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2012.01.23 阪神大震災記念日<その3・完>

<その3>
先日来、私は震災のことを書き始め、今の幸せへの感謝を述べようとして逆に当時の
どうにもならなかった苦しい出来事が次から次へと蘇り、胸が苦しくなり落ち込んで
しまいました。大声で泣きたい衝動に耐える数日でした。
そして、ブログにUPする勇気が萎えてしまいました。

いつものお助けウーマンに相談しようと、電話しました。
彼女は、震災の支援者の一人として、最後まで協力してくれた仲間の一人です。
彼女は、泣きたい気持ちはよく分かると言って呉れました。当然よと。

そして、私はなじみの喫茶店の店長が言う言葉を聞いてはっとしました。
「僕は、思い出したくないので震災のことは書かないのです。」と…。
32才の彼は、当時高校生、まだ働いてはおらず親の庇護の元にいた状態です。
その彼が、思い出したくないから書かないと言うのです。
遠い地に一人で避難し、働きながら復興した私が苦しむのは当たり前だった。

一方、テレビで、当時の被災者達が「おかげで殆ど復興したけれど傷は一生消えない」
と言っていました。幾人もの人が同じことを言っていました。
そうか、傷が消えなくても仕方がないんだ。感謝が足りないと自分を責める必要は無い。

今まで、このブログに震災の復興記録を私は何度も書いてきました。
全部で50話ぐらいあると思います。
しかし、どれも7~8話目に続けられなくなり中断しました。




特に2010/2月~3月に掛けて書き出した「阪神大震災の日 香港にいた私」というシリーズ
では、私が命が助かるに至った経緯、そしてそれにまつわる信じられない不思議な不思議な
巡り合わせを書こうとしました。
9話までUPしたところで、私の小学校時代の同級生の男性が、小冊子にまとめてくれました。
「大事な記憶ですので、しっかり書きとめておいて下さい。続いて全巻書き終わったところ
で完成分を改めて製本しますから。」と言ってくれました。
私は、その後手元で24部まで書き続け、おそらく30部には完結するかなと思っていましたが、
その後はUPすることなく(9話止まりで)、結局そのままになってしまいました。
その間の精神的な落ち込みとそれに伴う体調不良が、それを乗り越える勇気を奪いました。

又、2009/5月には、「感謝の仲間」というシリーズで、復興までの記録を書こうとしました
が、これも最終までは書けなくなり、残念ながら6話目で完結としました。

「思い出したくないから書かない」という選択肢は幸せな選択肢です。
私も、しばらく書くことは封印しようと思いました、
たとえ「今の感謝を伝えたい」のだとしても、体をズタズタにしてまで書くのは時期尚早で、
やはり書くべき時期が来ていないのかも知れないと思いました。
今回は軽い思いで書きましたが、案に相違して長くなりましたので、3部に分けました。
今回も、優しいお助けウーマンに背中を押されて、遅れ遅れでようやくUPしました。

                       < 完 >

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