃんと調べてないけど、
茂吉がウィーンに留学中、グラーベンあたりで(?)シェーンベルクとすれ違ってる可能性あり。

シェーンベルクでは、おススメは「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」(歌みたいなもの+室内楽)。
むかし弾いたことありますが、音楽に感動しました。
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