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2012.01.20 阪神大震災記念日<その2>

本当は私がブログに書きたいと思ったことは、私を見捨てることなく、私を「神戸に
戻す迄頑張る」という合い言葉で最後迄献身的に支援し続けてくれた友人達への感謝
でした。(私がそれを知ったのは、避難所から神戸に戻った日、全員での引越パーティ
の時でした。これをもう少し早く知っていたら死ぬ程の不安は軽減したことしょう。)

この巡り会いは奇跡としか思えない。亡き父母が頼んで呉れているとしか思えない。
そう思いました。
毎週休日には、大阪駅でボランティアの友人達と待ち合わせて神戸へ向かいましたが、
その時、私はすぐに皆に「ありがとう」と言えませんでした。一瞬遅れました。
何故なら、咄嗟に「お父さんお母さん有難うございます。」と心の中で叫んだからです。
友人達に言いました。「会ってすぐにお礼の言葉を言わなくてごめんなさい。思わず先
に父と母に有難うと言ってしまうからなんよ。」と…。
すると、皆は、「それで良いねん。それで良いねん。」と言ってくれました。

この人達が居なかったら今日の私はありません。再建の夢が叶わなかっただけでなく、
失意の日々を経て、恐らく今私は生きてはいないでしょう。
そんな私が、「もしも神戸の家を再建し戻ることができたら必ずする」と決心していた
こと、それは、この方達へのご恩返しです。
そして、この方達の様に、私も役立ちたい。

その頃、私は「もし神戸に戻れたらマッキントッシュを買おう」と目標にしていました。
そして、神戸に戻って初めて出会ったパソコン(マッキントッシュ)に衝撃を受けた私は、
パソコンは何でもありの世界だ今後の人生はこれに賭けよう、これしかないと思いました。
そして、職場を辞めました。定年1年前のことでした。
それから、苦節10数年、夜を日に継いで頑張りました。寝ない日も多くありました。
グラフィックも、頑張りました。どん欲に挑戦しました。
パソコンに出会って2年目には作品展もしました。
その頃、コンピューターグラフィックでは漫画しか描けないと思われていた時代、私は
描写画を描いて、風穴を開けたと思っております。驚いたプロ達に手法を聞かれました。
力はそこそこ付いたと思われます。
そして、偶然の出会いから、ネットショップを始めました。

…しかし、未だに芽が出ないのは事実です。
もちろん、友人達にもご恩返しは出来ておりません。
しかし、まさかここまで苦戦するとは思いませんでした。
お金を貯めてボランティアをするなんて夢の夢である状態は続いています。
どんな苦難にも耐える力は、震災復興時に与えて頂きました。その点では自信があり
ます。でも、こんなに努力しているのだから必ず実る筈だとは、甘い幻想だったかも
しれないことも知りました。

しかし、あのときのメンバーは、今も変わらずいつも集まり、ほのぼのとした日々を
共有してくれています。これ以上の感謝、これ以上の財産があるでしょうか?
阪神大震災記念日は追悼の日であると共に、私にとって改めて深く感謝を捧げる日です。
父母に、そして私が今あるを支えてくれた友人達に。

                                                                             <その3>へ続く

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