チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2012.01.12 迎春器自慢と、阪神大震災のこと。
正月四日のお屠蘇の肴です。
正月五日のお屠蘇の肴とお雑煮の夕食です。
肴類は、おちょこに入れています。
私のおちょこは、お酒を飲む為ではなく、お正月の料理を入れる為に集めて
います。
私は阪神大震災の時、神戸に住んでいて家が全壊しました。
でも、その日私は神戸には居らず、香港へ旅行していました。
帰国して家に辿り着くと、家は全壊しており、家具や食器棚も倒れ、食器棚の
中の大切な食器類をすべて失いました。
但し、有難いことに戸棚に入り切れず、箱のまま押し入れの下段に入れていた
食器類の一部は残りました。それらを、今使っています。
しかも、信じられないことがありました。旅行は、1月のことでしたので私は
日本を離れるにあたって、大好きな迎春用品を入れた箱を居間のテーブルの下
に置いて出かけていました。
テーブルの下にあった為、これら迎春用品のほとんどが失われず残ったのです。
こんな幸運があるでしょうか?信じられないと思いました。
その上、長年に亘って蒐集を続けた大型の器類2~30個は低い棚の下に一つ
ずつ新聞紙に包んで入れていて、それらがごろごろと転がり出ていましたが、
すべてが無傷のままでした。すべてを失った私に、迎春用品だけが残りました。
それらを見た時、正月大好きな私は飛び上がりました。「神様!」と叫びました。
「これらが残っているんだ!これらがあるのなら立ち上がれる。この家を再建
しよう。これらがあるんだったらもう一度あのお正月を迎えることができる!
絶対頑張ろう、頑張れる!」その嬉しさは今迄経験したことのないものでした。
「神様ありがとうございます!」震える程の感動と感謝を覚えたことを思い出し
ます。
1年半の避難生活の後、再建出来た家に戻った私は、その家に10年間住み今は
転居しましたが、毎年この迎春用品たち赤いお盆にしろ器にしろ、あの震災を
乗り越えて生き残った物達に囲まれて迎えるお正月の感動を味わっております。
神戸に戻る迄の友人達の献身的な協力への感謝を表したく、その後毎年お正月
におせち料理のご招待を続けました。
(おせち以外のお惣菜料理(=私のお得意の貧乏料理?)のご招待も毎年10回
ほど続けました。神戸にいた10年間で100回程延べ数百人招待したと思います。)
西宮に転居してからも数年続けましたが、最近「ファイナルおせちパーティー」
を盛大に行って終了しました。
震災を経験した方の共通の心理で、私自身も震災後は食器などを買う気持ちが
全く無くなり、百貨店でも瀬戸物売り場に寄り付くこともなくなっていましたが、
その内に変わって来ました。最近では瀬戸物屋さんの店先で、半端になった品を
カゴに入れて格安で売っているものを買うのが楽しみになりました。
上の写真は、最近買った見切り品の器です。
上段の紅葉の形の器と扇子の形の器は、以前からから大好きでした。
それが、たまたま1つずつ残っていて、格安になっていて300円ぐらいでした。
下段の金色の扇の器と八角の小鉢は、料理屋さんで半端になった器をバザーで
手に入れたもので、両方共たったの10円でした。いずれも、私の気に入りです。
こうして、又好きなものが廻りに集まり、お正月が益々好きになって行きます。